常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

月山道の紅葉

2015年10月22日 | 日記


月山道から見える山中の紅葉はピークを過ぎた。もう数日のうちに葉は落ち、山中のにぎわいは急速に影を潜めていく。新古今集の序に、「春がすみたつたの山に初花をしのぶより、夏はつまごひする神なびの時鳥、秋は風に散るかつらぎの紅葉、冬は白妙の富士の高嶺に雪つもる年の暮まで、皆折にふれたる情なるべし」とあるように、紅葉は花、時鳥、雪とともに季節を代表する風雅である。

おく山にもみぢふみわけ鳴く鹿の声きくときぞ秋はかなしき 猿丸太夫(百人一首)

車で走りながら見る紅葉で、鹿の鳴き声を聞くわけもない。この時代の人が、深山を歩きながら鹿の声を聞いて、それが妻問いの声であるのと自ら妻恋しいという感情が重なって、秋を悲しむというような風雅の境地に入ることは到底できぬ相談である。にもかかわらず、山もみじの美しさにには、心をうたれる。
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最上川

2015年10月21日 | 日記


学生時代を山形の地でともに過ごしたM君に誘われて鳥海の森に行ってきた。M君が教員となって初めて赴任した学校のある地、松山である。この町の高台が鳥海の森であり、そこに学校がある。山形を貫流する最上川が酒田の海に入ろうとして蛇行する姿が、森から見ることができる。

まさに海に入らうとする最上河と
その周囲に発達せる平野は
鳥海山や月山の中央山脈の山塊を盟友として
幼い私の魂をその懐のなかに育ててくれたのである。

この地で育った阿部次郎は、随筆「秋窓記」にこう書いている。次郎が生まれたのは明治16年8月27日のことである。次郎はのちに書いた少年時代の回想で、外山のことが書かれている。今、鳥海の森と呼ばれている山地が、すなわち外山だ。春から夏・秋にかけて、この山を駆け回って遊んだ。そこに咲く草花、山菜、野兎の俊敏な跳躍に少年たちは我を忘れて駆け回った。北の方角に裾野を海へ長く引く鳥海山の雄姿があり、晴れた日には河口の向こうに海が見え、飛島が細い線のような姿を見せる。

秋の楽しい想い出は、遡上してくる鮭を漁って、里芋と一緒に煮込む鮭汁である。しかし、楽しい想い出はそこまで、人々は厳しい冬の風雪と闘わなければならなかった。

「吹雪のくる前の空は、低くかつ墨を含んで黒い。さうしてひっそりした不気味な静けさの中から、雪囲ひに激し、雪窓をがたつかせる風がうなりだしてくるのである。それが渦巻きをなす大雪を伴ってくるときは、人は言葉通りに一寸先を見ることも出来ない。道をゆく人は身に着くものをしっかりとかき合せながら、笠もしくはその他のかぶりものを片手で一生懸命に抑えて、ただ眼前の一歩一歩を雪だまりの中に踏みしめて行かねばならぬ。」(阿部次郎『吹雪の話』)
後に名著『三太郎の日記』を書く、阿部次郎は少年時代をこんな環境のなかで過ごした。


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ナナカマド

2015年10月20日 | 日記


ナナカマドの赤い実が美しい。この木は山地に自生する木で、山形の市の木にも指定されている。この木は燃えにくく、七度カマドに入れても燃えにくい、ということから命名されたというのが定説になっているが、薪をストーブで燃やして暖をとるのにまことに適しているという、報告もあり、この定説に疑問をはさむ人もいる。この木で作った炭は良質で、炭焼きの難しさからこの名が生まれたのかも知れない。

ななかまど珊々と実をみがく風 福永 耕二

この実と葉が紅く色づくころ、山では山ぶどうが採取時を迎える。高い木に生るものは採るのに難しいが、低く採りやすい木を探すのもの山ぶどう採りのだいご味だ。実をつぶして砂糖を加えて発酵させると、みごとな色のワインができる。栽培しているワイン用のブドウでワインを作ったことがないので比較にならないが、山ブドウのワインは自然の味がしておいしく感じる。氷に焼酎を入れて、山ブドウのワインを入れると、さらにおいしい晩酌用のカクテルになる。
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まゆみ

2015年10月19日 | 万葉集


まゆみが紅葉した葉を落し、赤い実だけが秋空に映えていた。山形の笹谷峠は、やはり桧枝岐に比べると秋が早い。背景にある山形神室の高いところでは、すっかり木が葉を落し、冬の到来に備えている。まゆみの木は特別の木である。かつて弓の材として用いられ、また和紙を漉けば、特別の紙として使われた。万葉集の譬喩歌、弓に寄すに

南淵の細川山に立つ檀(まゆみ)弓束巻くまで人に知らえじ 巻7・1330

南淵は明日香の稲淵で飛鳥川に上流にある。また細川山は明日香の東南にを流れる細川にのぞむ山である。この地方は早くから開けた土地で、人里離れた深山ではない。葉が落ちて赤い実がなると、すぐ人目につく。このまゆみから、弓を作った。歌の意は、南淵の細川山に立っているまゆみよ、お前を弓に仕上げて弓束を巻くまで、人に知られたくないものだ、ということだ。

この歌はさらに敷衍すれば、目につけた女を妻にするまで誰にも知られたくないという男の願望をまゆみなぞらえて詠んだものである。弓は狩に使う飛び道具である。当時の男にとっては、なくてはならぬものであった。そのために人に知られたくはないものの、余りに目立つ存在であるため、男の願望をよそに、様子のよい女はすぐに男たちの取り合いになり、厳しい競争に晒されたものと思える。
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2015年10月19日 | 日記


公園の池に10羽ほどの鴨が遊んでいた。鴨は渡り鳥で白鳥などとともに、北から暖かい地へと渡ってくる。河口や大きな湖で見る鴨は、この季節に渡ってくるが、内陸の池などに見かけるのは、留鳥で内陸の河川やため池で、子育てをしながら、過ごしてもいるのかも知れない。公園には鳩もいて、決まった時間に餌を与えるおじさんや子どもたちがいる。昨日も昼過ぎになっておじさんの餌やリが始まった。するとどこからともなく鳩がやってきて餌をあさる。それに交じって、鴨が鳩の外側で遠慮がちに餌の分け前にあずかっていた。歳時記を見ると、鴨はすでに冬の季語だ。

日輪がゆれて浮寝の鴨まぶし 水原秋桜子

池で10羽ほどが水に浮かんでいたが、ときおり水中に頭を突き入れて池の底の水草を食べる。浅い池なので、胴の半分は水の外で、しっかりと尻も見せている。餌をとり終わるとすぐに、元の浮き泳ぎの姿にもどる。狭い池のためたちまち土手にぶつかりそうになる。すると鴨は、大きく羽を広げて飛びたち、空中を2,3度羽ばたいて池にもどる。こんな鴨の生活を見ていると、たちまち時間が過ぎているのに気づく。池の側にある楢の木からドングリがたくさん落ちている。女の子が二人、ビニール袋にドングリを拾って入れていた。日一日と秋が深まっていく。
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