マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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多坐弥志理都比古神社八朔宮迎え

2008年10月10日 08時11分35秒 | 田原本町へ
古来より田原本町多の地に鎮座する多坐弥志理都比古(みしりつひこ)神社は一間社春日造りが並ぶ四本殿は整然として美しい。

今日九月一日は八朔祭の日。

早朝、味間と小槻に住む同神社の永代総代さんが集まってきます。

拝殿に座すると宮司一拝、祓えの儀、祝詞奏上など神事が執り行われ、そのあと両家の当主は宮司とともに静かに神殿前に歩みます。

宮司が神殿に登りあがると厳かな空間のなかで宮迎えの神事。

神さんが遷った木札は両家当主が授かります。

再び拝殿に登ると当主は高々とお札を掲げます。

宮司からお神酒をいただき宮迎えの儀式を終えました。

神遷しされたお札は三週間ほど両家のお家で大切に祀られるもので、二十日の宮送りに還幸されます。

その際には稲藁米で括り付けられたヤナギの木に遷って還ってきます。

なお、十八日は両家の祭りで、地域の人らが集まって来る。設えた迎えの門を潜って当家の神さんへお参りに来るといいます。

(H20. 9. 1 Kiss Digtal N撮影)

田原本町津島神社祇園祭

2008年08月12日 08時43分38秒 | 田原本町へ
大和の夏祭りを代表する田原本町津島神社の祇園祭はたいへんな賑わいをみせる。

同社境内や町内筋には夜店がずらりと並び、特設会場では有名漫才師らが出演して絶え間ない笑いの渦が広がる。

祇園祭の昔は7月11日から始まって七日間も運営されていたが、昭和40年代ころから徐々に日程が短くなって、最近では第三土曜、日曜の二日間に開催されている。

町内からはだんじりや子供御輿が繰り出され町内を練り歩く。

陽が暮れるころ、神社に到着すると宮司からお祓いを受ける。

今年のだんじりは旭町、郭町(かくない)、戎通りの3基。

子供御輿は大門西、戎通り1、2丁目に杉の子子ども会の4基。

もうひとつは普段は花立てしている大八車を急遽利用した御輿だ。

珍しい御輿に乗った子どもらの顔が満足げに見える。

その昔には「立山」と呼ばれる世相をおもしろおかしく表現した人形の造りものがあった。

本町、材木町、市町などの町内毎に立山の世話人が子どもらと一緒に作って、空き家を利用してそこに飾って見てもらっていたと懐かしそうにおっしゃる氏子ら。

一方、平成の大修理を終えた拝殿の前には参拝者が長い列をつくってお参りにくる。

こんなにも長い行列は久しぶりだと関係者は大喜び。

夜八時、拝殿に登った奉賛会の方々を前に神事が始まる。

修祓、祓えの儀、祭主一拝、祝詞奏上のあとは巫女さんの神楽舞や鈴祓いなどが営まれる。

その間、絶え間なく参拝者が訪れる祇園さんの夏の夜は更けていく。

なお、関係者のご厚意で拝殿並びにT医院さんのビル屋上から祭り全景を撮影させていただいた。

この場をお借りして厚く御礼申しあげます。

(H20. 7.19 Kiss Digtal N撮影)

多観音堂

2008年08月06日 09時29分57秒 | 田原本町へ
正月三日のボダイボダイ行事に訪れた田原本町の多観音堂。

夏の観音講を7月第二日曜に行われると聞いていたので訪れた。

しかし、待てど暮らせどだれも来ない。

集落に入り宮講の方に教えていただいた観音講のOさんを訪ねた。

蒸した茄子に田楽のように味噌をぬりつける。

モチはハラハタモチと呼ばれるアンツケモチ(昔はシオモチだったという)。

コメアライと呼ばれる五人の手伝いさんは午前中に公民館に集まってこれを作る。

午後3時には出来上がったモチとナスを車で運んで観音堂でヨバれる。

本来は18日であったことから行事は別名に十八夜講とも考えられる。

ところが今日ではなくて一週間まえに済ませたという。

今日の公民館は村の会計報告や大神宮さんがあるので先週に前詰めしたそうだ。

来られるんやったら連絡してあげたら良かったわねとおっしゃるS当屋さん。

来年は作るところからおじゃまさせてもらいますと約束した。

多観音堂には枝垂れ桜が植栽されていて4月始めころが見頃だといい、こちらも楽しみにしておこう。

(H20. 7.13 SB912SH撮影)

矢部杵都岐神社祇園さん待ち

2008年08月04日 09時40分05秒 | 田原本町へ
多神社へ立ち寄ったところ今日は矢部で祇園さんだというので寄り道してみた。

鳥居には提灯をぶら下げ拝殿には座が設けられて夕刻の神事を待っている。

祇園さんの行事はたいがいが14日。

諸事情で近い日曜日にされているのであろう。

(H20. 7.13 SB912SH撮影)