久しぶりに、霞城南大手門のお堀端に行ってみた。満開の桜がお堀にうつり込んできれいだった。周辺は歩道が整備され、散策に配慮されていて、すっかり変わった雰囲気であった。昔、早朝にこの堀で釣りをしたり、石垣の上に作られた散策道を散歩したものだが、そんな記憶も薄れゆくようだ。
山形城は、文禄年間(16世紀)、戦国大名へと成長していった最上義光によって拡張され、城郭の修築が行われた。南門にある石積みは、当時の俤を残している。山形駅東へ400mあたりに歌懸稲荷があるが、この西に三の丸の土塁が残っている。この地点から、霞城の二の丸まで東西1.5キロ、香澄町一帯に武家屋敷があった。
本丸にはも義光の居館があり、二の丸には藩庁役所が置かれていた。また、三の丸の外側には町民の町屋敷が置かれた。町家では、市日ごとの商いが行われ、その市日によって町名がついている。最も繁華街として発展したのは、七日町で、続いて三日町、十日町、六日町、二日町、八日町が現存している。また、職人町が置かれたことも特徴の一つである。蝋燭町、鍛治町、銅町、鉄砲町、檜物町などそこへ行けば、欲しいものが手に入る職人の町であった。
この街にすんで50余年、ふと路地に懐かしい面影が残っているが、そこを訪ねても知っている人は、少なくなっている。10年くらい前までは、変化の乏しい町という印象を持っていたが、退職後、あまり町にでかけなくなってから、町の様子が急に変わったような気がする。
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