土曜日に名古屋へ行ったとき、
JR高島屋の11階の「三省堂名古屋駅前店」で本を買った。
岐阜の書店になくて、名古屋まで遠征して探していたのは、
伊藤比呂美さんの『とげ抜き新巣鴨地蔵縁起』(講談社)と、
亡くなった小田実さんのパートナーの玄順恵さんの
『私の祖国は世界です』(岩波書店) なんだけど、
いまだに見つかっていない。
見つけて読んだらまた紹介しますね。
ということで、かわりに買った本は、
『米原万里の「愛の法則」』と、
『ぼくには数字が風景に見える』『生物と無生物あいだ』の3冊。
代わりに、というのは正確ではなくて、
どの本も読んでみたかった本です。
本ならアマゾンで注文すれば早いのだけど、
「本を手にとって見て買う」という快感を手放せないわたしは、
この暑い中、愚直に、本屋さん通いをしているというわけ。
わか人生にとって、本屋さんと図書館はなくてはならない必需品です(笑)。
とはいえ、読みだしたら止まらないので、
買った本の袋も開けずにいて、昨日一気に3冊読みました。
酷暑は気にならず、至福の一日でした。
まず読んだのは、昨年なくなった米原万里さんの最新刊。
『米原万里の「愛の法則」』
(米原万里/集英社新書/2007)
稀有の語り手でもあった米原万里、最初で最後の爆笑講演集。世の中に男と女は半々。相手はたくさんいるはずなのに、なぜ「この人」でなくてはダメなのか―〈愛の法則〉では、生物学、遺伝学をふまえ、「女が本流、男はサンプル」という衝撃の学説!?を縦横無尽に分析・考察する。また〈国際化とグローバリゼーション〉では、この二つの言葉はけっして同義語ではなく、後者は強国の基準を押しつける、むしろ対義語である実態を鋭く指摘する。四つの講演は、「人はコミュニケーションを求めてやまない生き物である」という信念に貫かれている。
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まずは笑って共感した、第一章〈愛の法則〉。
「率直に自分の心のほんとうの声を聞いてみると、私はあらゆる男を3種類に分けています。皆さんもたぶん、絶対そうだと思います。第一のAのカテゴリー。ぜひ寝てみたい男。第二のBは、まあ、寝てもいいかなってタイプ。そして第三のC、絶対寝たくない男。金をもらっても嫌だ。絶対嫌だ(笑)。皆さん、笑ったけど、ほんとうはそうでしょう。・・・・」
米原万里さんは、90パーセントの男がCにはいるそうだけど、
わたしは、男の許容値が低いから、
95パーセントは「ぜったいイヤ」だ。
第四章の「通訳と翻訳の違い」。
通訳としての著者の「生きた言葉にするためのプロセス」が圧巻。
「文を読んだり聴いたりして感受していくプロセスは、このように分析的なのですね。理解するというプロセスは分析的です。ところが、話したり書いたりして表現しているときは、バラバラになっているさまざまな要素を統合していかなくてはなりません。バラバラのままでは表現できません。つまり、まったく逆なのです。通訳には、分析的に物を聞き取って正確に把握する能力と、それをもう一度統合してまとめて表現する能力、この両方が必要なんです。・・・・」
「・・・単語が誕生する瞬間を思い出してほしいのです。単語が現れる瞬間というのは、なにかこう言いたいことが出てくる。それをなんと言ったらいいのかわからない。この心や頭の状態。・・・・言葉が出てくるためには、まずそのもやもやが必要なのです・・・・。」
「言葉が出てくるメカニズムは音とかで受け取ったときに、まずその内容を解読しますね。聞き取って解読する。あるいは読み取って解読する。解読して、ああこれが言いたかったのかと、もやもやの正体というものを受け取るのです。そこで、このもやもやの正体がわかったところで、理解できたとなるわけです。文字そのものではないのです。ですから、通訳するときには、このもやもやをまた作り出さなくてはならない。つまり、先に言葉が生まれてきたプロセスを、もう一度たどらなくてはいけない。」
「言葉が生まれてそれを聞き取って、あるいは読み取って、解読して何がいいたいかという概念を得て、その概念をもう一度言葉にしていく。つまりコード化して、音や文字にするプロセスを経ないと、生きた言葉にならないんです。」
「言葉というのはその部品ではなくて一つのテキストだからです。」
米原万里さんに生きていてほしかった、と強く想う一冊でした。
2冊目は、『ぼくには数字が風景に見える』
(ダニエル・タメット 古屋美登里訳/講談社/2007)
『ぼくには数字が風景に見える』(2007.7.17 本よみうり堂)
「人と違ってもいい」勇気
脳を知ろうとすることは、「人間とは何か」という問いに対する答えを模索することである。脳をどう見るかで、人間観が問われる。
近年の脳科学の研究が明らかにしてきたのは、脳は多様性を秘めた存在だということ。頭の良し悪しなど、単純に割り切れるものではない。ジャングルの中にさまざまな生きものが根付くように、脳の中にも多様な能力が潜んでいる。他の人との比較で一喜一憂するのではなくて、自分の脳のユニークさを生かせるようになるのが理想である。
映画『レインマン』で一般的にも知られるようになった、「サヴァン能力」。複雑な計算を瞬時にこなしたり、電話帳の番号を全て覚えてしまうといった驚異的な能力を示す一方で、人間関係を苦手とする。人間の脳に潜在する能力とその多様性を示す事例として、近年、研究者の間で注目されてきた。
本書は、その驚異の能力がイギリスやアメリカのテレビ番組で放送され、大きな話題を呼んだサヴァン能力を持つ著者による自伝。自閉症の一つである「アスペルガー症候群」と診断され、人間関係に苦しみながらも、数字への愛着を一つのきっかけとして自分らしい生き方を見いだしていく。
著者には、数字の一つひとつが明確な個性をもってイメージされる。その組み合わせが風景となり、計算の答えがわかる。想像を超える事実を前に、厳粛な思いがこみ上げる。
サヴァン能力を持つ人は、自身の内面について言語表現をすることは苦手なことが多い。本書は貴重な「心の内側への旅」の記録であり、著名な研究者はエジプト古代文字解読のきっかけになった「ロゼッタ・ストーン」にたとえた。
「人と違ってもいい」 読む者にそんな勇気を与える好著。人の数だけ、脳の個性もあるのである。古屋美登里訳。
◇Daniel Tammet=1979年、ロンドン生まれ。2004年、円周率の暗唱でヨーロッパ記録を樹立。
講談社 1700円
評・茂木健一郎(脳科学者)
(2007年7月17日 読売新聞)
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「今週の本棚」(毎日新聞 2007年7月22日)にも、
昨日の朝日新聞・書評にも紹介されています。
この本を読むと、人の多様性に驚き、世界の見え方が変わります。
わたし自身、子どもの頃、
人から「変わっている」「普通じゃない」と言われ続けて、
「わたしはどこか人と感じ方が違うのではないか」思っていたので、
「数字が色や風景に見える」ことを、理解することはできなくても、
共感するところが多い本です。
関連で、アスペルガー症候群の当事者が書いた、
『自閉症だった私へ』(ドナ・ウィリアムズ著・河野万里子訳/新潮社)もお勧め。
最後に、『生物と無生物あいだ』
(福岡伸一/講談社現代新書/2007)。
通しで読んでみると、この3冊にはどこか関連性があります。
『生物と無生物あいだ』は、生命とは何か?という問いに対して、
真摯に謙虚に向き合った分子生物学者の良質なエッセイです。
著者は、生命とは何か?という問いを反転させます。
「われわれの身体は原子に比べて、
なぜ、そんなに大きくなければならないのでしょう」と。
生命とは何か?
「それは自己複製するシステムである」という考えに対し、
著者は、「生命とは動的平衡である」と定義します。
「私たちの生命は、受精卵が設立したその瞬間から行進が開始される。それは時間軸に沿って流れる、後戻りのできない一方向のプロセスである。」
「さまざまな分子、すなわち生命現象をつかさどるミクロなジグソーパズルは、ある特定の場所に特定の特定のタイミングを見計らって作り出される。そこでは、新たに作り出されたピースと、それまでに作り出されていたピースとの間に、形の相補性に基づいた相互作用が生まれる。その相互作用と常に、離合と集散を繰り返しつつネットワークを広げ、動的な平衡状態を導き出す。・・・・」
この本の内容は専門家には周知のことかもしれないけれど、
エピローグで、著者の原点ともいえる体験が語られ、胸を打つ。
「生命という名の動的な平衡は、それ自体、いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に、時間軸の上を一方向にたどりながら、折りたたまれている。それが、動的な平衡の謂いである。それは決して逆戻りのできない営みであり、同時に、どの瞬間でもすでに完成された仕組みなのである。」
「これを乱すような操作的な介入を行えば、動的平衡は取り返しのつかないダメージを受ける。もし平衡状態が表向き、大きく変化しないように見えても、それはこの動的な仕組みが滑らかで、やわらかいがゆえに、操作を一時的に吸収したに過ぎない。そこでは、何かが変形され、何かが損なわれている。生命と環境との相互作用が一回限りの折り紙であるという意味からは、介入が、この一回性の運動を異なる岐路へ導いたことに変わりはない。」
「私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである。それは実のところ、あの少年の日々からずっと自明のことだったのだ。」
生きるとは、いのちとは何か、を強く問いかける3冊。
庭に出て、渇いた木木に水をやり、花を撮り、
風呂に入って、「わたし」を形づくる皮膚にそっと触れた。
一回限りのかけがえのない生を生きている、
すべての命がいとおしい。
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