ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

共鳴する魂

2008年12月30日 16時41分38秒 | 音楽・アート
テレビ放送だけでは物足りないだろうと
あらかじめ注文しておいた「一万人の第九」の
全楽章を収めたDVDが届きました。

音の反響のせいでソプラノとのズレが気になった箇所も
こうして中央マイクでの録音で聴いてみると
気になるほどではなく、ほっとすると同時に、
またしても感動がじーんとこみ上げてしまって。
これはもう「第九熱」という熱病としか言いようがないかも。
まだ第九?と呆れた方がいても無理からぬことと思いつつ。

そして、汗を飛び散らせながら指揮をする佐渡裕さんを
改めて、アップで見ながら、
彼の指揮姿や、彼が紡ぎ出す音楽に
なぜこんなに魅かれるのか、やっと気づいたような。



佐渡さんの指揮には、魂があるのを感じるからだと。
背中から見ていても、正面から見ていても
彼が渾身のエネルギーと思いを込めて、
全身全霊で、音楽や共演者に向かい合っているのを感じる。
その姿には、彼の音楽や共演者への深い愛情と、祈り、
そして、彼自らがこの瞬間感じている喜びや感動が
とてもまっすぐに、あふれ出している。
きっと誰よりも音楽が好きで、人間が大好きだということが
どの音にも、どの瞬間にも、伝わってくる。
だからなのだと。

「一万人の第九」を振り終わった後、
佐渡さんは「もう体が動かないかと思った」と。
「21世紀の第九」でも、第四楽章が終わった時、
佐渡さんは、もはや歩くのもままならないほど。
汗をかくこともなく、端正な指揮をする指揮者も多いけど
彼は気持ちや魂に体が突き動かされるような指揮をする。
それにわたしの魂が揺さぶられ、
共鳴するからなのだと。



あんな風に一生懸命に何かに向き合ったことが
大人になってから、わたしには何回あったでしょうか。
日常生活で、そこまで全身全霊をこめる場面は少なく、
ましてや人を感動させるようなことは出来ないけれど、
それでも何かに向かい合う時には
彼のように一つ一つに「魂をこめる」「愛をこめる」ことを
せめて、ささやかでも忘れずにいたいと思うのでした。

コメント
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