常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

2014年04月10日 | 漢詩


散歩しながらヤナギの木を見るチャンスはあまりないが、山形大学医学部の入り口付近にたった一本のヤナギがある。春が来て垂れ下がった細い枝が芽吹いて風に揺れる様は風情がある。付近には桜などがあり、そのなかに一本だけのヤナギはかえって目立っている。

やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに

と詠んだのは石川啄木である。一家離散が故郷を失った啄木にとって、東京にあって作家を志し原稿を書きながら、脳裏に浮かぶのは北上川の岸辺に立つヤナギの芽吹きであった。

ヤナギは日本に自生していたものではなかった。奈良時代に紅梅と同じように、中国から渡来したものである。奈良や平安の貴族たちは、先進地である唐に憧れ、そのなかの文物や詩文にも注目した。

 楊柳枝詞  劉禹錫

煬帝の行宮 汴水の浜

数株の楊柳春に勝えず

晩来風起こって花雪のごとし

飛んで宮牆入りて人を見ず

隋の煬帝といえば暴虐の君主をイメージするが、その行宮をこの詩は懐古している。そのシンボルは、風に吹かれるヤナギである。おりしも花をつけたヤナギは風に吹かれて、あたかも雪のように行宮の垣根に降りそそぐ。しかしそこには煬帝の時代の俤はなく、人の姿も見えない。

水辺のヤナギは、花街のシンボルでもある。詩人の懐古には君主だけではなく、その花街を彩った佳人たちへも思いを馳せている。

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桜咲く

2014年04月10日 | 


1時1頃から強風。桜前線は現在仙台あたりを北上中だが、山形はまだ開花宣言はしていない。近所の坂巻川の河川敷に植林した桜並木がある。土手はコンクリートで固められているので、そこに伸びた桜の枝は反射熱で、早く咲く。土手を散歩中に、知人にそろそろ咲きそうですね、と声をかけると、ほらあのあたり、もう咲いていますよというので見ると一枝、二枝きれいに咲き始めていた。

ここは、角の佐藤酒屋のご主人佐藤小太郎さんの熱意で建設省から許可を取り、植えたものだ。昭和51年に山形大学の医学部ができ、この周辺の商店街が地域の環境整備のために進めた事業であった。その桜並木も大きく育ち、この周辺を散歩する人たちの目を楽しませている。

類なき思ひ出羽の桜かな薄紅の花のにほひは 西行法師

桜の花をこよなく愛した西行法師が出羽の国を訪れその地の桜を愛でた歌である。この歌をめぐって、訪れたのは瀧山の中腹西蔵王と長谷堂の滝の山説の二つで論争がある。瀧山の麓には、今も大山桜の薄紅の花が咲いて山形の春を飾る。

西行は「ねがわくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃」と歌に詠んだ。きさらぎの望月は釈尊が涅槃に入ったとされる2月15日のことである。まさしく文治6年2月16日に没して、世の人々を驚かせた。


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