県内で行われてきた雨乞いの踊りの様子は神社などに奉納された絵馬に残されている。
安堵町のなもで踊りは飽波(あくなみ)神社に伝わる宝暦六年(1756)の「なもで踊り図絵馬」にその様式を見ることができる。
衣装や鼓、団扇などの道具類、歌詞本が現存するが、明治33年の以降の歌詞本は見つかっていない。
このころが最後に行われたものではないかと推測されている。
平成7年、町商工会の提案で復活したなもで踊りは舞踊家が考案した創作踊りで、絵馬に描かれた状況を再現したという。

その当時から踊ってこられた会員はそのまま平均年齢があがった。
まるで老人会のようになったと踊り子さんは笑う。
その踊り子に孫のような女子高校生が加わった。
夏の暑いときから練習を重ねてきた。
初のお披露目は先達の動きを見つめながら、調子を取って踊っていく。

太鼓が打たれると踊り手は輪になって登場する。
善鬼が現れて雨を降らせると、早馬(はやうま)と呼ばれる鼓を持った人が加わって喜び踊る。
平成のなもで踊りが終わるころは今にも雨が降りそうな雲行き。
雨水の気配を感じる夕刻になった。
(H21.10.24 Kiss Digtal N撮影)
安堵町のなもで踊りは飽波(あくなみ)神社に伝わる宝暦六年(1756)の「なもで踊り図絵馬」にその様式を見ることができる。
衣装や鼓、団扇などの道具類、歌詞本が現存するが、明治33年の以降の歌詞本は見つかっていない。
このころが最後に行われたものではないかと推測されている。
平成7年、町商工会の提案で復活したなもで踊りは舞踊家が考案した創作踊りで、絵馬に描かれた状況を再現したという。

その当時から踊ってこられた会員はそのまま平均年齢があがった。
まるで老人会のようになったと踊り子さんは笑う。
その踊り子に孫のような女子高校生が加わった。
夏の暑いときから練習を重ねてきた。
初のお披露目は先達の動きを見つめながら、調子を取って踊っていく。

太鼓が打たれると踊り手は輪になって登場する。
善鬼が現れて雨を降らせると、早馬(はやうま)と呼ばれる鼓を持った人が加わって喜び踊る。
平成のなもで踊りが終わるころは今にも雨が降りそうな雲行き。
雨水の気配を感じる夕刻になった。
(H21.10.24 Kiss Digtal N撮影)