マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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大和郡山・富雄川桜づつみモデル事業地の桜

2024年12月04日 07時54分44秒 | 大和郡山市へ
富雄川の源流は、生駒市・高山にあるくろんど池

大阪府民の森・くろんどの森は、大阪の交野市(かたのし)私部(きさべ)にあるくろんど園地。

最寄りの電車駅は京阪電鉄の私市(きさいち)駅から歩くハイキングコース。

たどり着いたくろんど池の位置は奈良県。

その奈良県側から行くには、奈良市を経て大和郡山に流れる富雄川添いがわかりやすい。

私ら家族が大阪から転入した大和郡山市内。

西の地に流れる富雄川沿い、高台に立地する居住地。

転入した当時は、護岸工事がまだなかった時代。

土手から下りた川は綺麗な砂地があった。

護岸に生えていた葦や野の草。

土手は土。そこから竿を出して釣った魚は、小魚。

鮒もおれば鯉に貴重なモロコ魚も住処にしていた葦や野の草。

姪っこが釣った小魚は、モロコに養魚池から流れてきた黒や赤の金魚も・・・。

大雨に養魚池から逃げ出した金魚は水路を経由し、富雄川に・・。

やがて再び大雨に、富雄川から大河の大和川に・・流された金魚の行先は大阪湾に・・・。

大移動の金魚は、当時、子供のころの体験。

住んでいた大阪・住之江も流れる大和川に、何度も目撃した泳ぐ金魚。

母親に祖母も云った。

この金魚は大和郡山から流れてきたんよ・・・。

小学生高学年のころだから60年も前の記憶。

辿っていった記憶に鰻の稚魚がある。

大阪湾から大和川を俎上する鰻の稚魚。

集団で泳ぐ稚魚は、岸辺の水際にそって、くねくね泳いでいた。

鮮明に遺っている情景は、頭の中に思い浮かぶ。

この日は、おふくろが入居している施設に伺う。

富雄川は、家からほんに近い。



右岸に農家さんが小売りしている場がある。

夏はトマト。

春は苺を直売りしている。



近ごろ、苺買いに行列ができているらしい。

へぇ、そんなに有名になったんや、と・・・

苺が食べたい、と訴えていたおふくろに食べもらおう、と近くのスーパーで買ってきた。

味見したら、水くさい苺。

味はよくわかるおふくろの舌。

誤魔化せない、と判断し、買い替えに伺った右岸の農家さん。

誰一人並んでいない時間帯に、買い占め・・ではなく、いちばん美味しい、お店の人が推奨する古都華(ことか)。

昨今は、地産地消店でよく見る古都華であるが、買ったことがない。



これならいい、と選んでくれた古都華を、施設に住まいするおふくろに食べてもらおう。

食べる場は、居住者が朝、昼、晩に食事を摂る食堂でなく、住まいする居住室だ。

部屋には冷蔵庫の設備はない。

食べ残しの食を自身で管理できない場合は、設置許可はおりない。

なぜなら職員が、そこまで手が届かないからだ。

食べ物の差し入れは可であるが、食べ残しは不可。

だから苺はほんの数個。

持っていったら、ぱくぱく食べきった。

こんなに美味しい苺。

初めてや、と喜んでいた。



苺を売っていた場から、小橋を渡ったそこは、奈良県事業・富雄川桜づつみの一角に咲く満開の桜並木。

富雄川に架かる橋は城栄橋であるが、お城はすぐ近くでもない。

徒歩にしておよそ15分の地にある郡山城跡。

今年のお城まつりに訪れた桜見観光客。

さくら名所百選や、続日本100名城に選定されている郡山城跡の桜はおよそ800本。

御殿桜とも呼ばれる桜は観光の目玉

コロナ禍でなかった例年は、8万人もの人たちが訪れるそうだが、ちょっと離れた富雄川桜づつみには、興味はわかないらしい。



ほんの近くにある桜づつみなのに、今はゆっくり落ち着いて愛でる時間も確保できない。

日々のあれこれ事情がある。

ついさっきに撮った場から三歩移動した。

ここは農家さんたちが耕す稲作地に畑地がある。

農機を移動する道は農道。

近くに住まいする私たちもショートカット利用している農道。

向こうに見えるゲート。

越えたそこから桜づつみの公園地に入れる。

車道でなく、人道坂を登った場は、芝生の園。

吾妻屋や藤棚もあるし、親水の広場、スポーツ・コミュニティの広場、木陰の広場もある。

さらにはトイレもある川堤の散策道。

自治会活動のクリーンキャンペーン・清掃活動を終えて、ご近所さんたちとともに移動した。

アルコ-ルも持ち込んだ花見の会。

急遽決めたものだから、家庭の料理がほとんど。

おおかた20年前。

地元民もみな覚えている憩いの場。

さて、今年が最後になった「私がとらえた大和の民俗」写真展である。

展示した3枚組テーマは「コロナ禍、そのときのT家・・」
である。

1枚目のサブテーマは「看る」。

3枚目のサブテーマは「で、あっても、なかっても・・」。

撮影地は、ここ富雄川の桜堤だった。

満開だった桜は突風に煽られて飛んできた花付きの小枝。

散った花びらも自然体。

ありのままの情景を背景に据えて撮っていた。

初めての試みに、あれこれ試作したが、満足できず。

百均に売っている大判の木製ボードに、携帯電話で撮った映像を自宅プリンターで出力したL版プリント。

あーでもない、こーでもない、と配置した。

これだ、と思って行こう、としたその日は、風がキツかった。

何十枚ものL版プリントすべてにセロテープをくるりと巻いた両面テープ。

芝生の上に置き、すぐ横にあったベンチに立った。

手持ち撮影に身体が安定しない。

ファインダー覗きもできない位置に両腕を伸ばしてバシャバシャ・・・。

見えないファインダーに無作為シャッター。

何度も、何度もトライした中の一枚。

ゆがみがわかり難い一枚が撮れた。

自然光が効を奏した一枚に納得できた。

2枚目の「通販もテイクアウト」の撮影時期は夏。

紫陽花にランタナが咲く我が家の南庭を撮影地に決めた。

3枚目の「で、あっても、なかっても・・」の撮影地は、桜時季と同じ桜堤。

秋の時季に実成りの数々をあしらった。

従兄妹が贈ってくれた栗の実。

そればかりじゃ地味ぽっい。

茶色以外の色を探してスーパーへ。

柿にミカンも並べようとしたら、もう一人の従兄妹が、大阪からわざわざ出かけた大淀町で栽培されたでっかい梨を贈ってくれた。

栗も梨も、「看る」テーマの95歳のおふくろに喜んで食べてもらおう、と思って送ってくれた。

秋の実成りに彩りを添えることができた。

感慨無量のテーマ写真。

拝観してくださったほとんどの人たちは、小さな写真に目線を落とされたが、周りに散りばめた桜や秋の実成りに気づかれることなく、写真展は、3月27日を最後に幕は下りた。



平成4年、YAMATO郡遊回廊コースの一つに設定された川の道WALKの富雄川堤。

下流の桜は満開状態に見ておきたい地がある。

大和中央道が完成と同時に、ほとんど通行しなくなった道がある。

東城(ひがしんじょ)地区に繋がる農道になった道。

受動信号機付近の桜堤が始点。

桜づつみの始点の状態も見ておきたい、と思って回り道をした。

富雄川桜づつみモデル事業地に駐車場はない。

ほんの数分、一時的に停車できそうなやや広地に停めさせてもらって撮った桜のトンネル。

暖かいこの日に散歩する人は多い

大きな犬とともに散歩していたご夫婦。



南の端からここまで歩き。

車をちょい停めしているから戻りも歩き。

ぽかぽか天気に気持ちが浮かれて自宅を出た。

遠くから来られたのですか、と尋ねたら、方角北に数キロメートル離れた丸山古墳付近に住んでいる、という。

そういや、うちにもワンコが居た。

長男が生まれる前。

家に住み着いた野良犬。

隣近所の人らは懐くことはなかった中型犬。

痩せた犬が愛おしく、一泊二日の旅から、戻ってもまだいてたら飼ってやろう、と・・・。

それから13年間もともに暮らした柴犬もどきの「チロ」。

あっちこち散歩に連れていった。

この日にお会いしたご夫婦が住まいする丸山古墳や追分梅林まで散歩に連れていった「チロ」。

車に乗るのも大好きだった「チロ」は、なぜか数キロメートル走ったところでいつも、ゲーゲー嘔吐。

遠出ができなかたから旅にも連れていけなかった生前の「チロ」を思い出した。

実は、大阪暮らしの時代である。

60年も前のころのワンコ。

同じような境遇に飼ったワンコは三匹。

クロにシロにチロ。

三匹とも当時なりわいとした犬捕りにやられた。

だから、チロは縁もゆかりもない二代目のチロ。

悲惨だった飼い犬第一号のクロは、停留所でバス待ちしていたおふくろについていった・・・・キャン、と鳴いた一撃を目撃し、懇願したが・・・・。

そんな時代もあった。

今の子たちには、言葉も出ないくらいの時代の生業があったのだ。

辺りを見渡したその場に、落下した桜の花びらが一面に広がっている。



ひらひら落ちた芝生に点々とあるし白い花びら。

満開を過ぎた時季がわかる状態に、まるまる花弁状態の桜が落ちている。

あちらこちらに見られるそれは野鳥が落としたラッパ落としの痕跡

別に不思議なものではなく、野鳥が啄んだ雌蕊。

吸い終わった桜は、付け根に蜜のある軸ごと落とした現象。

スマホ時代に入った近年は、SNS上にアップする人が、やたら多くなったように思える。

近ごろは、ウエザーニュースにも取り上げる野鳥と桜の花の関係性

そのときの季節を教えてくれる自然観察のテーマが、毎日のニュースで知る。

(R4. 4. 5 SB805SH 撮影)