みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

堺市・特定図書排除事件の記事がgoo「人気記事ランキング」で1位に!アクセスランキングは2位

2008-12-25 09:45:25 | 「ジェンダー図書排除」事件
朝起きて、パソコンをたちあげて、
gooの編集画面に入ったら、もうビックリ!



なんと、昨日のアクセスランキングは、gooブログ全体で2位!
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12月24日のアクセス数
閲覧数 : 37534 PV
訪問者数 : 27443 IP
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ブログをはじめて、もうすぐ丸4年、
毎日毎日、記事を更新してきたけど、こんなことは初めて。

「人気記事ランキング」でも堂々のダントツ一位。



昨日、いちばんアクセスが多かったのは、この記事です。

堺市に住民監査請求書を提出(代理人代表・上野千鶴子)
/特定図書排除問題で。(2008-11-05)


原因は、堺市立図書館から特定図書が排除された記事が、
共同通信の配信で全国ニュースになり、2ちゃんねるにスレッドがたったことで、
そこに、わたしの上記の監査請求の記事がリンクされています。

図書館「ボーイズラブ」に揺れる 堺市、市民の不信感募る
2008.12.23 47NEWS

 「ボーイズラブ(BL)」と呼ばれる男性同士の恋愛をテーマにした小説に、堺市の図書館が揺れている。市民の声を受けて貸し出しを制限したところ、反対に「特定の本を排除するのは問題」と非難が集中し、制限を撤回。「また突然、対応を変えるかも」と市民の不信感は募っている。
 一般的にBL小説は、1冊に数ページのイラストがある。堺市立の7つの図書館が所蔵する計約5500冊のうち、100冊程度には男性同士が裸で絡み合うような過激な描写があった。盗難も多いため、申請があれば貸し出す閉架書庫に置いていた。
 しかし、ひっきりなしに貸し出されるため、4つの図書館では誰でも閲覧できる棚に配置。7月、「子どもが見るのにふさわしくない」との声が利用者から出た。
 図書館側は、閉架書庫に戻した上で、18歳未満への貸し出し禁止を決定。これに、住民グループが「特定の本を排除したり廃棄したりするのは、図書館ではあってはならない。政治的圧力もある」と反発。有識者も賛同し、11月に廃棄差し止めの住民監査請求が申し立てられると、図書館側は一転、18歳未満への貸し出しも認めた。
 堺市は「拙速で、判断を誤った」としている。
(2008/12/23 18:08 【共同通信】)


記事は、京都新聞や中日スポーツにも載ったようです。

しかし、この記事、9月以来、複雑な経過をたどった図書排除事件について、
かなりざっくりとしか書いてないので、読んだ人の誤解を招きやすい。
一般小説を「BL」とひとくくりにした問題点もすでに明らかになっているのに、
そのことにも言及していない。

わたしのブログを訪問してくださる人が増えるのはうれしいのですが、
この新聞報道だけを読んで判断されると、
約2ヶ月も前の記事に的外れなコメントや質問が増えて、
なかには、セクシュアルマイノリテイに対する暴言や、
管理者に対する「死ね」とか「変態」とかの罵詈雑言もあり、
この事件に対する偏見の根深さを感じます。

福井の「ジェンダー図書」排除事件のK氏から付きまとわれてて、
不愉快なコメントをつけられたくないので、コメント欄は「承認制」にしています。

図書排除事件に関心をもたれた方は、一連の記事をちゃんと読んでみてほしい。

 カテゴリー「ジェンダー図書排除事件」


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ところで、昨日、山県市からお手紙が届いた。

なにかの督促かと思ったら、山県市議会議長から「請願の審査結果について」。
わたしたちが提出した「議会運営における法令の遵守を求める請願」が
「採択」になったお知らせ。



まずはめでたい(笑)。

山県市議会の皆さん、請願も採択したことだし、法令遵守してくださいね。


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コメント (9)
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静かで深い『悼む人』(天童荒太/文芸春秋/2008)。

2008-12-25 00:00:00 | ほん/新聞/ニュース
衝撃的な小説だった。
天童荒太さんが7年かけて書いたという『悼む人』。

しずかに深く心の奥にしみ込んでくるような、
『悼む人』(天童荒太/文芸春秋/2008)。


天童荒太さんの本は、『永遠の仔』からずっ読み続けている。
光の当たらないところをみつめながら、透明な文体でつづられた
深いテーマに、ぐんぐんひきつけられる。
かなしい結末なんだけど、心の底に、あたたかいものが流れている。

「うまれて、生きて、死ぬ」ということにおいて人はおなじ、
だれもが愛し愛される存在ではないのか、としずかに「悼む人」は問いかける。

ちょうど本を読み終えたら、中日新聞の読書欄に書評が載った。

【書 評】悼む人
[著者]天童 荒太
文芸春秋/ 1700円
[評者]清水 良典(文芸評論家)
■死者の声を聞き届ける旅
 死者が出たある事件の現場を、一人の旅姿の青年が訪れる。左膝(ひざ)を地に着け、頭上に上げた右手を胸へ運び、何かを唱えている。見とがめた人が何をしていたかを問うと「いたませていただいていました」と答える。
 これが「悼む人」である。報道で知りえた死者の情報を記録したノートと共に、彼は全国の死の現場を旅しているのだ。死者を知る者と会えば必ず「誰に愛されていたか、誰を愛していたか、どんなことをして人に感謝されたことがあったか」を尋ねる。そして生前の故人を偲(しの)んで「悼む」。
 この奇妙な男を、ガンを告知された彼の母親、嫌われ者の事件記者、夫殺しの女、三人の視点から本書は語っていく。なぜ彼はこのような行為にとりつかれたのか。単純な善意ではない。宗教行為でもないという。気味悪がられ、迷惑がられることもある。とにかく周囲に違和感と疑問を刻みつける存在だ。そんなことをして何になる、偽善だ、自己満足だ、などと疑問や反感をぶつけずにおれない者たちの目を通して、彼「悼む人」は描かれていくのである。
 事件の報道には頻繁に死が伴う。悲惨な死、愚かな死、不可解な死、あまりにも多くの死がある。だが事件は記憶されても、死者の名前や人柄には注意を払われない場合が多い。当事者には切実な死も、否応(いやおう)なく人は忘れ去っていくものだ。残酷だがどうしようもないと思われるこの事実を、本書は少しずつ突き崩していく。「メメント モリ(死を想(おも)え)」という古いラテン語の言葉があるが、我々の生は多くの他者の死の上に、そして自身の死の手前に築かれているものだ。あらゆる宗教と哲学、そして文学の根源である死を、しかし「悼む人」は恐ろしいほど律儀(りちぎ)な歩行と、聞き届ける耳によって具体化していく。その行為によって、重苦しい死がふと救いに変わる。抽象に逃げない強靱(きょうじん)さが、深く心に残る力作である。
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てんどう・あらた 1960年生まれ。小説家。著書に『永遠の仔』『あふれた愛』『家族狩り』など。
(中日新聞 2008.12.20)


朝日新聞の文化欄には昨日の斎藤美奈子さんの『文芸時評」と20日の記事、
14日には重松清さんの書評が掲載されていた。

 

悼む人 [著]天童荒太 
朝日新聞 2008年12月14日
[評者]重松清(作家)■愛や死への思い問う鏡のような物語

 胸がざらつく。どうにも落ち着きようのない思いに包まれる。何度となく本から顔を上げ、息をつき、そしてまた目を戻すと、たちまち物語の深みへと導かれていく。
 天童荒太さん8年ぶりの長編小説となる本書を、そんなふうに読み進めた。密度のある物語――構成や描写の目がただ詰んでいるというのではなく、ずしりと持ち重りのする絶対的な質量を持った物語である。
 〈ぼくは、亡くなった人を、ほかの人とは代えられない唯一の存在として覚えておきたいんです〉と、〈悼む人〉となった静人は言う。〈誰に愛されていたでしょうか。誰を愛していたでしょう。どんなことをして、人に感謝されたことがあったでしょうか〉と、亡くなった人について尋ねつづける。
 なぜそうせずにはいられないのか、そうすることが自分になにをもたらすのか、静人自身にもわからない。むしろ偽善者と呼ばれ、心の病か怪しげな宗教かと警戒されることのほうが多い。死に軽重をつけず、その人のことを決して忘れずにいるというのは、〈人々の安逸(あんいつ)な暮らしを乱し〉〈人々を戸惑わせ、苛立(いらだ)たせる〉ものだから。
 物語は、そんな静人をめぐって織りなされる。世の中や人生にすねたルポライター、夫殺しの罪で服役し出所したばかりの女性、さらには末期がんに侵された静人の母親――3人の視点から、天童さんは静人という謎めいた青年を描く。ただし、それはあくまでも外から見た〈悼む人〉の姿であり、3人は誰も静人の内面に入り込むことはできない。だから実像が浮かび上がりそうで浮かばない。焦点が合いそうで合わない。3人の視点に寄り添いながら静人に迫ろうとしても、どうしても届かない。もしかしたら、そこにもどかしさを感じる読み手もいるかもしれない。
 だが、おそらく天童さんはすべてを承知したうえで、この描き方を選んでいる。静人は、いわば鏡なのだ。物語の中の3人が静人によって自分自身の〈愛や死に対する考え〉を問い直されるように、物語の中の静人を見つめる読み手のまなざしもまた、そのまま自分自身へと返ってくる。いままであたりまえのようにして受け容(い)れていた〈愛や死に対する考え〉を根底から問い直される。痛みにも似た胸のざらつきがあるだろう。激しく揺さぶられてしまう瞬間もあるだろう。だからこそ、どこまでも美しい光に包まれたラストシーンでは、深いため息が漏れるはずだ。思わず目を閉じて、天を仰ぎ、それから静かにうなだれる――それが物語の中で死者を悼むときの静人の姿と重なり合うことに思いあたったとき、この作品そのものが〈悼む人〉ではなかったかとも気づかされるのだ。
 読み手の胸をうずかせた「痛み/悼み」は、本を閉じた瞬間に消え失(う)せるものではない。物語は鏡だった。〈悼む人〉は物語から旅立って、読み手の生きる現実へと渡ってきた。静人の声が遠くから聞こえる。その声は、あなたには自分のことを悼んでくれる人がいますか、あなたが悼みたい相手はいますか、と繰り返し問いかけてくるのである。
    ◇
 てんどう・あらた 60年生まれ。作家。96年に『家族狩り』で山本周五郎賞、00年に『永遠の仔(こ)』で日本推理作家協会賞を受賞。
(朝日新聞 2008.12.14)


本を読んで、『悼む人』で検索したら、
『悼む人』公式ホームページの対談を見つけた。
あらすじや登場人物も書いてあるけれど、
松田哲夫さんとの対談(連載)が読み応えがあってよい。
ただし、
対談を読むのは、本を読んでからにしたほうがいいかもしれません。

天童荒太×松田哲夫 
対談「この世界に一番いてほしい人」


天童荒太さんが構想以来七年もの歳月を費やして書き上げた
新作『悼む人』に込めた想いを、天童作品の理解者である松田哲夫さんを相手に、
じっくり語っていただいた。

■第一回:プロローグ/9.11と10.7[12月8日更新]

■第二回:読者の声と作家の決意[ 12月15日更新 ]

第三回:静かな作品世界 [ 12月22日更新 ]
 


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