本との出会いには不思議なきっかけがある。坂口三千代『クラクラ日記』(潮文庫)を読むきっかけも何か因縁のようなものを感じる。この本はもう随分前に購入して、本棚の奥に眠ったいた。先日電子ブックの『ビブリア古書堂の事件手帖』を読んでいて、思いがけずにこの本が小説の素材に取り上げられていた。
ビブリア古書堂の店長篠川栞子は、母が失踪しその間に父を病で亡くしてしまう。失踪した母が栞子に残したももが、この『クラクラ日記』であった。家のことも考えずに突然失踪した母を許せない栞子には、この本にろく目を通さずにいたのだが、この本の存在が母と娘の物語を展開する鍵になっている。
本棚から『クラクラ日記』を探し出して読んでみた。クラクラとは、フランス語で野雀のことだと、「あとがき」に書いてある。そばかすが顔中にある、その辺で遊んでいる少女の愛称がクラクラであるという。坂口三千代は坂口安吾の妻である。この夫婦の日常が、この本に書き込まれているが、三千代は少女のような純粋な心を持つ妻であった。現代ではこれほど夫が薬や酒に中毒し、暴れまわると、そばに居続けることができる妻がいるであろうか。
三千代が銀座にバーを出したのは安吾の死後一年経った、昭和31年のことである。このバーが「クラクラ」であった。三千代には、安吾は永遠に忘れることのできない存在であった。死の直前、安吾は取材で土佐に行き、その土産にサンゴのペンダントをふたつ買ってきた。記念に何か書いてと頼むと、安吾は「土佐に日本産のサンゴあり土佐の地に行きてもとめ三千代の誕生日におくる」と筆で認めた。安吾はこれを書いて寝に就いたが、未明脳出血のため倒れ死亡した。享年49歳であった。
栞子の母は失踪する前、何故この本を選らんで長女に渡そうとしたのか。それは、『ビブリア古書堂の事件手帖』のなかで明らかにされるだろう。この古書堂にある本が、自分の家の本棚にあることに因縁のようなものを感じ、なんだかうれしくなる。