常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

秋は夕暮

2014年10月26日 | 読書


枕草子で清少納言が秋を代表する景色に選んだのは、秋草の乱れ咲くさまではない。まして木々の紅葉でもなく、さびしい夕暮れである。

「秋は夕暮。夕日のさして山のはいとちかうなりたるに、からすのねどころへ行くとて、みつよつ、またふたつみつなどとびいそぐさへあはれなり。かいて雁などのつらねたるが、いとちひさくみゆるはいとおかし。日入りはてて、風の音むしのねなど、はたいふべきにあらず」

このごろ鴉は、よつみつ、ふたつどころではなく、出勤帰りの人波のように塒へと帰る。清少納言のころ、空の様子は秋の気配が、しんみりとおもむきがあり、人に語りかけるものがあったのであろう。

春は宵、夏は夜、冬はつとめて(早朝)と、清少納言が自分の視点で選び出したものである。他の人が考えているものとは一味違っている。秋の夕暮れは、すぐに夜寒がつづいてくる。黄ばんだ太陽が落ちたあとは、急に風の音や虫の音が、ひとしお秋のわびしさをかきたてる。そこがしみじみとして捨てがたいおもわれるのもこの季節なればこそであろう。


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笹谷峠から二口峠縦走

2014年10月25日 | 登山


笹谷峠から二口峠への縦走。山寺から仙台に抜ける林道は、工事のため通行止めになっている。この林道から見る紅葉が美しいため、紅葉の時期だけ通行を許可している。したがって、この林道を通って、二口峠から笹谷峠に抜ける縦走はこの時期にしかできない。笹谷にしろ、二口にしろこの峠に行くには、車を使うことになる。ではどうやってこの縦走をするのか。

答えは簡単。参加者10名が二台の車に5名づつ分乗、一台は二口峠からもう一台は笹谷峠からそれぞれ反対側へ縦走する。中間地点で落ち合って昼食、キーを交換して下の温泉で合流するという寸法だ。自宅を朝7時に出発。晴れているが街は深い霧に包まれた。笹谷の峠道に入るころには、日が出て真っ青な空が広がっていた。軽くストレッチをして前山の付近から、山形市内を包んでいる霧は雲海のように広がっていた。



雲海の奥に小さい正三角形の姿を浮かべているのは千歳山、雲海の向こうに白鷹山が見え、その奥に朝日連峰がうっすらと見えている。快晴、空には雲ひとつなく、まさに秋の登山日和である。こんなに気候に恵まれた登山は、年間にも数度しかない。無風、気温も15℃と快適である。この日鼻風邪を引いて鼻水ばかりが出たが、この気持ちいい山行で風邪も吹き飛んでしまった。



目指す山形神室はすでに葉が落ちて褐色の世界が広がっている。気温が下がって冬を迎える準備のような時期である。歩行距離7.5キロ、縦走につきもののアップダウンを適当に交えて、適度な疲労感が残った。二口峠から林道を山寺方面へ下ったが、そこで見た紅葉がこの山行の圧巻であった。狭い道のため駐車ができず徐行して車のドアの窓を下して撮影。

山紅葉国原四方に暮れゆきぬ 水原秋桜子


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高井几董

2014年10月24日 | 


高井几董といっても、もう知っている人はあまりいないかも知れない。天明期の俳人で、与謝蕪村の弟子で、蕪村の死後第三世夜半亭を継いだ。蕪村は蕉門の宝井其角を尊敬しその俳句を学んだが、同じように几董も其角を慕うことは師以上であった。

新月に蕎麦うつ草の庵かな 几董

几董の俳句に向かう姿勢はあくまでもひたむきであった。自身が書いた俳書のなかで言っている。「人の選んだ句集や附け句などを見るにも、ぞんざいに見ただけでくだらないなどといい棄てるのは大変心なき業だ。自分が如何に句作に骨折ろうと、それは他人には解らないのであるから、人のものも、その撰者作者の心持になってよきもあしも見まほしいものではないかと、昔のひとも申された。」

冬木立骨髄に入る夜かな 几董

この句をどう読むであろうか。寒さのなかに立ち尽す木立が、ずしんと骨身に響いてくる。寛政元年の10月23日、几董は世を去った。享年49歳。句作は刻苦に刻苦をかさね、工夫に工夫を積んでいった。それは几董の生き方そのもであった。


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衣被ぎ(きぬかつぎ)

2014年10月24日 | 農作業


ことしの里芋の収穫が終わった。苗を10本植えて、どれもそこそこの収穫があったから、とりあえずよしとしよう。ヨガの仲間に芋煮にしてふるまい、子どもたちにも送って好評であった。里芋は皮をむくのに手数がかかるが、皮付きのまま煮たものを衣被ぎ(きぬかつぎ)という。十五夜の名月にススキと一緒の供えるのが、かっての日本の風習であった。川柳に、芋を詠んだ面白い句がたくさんある。

重箱の隅でとどめを芋刺され

煮ころがしの芋はぬるぬるとして、箸に持つのがむつかしい。そこで、重箱の隅に追いやって箸にブスリと刺したところである。里芋は江戸庶民の食卓を賑わした食材だが、近郷でおいしい芋がたくさんとれた。しかも安価であった。米が一升百文したが、芋は同じ量で16文、立ち食いのかけそば一杯分である。

子は先へかたづく芋のにころばし

里芋は親芋の先にぶらさがるように小芋をつけるが、小芋はきめがこまやかで、口当たりがよいので好まれた。そのため煮ころがしにすると、小芋のほうから先に食べられてしまうのだ。とくに江戸の女房衆に好まれたのが里芋だ。女房の好きな食い物御三家は、「イモ・タコ・ナンキン」である。イモはその筆頭格で、ナンキンはカボチャのことである。

遠きをおもんぱかり芋嫁食べず

繊維質の多い里芋は、腹にたまる。満腹してでるものはところかまわず。それを恐れた新妻は、大好物のイモに箸をのばしかねている。若い嫁のういういしさである。


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温泉

2014年10月23日 | 日記


山形県は温泉県である。県内35市町村すべてに温泉が湧き出るのは全国でも珍しいのではないか。老人の福祉施設にも温泉があり、100円という料金で毎日温泉を楽しむことができる。温泉法で温泉が定義されているが、それによれば、温泉とは「地中から湧出する温水、鉱水、および水蒸気、その他のガスを含む湧水で25度以上の温度を有するかまたは次の物質のひとつ以上一定量以上含むもの」と定められており、次の物質とは硫黄、ラドン、ラジウム、など18種類。

水温が25度未満の湧水は冷泉、また温泉と同じような物質を含む湧水は鉱泉と呼ばれる。娘の嫁いだ家の家族も大の温泉好きで、両家が顔を合わせるのは、大概温泉である。このブログでも紹介しているが、ここ数年は鬼怒川温泉からさらに山奥の湯西川温泉に行っている。井伏鱒二のエッセイを読んでいると、この湯西川温泉が出てくる。温泉街を流れる渓流が岩魚の釣り場で、井伏はつり仲間とこの温泉に行っている。

「鬼怒川温泉からバスで行って2時間あまりの山奥に、湯西川温泉という鄙びた温場がある。ここはもう栃木県と福島県の県境に近い。標高700mぐらいだが山は殆どブナの木で、谷川にはイワナがいる。」井伏の温泉の紹介は、これだけであとは釣りの話になっている。同行した釣り仲間は藤原審爾、川島勝、林忠彦ほか10名くらいの人々であった。ポイントの選び方、餌のとり方、など細かく書いているが、ここで釣った一尺二寸のイワナとのやり取りは手に汗を握る。獲物を逃がさないように仲間の助けを求め、初めての大物に胸を躍らせている。


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