散歩しながらヤナギの木を見るチャンスはあまりないが、山形大学医学部の入り口付近にたった一本のヤナギがある。春が来て垂れ下がった細い枝が芽吹いて風に揺れる様は風情がある。付近には桜などがあり、そのなかに一本だけのヤナギはかえって目立っている。
やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに
と詠んだのは石川啄木である。一家離散が故郷を失った啄木にとって、東京にあって作家を志し原稿を書きながら、脳裏に浮かぶのは北上川の岸辺に立つヤナギの芽吹きであった。
ヤナギは日本に自生していたものではなかった。奈良時代に紅梅と同じように、中国から渡来したものである。奈良や平安の貴族たちは、先進地である唐に憧れ、そのなかの文物や詩文にも注目した。
楊柳枝詞 劉禹錫
煬帝の行宮 汴水の浜
数株の楊柳春に勝えず
晩来風起こって花雪のごとし
飛んで宮牆入りて人を見ず
隋の煬帝といえば暴虐の君主をイメージするが、その行宮をこの詩は懐古している。そのシンボルは、風に吹かれるヤナギである。おりしも花をつけたヤナギは風に吹かれて、あたかも雪のように行宮の垣根に降りそそぐ。しかしそこには煬帝の時代の俤はなく、人の姿も見えない。
水辺のヤナギは、花街のシンボルでもある。詩人の懐古には君主だけではなく、その花街を彩った佳人たちへも思いを馳せている。
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