1月1日の2014年の初ブログで、
中日新聞の社説「人間中心の国づくりへ 年のはじめに考える」を紹介しました。
2日は休刊日でしたが、中日新聞(東京新聞)は
その後、毎日、「年のはじめに考える」という社説を掲載しています。
これがとてもいいのです。
中日新聞の矜持が、ストレートに伝わってきます。
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【社説】福島への想い新たに 年のはじめに考える(2014年1月4日 中日新聞)
【社説】希望学がひらく未来 年のはじめに考える(2014年1月3日 中日新聞)
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中日新聞の社説「人間中心の国づくりへ 年のはじめに考える」を紹介しました。
2日は休刊日でしたが、中日新聞(東京新聞)は
その後、毎日、「年のはじめに考える」という社説を掲載しています。
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中日新聞の矜持が、ストレートに伝わってきます。
【社説】憲法を守る道を行く 年のはじめに考える 2014年1月5日 中日新聞 安倍晋三政権は今年、憲法改正まで突っ走るのでしょうか。不安がよぎります。選挙の公約とはいえ、本当に国民はそれを受け入れたのでしょうか。 吉田茂邸が全焼しました。二〇〇九年のことで、神奈川県大磯町に屋敷がありました。日本国憲法が公布、施行されたときの首相で、戦後日本を長く牽引(けんいん)した、「ワンマン宰相」です。 総ひのき造りで数寄屋風の「吉田御殿」は、多くの人々が「大磯参り」を続けた政治の舞台でもありました。 炎上のニュースを知って、詩人で作家の辻井喬(堤清二)は「惜しいことに」と感じました。 吉田茂が怒っている 西武百貨店などセゾングループの総帥でもあった人です。吉田死去後に首相の佐藤栄作から「大磯の吉田邸を君のところで買わんか」と頼まれ、「お引き受けします」と即断した思い出があるのです。池田勇人、三木武夫、宮沢喜一、大平正芳ら、首相経験者とも付き合いがありました。 吉田邸の建物と庭を思い出しつつ、辻井は回顧録「叙情と闘争」(中央公論新社)の中で、こう考えを巡らせていきます。 <今日の保守政治の堕落にあの世の吉田茂が烈火の如(ごと)く怒っているのではないか(中略)だから燃えてしまったのだ> 吉田が戦時中、東条英機ら軍閥の無謀な戦争計画を批判して、憲兵隊に逮捕されたことも、辻井は回想します。 <僕の考えからすれば、平和憲法とその思想を高く掲げることによって独立国家への道を歩むしかないと思うから、その道は細く険しいのかもしれない> <憲法九条を変えて軍備を持ってしまうことは、吉田茂の残した宿題に正面から答える道ではないように僕は思う> つまり、今の保守政治に「堕落」の烙印(らくいん)を押し、憲法九条の改正に反対する意思表明です。 小さな穴から広がる 安倍政権は憲法改正を公約して誕生しました。自民党の改正草案は、自衛隊を「国防軍」とする名称変更だけではありません。交戦権の否認条項を削除し、国際協力という名のもとに、戦争に参加することが可能な条文です。 自由や権利についても、「責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」とします。明治憲法と同じ留保付きの人権保障なのです。復古そのものです。 国家権力を縛るのが憲法の役目なのに、逆に国家が国民を縛る改正草案です。先進国の憲法ではありません。 昨年に強行可決された特定秘密保護法は、この草案中にも「機密の保持」と明記があり、実質的な改正に向け、脈を打ち始めていると考えてもよいでしょう。 <政治家の系譜を辿(たど)ってみると、吉田茂を源流とする流れと、戦前のナショナリストの流れにいる岸信介の系譜、この二つがあるように僕には見える> 辻井はそう観察します。岸を祖父に持つ安倍首相がどちらに属するかは自明です。「戦前のナショナリストの流れ」を引き継ぐ政治家が膨張しているようにも思われる今日の政治状況です。 終戦前に生まれた国会議員は六十八人にとどまり、戦後生まれは六百五十四人にも達します。最高齢の石原慎太郎氏でも終戦時には、十二歳の少年にすぎません。 東京新聞(中日新聞東京本社)社会部編の「憲法と、生きる」(岩波書店)では、政界引退した自民党元幹事長の古賀誠氏が、自衛隊の海外派遣について警告しています。 <たとえ小さな穴でも、一つあけば広がっていく。先の戦争のときもそうだった> 戦争で父を亡くした古賀氏の政治哲学です。彼は「吉田茂を源流とする流れ」にいた一人です。こうした政治家は、今や少数派になったのでしょうか。 辻井は実業家として、「池袋サンシャインシティ」を開発します。占領下では「巣鴨プリズン」があった場所です。A級戦犯の容疑者として、岸は三年間、ここで幽囚の日々を送りました。 郷里の山口県から離れる前に、旧制一高の恩師から「自決」を促す短歌をもらいます。でも、岸はこんな歌を返しました。 岸信介は「聖戦」の認識 <名にかへてこのみいくさの正しさを来世までも語り残さむ> 「みいくさ」とは聖戦です。あの戦争に反省さえしません。安倍首相も国会で「侵略戦争の定義は定まっていない」と答弁しています。祖父から同じ歴史認識を受け継いでいると感じられます。 辻井は昨年十一月に亡くなりました。彼が「細く険しい」という平和憲法を守る道に、私たちは立ちます。 |
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【社説】「幸せの循環」創りたい 年のはじめに考える 2014年1月6日 中日新聞 映画「おしん」が昨秋、公開されました。大ヒット作品が、三十年ぶりに注目されたのには訳がありそうです。社会の大きな転換期かもしれません。 「おしん」は一九八三年のテレビ放映当時、最高視聴率62・9%を記録しました。困難に負けずけなげに生きる主人公の姿が感動を呼びました。 実は、原作者の橋田寿賀子さんが込めた思いは別にあります。 「おしん」に込めた思い 「日本人はもうこれ以上、経済的に豊かにならなくてもいいのでは」という思いだったと著作「おしんの遺言」で吐露しています。経済的な豊かさが身の丈を超えていると感じていた。明治から昭和を生きた女性の生涯を材料に、この価値観を問いたかったのです。 戦後、社会は生産を拡大することで富を追求してきました。最近のグローバル競争はそれに拍車をかけている。アベノミクスも依然として成長にすがっている。 しかし、永遠の成長はあるのか。成熟社会になったと自覚すべきではないでしょうか。 福島第一原発事故もそれを問うている。再稼働で成長路線を続けるのか、脱原発を進め別の豊かさを目指すのか。脱原発の大きなうねりも、「おしん」の長い沈黙後の再登場も、人々が社会のありようを考えだした証左にみえます。 年金、医療、介護、子育てなど社会保障制度は社会変化の影響を大きく受けます。戦後からこれまで経済成長と人口増加が重なり、現役世代は自力で生活ができました。社会は安定し社会保障は退職後の高齢期の支援に軸足を置けばよかった。 成熟社会の行く末は分かりませんが、人口減少と高齢化は進む。二〇六〇年には総人口は九千万人を割る一方、高齢化率は六十年前の5%から40%に上がります。 制度を支える現役世代には低賃金の非正規雇用が増えました。既に労働者の四人に一人、約一千万人は年収二百万円以下の給与所得者です。若い世代は自助では乗り切れない困難を抱えています。 社会状況に制度が合わなくなっている。今後は社会保険の共助、税による公助、住民同士の互助による総力で取り組むべきです。 支え合う社会保障制度に それには支える側、支えられる側に分かれるのではなく支え合いで連帯するしかない。全員が制度の、地域の支え手になる。 だれかに支えられ「幸せ」をもらったら、今度はだれかを支えてそのお裾分けをする。「幸せの循環」を創る。「幸せ」の交換を繰り返すことで周囲とつながり支え合う力は強くなるはずです。 約七割が高齢者に回っている社会保障給付を若い世代にも振り向ける。子育て支援や若者の雇用対策にも充てれば高齢世代が若い人たちを支えることができます。 特に教育は人生前半の社会保障です。欧州では大学までほぼ無償で学べる国が多い。教育は未来への投資と考えているからです。日本は自助が前提ですが、こうした点は学ぶべきです。格差が広がるなかで、親の経済力で子どもの教育を受ける機会に差がでることは避けなければならないからです。 税と社会保険料の国民負担は、高福祉の北欧より低いが、自助を基本にする米国の低負担とさほど変わらない。日本は「中福祉・低負担」といわれます。中福祉を維持するには中負担を避けて通れないし、高福祉ならなおさらです。 経済力のある人は世代に関係なく少し負担を増やしてもらう。自力で生活できる人は年金の受給を我慢してもらう。医療機関への不要不急の受診は控えてもらう。国民には、社会保障を次世代に受け渡すために負担増を引き受ける覚悟はあると信じます。東日本大震災での助け合いの姿にその可能性を感じるからです。 地域でも住民同士の「幸せの循環」が力になります。その中心を若者たちが担っていることに希望が見えます。 社会貢献を目的に仕事に取り組む社会起業家やNPOなどが子育て、介護、貧困対策など地域の課題に取り組む「ソーシャル・デザイン」といわれる動きは広がっています。 若者が示す「未来の姿」 貧困家庭の子どもたちの学習を支える人、地域に集ったり働く場をつくる人、ホームレスに仕事を見つける人が各地にいます。 若者は内向きになったといわれますが、関心は足元の地域に向いている。無関心なのではなく、社会の将来を自分の問題ととらえている。成果は収入の多寡ではなく「地域づくり」です。グローバル社会で芽生えた「未来の姿」に映ります。 政府は消費税増税分はもちろん、国土強靱(きょうじん)化に十年で投じる二百兆円を社会保障に回す。それをすべき時代です。 |
【社説】「強い国」って何だろう 年のはじめに考える 2014年1月7日 中日新聞 二〇一四年の日本政治が始動しました。政権二年目に入った安倍晋三首相は「強い日本」を目指すと言いますが、国の強さとは、いったい何でしょうか。 安倍首相はきのう伊勢神宮を参拝し、年頭の記者会見を行いました。例年より二日遅い始動です。 この年末年始、首相は映画やゴルフに出掛けたり、地元・山口県で過ごしたり。英気を養い、気持ちを新たにしたことでしょう。 一月下旬には通常国会が始まります。歳出規模が九十六兆円近くまで膨れ上がった一四年度予算、昨年末の首相靖国参拝など、野党側は厳しく追及する構えです。 絵本が描く「戦争」 首相は元日付で発表した年頭所感で、経済政策の転換や震災復興への取り組み、国家安全保障戦略策定など政権一年目を振り返り、「『強い日本』を取り戻す戦いは始まったばかり。長く厳しい道のりを緊張感を持って進む覚悟を新たにしている」と表明しました。 「強い日本」は安倍首相お気に入りのせりふです。これまでも国会などで何度となく繰り返してきました。「強い日本、それをつくるのはほかの誰でもありません、私たち自身です」という具合に。 では、強い日本とはどんな国でしょう。軍事的に強い国でしょうか、経済的に強い国でしょうか。 英国の作家、デビッド・マッキーさんの描いた一冊の絵本があります。「せかいでいちばんつよい国」(光村教育図書)です。 ある大きな国が小さな国に攻め込みますが、その小さな国には軍隊がなく、戦いになりません。小さな国の人々に歓迎された兵士は遊びや歌、料理を習います。 大きな国の大統領が故郷に戻ると、家々からは小さな国の料理の匂いが。遊びも服装も小さな国のものがはやっています。そして大統領が口ずさんだのも…。 平和国家への評価 国の強さを決めるのは軍事力ではなく、文化の力だという筋書きです。これは絵本の中だけの「絵空事」ではありません。 米クリントン政権で国防次官補を務めた、ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授は、文化、政治的価値観、外交政策の三つを源とする「ソフト・パワー」と、軍事力や経済力などの「ハード・パワー」を組み合わせた「スマート・パワー」の重要性を指摘します。 国民にとって強い経済力は安心して生活するために不可欠です。外国に侵略の意思を持たせないため、侵略があった場合には国民を守るため、必要最小限度の防衛力を持つことも必要でしょう。 しかし、それだけでは強い国とは言えません。ナイ氏が指摘するように、ソフト・パワーも国力を構成する重要な要素です。 まず、文化です。先人たちが営々と築き上げ、磨きをかけてきた日本文化は、私たちの誇りです。 すでに多くの文化遺産がユネスコの世界遺産に登録済みです。多様な食材、優れた栄養バランスで国外にも愛好家が多い「和食」も昨年、無形文化遺産となりました。近年のマンガ、アニメブームも、新しい日本文化として世界に受け入れられた証しです。 高い技術力の日本製品や日本人の勤勉さも、誇るべき文化です。これらも国力の源と言えます。 政治的価値観、外交政策はどうでしょう。 自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済という戦後日本の普遍的価値はもちろん、憲法九条に基づく「平和国家」「専守防衛」も、日本のソフト・パワーを構成する重要な要素です。 安倍内閣も国家安全保障戦略で「我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得て」いると認め、この高い評価と尊敬を「より確固たるものにしなければならない」と述べています。 しかし、実際はどうか。 安倍内閣はすでに、武器輸出を原則禁じた武器輸出三原則の見直しや、節度ある防衛力整備からの転換を打ち出し、集団的自衛権の行使容認や九条改正による自衛隊の国防軍化にも意欲を見せます。 文化の力も高める こうした安全保障政策の転換が国際社会から高い評価と尊敬を得てきた平和国家、専守防衛という戦後日本の「国のかたち」を変えてしまわないか、心配なのです。 もちろんソフト・パワーを過大評価すべきでないことは、ナイ氏も指摘しています。重要なのは、ソフト、ハード二つのパワーのバランスを考えながら、最も大きい効果を引き出すことです。 経済に強さを取り戻し、節度ある防衛力整備にも努める。そして文化の力を高め、平和国家という政治的価値観の持つ力を最大限、引き出す。それができて初めて、日本が本当に「強い国」になったと言えるのではないでしょうか。 |
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