夜な夜なシネマ

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これまでの人生で読んだ本でいちばん不愉快だった本

2016年04月06日 | 映画(番外編:映画と読み物)
一旦観はじめた映画はどんな映画であろうと最後まで観るのと同様、
一旦読みはじめた本も途中で投げ出すことはまずありません。
たとえこんな本でも、こんな本でも。
これも映画と同様、私のハードルがわりと低くて、何でも楽しめるおかげだと思っています。
だから、読書管理アプリなどの★5段階で評価するとしたら、
最後まで読むことができたならば★3つ。そこそこ楽しめたら★3.5を付けます。
★4以上が私の「かなり面白かった」。

ここ15年で読んだ本のうち、最後まで読んだにもかかわらず★2.5としたのは、
若竹七海の『クール・キャンデー』。
読んだのが昔すぎて、内容をほとんど覚えていないのですが、
読み終わったときにものすごく不愉快だったことだけ覚えています。
Amazon等の評価は悪くないので、何かが私に合わなかっただけかと。
それと伊藤計劃の『虐殺器官』。
これは傑作の呼び声高く、面白いだろうとは思うのですが、
私にはまったくついていけなくて、ただただ読むのが苦痛でした。

この2冊以外は、私の評価はすべて★3以上なのです。
が、先日読み終わった歌野晶午の『女王様と私』は★1としたい。
これまでの人生で読んだ本の中でいちばん嫌いです。
ちなみに歌野晶午の著作を読むのは初めてではなく、数冊読んでいます。
『葉桜の季節に君を想うということ』はそのドンデン返しに呆れた人もいるようですが、
私は彼の叙述トリックに素直に騙された口。嫌いではない作家なのです。

『女王様と私』は、あとがきや解説なし、本編だけで494頁の分厚さ。
最初の数頁で無理かもしれないと思いましたが、
出かけるさいの電車の中や就寝前の数時間を利用して3日がかりで最後まで。
ここまで嫌いだと言いつつ3日で読めたのですから、読みにくくはありません。
だけど、頁を繰るごとに増してゆく不愉快さ。

以下、ネタバレ全開です。

主人公・数馬(かずま)の「うんざりするような現実」、「めくるめく妄想」、
「まぎれもない現実」の三部構成で、その大半が「妄想」。
数馬が連続少女殺害事件に巻き込まれるという物語なのですけれど。

数馬はオタク、ロリコンひきこもりで、
秋葉原をぶらついているときに黒服の人物から言いがかりをつけられます。
殴られるわ蹴られるわでボコボコにされて、
警察に突き出されたくなかったら自分の言うことを聞けと言われ、言いなりに。

頁を繰るごとに判明する不愉快なこといろいろ。
私が勝手に思い込まされていたわけですから、
ミスリードに持って行く著者の巧さでもあるのでしょうが、
その後に起きる出来事も不愉快なことだらけ。

・20歳そこそこに思えた黒服が小学生だった。
・せいぜい30代半ばだと思っていた数馬が、44歳の童貞ひきこもりロリコンだった。
・数馬が引き連れて歩く「妹」は人形で、数馬は一人二役で喋っている様子。
・ロリコンだからといって対象の小学生に性的行為は望まないと言いつつ勃起。
・刑務所で助けてくれたイケメンにおかまを掘られる。

どれもこれも設定がキモイのなんのって。
しかも「妹」の話し言葉は「わたしゎ」「~だぉ」という私の苦手な字面。

「妄想」の中での少女殺しの犯人は、被害者たちの親友だった小学生。
ついでに小児性愛者の担任のこともカッターナイフで刺殺しています。
数馬が少女殺しの濡れ衣を着せられているとおぼしき場面でも同情心はまったく起きず。

最終的にどうだったかと言うと、
数馬はその昔、少女を誘拐して殺害、裏庭に埋めていた。
自分の両親のことも殺していたという驚愕の真相。
良心の痛みから「妄想」を見させたのだという、いわゆる夢オチで目が点に。
まったく面白いとは思えず、不愉快なだけでした。

「妄想」に出てくる少女たちが、売春していたり、
性的虐待に遭っていたり、リストカット癖があったり、整形したり。
自分の娘が殺人を犯しているというのに、「うちの娘は悪を排除しただけ」だとか
「子どものすることなんだから」と言ったりする親。
社会問題をすべて取り込んでいると言えばそうなのかもしれません。
だけど私はこんなふうな問題の提示の仕方は好きじゃない。

読んだことは決して忘れない本です。
そういう意味では凄い作品なのかもしれません。

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