みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

原発問題探るヒントも 田中正造の活動に学ぶ(白井康彦)

2014-01-06 23:20:11 | ほん/新聞/ニュース
クリスマスローズが咲きました。
白い花の「ニゲル」です。
前に植えてあったニゲルがかれてしまったので、
花が終わった時期にみつけた買ってきた鉢です。

地面におろしてやろうと思っていたら、
待ちきれずに花が咲きました。

ヘレボルス・ニゲル(NHKみんなの趣味の園芸)
 ヘレボルス・ニゲルは有茎種(立ち上がった茎に葉をつけ、頂部に花を咲かせる)のクリスマスローズです。常緑の多年草で、清楚な白い花を横向きに咲かせます。葉はやや肉厚です。有茎種として扱われていますが、有茎種と無茎種の両方の特徴や性質をもち、中間種として扱われることもあります。種小名の「ニゲル」は、黒を意味し、根が黒いことに由来しています。
 本来、「クリスマスローズ(christmas rose)」はヘレボルス・ニゲルの英名ですが、日本ではヘレボルス属全体をクリスマスローズと呼んでいます。12月に開花し始める早咲きのものもありますが、多くはクリスマスには咲かず、1月になってから開花します。蕾を包む苞葉(ほうよう)がないので、蕾のうちから白い花弁を確認できるのが特徴です。咲き進むにつれてややピンクに色づきます。八重咲きや半八重咲きの園芸品種があります。


きょうのお昼は「モレラ」で丸亀うどん。

お正月中は家にじっとしていたのですが、
そろそろ食料も着れてきたので、初めての買い物です。
お目当ては、ユニクロのヒートテックです。

お正月のおせちにもそろそろ飽きてきたので、
冷蔵庫にあるもので、おでんを作りました。

昆布とかつおの出汁だけで煮て、
「楽々みそ」をかけて食べます。

お正月用のかまぼことしめサバ。

しめサバは、八戸産の特大しめサバを半額で買ったもの。
かまぼこは、小牧かまぼこでも最高級の御蒲鉾「雅二重」。
紅白2本で2,625円を、31日の高島屋で半額で買いました。

もったいないので少しずつ食べていたら、結局、さいごまで残ってしまいました(笑)。
さすがおいしいです。

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きょうの中日新聞生活面は白井康彦さんの記事。
昨年、足尾銅山を訪れたとのこと。

「被害者のため、いちずに頑張る政治家がいたことに感動しました。
自分たちも頑張らなければと決意を新たにできました」。
現地を視察して同じような気持ちになった人は多そうだ。


わたしたちも環境問題にかかわっていたので、
「公害の原点」といわれる足尾銅山は、前に行ったことがあります。

  原発問題探るヒントも 田中正造の活動に学ぶ
2014年1月6日 中日新聞

 公害の原点といわれる足尾銅山(栃木県日光市足尾町)鉱毒事件の被害者救済に半生をささげた政治家、田中正造(一八四一~一九一三年)の活動をたどるため、環境問題に関心を持つ人々が渡良瀬川流域の関連施設を訪問している。記者も現地を訪ね、「田中正造の精神を受け継いでいかねば」という思いが共有できた。

 銅山は日本の経済発展を支えたが、渡良瀬川流域に深刻な農作物被害をもたらした。正造は衆院議員として国会で政府の責任を厳しく追及。それがうまくいかないと考えて議員を辞職し、一九〇一年には明治天皇に直訴状を渡そうとした。失敗したが、鉱毒事件は世間に知れ渡った。

 政府は、渡良瀬川の洪水によって流域に鉱毒が広がる事態を防ぐ治水目的で、栃木、群馬、茨城、埼玉の四県の県境地域に渡良瀬遊水地を造ろうと計画。予定地内の栃木県谷中村は〇六年に強制的に廃村となった。正造は残留住民と抵抗運動を続ける中、河川調査の途上で病死。財産は残っていなかった。

 訪れるべき主なポイントは▽渡良瀬川最上流の銅山の跡地周辺▽中流の栃木県佐野市と隣接する群馬県館林市▽渡良瀬遊水地(栃木県栃木市、埼玉県加須市など)-の三カ所。

 銅山周辺には、銅山の昔の様子をろう人形などで見せる観光施設やダム、水力発電所跡などがある。銅山の施設跡も川沿いに見える。煙害で両岸の山は五十年前ははげ山。植林が進んだが、今でも緑はあまり濃くなっていない。

 佐野市では、正造が生まれた旧家や正造関連資料が豊富な市郷土博物館などが見学できる。館林市にはNPO法人が運営する田中正造記念館、正造らの活動拠点だった寺などがある。

 正造は七〇年代、全国的に公害が大きな問題になって以降に評価が高まった。正造の活動歴を調べて記録に残す活動は、主に民間の研究者らが進めた。正造が政府と厳しく対立した過去が影響しているようだ。

 記念館理事の山中一夫さんは「正造さんは流域を回るとき、粗末な身なりのまま支援者の家に上がらせてもらって泊まることが多かった」と話す。

 遊水地は広大な湿原で、ヨシ原に多数の動植物が生息。その一角に谷中村の史跡が保存されているゾーンがある。そこにたたずんでいると、正造が晩年に残した言葉が心に染みる。「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」

 二〇一一年の福島原発事故の後、正造の評価はさらに高まった。原発事故も国策が背景にあり、周辺住民が故郷を追われた。

 正造を学ぶ旅行に訪れるのは、環境問題に関心がある個人や政治家、環境団体の関係者ら。廃棄物処分場問題全国ネットワークの共同代表を務める愛知県愛西市議の吉川三津子さんは一二年秋にネットワークのメンバーらと現地を回った。原発事故と構造が似ていることが話題になった。

 「被害者のため、いちずに頑張る政治家がいたことに感動しました。自分たちも頑張らなければと決意を新たにできました」。現地を視察して同じような気持ちになった人は多そうだ。
 (白井康彦) 


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