常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

雲の爆発

2013年07月18日 | 登山


明け方、激しい雷鳴に目が覚めた。外を見ると黒い雲が垂れこめ、暗い朝のなかにしきりに雷鳴がする。小一時間で激しい雨になった。新庄や庄内地方で大雨の被害が出ているなか、内陸は比較的に少ない雨であったが、いよいよ本降りになってきた。義母のデイサービスを送り出しに行ったが、激しい雨のなかだ。道の側溝から水があふれ、道が川のようになって流れていた。

かってのお天気博士倉嶋篤氏の解説によると、雷が鳴り出すのは入道雲が7、8千mに達したときだという。大雷雨や集中豪雨のときは雲高さが1万5千mになっている。こんな時、雲の下は昼でも夕ぐれよりも暗く、空と地面が水の柱で連なったように強い雨が降ってくる。1時間に100mm以上の雨が降ると、雲の爆発という。ここでは、2時間後、うっすらと明るくなり雨の峠は越したように見える。雲の爆発ではなかったようだ。

雷が鳴ると、雲の下には冷たい空気ができるので急に寒くなる。それで心配した母親が、「さあ、坊や雷さまにお臍をとられるよ」と言って、腹巻をさせた。これが、雷が臍をとる、という俚諺のはじまりらしい。また雷が鳴ると、「クワバラ、クワバラ」というのは。菅原道真が大宰府に流された年京都を大雷雨が襲った。道真邸のあった桑原だけ雷が落ちなかったので、雷雨は道真の祟りということになり、誰もが雷が鳴るたび、「クワバラ、クワバラ」と唱えるようになったという。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入道雲

2013年07月17日 | 日記


梅雨の晴れ間に入道雲が出た。2、3年前ならこの雲がでると、あ、夏がきたなと、実感した。だが、昨今は違う。雲がでて、あまり時間が経たないうちに、冷たい風が吹き、その風は勢いを増す。急な雨だと思っていると、どこかの地域で、半日で100mmなどという途方もない雨が降っている。魚釣りをしていた人が雷に打たれて命をなくしたなどというニュースが飛び込んでくる。

一昨日の台風が進路を中国大陸にとったというので安心していたら、中国の四川省で大雨による大規模な被害が出た。四川で起きた地震で地盤がゆるんでいるところへ、大雨が降り大規模な地すべりが発生した。この土砂崩れで、43名が死亡、118名が行方不明、被災者は650万人にのぼるという。あまりに天文学的な数字で、実態は把握できない。

それにしても、最近の天候の変動は、いままで経験したことのないような事態ばかりが続いている。日照りが長く続くなと思っていると、たちまち大雨の連続だ。気圧配置が変わらないため、大雨が幾日も続く。こうなると小さな菜園でも、畑の管理も大変だ。雨のなかでは収穫さえ思うようにいかない。はびこる雑草との格闘の日々が続く。

夕立が洗っていった茄子をもぐ 種田山頭火
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅花

2013年07月16日 | 日記


紅花を見たのは昭和40年ころのことであったと思う。借家の小さな庭に紅花の種をもらって蒔いたのが咲いた。その庭は肥料けもなく、芽を出した紅花はひょろひょろとして今にも倒れそうなあんばいであった。それでも7月になると花芽が出て、オレンジ色の花をつけた。そのとき、紅花がこれほど由緒のある歴史の花であることは知る由もなかった。

『源氏物語』に「末摘花」の一巻がある。光源氏は内裏に仕える色好みの大輔命婦という女房から故常陸宮の姫が父亡きあと侘しく暮らしているという噂を聞く。この姫は末摘花というのだが、琴の名手であった。荒れ果てた旧宮の屋敷で聞える末摘花の琴の音は、風情がよく源氏の恋心をかきたてた。二人の逢瀬は闇のなかで、源氏は姫の容姿を見ぬまま契りを結んでしまう。

なつかしき色ともなしに何にこの末摘花を袖に触れけむ 光源氏

明るい日のもとで姫を見た源氏は驚いた。顔がやたらに長く、しかも鼻の先が真赤だったのだ。末摘花は紅花の古称である。染物に花の先だけを摘んで染料にしたのでこう呼ばれた。源氏は姫の顔を見て、心惹かれるれる色でもないのにどうしてこの末摘花に近づいてしまったのだろうと悔やんでいるのだ。歌では花に鼻を暗示させている。だが、源氏の寛容なところは、そんな容貌の姫であったが、その境遇に同情して長く面倒をみたのであった。

「おくの細道」の旅で、出羽を歩いた芭蕉も、尾花沢から山寺へ向かう道で紅花を見ている。

まゆはきを俤にして紅粉の花 芭蕉

まゆはきは白粉をぬったあと眉についた白粉を払うのに使った小刷毛だ。紅花の姿をこの刷毛に見立たのが芭蕉の句である。紅花は最上特産のもので、江戸にかけて、この染料の原料に使う紅花を扱う商人は、独占的に価格をあやつり巨万の富を得た。最上紅は着物の染料にするほかに、唇にさす紅としても使われた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うなぎ

2013年07月15日 | 詩吟


きのう、詩吟の吟道講座があり、木村岳風記念館の館長濱岳優先生の俳諧歌の講座があった。講座では小林一茶の俳諧歌が取り上げられたが、そのルーツは万葉集の嗤笑歌にあるという指摘があった。

万葉集の巻第16には、顔の色の黒いのを笑いあったり、身体が痩せたり太ったりしているのを笑いのモチーフにした歌が収められている。そのなかでも大友家持の痩せた人を笑う歌は有名である。うなぎが登場しているのも興味深い。こんなに古くからの食べものであるうなぎが、絶滅危惧種の指定を受けようとしているのは、心配なことだ。うなぎを食べなくても生きていけるが、古くからの食文化が失われるのはいかにも惜しい。

痩せ人を嗤笑(わら)ふ歌2首

石麻呂に 我れ物申す 夏痩せに よしといふものぞ 鰻捕り喫(め)せ

痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を捕ると 川に流るな

2首で痩せた石麻呂の老を笑いのめしている。1首目では、かしこまって老をいたわる風であるが、2首目では一転ことば使いもぞんざいに、やせていたって生きていればもうけもの、万が一川で鰻をとろうとして、流されなさんなよ。

古今集の俳諧歌は万葉に流れを汲んでいる。

むめの花みにこそきつれ 鶯のひとくひとくといとひしもおる

鶯の鳴き声をひとく、ひとくときいたものだが、梅見の連れの女がひとく、ひとくといやがっているようにもとれる。

詩吟は難しい漢詩を吟じているが、こうしたルーツを持つ俳諧歌で都都逸とまではいかずとも、ユーモアと哀歓を吟じて老いの身の楽しみとするのもよいだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモス

2013年07月14日 | 日記


梅雨明けがまだだが、路傍に一輪のコスモスが咲いた。この花を見ると、秋の到来が予告されたような気がする。ピンクの清楚な花は風に吹かれて少し淋しげな風情である。俳句ではむろん秋の季語である。猛暑日が各地で続く真夏だが、小川の流れにひとひらのコスモスは一服の清涼剤である。

コスモスの影をとどめず風吹けり 石原 舟月

ヨナナスというアイスメーカーが売れているという。暑いからつい食べたくなるのがアイスクリーム。これもカロリーが高いので食べすぎには注意が必要だ。氷らせた果物だけでつくるこのアイスメーカーは魅力的である。早速ネットで検索してみたが、売れ行きがすごいらしくどこも売り切れの表示が並んでいる。秋の到来を待たないと入手が難しいようだ。

アイスと言えば、明治時代には高利貸しを意味した。尾崎紅葉の「金色夜叉」で、お宮に裏切られ金の亡者になった貫一の職業が「アイス」で、アイスクリームが「氷菓子」と呼ばれたため、同音の高利貸しの俗称となった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする