戌亥講が会食されている時間帯。
もしかとすれば上頭講が参拝しているかもしれないと思って高鴨神社に向かった。
到着していた講中はネクタイを締めたスーツ姿である。
講中は4人。
宮司の承諾を得て撮らせていただくが、神事であるゆえ邪魔にならないようにと指示があった。
平成3年刊・中田太造著の『大和の村落共同体と伝承文化』によれば鴨神の宮座講は9講ある。
「土地永住の子孫の組織せるものにして、最も権威のあるものゆえ、決して座外の氏子は加入せしめず。今後、新座を組織する場合も同じ。座の首座を一老または年頭という」と書いてあった。
発刊当時の宮座講は8座から新座を加えた9座である。
内訳は上頭(19人)・諸頭(10人)・戌亥(4人)・実の出座(8人)・冨田(6人)・古捿(3人)・弥栄(7人)・垣内(6人)・実寿毛登(4人)である。
奈良県図書情報館所蔵の『昭和四年大和国神宮神社宮座調査』に載っている鴨神の宮座講の内訳は上頭座(19人)・諸頭座(10人)・戌亥座(4人)・實(巳)の出座(8人)・冨田座(6人・上頭座にも加入)・古捿座(3人)・彌榮座(7人)・垣内座(6人・5人は上頭座にも加入)・實壽毛登座(4人)とある。
中田太造著の宮座講の引用は『昭和四年大和国神宮神社宮座調査』によるものであろう。
水野垣内で聞いた「やさか講」はおそらく彌榮座のことであろう。
訪れた時間帯に参拝されていた宮座講は「みのり講(實講)」と呼んでいた。
宮司が一礼されて祓え詞を唱える。
サカキを左右に振って講中を祓い清める。
そして、「ヨロコビノ ヨロコビノ ゴヘイガ マイルーマイルー ワーイ」と発声されて最奥に鎮座する社殿に向かった。
「みのり講」はおそらく實壽毛登座であると思われる。
会食をしていた戌亥講のYさんの話しによれば西佐味の人たちのようだ。
高鴨神社への宵宮参拝は9講それぞれが順に参拝されて夜8時までに終わらなければならない。
それは8時から東佐味・西佐味・鴨神下・鴨神上の4カ大字における寿々伎提灯の献灯があるからである。
なお、大御幣を持って参拝する翌日11日のマツリは朝8時頃から10時過ぎまで各宮座講が順次行われるようだ。
(H26.10.10 EOS40D撮影)
もしかとすれば上頭講が参拝しているかもしれないと思って高鴨神社に向かった。
到着していた講中はネクタイを締めたスーツ姿である。
講中は4人。
宮司の承諾を得て撮らせていただくが、神事であるゆえ邪魔にならないようにと指示があった。
平成3年刊・中田太造著の『大和の村落共同体と伝承文化』によれば鴨神の宮座講は9講ある。
「土地永住の子孫の組織せるものにして、最も権威のあるものゆえ、決して座外の氏子は加入せしめず。今後、新座を組織する場合も同じ。座の首座を一老または年頭という」と書いてあった。
発刊当時の宮座講は8座から新座を加えた9座である。
内訳は上頭(19人)・諸頭(10人)・戌亥(4人)・実の出座(8人)・冨田(6人)・古捿(3人)・弥栄(7人)・垣内(6人)・実寿毛登(4人)である。
奈良県図書情報館所蔵の『昭和四年大和国神宮神社宮座調査』に載っている鴨神の宮座講の内訳は上頭座(19人)・諸頭座(10人)・戌亥座(4人)・實(巳)の出座(8人)・冨田座(6人・上頭座にも加入)・古捿座(3人)・彌榮座(7人)・垣内座(6人・5人は上頭座にも加入)・實壽毛登座(4人)とある。
中田太造著の宮座講の引用は『昭和四年大和国神宮神社宮座調査』によるものであろう。
水野垣内で聞いた「やさか講」はおそらく彌榮座のことであろう。
訪れた時間帯に参拝されていた宮座講は「みのり講(實講)」と呼んでいた。
宮司が一礼されて祓え詞を唱える。
サカキを左右に振って講中を祓い清める。
そして、「ヨロコビノ ヨロコビノ ゴヘイガ マイルーマイルー ワーイ」と発声されて最奥に鎮座する社殿に向かった。
「みのり講」はおそらく實壽毛登座であると思われる。
会食をしていた戌亥講のYさんの話しによれば西佐味の人たちのようだ。
高鴨神社への宵宮参拝は9講それぞれが順に参拝されて夜8時までに終わらなければならない。
それは8時から東佐味・西佐味・鴨神下・鴨神上の4カ大字における寿々伎提灯の献灯があるからである。
なお、大御幣を持って参拝する翌日11日のマツリは朝8時頃から10時過ぎまで各宮座講が順次行われるようだ。
(H26.10.10 EOS40D撮影)