明けまして おめでとう ございます
初日の出を見ようと、日の出の時間にあわせて
ウォーキングに出たのですが、あいにくの曇り空。
とりあえず一枚だけ写しました。
2014年1月1日7時ごろの鳥羽川ウオーキングロードです。
帰ったら、元日の新聞がどっさり届いていました。
明日は休刊日なので、テレビ欄とか正月特集の紙面が入っているのと、
チラシもずっしりと重いのです。
まずは本紙の社説からじっくり読みました。
がんじつの社説は、どこもリキが入っているのですが、
5紙の社説を読み比べてみると、
朝日新聞の「政治と市民―にぎやかな民主主義に」がおもしろかったです。
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ウォーキングに出たのですが、あいにくの曇り空。
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帰ったら、元日の新聞がどっさり届いていました。
明日は休刊日なので、テレビ欄とか正月特集の紙面が入っているのと、
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まずは本紙の社説からじっくり読みました。
がんじつの社説は、どこもリキが入っているのですが、
5紙の社説を読み比べてみると、
朝日新聞の「政治と市民―にぎやかな民主主義に」がおもしろかったです。
社説:政治と市民―にぎやかな民主主義に 2014年1月1日(水) 朝日新聞 一面の枯れ葉を踏みながら歩く。その音さえカサカサとあたりに響くようだ。静かな東京・小平市の雑木林。 近所の人が散歩などで親しむこの小さな空間が昨年、何度もニュースになった。そこに都道を通す計画への異議申し立て運動が高まりを見せたためだ。 それまで選挙では主要な争点にならず、住民の多くも意識していなかった古い計画だ。その実施が決まったと、あるとき知らされる。計画だけでなく、それを決めて進めるプロセスそのものへも疑問がふくらんだ。住民投票で問うたのも建設の賛否ではなく、決定に住民参加を認めるかどうかだった。だから、地元以外の人々の関心も呼んだのだろう。 運動に参加した哲学者の國分功一郎さんは、ものごとを実質的に決めているのは「行政機関」ではないかという。選挙で議員や首長を選べば民主主義は機能していると思いがちだ。けれど、日々の統治を担う行政府に、市民が異議を申し立てるのが容易ではないとしたら――。 ■強い行政、弱い立法 民主主義社会で市民が疑問を感じる政策を政府が進める。昨年暮れ、成立した特定秘密保護法をめぐっても同じような構図があった。 しかも、この法律は行政府による情報の独占を可能にする。何が秘密かを決めるのも管理するのも、結局は行政府の人である。肝心の国会は監視できる強い立場を与えられていない。 国会で多数派が賛成したから成立したのだが、皮肉なことに、この法律は行政府の権限を強め、立法府を相対的に弱める。行政府が民意の引力圏から一段と抜け出すことになった。 行政府が強くなり、立法府が弱くなる。これは必ずしも新しい問題ではない。しかし近年、海外でもあらためて議論されるようになっている。背景の一つはグローバル化だ。 カネや情報が急速に大量に国境などお構いなしに行き交う時代、行政府は刻々と変化する市場などがもたらす問題の解決をつねに急がされる。民意はときに足かせと映る。 ■「補強パーツ」必要 だからこそ、行政府は膨大な情報を独占し、統治の主導権を握ろうとする。その結果、多くの国民が「選挙でそんなことを頼んだ覚えはない」という政策が進む。 消費増税に踏み込んだ民主党政権、脱原発政策に後ろ向きな現政権にそう感じた人もいるだろう。欧州では債務問題に直面した国々の政府が、人々の反発を押し切って、負担増の政策を進めた。 だが、議論が割れる政策を採るならなおさら、政治は市民と対話しなければならない。 もとより行政府を監視するのは立法府の仕事だが、政治家は閣僚になったり自分の政党が与党となったりすると、行政府の論理に大きく傾く。ミイラ捕りはしばしばミイラになる。 民主主義を「強化するパーツが必要」と國分さんはいう。議会は不可欠だが、それに加えて行政を重層的に監視して「それはおかしいと伝える回路が欠かせない」。そのために住民投票や審議会などの諮問機関の改革、パブリックコメントの充実などを提案する。 地味で頼りなさそうな方法に見えるかもしれない。けれども、議会と選挙以外で市民が政治に働きかける手段は海外でも見直されつつあるようだ。 ■有権者から主権者に たとえば、フランスの民主主義研究の大家ピエール・ロザンヴァロン氏は「カウンター・デモクラシー」という言葉で、議会制民主主義のいわば外側にある仕組みへの注目を促す。デモ、新旧のメディア、市民による各種の評議会などを指す。やはり議会は否定しない。それを補完するのだという。 豪シドニー大学のジョン・キーン教授も、行政を監視する市民のネットワークや組織を重視する。最近邦訳が出た「デモクラシーの生と死」という著書で、それを「モニタリング民主主義」と呼んでいる。年末の訪日時の講演でも、地球温暖化や少数民族、核軍縮などグローバルな課題で市民レベルの運動が果たした役割を強調した。 いずれも投票日だけの「有権者」ではなく、日常的に「主権者」としてふるまうことを再評価する考え方ともいえる。 そんな活動はもうあちこちに広がっている。新聞やテレビが十分に伝えていないだけだと批判をいただきそうだ。確かに、メディアの視線は選挙や政党に偏りがちだ。私たち論説委員も視野を広げる必要を痛感する。 場合によってはこれから2年半、国政選挙はない。それを「選挙での多数派」に黙ってついていく期間にはできない。異議申し立てを「雑音」扱いさせるわけにもいかない。 静かな雑木林からの呼びかけに、もっとにぎやかな民主主義で応える新年にしたい。 |
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【社説】人間中心の国づくりへ 年のはじめに考える 2014年1月1日 中日新聞 グローバリゼーションと中国の大国化に「強い国」での対抗を鮮明にした政権。しかし、経済や軍事でなく人間を大切にする国に未来と希望があります。 株価を上昇させ、企業に巨額の内部留保をもたらしたアベノミクスへの自負と陶酔からでしょう、安倍晋三首相は大胆でした。就任当初の現実主義は消え、軍事力増強の政策にためらいは感じられませんでした。 多くの国民の懸念をふり払って特定秘密保護法を強行成立させた後は、初の国家安全保障戦略と新防衛大綱、中期防衛力整備計画の閣議決定が続きました。 強い国への疑心暗鬼 今後十年の外交、防衛の基本方針を示す安保戦略は、日米同盟を基軸にした「積極的平和主義」を打ち出し、戦後の防衛政策の転換をはかりました。先の戦争への反省から専守防衛に徹する平和国家が国是で国際貢献も非軍事でしたが、積極的平和主義は国際的紛争への積極的介入を意図し、軍事力行使が含意されています。 米国と軍事行動を共にするには集団的自衛権の行使容認の憲法解釈変更は前提で憲法九条改正は最終の目標です。このままでは米国の要請で「地球の裏側」まで自衛隊派遣の義務が生じかねません。 安倍政権が目指す「強い国」は「急速な台頭とさまざまな領域へ積極的進出」する中国を念頭に自衛隊を拡大、拡充します。それは他国には軍事大国の脅威ともなるでしょう。疑心暗鬼からの軍拡競争、いわゆる安全保障のジレンマに陥ることが憂慮されます。 強い国志向の日本を世界はどうみているか。昨年暮れの安倍首相の靖国参拝への反応が象徴的。中国、韓国が激しく非難したのはもちろん、ロシア、欧州連合(EU)、同盟国の米国までが「失望した」と異例の声明発表で応じました。戦後積み上げてきた平和国家日本への「尊敬と高い評価」は崩れかかっているようです。 人には未来と希望が アベノミクスも綱渡りです。異次元の金融緩和と景気対策は大企業を潤わせているものの、賃上げや消費には回っていません。つかの間の繁栄から奈落への脅(おび)えがつきまといます。すでに雇用全体の四割の二千万人が非正規雇用、若き作家たちの新プロレタリア文学が職場の過酷さを描きます。人間が救われる国、社会へ転換させなければなりません。 何が人を生きさせるのか-。ナチスの強制収容所で極限生活を体験した心理学者V・E・フランクルが「夜と霧」(みすず書房)で報告するのは、未来への希望でした。愛する子供や仕事が、友や妻が待っているとの思い、時には神に願い、誓うことさえ未来への希望になったといいます。 人はそれぞれがふたつとない在り方で存在している。未来はだれにもわからないし、次の瞬間なにが起こるかもわからない。だから希望を捨て、投げやりになることもないのだ、というのもフランクルのメッセージでした。 社会にも未来と希望があってほしいものです。四月から消費税率引き上げとなる二〇一四年度の税制大綱は企業優遇、家計は負担増です。企業には復興特別法人税を前倒しで廃止したうえに、交際費を大きく減税するというのですから国民感情は逆なでされます。 税もまた教育や医療と介護、働く女性のための育児や高齢者福祉サービス、若者への雇用支援など人間社会構築のために振り向けられなければなりません。そこに未来や希望があります。 所得再配分は国の重要な役目。政府が信頼でき、公正ならば国民は負担増をいとわないはずです。高度経済成長はもはや幻想でしょう、支え合わなければ生きられない社会になっているからです。 脱原発も人間社会からの要請です。十万年も毒性が消えない高レベル放射性廃棄物の排出を続けるのは無責任、倫理的にも許されません。コスト的にも見合わないことがはっきりしてきました。 「原発ゼロ」の小泉純一郎元首相は「政治で一番大事なことは方針を示すこと。原発ゼロの方針を出せば、良い案をつくってくれる」「壮大な夢のある事業に権力を振るえる。結局、首相の判断と洞察力の問題」と語りました。首相の洞察力は無理なのでしょうか。 涙ぐましい言論報道 特定秘密保護法でメディアの権力監視の責任と公務員から情報を引き出す義務はいちだんと重くなりました。それにもまして大切なのは、一人ひとりの国民の声に耳をすまし伝え、できれば希望になることです。画家の安野光雅さんは、それを「涙ぐましい報道」と表現しました。涙ぐましい努力を続ける報道言論でなければなりません。 |
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