常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

満月

2014年04月15日 | 日記


春は花、秋は月としたのは、日本古来の風雅に心を通わせた人々であった。けれども、花の季節に美しい月を見ることもある。この写真は一昨日のものであるが、入日の光がまだ残っているころ、山の端に美しい姿を現した。持っているカメラでは月は撮れないものとあきらめていたが、望遠レンズに換えて何とか撮れた。

今夜月明人尽く望む
知らず秋思誰が家にかある

月を見て憂いに沈むのは、秋の季節にこそ相応しい。昨夜は、満月、そして部分月食であった。このところの晴天で、月を隠す雲もなく、終夜月光が夜の空に輝いていた。

「月中に蟇蛙あり」という伝承が中国にある。嫦娥は夫の不死の薬を盗んで飲んでしまった。そのために仙人となって、奔って月中に入り、月の精になったという神話がある。蟇蛙はこの嫦娥のなれの果てである、ということだ。

月下老という不思議な老人が唐の時代にいた。ある青年が月夜にこの老人に会い、「あなたは何をする人ですか」と尋ねた。老人は持っていた袋から、赤い縄を取り出した。「この縄は結婚する男女の足をつなぐためのものじゃ。これで、そなたの妻になる人を予告しよう」と言った。一方、氷人は氷上と氷下、陽と陰を、つまりは結婚を予言する人である。月下と結びついて月下氷人、仲人となった。それにしても、近年はこの仲人が段々と少なくなって
結婚紹介所などがとって代わっている。


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木蓮

2014年04月15日 | 斉藤茂吉


好天が続く。朝の散歩で木蓮の花をみるようになった。白木蓮の清楚でふくよかな花が好きだ。斉藤茂吉の和歌に、木蓮を詠んだ歌が一首ある。第三歌集『寒雲』に収められている。

木蓮の白き花びら散りしける木の下かげをとほりて行ける 茂吉

『寒雲』は昭和12年から14年に作歌してもの約1100首が収められている。12年には、盧溝橋事件が起き、日中の軍隊が衝突する事態に至った。13年、国家総動員法が施行され、日本は戦争の道へと踏み入って行った。日本の国中が騒然とするなか、茂吉は大阪に放送局かた、放送用の支那事変の歌5首を作る依頼を受けた。

茂吉はこの求めに応じたが、「事変の歌には手馴れていず、どう作ってよいか甚だ難儀した」と述懐している。その後、第二次大戦へと戦線が拡大する従い、茂吉の戦争歌も高揚したものなっていく。終戦後に茂吉はそのことを悔やみ、また戦犯として咎められるのではないかと、心配しながら疎開先で逼塞して生活を送った。

戦争の起きる時代であっても春は訪れ、百花が開く。茂吉の見た木蓮も、平成の世に咲く木蓮も、その姿に変わりはない。


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