みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

<家族になる>(4)シングルママ友(5)性別を超えて(6)グループリビング

2014-01-07 21:53:14 | ほん/新聞/ニュース
二日前に(1)から(3)までを紹介した中日新聞生活面の連載<家族になる>。

「(4)シングルママ友」、「(5)性別を超えて」と続いて、
今日の「(6)グループリビング」が最終回でした。

「家族になる」というテーマとネーミング自体が新鮮で読みごたえがあり、
両親と子ども、という「いわゆる家族」と思われていたものがとっくに壊れているいま、
あらためて家族のかたちを考えながら読みました。

かくいうわたしも、
このシリーズとはちがいますが、
「いわゆる家族」ではない、「家族、になる」を実践してきた当事者です。

 <家族になる>(6)グループリビング(2014年1月7日 中日新聞)

応援クリック人気ブログランキングへ してね 

  <家族になる>(4) シングルママ友  
2014年1月5日 中日新聞

 「喜楽庭(きらくてい)」。静岡市にある古民家を改装したデイサービス施設で、お年寄りや幼児、障害者が一緒になって足湯に漬かったり、体操したりしていた。名前の通り、和気あいあいとした雰囲気だ。

 利用者だけではない。ここでは百十人いる働き手も、中学卒業後に進学や就職できない子、精神疾患を抱える人、八十歳を超えた人などさまざまだ。

 「よそで働けない人は断らない」。運営するNPO法人「活き生きネットワーク」理事長、杉本彰子(しょうこ)さん(63)は言い切る。

 「初めは下を向いたままだった子も、ここで働き、重い障害がある人や高齢者から『ありがとう』と喜ばれるうちに、自分の価値を見いだしていく」

 静岡駅近くの商店街で育った。家業は魚の仲卸。両親に祖父母、兄一家も含めた九人家族で、おいやめい、近所の子どもたちの面倒も見てきた。

 二十五歳で結婚。だが、建設会社で働き詰めだった夫は三年八カ月後のある朝、布団の中で冷たくなっていた。社宅を出て、幼い娘二人を養うため働きに出た。

 引っ越し先のマンションで出会ったのが、離婚し、やはりシングルマザーの望月洋子さん(61)。子ども同士が保育園の同級生で、互いの事情がよく理解できた。残業や、子どもの具合が悪い時に、子どもを預け合うようになった。

 望月さんは「病児保育が見つからず、会社も辞めざるを得なかった。そんな時、彰ちゃんが相談に乗り、助けてくれた。姉のようだった」と振り返る。

 困った経験がある二人は、他人の困り事も見過ごすことができなかった。地域の働く母親らの相談に乗り、助け合う活動を始めた。活動は家事、育児だけでなく、高齢者、障害者支援へと拡大。障害児の母親が子どもを預け、自らもここでヘルパーとして働くといったように、利用する側と支援する側の隔てがないネットワークができた。

 決められたサービスだけでなく、急な出張の際の子どもの預かりや入院中の付き添い、犬の散歩、時には庭の草むしりも引き受ける。いろんな仕事があるから、どんな人も、自分に合った働き方を見つけられる。

 喜楽庭の庭では、スタッフと利用者が一緒に花の世話をする。夏は子どもたちがビニールプールで遊び、お年寄りが見守る。そんな庭の光景を、末期がんの人がベッドに横たわって眺めている。「みんなと一緒にいたい」と、亡くなる直前までやってきた人も。

 「大家族のような雰囲気。私も困った時があったから、支え合える。そばにいてくれる人がいるから、力が湧いてくる」と杉本さん。「みんな、いろいろ背負ってうちに来る。どこかに、ここに居場所がある」

◆結び目
 杉本さんが10代のころに参加した青少年赤十字の恩師、橋本祐子(さちこ)さん(故人)の言葉がNPOの研修室に掲げられている。夫の死後、たまらず夜中に電話するとこう励まされ、後日、届いたはがきにもこの言葉が。うれしくて、鏡の前で笑顔を作ると、長女も「お母さん、元気になったね」と喜んでくれた。私が笑顔だと、皆も喜ぶ。その思いで、つらい時も前向きになれた。NPOの名前の由来だ。 


  <家族になる>(5) 性別を超えて
2014年1月6日 中日新聞

「本当の家族になろう」
 愛知県内に住む有矢(ゆうや)さん(36)は沙都さん(33)へのプロポーズの手紙に、こう書いた。

 体と心の性が一致しない性同一性障害(GID)。女性に生まれついたが、幼いころから、弟との体の違いに悩んだ。四年前に乳房、二年前に子宮と卵巣を摘出。その後、戸籍の性別変更が家庭裁判所に認められた。

 全国に四万六千人いるとされるGID。十年前、性別適合手術を受けるなど一定の条件を満たせば、戸籍の性別変更を可能とする特例法が施行された。

 有矢さんは乳房を摘出後、インターネットを通じて沙都さんと知り合った。「一人の人間として自分を見てくれる自然な優しさにほれた」

 沙都さんはGIDでも同性愛者でもない。有矢さんの「言ったことは必ずやる、芯の通った性格」にひかれた。「好きになれば、男女のこだわりはなかった」

 付き合い始めた当時、有矢さんはまだ、GIDであることを両親に打ち明けていなかった。実家で暮らしていた数年前までは、「女性として生き、結婚することが家族の幸せになる」と、自分に無理やり、言い聞かせてきた。

 だが、娘から交際を知らされた沙都さんの母は、有矢さんの目を真っすぐに見つめて言った。

 「沙都が私の彼女だと、どうして親に言えないの。私は娘が選んだ人なら信じるし、応援したい。娘を日陰の存在にしないで」

 その言葉で、有矢さんは両親にすべてを打ち明ける決心をした。

 GIDの診断書を見せ、乳房摘出や沙都さんとの交際など、実家を出てからの日々を告白。母は目に涙を浮かべて聞いていた。

 黙っていた父が言った。「おれたちにできることはあるのか」。とっさに口を突いて出た言葉は「もう一度、名前をつけてください」。

 「有矢」は、それまでの名前の一文字を変え、親にもらった二つ目の名前。父は理由を言わなかったが、有矢さんは「あるがままに、真っすぐな矢のように生きて」という思いと受け取った。

 昨年六月、二人は婚姻届を出した。有矢さんは自宅で、GIDの人たちの性別適合手術を支援する小さな会社を営み、沙都さんはデパートで働く。すでに一緒に暮らしていたが、結婚後、沙都さんの続柄が「同居人」から「妻」となったことが心底うれしかった。一方に不測の事態が起きたとき、真っ先に連絡が来る。保険など大事な書類にも代理人として署名できる。

 「気持ちだけではなく、実質的な『連れ添い』になれた」

 ただ、今も根強い偏見と差別は残る。有矢さんと同じように戸籍を男性に変えた人が、結婚を考えていた女性の親に「うちの娘に手を出すな」と猛反対され、断念したケースもある。

 だからこそ、昨年十二月、血縁関係のないGIDの男性を、妻が第三者からの精子提供で授かった子どもの父親として認めた最高裁判決はうれしかった。「支え合うカタチは、いろいろあっていい」。そんな社会に一歩近づいた気がした。

 自分たちもいつの日か、養子をもらって育てたい。有矢さんと沙都さんの夢だ。

◆結び目
 2人の宝物は結婚式で使った指輪の台座。大好きなキャラクター「リラックマ」がモチーフだ。家は数十体の縫いぐるみや布団カバーなどリラックマであふれている。 


最後まで読んでくださってありがとう
クリック してね
 

 記事は毎日アップしています。
明日もまた見に来てね
  


P-WANのバナーのトップページのリンクはこちらから。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1月6日(月)のつぶやき

2014-01-07 01:28:00 | 花/美しいもの

中日新聞:原発問題探るヒントも 田中正造の活動に学ぶ:暮らし(CHUNICHI Web) chunichi.co.jp/article/living…


中日新聞:<家族になる>(5) 性別を超えて:暮らし(CHUNICHI Web) chunichi.co.jp/article/living…


地方公務員:精神疾患急増 10年で長期病休者2.4倍-毎日新聞 mainichi.jp/select/news/20…


原発問題探るヒントも 田中正造の活動に学ぶ(白井康彦) blog.goo.ne.jp/midorinet002/e…


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする