東京から帰ってきて、たまったメールを読んで返信を書いたりしながら
テレビを見ていたら、NHKで「細川氏立候補」のニュースをけっこうやっていました。
舛添氏も正式表明下とのこと。
あとだしじゃんけんが有利と、正式表明を引き延ばしていましたが、
ここへきて、あわてて表明した感。
今日も所要で朝から出かけるので、
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14日の中日新聞生活面の記事をみたら、
やけどの湿潤治療のことが載っていました。
記事にあるように、12月に掲載された湿潤治療のことを読んで、
「こんどやけどしたらやってみよ」と思っていたら、
ちょうど一週間ほど前に、薪を入れるときにうっかり皮手袋を忘れたら、
開けた薪ストーブの扉に左手ひとさし指の背が触れて、
ジュッとやけどしてしまいました(嬉しくないけど)。
急いで水で冷やして記事にある
小さな傷向けのばんそうこうタイプの被覆材で密閉しました。
最初の日に少しひりひり感はあったのですが、
その後はまったく痛みもありません。
ばんそうこうにかぶれる体質なので、4日目くらいではがしてみたら、
水泡もできずに下の皮膚が薄く張っていて、赤みが残っているくらいになっていました。
薪ストーブ本体は高温になるので、少し触れただけでも
水泡ができて痛みが強くて跡が残るやけどになるのですが、
ほとんど後も残らず治りそうです。
人間の自然治癒力ってすごいって実感。
傷にもよさそうなので、被覆材を何種類か常備しておくことにしましょう。
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テレビを見ていたら、NHKで「細川氏立候補」のニュースをけっこうやっていました。
舛添氏も正式表明下とのこと。
あとだしじゃんけんが有利と、正式表明を引き延ばしていましたが、
ここへきて、あわてて表明した感。
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都知事選 細川氏が立候補へ 舛添氏は正式表明 1月14日 NHKニュース 細川護熙元総理大臣は、14日、脱原発で立場が一致する小泉元総理大臣と会談したあと、記者団に対し、「原発について、国の存亡に関わる問題だという危機感を持っている」と述べ、来月投票が行われる東京都知事選挙に立候補することを表明しました。 また、舛添要一元厚生労働大臣は記者会見し、無所属で立候補することを表明しました。 東京都知事選挙には、すでに共産党と社民党が推薦する日本弁護士連合会元会長の宇都宮健児氏、航空自衛隊の元航空幕僚長の田母神俊雄氏が立候補することを表明しています。 さらに発明家のドクター・中松氏が立候補することにしています。 細川元総理大臣は東京都知事選挙を巡り、14日、東京都内のホテルで脱原発で立場が一致する小泉元総理大臣と会談しました。 会談のあと、細川・小泉両氏はそろって記者団の取材に応じました。 この中で細川氏は「都知事選挙に立候補する決断をした。今の日本のさまざまな問題、特に原発について、国の存亡に関わる問題だという危機感を持っている。この問題は知事として非常にやりがいのある仕事であり、全力でやりたい」と述べ、立候補することを表明しました。 また細川氏は「小泉氏に対し、ぜひ強力な支援をお願いしたいと申し上げ、小泉氏から『自分もやるから』という話をいただいた。本当に心強く思っている」と述べました。 一方、小泉氏は「私が細川氏を支持する最大の理由は、原発はなくても日本は発展できるという点で、最大の支援を注ぐ価値がある。今回の都知事選挙ほど、国政に影響を与える選挙はなく、細川氏が知事に当選すれば、国政を揺るがす大きな影響力を与える」と述べ、細川氏を積極的に支持する考えを示しました。 細川氏は76歳。 参議院議員や熊本県知事を経て、平成4年に日本新党を結成して代表に就任し、直後の参議院選挙でいわゆる「新党ブーム」を起こしました。 細川氏は、平成5年の衆議院選挙のあと、当時の社会党や新生党などいわゆる非自民の8会派に擁立され、第79代の総理大臣に就任しました。 しかし、佐川急便グループからの1億円の借入金問題を国会で追及され、就任から9か月で総理大臣を辞任しました。 その後、細川氏は新進党の結成に参加し、新進党の解散後は、民主党の発足に向けて調整役を務めました。 平成10年、政権交代可能な政治の実現に向けた道筋ができたとして、任期途中で衆議院議員を辞職して政界を引退し、陶芸などに取り組んでいました。 細川氏は今月17日に記者会見を行って、みずからの政策などを明らかにすることにしています。 また民主党は、海江田代表らが出席して役員会を開き、細川氏を支援するという東京都連の方針を了承しました。 海江田代表は記者会見で、「細川氏は、今の政治状況に対する思いや、エネルギー問題などで民主党の考え方と大変近く、候補者としてふさわしい。立候補を決意してくれたことに敬意を表する」と述べました。 そのうえで海江田氏は、「民主党の東京都連は細川氏を勝手連で応援することを決めた。『ポスターを貼ってください』という要請があれば、組織を挙げて協力する」と述べました。 安倍総理大臣はエチオピアでの記者会見で、「エネルギー政策は国民みんなの課題で、さまざまな議論の機会を捉えて議論が行われるのは望ましいことだ。同時に東京には、待機児童の解消や高齢者福祉の充実という課題もあるし、オリンピックの準備や、パラリンピックに向けて、バリアフリーの街作りを世界の皆さんに見せていくという大きな使命もある。また、首都直下型の地震に備えて、危機管理能力が必要だと思っており、東京都が直面する諸課題についてもバランスよく議論して、都民にとって充実した選挙になることを期待している」と述べました。 舛添要一元厚生労働大臣は14日午後、東京都庁で記者会見し、「6年後のオリンピックとパラリンピックを目標に明るい東京や日本にしていきたい。オリンピックという大きな目標があれば全力を挙げて東京を改造することができる」と述べ、来月投票が行われる東京都知事選挙に無所属で立候補することを表明しました。 そのうえで舛添氏は、2020年のオリンピックとパラリンピックを成功させるため、首都直下地震への備えを強化していくことや、母親の介護をした経験から医療や介護といった社会保障の政策に力を入れていく考えを示しました。 さらに原発を含めたエネルギー政策については、東京で再生可能エネルギーの比率を増やしていく努力を積み重ねたうえで、1日も早く原発に依存しない社会を作っていきたいという考えを示しました。 舛添氏は65歳。 国際政治学者として講演や評論活動を行い、平成13年の参議院選挙で自民党から比例代表で立候補して初当選したあと、平成19年には厚生労働大臣に就任しています。 その後、平成22年に自民党を離れて新党改革を立ち上げ、参議院議員の任期を終える去年7月まで代表を務めていました。 平成11年の都知事選挙にも立候補しましたが、石原元知事に敗れています。 舛添氏に対しては自民党東京都連が支援する方針を決めていて、党本部は14日、都連の方針を了承しました。 このあとの記者会見で石破氏は、「舛添氏は一度除名されており、党本部として公認や推薦をすることはできない。しかし、党として総力を挙げて選挙を戦って有権者から支持された東京都議会の自民党が、舛添氏を支援したいとしており、東京都連もそうした決定をしているので、党本部としても尊重したい」と述べました。 また公明党も、14日、都議団が舛添氏と会談し政策面で一致できたとして、近く正式に支援を決める見通しになりました。 公明党の山口代表は京都市で記者団に対し、「舛添元厚生労働大臣が公明党に対して推薦を依頼したようなので、党の東京都本部がこれから検討していくことになると思う。党本部としてはその対応を見守りたい」と述べました。 東京都知事選挙にはすでに日本弁護士連合会元会長の宇都宮健児氏が共産党と社民党の推薦を受け、無所属で立候補することを表明しています。 宇都宮氏は14日午後記者会見を開き、細川元総理大臣が脱原発に取り組むために都知事選挙への立候補を表明したことについて、「脱原発への関心が広がることはいいことだと思うが、都政の問題はそれだけではない。医療や福祉、教育、さらには、安倍政権が進めようとしている憲法改正などについて細川氏がどのような態度をとるのか語ってもらい、そのうえで都民に判断してもらいたい」と述べました。 そのうえで、脱原発を訴える宇都宮氏と細川氏との一本化を求める声が出ていることについて「当面、考えられない」と否定していました。 共産党の市田書記局長はNHKの取材に対し、「原発は重要な課題だが、都知事は1つの課題に責任を負うのではなく、都政全般のかじ取りをするものだ。福祉、暮らし、教育をどうするか、正々堂々と政策論戦をして、宇都宮氏以外いないということを示したい」と述べました。 社民党の吉田党首は記者団に対し、「脱原発を主張する候補者が増えることはいいことだが、票が割れると結局相手を利することになる。社民党は宇都宮健児氏の推薦を決めたが、細川氏と宇都宮氏が会談し、候補者を一本化してほしい」と述べました。 また、無所属で立候補することを表明している航空自衛隊の元航空幕僚長の田母神俊雄氏は、14日夕方、NHKの取材に応じ、細川元総理大臣が脱原発に取り組むため都知事選挙への立候補を表明したことについて、「原発の安全性を確保しながら運転していくことは可能だ。脱原発か原発を使う方がよいのか、政策論議をして都民が選べばいい。多くの人が立候補して選択肢が増えることはよいことだ」と述べました。 東京都知事選挙には、これまでに6回立候補している発明家のドクター・中松氏が無所属で立候補することにしています。 また4人の新人が、それぞれ無所属で立候補することを表明しています。 東京都知事選挙は今月23日に告示され、来月9日に投票が行われます。 |
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14日の中日新聞生活面の記事をみたら、
やけどの湿潤治療のことが載っていました。
記事にあるように、12月に掲載された湿潤治療のことを読んで、
「こんどやけどしたらやってみよ」と思っていたら、
ちょうど一週間ほど前に、薪を入れるときにうっかり皮手袋を忘れたら、
開けた薪ストーブの扉に左手ひとさし指の背が触れて、
ジュッとやけどしてしまいました(嬉しくないけど)。
急いで水で冷やして記事にある
小さな傷向けのばんそうこうタイプの被覆材で密閉しました。
最初の日に少しひりひり感はあったのですが、
その後はまったく痛みもありません。
ばんそうこうにかぶれる体質なので、4日目くらいではがしてみたら、
水泡もできずに下の皮膚が薄く張っていて、赤みが残っているくらいになっていました。
薪ストーブ本体は高温になるので、少し触れただけでも
水泡ができて痛みが強くて跡が残るやけどになるのですが、
ほとんど後も残らず治りそうです。
人間の自然治癒力ってすごいって実感。
傷にもよさそうなので、被覆材を何種類か常備しておくことにしましょう。
「権威」「保守的」が普及妨げ 湿潤治療記事に反響 2014年1月14日 中日新聞 昨年十二月十日付健康面で、やけどや傷に対する従来の消毒、軟こう・ガーゼの治療と、患者のメリットが大きい湿潤治療を紹介したところ、治療に携わる医師たちから意見が多数寄せられた。湿潤治療が広く普及しにくい背景として「従来治療を変更できない権威がある」「傷の状態を正確に診ようとしない医師の不勉強だ」などが挙がった。 おかだ小児科医院(滋賀県高島市)の岡田清春院長は外来小児科学会で、やけどの湿潤治療の啓発に努めている。他の病院の治療に耐えかね、移ってきた患者を数多く診てきた。岡田医師は「従来の消毒、軟こう・ガーゼ治療が患部を悪化させて、患者に苦痛を与えているとは思わず、多くの医師は治そうと必死。善意の塊で、そこが一番厄介」と指摘する。 桑名病院(三重県桑名市)の竹村茂之院長は、医療側に大きなメリットがない限り、新しい治療を受け入れにくい保守的な体質があると説明。「従来と違う治療をして訴えられたらどうしよう、と考える医師は多い」と言う。湿潤治療が普及しないのは「治療の指針を出す医学会が、その価値を適切に認めていないため」と強調する。 皮膚科や形成外科の指針は、湿潤治療の有効性を認めている。しかし、適応は主に軽症の場合で、重症ほど消毒や軟こうが使われる傾向がある。 権威が普及の壁になっていることは、意見を寄せた多くの医師が感じている。きよすクリニック(愛知県清須市)の伊藤喜亮(よしあき)院長は、大学病院の医師から直接聞いた話を明かす。「その医師は派遣先の病院では湿潤療法をしているが、大学病院ではしていないと言っていた。教授への気兼ねがあるようだった」 また、コストがかからず処置がシンプルな湿潤治療より、開業医や小規模病院ではできないような機器を使った治療や、薬剤の用い方が複雑な治療の方が、学会で注目されるという。 ◇ 傷の状態を正確に診ようとしない医師の問題を指摘するのは、大塚医院(埼玉県熊谷市)の望月吉彦副院長。「この傷はよくなっているのか、感染しているのか、不勉強な医師は判別が苦手。消毒してガーゼを当てる方が、考えずに済むから治療が楽」と言う。 傷の感染を判別するには、感染の四兆候「痛み、発赤、腫れ、発熱」のいずれかを認めることが必要。痛みを引き起こす消毒や、殺菌剤入りの軟こう・ガーゼの治療は、判定を難しくさせる。その結果、「感染でもないのに、不要な抗生物質が大量に処方されている」と望月医師は批判する。 野々村クリニック(名古屋市瑞穂区)の森本剛医師も同意見だ。「感染の四兆候がないのに、『感染だ』と騒ぐ医師が多い。そんな医師は傷をしっかり診ていない。感染を制御しながら湿潤治療で傷を治すのが、医師の腕の見せどころ」と訴えた。 以上のような意見があった一方、湿潤治療への批判や、従来治療の必要性を訴える声は、今のところ寄せられていない。 ◆重症には慎重論も 湿潤治療は傷口や、やけどの部位を水道水で洗い、死んだ組織や異物を除去。消毒や殺菌剤入りの軟こうを使わず、患部とくっつかない無害の被覆材をかぶせて、傷口からの浸出液をとどめて乾燥を防ぐ。 小さな傷向けのばんそうこうタイプの被覆材が既に普及しているが最近、大きめの傷や、やけどに使う面積の大きな被覆材が相次いで発売され、薬局やドラッグストア、インターネットで一般に入手できる。 傷の湿潤治療が始まったのは一九九〇年代後半。二〇〇〇年代にやけどにも応用が広がり、現在は全国で五百超の医療機関が手掛けている。湿潤治療の普及に努める練馬光が丘病院(東京)の夏井睦(まこと)医師が、ホームページ「新しい創傷治療」で医療機関を紹介している。 一方、従来の慣行による消毒や殺菌、ガーゼの治療も根強い。日本皮膚科学会や日本熱傷学会などは、主に軽症に対する湿潤治療の効果を認めているが、重症には慎重な立場をとっている。 (林勝) |
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