「和名抄」鏡作郷に鎮座する鏡作坐天照御魂(かがみつくりにいますあまてるみたま)神社は古来から鏡鋳造の神さんとして崇敬されている。
同社は「鏡作神社」と略名で呼ばれることが多い。
毎年2月には21日に近い日曜に古式ゆかしくお田植祭が奉納される。
午前中に神事を終えた氏子らはヨバれの直会。
昼からが田植えの舞いや牛使いのお田植え祭だ。
境内には四方竹を設えた砂場の田んぼ。
待ちこがれた住民らが集まってきて周囲を囲んでいく。
保存会のご婦人かたが扮する姿は絣の着物のお田植え衣装。
拝殿の前に整然と並んでいる。
万博のときにはこの姿で舞ったことがあったなと懐かしそうに話す80歳のご婦人。
そのころは3、40人もいてたという。
宮司の祝詞奏上、玉串奉奠、感謝状授与などの式典を終えると奉納舞いが始まった。
数年前から小学生女児の舞ができるようにと参加を呼びかけていた宮司。
昨年にやっと実現した。
今年もこうして人数も増えてありがたいことだと謝辞を述べる。
最初の舞いは「お田植舞」。
笛や太鼓の音に合わせたお田植え唄。
姉さん被りに花笠を手に持って優雅に舞い踊り。
ゆったりした舞いに見惚れてしまう。
次の舞いは花笠を被って「豊年舞」。
両手を前に差し出すように舞う。
そのあと腰にぶら下げた稲穂を手に持って舞う。
頭の上に掲げて舞ったあとは二人ずつ稲穂を納めていく特徴ある舞だ。
(H21. 2.22 Kiss Digtal N撮影)
同社は「鏡作神社」と略名で呼ばれることが多い。
毎年2月には21日に近い日曜に古式ゆかしくお田植祭が奉納される。
午前中に神事を終えた氏子らはヨバれの直会。
昼からが田植えの舞いや牛使いのお田植え祭だ。
境内には四方竹を設えた砂場の田んぼ。
待ちこがれた住民らが集まってきて周囲を囲んでいく。
保存会のご婦人かたが扮する姿は絣の着物のお田植え衣装。
拝殿の前に整然と並んでいる。
万博のときにはこの姿で舞ったことがあったなと懐かしそうに話す80歳のご婦人。
そのころは3、40人もいてたという。
宮司の祝詞奏上、玉串奉奠、感謝状授与などの式典を終えると奉納舞いが始まった。
数年前から小学生女児の舞ができるようにと参加を呼びかけていた宮司。
昨年にやっと実現した。
今年もこうして人数も増えてありがたいことだと謝辞を述べる。
最初の舞いは「お田植舞」。
笛や太鼓の音に合わせたお田植え唄。
姉さん被りに花笠を手に持って優雅に舞い踊り。
ゆったりした舞いに見惚れてしまう。
次の舞いは花笠を被って「豊年舞」。
両手を前に差し出すように舞う。
そのあと腰にぶら下げた稲穂を手に持って舞う。
頭の上に掲げて舞ったあとは二人ずつ稲穂を納めていく特徴ある舞だ。
(H21. 2.22 Kiss Digtal N撮影)
八朔の日に神さんの木札を授かり宮迎えをされた味間と小槻の永代総代さんは二十日後に柳の木に括り付けた根、穂付き稲とともに田原本町多の多坐弥志理都比古(みしりつひこ)神社に還ってくる。
今日は秋礼祭の本祭で宮送りの神事が執り行われる。
本来は両家が揃っての神事だが今年はダブルブッキングの関係で味間の総代さんは早めに来られた。
かつては徒歩道中だったが現代はクルマで訪れる宮送り。
当主は前々日に当主のお家で祭祀された神さんの木札を高々ともち、おともの方は竹に御幣を取り付けた稲柳を持つ。
拝殿で一礼し宮司に手渡された稲柳は祭壇に置かれて神事が始まる。
拝殿に座すると宮司一拝、祓えの儀、祝詞奏上など神事が執り行われ、そのあと当主は宮司とともに静かに神殿前に歩む。
その間、当主は木札を高々と掲げている。
遷しました神さんが無事に戻ってこられたことを神殿向かって奉告される。
再び拝殿に登り、宮司からお神酒をいただき宮送りの儀式を終える。
秋祭りといえば太鼓台がでたり氏子社中や参拝者などで賑やかな情景を描くのだが、多坐弥志理都比古神社の秋例祭は永代総代だけで厳かに行われるもので特徴的な祀りの様相だ。
祭壇に供えられた左右のモチ。
右は味間の総代家が供えた杉皮の上に九つ並べられたモチ。
左は小槻の総代が供えたモチで杉板に載せられている。
祭壇には五枚重ねとなっているモチ皿。
多氏に関わりのあったとされる味間と小槻の両家が供えられたもので、多氏らの神八井耳命(かむやいみみ)の末裔の数であろうとされる十九枚が持ち寄られる。
一枚に九つ載せたモチのお供えは、天理市海知町の倭恩知神社で行われるシンカン祭りの花御供と同じ形態で民俗行事的に興味が引かれる。
(H20. 9.20 Kiss Digtal N撮影)
今日は秋礼祭の本祭で宮送りの神事が執り行われる。
本来は両家が揃っての神事だが今年はダブルブッキングの関係で味間の総代さんは早めに来られた。
かつては徒歩道中だったが現代はクルマで訪れる宮送り。
当主は前々日に当主のお家で祭祀された神さんの木札を高々ともち、おともの方は竹に御幣を取り付けた稲柳を持つ。
拝殿で一礼し宮司に手渡された稲柳は祭壇に置かれて神事が始まる。
拝殿に座すると宮司一拝、祓えの儀、祝詞奏上など神事が執り行われ、そのあと当主は宮司とともに静かに神殿前に歩む。
その間、当主は木札を高々と掲げている。
遷しました神さんが無事に戻ってこられたことを神殿向かって奉告される。
再び拝殿に登り、宮司からお神酒をいただき宮送りの儀式を終える。
秋祭りといえば太鼓台がでたり氏子社中や参拝者などで賑やかな情景を描くのだが、多坐弥志理都比古神社の秋例祭は永代総代だけで厳かに行われるもので特徴的な祀りの様相だ。
祭壇に供えられた左右のモチ。
右は味間の総代家が供えた杉皮の上に九つ並べられたモチ。
左は小槻の総代が供えたモチで杉板に載せられている。
祭壇には五枚重ねとなっているモチ皿。
多氏に関わりのあったとされる味間と小槻の両家が供えられたもので、多氏らの神八井耳命(かむやいみみ)の末裔の数であろうとされる十九枚が持ち寄られる。
一枚に九つ載せたモチのお供えは、天理市海知町の倭恩知神社で行われるシンカン祭りの花御供と同じ形態で民俗行事的に興味が引かれる。
(H20. 9.20 Kiss Digtal N撮影)