みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

<えみり 母になって>(下)歩きだす娘/(上)障害があっても(中)母への思い(稲熊美樹)

2015-11-18 16:52:37 | ほん/新聞/ニュース
野菜がたくさん育っているので、
畑まで歩いて行って、その日食べる分の新鮮な無農薬野菜を収穫してきます。

毎日、野菜づくしのおかずです。


中日新聞生活面に掲載された
稲熊美樹さんの連載、<えみり 母になって>。

障害があっても、子どもを産み育てたい--

登場するのは、岐阜県関市の女性です。
関市はわたしの住む山県市の東隣りのまちです。
こんなに真摯に生きている女性がいらっしゃることに励まされます。

  <えみり 母になって>(下) 歩きだす娘  
2015年11月13日 中日新聞

「結愛菜(あいな)、こっちよ」。居間で手押し車を押してよちよち歩きする娘を見て、母の成木絵実梨(なるきえみり)さん(20)は笑顔になった。

 結愛菜ちゃんは生後十カ月。ミルクをよく飲み、離乳食をよく食べる。体重は標準より大きめの約一〇キロ。伝い歩きで、部屋中を動き回るようになった。そんな娘の成長が、絵実梨さんはたまらなくうれしい。

 でも、左足が不自由なため、重くなった娘を抱っこしてあやすのはもう無理だ。夫の健司さん(30)と両親は働きに出ているため、日中は同居する祖母、菅田(すがた)由美子さん(63)を頼る。

 「結愛菜が眠いみたい」。七月の平日の昼すぎ、絵実梨さんは携帯電話で祖母を呼び出した。祖父母は、同じ敷地内にある工場を切り盛りしている。数分後、二人が日中を過ごす二階に、由美子さんが顔を出した。

 「よしよし」。眠れなくてぐずぐずする結愛菜ちゃんを、由美子さんはおんぶして背中をとんとんたたきながら歩き続けた。結愛菜ちゃんはすぐに泣きやみ、静かな寝息をたて始めた。

 お風呂と夜の寝かしつけは、健司さんの担当。健司さんがベビーバスで結愛菜ちゃんの体を洗い、絵実梨さんは脱衣所で健司さんとともに服を着せる。健司さんが残業で帰りが遅い日は、父の英和さん(45)が風呂に入れる。

 絵実梨さんはほぼ一日を、娘と家の中で過ごす。抱っこして歩けないし、車は運転できるものの、自分一人でチャイルドシートに乗せ降ろしするのは到底無理だからだ。同じゼロ歳児のいる友達に自宅に来てもらい、一緒に遊ぶのが大切な時間だ。

 ただ、家の中でも、抱いていた結愛菜ちゃんを、床に落としてしまったことが数回ある。けががなかったのは幸いだったが、そんなことがあって、健司さんは「二人きりで家にいるのも心配なんです」とぽつり。

 子どもには大切な外遊びや日光浴も、結愛菜ちゃんに体験させるのは難しい。「他のお母さんは子どもを公園に連れて行っているのに、私には無理なの」。安全を第一に考えると、あきらめざるをえないのだ。子育てへの焦りと、自分自身の体への悔しさが胸に募る。

 頻繁にある健診や予防接種のため外出が必要なときは、夫が会社を休んだり、由美子さんに付き添ってもらったりしている。「もうすぐ、結愛菜は歩きだす。そのとき、どう面倒を見ればいいの」。成長とともに、絵実梨さんの不安は増す。

 体の具合が悪いなどして、親が小さな子どもの面倒を見られないケースは、どんな人にもありうる。私に使えるサービスが行政にないのかな-。絵実梨さんが、居住する岐阜県関市に電話し、手助けしてもらえる方法がないか確かめたところ、移動や育児で有償ボランティアに手伝ってもらえるファミリー・サポート・センター事業があると教えてくれた。「これで、児童館などに連れていってあげられる」。少しほっとした。

 これからも、壁にぶち当たるかもしれないけれど、何とかなると感じ始めている。「将来、お友達から『結愛菜ちゃんのお母さんの歩き方はちょっとおかしいね』と言われるときがくると思う」。そこまで、娘をしっかり育てられそうな自信が芽生え始めた。
 (稲熊美樹)


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<えみり 母になって>(上) 障害があっても
2015年11月11日 中日新聞
 
 「お母さん。双子で、障害がある私たちを育てるのは、大変だったと思います。私も出産して、親はこんなに子どもが心配なんだと、ようやく分かりました」

 九月下旬、岐阜県各務原市の結婚式場。披露宴の最後に、同県関市の成木絵実梨(なるきえみり)さん(20)は、夫の健司さん(30)に支えられて、母の菅田(すがだ)美弥子さん(46)に宛てた手紙を読み上げた。美弥子さんを驚かせたくて、絵実梨さんが秘密で準備していた手紙だ。

 傍らには、八カ月になった絵実梨さんの長女、結愛菜(あいな)ちゃん。孫娘の晴れ姿に、ずっと一緒に暮らしてきた祖母の菅田由美子さん(63)の目に、涙があふれた。

 絵実梨さんと、双子の姉の采花(あやか)さんは脳性まひで生まれた。左足が不自由な絵実梨さんは、子どものころからこつこつ続けたリハビリで歩けるようになったが、重い物を持ったり赤ちゃんを抱いたりして歩くのは難しい。

 紺色のドレスは、裾を踏んで転ばないように、気に入った物を短く切ってもらった。足元からは、愛用している黒いスニーカーがのぞく。それでも長時間立っているのはつらく、たびたび健司さんに寄り掛かって披露宴を乗り切った。

 絵実梨さんが、会社員の健司さんと知り合ったのは、特別支援学校高等部を卒業して、NPO法人で事務の仕事をしている時。デートでテーマパークに出掛けた時、車いすを優しく押してくれ、心引かれた。付き合い始めて間もない二〇一三年秋、実家のそばにアパートを借り、二人で暮らし始めた。

 以前から子どもが大好きで、「いつか自分の子どもを」と望んでいた。昨年二月、双子の妊娠が分かった。「びっくりして冷や汗をかいたけれど、喜んだ」と健司さん。絵実梨さんも「すごくうれしかった」。

 でも、家族の反応は違った。「学校を卒業したばかりだし、まだ早い。無理だと思う」。美弥子さんはきっぱり伝えた。「絵実梨の体が不自由なことが、一番大変。赤ちゃんが十月十日おなかにいられるかも分からないし、その体で育てられるのか」と、娘や孫を心配した。

 しかし、このときはごく初期で流産してしまう。「私がこの体じゃなかったら、その子たちはいま、ここにおったかもしれん」と、絵実梨さんは自分を責めた。手術の時、涙が止めどなく流れた。

 再び妊娠したことが分かったのは昨年六月。美弥子さんたちから「妊娠は、結婚式をしてから」とくぎを刺されたところだった。絵実梨さん自身、「また流産するかも…」と不安でいっぱい。健司さんもうれしい半面、「絵実梨が一人ですべてのことをやるのは厳しい」と感じていた。「フォローしてくれている家族が前向きではないのに、大丈夫かな」

 でも、絵実梨さんの意思は固かった。「絶対に産む」。アパートを引き払い、実家で同居することにした。

      ◇
 障害があっても、子どもを産み育てたい-。左足が不自由な成木絵実梨さんの出産と子育てを追った。
 (稲熊美樹)  


 <えみり 母になって>(中) 母への思い 
2015年11月12日 中日新聞

 脳性まひで、左足が不自由な岐阜県関市の成木絵実梨(なるきえみり)さん(20)は、病院のベッドで、ただじっと祈り続けた。「私が生まれたときの体重七五六グラムを超えて、無事に生まれて」

 妊娠を告げられた喜びもつかの間、健診で切迫早産と診断されたのだ。「私と同じように、障害があったり、何かの病気だったらどうしよう」。絶対安静で、トイレにも行けない三カ月。不安でおしつぶされそうだった。

 今年一月五日、二二五〇グラムで長女、結愛菜(あいな)ちゃんを無事出産。翌日、保育器の中の結愛菜ちゃんに初めて対面し、静かな寝顔にじっと見入った。でも今度は「保育器からいつ出られるの」と心配でたまらなくなった。結果的に三日で出られたが「ああ、お母さんは、これが半年も続いたんだ」。気付いて、はっとした。

 未熟児で生まれた絵実梨さんと双子の姉、采花(あやか)さん(20)は、半年間を保育器の中で過ごした。「お母さんは、ようここまでやってくれたなあ」。じーんと胸に来た。

 それまで、母の菅田(すがた)美弥子さん(46)への思いは正反対だった。小学四年生のころ、自分の障害が理解できるようになると、「なぜ、私はこんな体なの」と母を責めた。

 気持ちが一番荒れていたのは中学一年のとき。采花さんとともに地元の小学校に通ったが、将来就職するための訓練を十分に受けようと、中学からは特別支援学校に進学し、学校環境が大きく変わった。学校を選んだのは、絵実梨さん自身だったが、級友ががらりと変わったことに戸惑った。特別支援学校には、自分より障害の重い子が多かった。

 「毎日、死にたくて死にたくて」。これから生きていても、楽しいことはないやろなと、包丁の先で右ひざを突いたこともあった。今でも、その傷痕は残っている。

 今も「普通の体に産んでほしかった」という思いは確かにある。動き回る結愛菜ちゃんを追い掛けられない。この先どうやって育てていけばいいか、不安もある。けれど、出産を機に、母への気持ちは変わった。「誰も恨めないし、恨んでも何も変わらない」。そう考えられるようになった。

 母に感謝する気持ちもわいてきた。何でも他の子と同じようにできるようにと、厳しく育ててくれたこと。地元の小学校に入れるよう、教育委員会に掛け合ってくれたこと。絵実梨さんは、小学生の時の友人と付き合いが続いており、自分の赤ちゃんと一緒に遊びに来てくれる子もいる。それは、母が地元の小学校に入れてくれたから。

 「そんな気持ちになれたのは、この結愛菜が生まれてきてくれたおかげ」

 美弥子さんは娘の妊娠を手放しで喜べなかった。でも結愛菜ちゃんが生まれ、娘が変わったと感じる。

 「結愛菜と一緒じゃないと、絵実梨は成長していかなかった。この人のために何かしてあげたいと思わないと、人って何もできないんだと痛感しました」
(稲熊美樹)  


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