みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

映画シン・ゴジラが踏み潰した 集団的自衛権の欺瞞と現実/『シン・ゴジラ』の気持ちよさについて

2016-08-09 19:53:56 | ほん/新聞/ニュース
公開中の映画「シン・ゴジラ」を観てきました。

巨大怪物映画を映画館で見るのは初めてですが、ちまたで評判になっていることと、
たんなる「ゴジラ」の焼き直しではないらしいこと。
先日観た「太陽の蓋」にディテールが似ている、書いている人もいて、
キャッチコピーの「現実 対 虚構。」「ニッポン 対 ゴジラ。」にも興味がありました。

酷評してる人もいますが、
そっちょくに言って、おもしろかったです。

ということで、
観る前に読んだ日刊ゲンダイの記事と、
「シン・ゴジラ」の映画評を紹介します。

  映画シン・ゴジラが踏み潰した 集団的自衛権の欺瞞と現実
2016年8月5日 日刊ゲンダイ

12年ぶりの東宝版ゴジラとなる最新作「シン・ゴジラ」の評判がすこぶるいい。動員数ランキングでは初登場1位、堂々のシリーズ復活を遂げた形だが、本作はこの夏最大の話題作といわれながらも通常のマスコミ向け試写会を行わず、公開までストーリーの詳細すら明かさぬ秘密主義を貫いていた。

 その宣伝戦略について、映画批評家の前田有一氏はこう分析する。

「昨年末に公開された『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』と同じく、圧倒的知名度を誇るタイトルだからこそ出来たといえます。情報の出し惜しみがファンの飢餓感をあおり、爆発的なスタートダッシュにつながった。本来なら、長谷川博己や石原さとみをはじめ総勢325人ものキャストに、おのおのテレビで宣伝をさせるなんてやり方もできたのに、東宝はしなかった。中身に絶対の自信があり、口コミで広がる確信があったのでしょう」

 作風はこれまでの娯楽色の強い怪獣映画とは異なり「もし現実の日本にゴジラが現れたら政府はどう対処するか?」をノンフィクションタッチで描いたリアルな政治ドラマだ。庵野秀明総監督はこのシミュレーションを「日本VSゴジラ」と銘打ち、自衛隊はじめ関係省庁にリサーチして自ら脚本化した。見せ場となる首相官邸などでの会議シーンでは、聞きなれない政治・専門用語が解説もなくひっきりなしに飛び交う。

■自衛隊の出動名目はあくまで有害鳥獣駆除
「エンドロールには“協力”として小池百合子都知事など複数の政治家の名前がありましたが、実際、彼女をほうふつとさせる女性防衛大臣が登場するなど、相当現実を意識した作りになっています」(前田氏)

 ゴジラといえば、54年版の第1作では“核の申し子”として、その破壊力を描くことで反核テーマを訴えた骨太な一面もある。

「そうした社会派の側面も継承していて、たとえば自衛隊はあくまで有害鳥獣駆除を名目として出動するし、最後の最後まで市街地での武器の使用を躊躇したりします。また在日米軍に頼った途端、ここぞとばかりに米国に国の主権を奪われかける場面も。日米安保や多国籍軍がいざという時、心強い味方になってくれると信じていた人にはショックな映画です」(前田氏)

 新生ゴジラは、東京の街と共に欺瞞だらけの集団的自衛権も踏み潰しているようだ。 


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  『シン・ゴジラ』の気持ちよさについて(追記あり)  
2016年08月08日 ハフィントンポスト日本版

『シン・ゴジラ』を観てきたので感想を書きたい。『シン・ゴジラ』という作品について何かを書くというよりは、『シン・ゴジラ』というこの作品が大ヒットしており、一部の人々を強烈に熱狂させていることについて書くといったほうが正しいかもしれない。

ちなみに、熱狂している人が多数いるという表層的な事実は知っているものの、そうした人たちが具体的に書いているブログなどに目を通したわけではない。あくまで、映画を観て、この映画が流行っているということについて自分が考えたことを書く。それほど長い文章にはならないはずだ。

まず、何の深みもない言葉で言えば、『シン・ゴジラ』は面白かった。ここで簡単にだけ触れておくと、3.11の大震災が発生したとき私は経済産業省に務めており、こうした緊急時に行政組織がどんな雰囲気を帯びるかとても良く覚えている。その記憶に照らしても、『シン・ゴジラ』は良くできていると思った。

ただ、「良くできている」と言って済ますにはもう少し余剰があるだろうとも思った。その余剰がなければ、『シン・ゴジラ』がここまで強い支持を受けることはなかっただろうと思う、そうした余剰である。その余剰について考えることは、『シン・ゴジラ』を観るという体験を通じて人々が気持ちよくなるのはなぜなのか、その理由について考えることだろうと思う。

さて、この写真にもある通り『シン・ゴジラ』のキャッチコピーは「現実 対 虚構。」であり、この両者にルビをふる形で「ニッポン 対 ゴジラ。」となっている。

話の構造はそれほど難しくはない。流れゆくいつもの日常のなかに突如ゴジラが現れる。ゴジラは人間が長年かけてつくりあげてきた住処たる都市を破壊し、そのことによって日常を停止する(正確に言えば、ゴジラの登場に呼応して人間の政府が日常の停止を宣言し執行する)。

日常とは平和である。少なくとも「ニッポン」にとっての日常は平和である。平和ということの意味は、秩序が生きているという意味である。秩序とは未来への予測可能性への信頼のことである。

今日と同じ明日が来るということ、この一点への信頼をもって日常と非日常は区別される。ゴジラの登場は日常を終わらせる特異点であり、明日がどうなるかわからない不安を到来させる。

ここから言えることは「ニッポン 対 ゴジラ」というのが、極めて単純な弁証法的二項対立であるということだ。『シン・ゴジラ』ではこの対立を乗り越える形で「これまでのニッポン」が「新しいニッポン」に生まれ変わる。日常と非日常の対立を乗り越えることで新しい日常がつくられる、そのことが描かれている。

さて、この文章を通じて説明を試みたい『シン・ゴジラ』の気持ちよさはもちろんこの二項対立とその乗り越えに関わっている。端的に言えば、その気持ちよさは日常の不完全さ、言い換えれば「これまでのニッポン」に対する不満が、ゴジラの出現を通じていつの間にか解消されており、これまで嫌いだったもの、これまで一体感を感じることができなかった対象が何となく好きになることができていることに存している。

その対象とは何か。ニッポンである。

『シン・ゴジラ』が描くように、「これまでのニッポン」は多くの欠陥を抱えている。国家レベルではアメリカとの関係、個人レベルでは会社のしがらみ、これらのせいで「自分で決められない」どうしようもない国民、どうしようもない国家が「これまでのニッポン」だと言って、そのことを100%否定する人も多くはないだろう。

ゴジラの登場によってこうしたニッポンにもたらされるのは通常時のルールを停止する例外状態だ。例外状態を通じて、アメリカとの関係は更新され、各組織内のヒエラルキーは忘れ去られ、そして組織間の縦割りも破られる。そして、最も重要なことに、政府と国民の関係が刷新される。

この映画では日本国民それ自体にフォーカスがあたることはほとんどない。彼らがゴジラに蹂躙される姿は、都市の構成要素の一部としてであるにすぎず、彼らが何を考え、今の状況に対してどうしてほしいと思っているかはほとんど語られない。「ほとんど」と書いたが、一ヶ所だけそうしたシーンがあったように思う。

それは「国会前デモ」のシーンである。とても抽象度高く表現されているシーンだが、ここで国民は政府に反対しているのではなく「ゴジラを倒せ」と要求している。すなわち、ここでは政府と国民の意思は完全に一つになっている。

このシーンはとても重要で、例外状態における「決められる政治家」への権力集中に対するある種の翼賛になっている。ここから先は、国民からの正統性を得た政府を中心とした総力戦、ゴジラを倒すことで非日常を終わらせる、そのための非日常的な緊急対応が粛々と行われていく。そこに一縷の迷いもない。

手段についての迷いはあれど、ゴジラを破壊するという目標それ自体をどんなルールよりも上位に置くことについての迷いはない。民間のそれも含めて日本に存在するあらゆるリソースがゴジラの破壊に集中される。

さて、「ニッポン 対 ゴジラ」というのは元のコピーにふられたルビであった。元のコピーとは何だったか。「現実 対 虚構」である。したがって、『シン・ゴジラ』というフィクション、この映画芸術が行っていることは、虚構の力を借りて現実を変容させるさまを表現すること、そしてそれによってニュー・ノーマルの出現過程に伴うカタルシスを味わわせることだと言える。

このカタルシスはまぎれもなく国民と政府の一体感のうちにある。普段は政治に全く関心のない人々、政府が自分たちを苦しめる元凶だと感じつつ、その政府を正しく理解することも別の形に変えていくための方法を見つけることも面倒だと感じている人々。緊急事態のなかでは、「これまでのニッポン」がはらんでいた紛らわしさや歯の奥にものが挟まった感じは解消されている。そのわかりやすさが強烈な気持ちよさにつながっている。

ゴジラとの戦いを通じた日本政府の成長、このことがゴジラ以外のもう一つの他者であるアメリカによって語られる。立派に大人になった日本政府、政府を心から応援することができるようになった日本国民、これがゴジラ以後の新しいニッポンだ。この一体感が国民国家のカタルシスであり、これまでのニッポンになかったものである。

さて、この気持ちよさと私たちはどう向き合うべきか。『シン・ゴジラ』を観て感じたことについて書いた。
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(8/8 追記) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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8月8日(月)のつぶやき

2016-08-09 01:09:04 | 花/美しいもの
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