まだ、あるやろか。
疑問符をもちつつ、かつあれば嬉しい茨城県産干し芋。
売り場に並べていなかった。
店員さんに尋ねた茨城県産干し芋。
ハッスル5の店員さんの話によれば、売り切れたそうだ。
とても美味しい茨城県産干し芋は、特別に仕入れた。
大量に仕入れ、お店で詰めたパック売り。
どこか懐かしい干し芋。
思いだす時代は、昭和の時代。
バラック建ての家にあった暖房具が火鉢。
餅焼きの網に置いて柔らかくして食べていた記憶の映像。
ふと、思いだした。
それから何十年も経ったのだろうか。
あっという間に生活文化が著しく変革した時代。
棚売りしていたハッスル5に見た干し芋。
思わず手に取った。
3パック買った、うち2パックは、お世話になった写真展会場のオーナーさんらへの手土産。
その干し芋が、むっちゃ旨いとわかってからは、ときおり買いに行くようになった。
実は、それ以前に干し芋時代を思い出したことがある。
写真家Kさんが、上州からのお土産ですから、といただいた干し芋。
愉しみにしていた干し芋。
台所テーブルに置いていたら、いつのまにか残り数が・・・・。
あれあれ、私にも一枚は食べさせてくれよな。
確保した一枚は、あぶって食べるつもりだったが、そのまんま口にした。
一口食べた瞬間に、記憶から目覚めることになった。
一枚、一枚を天日干しした手つくり感のある干し芋。
お土産干し芋と同じような商品がハッスル5に売っていた。
これが、病みつき干し芋のはじまりだった。
食べて、なくなれば買いに出かける。
干し芋は一気に食べるのではなく、ちょびちょび喰い。
大きな塊は1/4程度に小分け。
ちぎった干し芋を就寝前にいただく。
これが、なんと。
翌朝のお通じに効き目があるとは、予想外の展開。
今日、21日に再び干し芋を、と思ってハッスル5に来たが、棚にない。
店員さんに尋ねた結果は売り切れ。
仕入れは今年の冬場、12月には売り場にでるでしょう、と・・・
大量仕入れの茨城県産干し芋は、従業員が小分け、パックに詰めて販売する。
グラム当たりいくらか、わからないが、多くても400円前後のパックで売る。
ちょびちょび食べに、ほぼ2週間も愉しめる干し芋。
前半は柔らかい。
後半以降から徐々に柔らかさが消え、最後の方になれば、やや固めの乾燥干し芋になるが、ちょびっと喰いでは、味に変わりない。
ところで朝日新聞デジタルが伝える情報によれば、干し芋生産は、栃木県産もあるが、生産・販売数が圧倒的に多いのは隣県の茨城県(※国内産9割が茨城県)。
東テレ番組が放送する「昼めし旅」に、一度、干し芋を映す映像を見たことがある。
生産農家(※たぶんひたちなか市<旧那珂湊>)がつくる半生状態のそれはまさしく、今季私が食べていた干し物の姿。
あれ、食べたい、と思ってからどれほど待ったことか。
地元スーパーが、売り出す12月が待ち遠しい。
その後の4月21日。
楽天市場に見つかった約1kgの平切りの干し芋。
送料無料の干し芋に思わずアタックチャンス❣。
贈られてくる状態は冷凍もん。
こりゃぁ厄介だが、欲しいものが干し芋だけに・・
さてさて、中国産の干し芋であるが、届くまで愉しみに待つとするか。
注文は、いつも利用している楽天市場。
売り出し文句は「くらし快援隊~母の日父の日お歳暮・・茨城県産干し芋からネットぐぐって見つかった中国産平切り冷凍干し芋1kgが、送料無料の1980円を注文した。
早くも届いた2日後の23日。
すぐには食べず、多きさ合した干し芋数枚をラップ包み。
細目に包んでおけば、冷凍庫の縦位置様式で収める我が家の冷凍庫保存。
食べたいとき、ラップ包み単位で取り出し、一旦は冷蔵保存による自然解凍。
数時間後でもいいし、丸一日経ってからでもいい、冷蔵庫に移していた干し芋を食べる。えー感じになった干し芋しっかりした味にもぐもぐ。
ところで、売り場市場に多く見られる干し芋は紅はるかが圧倒的。
清潔な施設で大量に生産される、こちらは栃木県産。
栽培から収穫。
大型倉庫に収めた芋の大量保管は低温保管。
取り出し、選別を経て蒸かし工程。
そして皮剥き作業からピアノ線道具箱を用いて裁断。
手作業が多い干し芋つくり。
干し芋の原型が見えてきたそれからはじめる天日干し。
網簾の上に拡げて干す工程がよくわかる茨城県の事業者HPは、ひたちなか市が所在地の㈱マルヒ。
ちなみにお家でつくられるための干し芋レシピ情報もあった。
美味い干し芋をつくるには、土、風、太陽の恵みが大切。
土は、水はけ良く、肥沃な黒ぼく地。風は、ミネラルを含んだ潮風。太陽は、冬季期間の長い晴天日。
暮らしの民俗取材に度々聞くことがある”干す”に、何が大事か。
季節、時季は干すモノによって条件はことなるが、まず間違いなく晴天日。
夏場は特に、急激に変化する天候が怪しくなることが多い。
また、梅雨どきは避け、晴れの日がずっと続く日程を抑える。
雨天であっても、雨がかからなければ問題はないが、無風がいちばんダメな日。
天日干ししてもダメになるワケほとんどが無風。
風の力がなければ湿気によって腐らせる。
太陽さえあれば良し、ではなく、天日干しに必要なのは”風”を意識すること。
取材地の人たち、ほとんどがそういう。
上記にある「ミネラルを含んだ潮風」は、地域によったら、まったく恩恵を受けない地域が圧倒的に多いように思えるが、これは茨城県限りの情報でしょうか・・・
実は、干し芋つくりの発祥地は静岡県だった。
茨城県にその技術が伝わったのはおよそ110年前。
干し芋つくりの歴史も見ておこう。
伝承によれば「「干しいも」の発祥の地は静岡県。
沖で遭難した薩摩(※現在の鹿児島県)の船を、大澤権右衛門(おおさわごんえもん)が助けたことがきっかけ。
静岡県にさつまいもをもたらせたのが遭難事故によって、である(※が、遭難事故から、どのような経緯があったのか。そのことには触れていない農林水産省HP・「うちの郷土料理」)。
静岡県でさつまいも栽培が広がる中、栗林庄蔵という者が、さつまいもを煮て包丁で薄く切ったものを干す煮切り干し法という手法を考えつき、これが「干しいも」のはじまりとなったといわれているようだ。
いつでも食べられる保存食。
保存が利便の良さから、一気に関東まで広まっていった、といわれて(文中、若干補正)」いるそうだ。
難事故から、どのような経緯があったのか、その件いついては、「ほしいも百科事典」に掲載された“干し芋の歴史”が、詳しい。
なぜにサツマイモと呼ぶのか。
もともとの原産地はメキシコ南部からペルーに地域にかけた土地。
芋はジャガイモやサツマイモを栽培していた、と伝わる標高が高い地。
ヨーロッパに渡った芋類。
西暦1492年から続いた植物、動物、食物、感染症に人口移動。
西半球の南北アメリカ地域にあったモノやヒトがヨーロッパなどの東半球。
西と東、東と西へと往来する船が運ぶ大移動がもたらす文化移動までも・・。
冷涼ヨーロッパはジャガイモ。
サツマイモは、アフリカ西海岸を経て大陸へ。
インド、東南アジア、中国から沖縄をへて九州・薩摩に運ばれたサツマイモであるが・・・
フィリピンから中国に伝わった時期は、1594年。
さらに、中国から沖縄に伝わった慶長十年(1605)。
ここまでの順調に運ばれてきたサツマイモは、停滞し、沖縄から薩摩に伝わったのは100年後の宝永二年(1705)。
サツマイモを広めた人物に青木昆陽(※甘藷先生とも呼ばれた江戸時代中期の儒者であり蘭学者)の力もあるが、薩摩の前田利右衛門が、琉球から苗を持ち帰り、栽培に成功したからである。
明和三年(1766)、静岡の御前崎沖で1隻の船が座礁した。
沖に近い村の人ら。
権右衛門さんらは24人の遭難者を救助した。
座礁したその船は薩摩藩の船だった。
薩摩の人たちが運んできた芋は、薩摩で栽培された薩摩の芋。
そういうことから名付けられた“サツマイモ”のはじまり。
その後の天明時代に受けた大飢饉(1782~1788年)から助けられた食料がサツマイモ。
薩摩の芋が、飢饉から救ってくれたサツマイモ。
それまでは、芋の味に甘味があることからかんしょ(甘藷)とも。
地方の人たちはサツマイモと呼ばずに甘藷であった。
薩摩に近い宮崎県は、まさに甘藷であった。
昭和の時代でも宮崎県民は、甘藷で育ってきた・・のかもしれない。
また、サツマイモを育てた芋茎は食べられる。
テレビが映し出す料理番組。
「きょうのお料理」とか、「・・3分クウッキング」などの、スタジオ制作料理番組ではなく、例えば「昼めし旅」が紹介する、ごくごく普通に暮らしているお方や、普通に営業している料理人が家族とともにいただくまかない料理。
そういった番組で紹介される我が家でよく調理され、家族とともに、或いは突然の取材は、当人だけが食べられる場におじゃまする料理取材。
気にいった料理をまねてチャレンジしたこともある。
番組を見ているだけの場合が多いが、さまざまな食材に、いろんな調理方法で美味しくされる工夫も学ぶ番組。
地方色がある郷土料理も、また参考にしている毎日に知った「サツマイモを育てた芋茎は食べられる」である。
大根や玉ねぎの葉っぱも調理すれば美味しい一品になる。
それらは、今流行りのワードでいえば、SDGs。
たまねぎの皮は、野菜スープつくりに寄与するんよなぁ。
(R4. 4. 6 SB805SH 撮影)
疑問符をもちつつ、かつあれば嬉しい茨城県産干し芋。
売り場に並べていなかった。
店員さんに尋ねた茨城県産干し芋。
ハッスル5の店員さんの話によれば、売り切れたそうだ。
とても美味しい茨城県産干し芋は、特別に仕入れた。
大量に仕入れ、お店で詰めたパック売り。
どこか懐かしい干し芋。
思いだす時代は、昭和の時代。
バラック建ての家にあった暖房具が火鉢。
餅焼きの網に置いて柔らかくして食べていた記憶の映像。
ふと、思いだした。
それから何十年も経ったのだろうか。
あっという間に生活文化が著しく変革した時代。
棚売りしていたハッスル5に見た干し芋。
思わず手に取った。
3パック買った、うち2パックは、お世話になった写真展会場のオーナーさんらへの手土産。
その干し芋が、むっちゃ旨いとわかってからは、ときおり買いに行くようになった。
実は、それ以前に干し芋時代を思い出したことがある。
写真家Kさんが、上州からのお土産ですから、といただいた干し芋。
愉しみにしていた干し芋。
台所テーブルに置いていたら、いつのまにか残り数が・・・・。
あれあれ、私にも一枚は食べさせてくれよな。
確保した一枚は、あぶって食べるつもりだったが、そのまんま口にした。
一口食べた瞬間に、記憶から目覚めることになった。
一枚、一枚を天日干しした手つくり感のある干し芋。
お土産干し芋と同じような商品がハッスル5に売っていた。
これが、病みつき干し芋のはじまりだった。
食べて、なくなれば買いに出かける。
干し芋は一気に食べるのではなく、ちょびちょび喰い。
大きな塊は1/4程度に小分け。
ちぎった干し芋を就寝前にいただく。
これが、なんと。
翌朝のお通じに効き目があるとは、予想外の展開。
今日、21日に再び干し芋を、と思ってハッスル5に来たが、棚にない。
店員さんに尋ねた結果は売り切れ。
仕入れは今年の冬場、12月には売り場にでるでしょう、と・・・
大量仕入れの茨城県産干し芋は、従業員が小分け、パックに詰めて販売する。
グラム当たりいくらか、わからないが、多くても400円前後のパックで売る。
ちょびちょび食べに、ほぼ2週間も愉しめる干し芋。
前半は柔らかい。
後半以降から徐々に柔らかさが消え、最後の方になれば、やや固めの乾燥干し芋になるが、ちょびっと喰いでは、味に変わりない。
ところで朝日新聞デジタルが伝える情報によれば、干し芋生産は、栃木県産もあるが、生産・販売数が圧倒的に多いのは隣県の茨城県(※国内産9割が茨城県)。
東テレ番組が放送する「昼めし旅」に、一度、干し芋を映す映像を見たことがある。
生産農家(※たぶんひたちなか市<旧那珂湊>)がつくる半生状態のそれはまさしく、今季私が食べていた干し物の姿。
あれ、食べたい、と思ってからどれほど待ったことか。
地元スーパーが、売り出す12月が待ち遠しい。
その後の4月21日。
楽天市場に見つかった約1kgの平切りの干し芋。
送料無料の干し芋に思わずアタックチャンス❣。
贈られてくる状態は冷凍もん。
こりゃぁ厄介だが、欲しいものが干し芋だけに・・
さてさて、中国産の干し芋であるが、届くまで愉しみに待つとするか。
注文は、いつも利用している楽天市場。
売り出し文句は「くらし快援隊~母の日父の日お歳暮・・茨城県産干し芋からネットぐぐって見つかった中国産平切り冷凍干し芋1kgが、送料無料の1980円を注文した。
早くも届いた2日後の23日。
すぐには食べず、多きさ合した干し芋数枚をラップ包み。
細目に包んでおけば、冷凍庫の縦位置様式で収める我が家の冷凍庫保存。
食べたいとき、ラップ包み単位で取り出し、一旦は冷蔵保存による自然解凍。
数時間後でもいいし、丸一日経ってからでもいい、冷蔵庫に移していた干し芋を食べる。えー感じになった干し芋しっかりした味にもぐもぐ。
ところで、売り場市場に多く見られる干し芋は紅はるかが圧倒的。
清潔な施設で大量に生産される、こちらは栃木県産。
栽培から収穫。
大型倉庫に収めた芋の大量保管は低温保管。
取り出し、選別を経て蒸かし工程。
そして皮剥き作業からピアノ線道具箱を用いて裁断。
手作業が多い干し芋つくり。
干し芋の原型が見えてきたそれからはじめる天日干し。
網簾の上に拡げて干す工程がよくわかる茨城県の事業者HPは、ひたちなか市が所在地の㈱マルヒ。
ちなみにお家でつくられるための干し芋レシピ情報もあった。
美味い干し芋をつくるには、土、風、太陽の恵みが大切。
土は、水はけ良く、肥沃な黒ぼく地。風は、ミネラルを含んだ潮風。太陽は、冬季期間の長い晴天日。
暮らしの民俗取材に度々聞くことがある”干す”に、何が大事か。
季節、時季は干すモノによって条件はことなるが、まず間違いなく晴天日。
夏場は特に、急激に変化する天候が怪しくなることが多い。
また、梅雨どきは避け、晴れの日がずっと続く日程を抑える。
雨天であっても、雨がかからなければ問題はないが、無風がいちばんダメな日。
天日干ししてもダメになるワケほとんどが無風。
風の力がなければ湿気によって腐らせる。
太陽さえあれば良し、ではなく、天日干しに必要なのは”風”を意識すること。
取材地の人たち、ほとんどがそういう。
上記にある「ミネラルを含んだ潮風」は、地域によったら、まったく恩恵を受けない地域が圧倒的に多いように思えるが、これは茨城県限りの情報でしょうか・・・
実は、干し芋つくりの発祥地は静岡県だった。
茨城県にその技術が伝わったのはおよそ110年前。
干し芋つくりの歴史も見ておこう。
伝承によれば「「干しいも」の発祥の地は静岡県。
沖で遭難した薩摩(※現在の鹿児島県)の船を、大澤権右衛門(おおさわごんえもん)が助けたことがきっかけ。
静岡県にさつまいもをもたらせたのが遭難事故によって、である(※が、遭難事故から、どのような経緯があったのか。そのことには触れていない農林水産省HP・「うちの郷土料理」)。
静岡県でさつまいも栽培が広がる中、栗林庄蔵という者が、さつまいもを煮て包丁で薄く切ったものを干す煮切り干し法という手法を考えつき、これが「干しいも」のはじまりとなったといわれているようだ。
いつでも食べられる保存食。
保存が利便の良さから、一気に関東まで広まっていった、といわれて(文中、若干補正)」いるそうだ。
難事故から、どのような経緯があったのか、その件いついては、「ほしいも百科事典」に掲載された“干し芋の歴史”が、詳しい。
なぜにサツマイモと呼ぶのか。
もともとの原産地はメキシコ南部からペルーに地域にかけた土地。
芋はジャガイモやサツマイモを栽培していた、と伝わる標高が高い地。
ヨーロッパに渡った芋類。
西暦1492年から続いた植物、動物、食物、感染症に人口移動。
西半球の南北アメリカ地域にあったモノやヒトがヨーロッパなどの東半球。
西と東、東と西へと往来する船が運ぶ大移動がもたらす文化移動までも・・。
冷涼ヨーロッパはジャガイモ。
サツマイモは、アフリカ西海岸を経て大陸へ。
インド、東南アジア、中国から沖縄をへて九州・薩摩に運ばれたサツマイモであるが・・・
フィリピンから中国に伝わった時期は、1594年。
さらに、中国から沖縄に伝わった慶長十年(1605)。
ここまでの順調に運ばれてきたサツマイモは、停滞し、沖縄から薩摩に伝わったのは100年後の宝永二年(1705)。
サツマイモを広めた人物に青木昆陽(※甘藷先生とも呼ばれた江戸時代中期の儒者であり蘭学者)の力もあるが、薩摩の前田利右衛門が、琉球から苗を持ち帰り、栽培に成功したからである。
明和三年(1766)、静岡の御前崎沖で1隻の船が座礁した。
沖に近い村の人ら。
権右衛門さんらは24人の遭難者を救助した。
座礁したその船は薩摩藩の船だった。
薩摩の人たちが運んできた芋は、薩摩で栽培された薩摩の芋。
そういうことから名付けられた“サツマイモ”のはじまり。
その後の天明時代に受けた大飢饉(1782~1788年)から助けられた食料がサツマイモ。
薩摩の芋が、飢饉から救ってくれたサツマイモ。
それまでは、芋の味に甘味があることからかんしょ(甘藷)とも。
地方の人たちはサツマイモと呼ばずに甘藷であった。
薩摩に近い宮崎県は、まさに甘藷であった。
昭和の時代でも宮崎県民は、甘藷で育ってきた・・のかもしれない。
また、サツマイモを育てた芋茎は食べられる。
テレビが映し出す料理番組。
「きょうのお料理」とか、「・・3分クウッキング」などの、スタジオ制作料理番組ではなく、例えば「昼めし旅」が紹介する、ごくごく普通に暮らしているお方や、普通に営業している料理人が家族とともにいただくまかない料理。
そういった番組で紹介される我が家でよく調理され、家族とともに、或いは突然の取材は、当人だけが食べられる場におじゃまする料理取材。
気にいった料理をまねてチャレンジしたこともある。
番組を見ているだけの場合が多いが、さまざまな食材に、いろんな調理方法で美味しくされる工夫も学ぶ番組。
地方色がある郷土料理も、また参考にしている毎日に知った「サツマイモを育てた芋茎は食べられる」である。
大根や玉ねぎの葉っぱも調理すれば美味しい一品になる。
それらは、今流行りのワードでいえば、SDGs。
たまねぎの皮は、野菜スープつくりに寄与するんよなぁ。
(R4. 4. 6 SB805SH 撮影)