この日は朔日参り。
毎月交替する当番のジソウ(寺僧)が枡に盛ったアカゴハンを供える。
但し、である。
お供えをする時間は特に決まっていない。
ジソウの都合の時間である。
お参りを済ませば供えたアカゴハンは持ち帰る。
神社で待っていてもまだなのか、それともすでに参ったあとなのか、さっぱり掴めない。
当地に着いた時間も忘れてしまうぐらいに惚けていた。
そろそろ12時にもなりそうだ。
これ以上待っていても何事も起こらないと思って諦めかけたときだ。
瀧ノ蔵神社へ向かう参道を歩く音が聞こえてきた。
どなたかが登ってこられる。
鳥居を潜ってこられた男性の顔は記憶にある。
かれこれ10年前のこと。
平成18年9月23日に行われた改名祝の名替え行事の日だった。
名替えは対象者がなくともナスビの味噌汁でもてなすことはしていた。
当時はそうだったが、今はしていない。
その味噌汁を大きな鍋から掬って椀に盛っていた人だった。
ご本人は覚えておられないが、私ははっきりと覚えている。
当時は下の六人衆だった。
今はその組織もなくなったが、上の六人衆のうち一老が引退された。
そうなれば二老が一老に繰り上がる。
三老は二老・・・六老は五老に、である。
空白になった六老には下から繰り上がる。
繰り上がるといっても年齢順でもない。
村入りされた男性は高齢者。
受け入れられて繰り上がったそうで、今年の1月にデビューしたと云う。
そんな状況になったが、朔日参りの御供飯はといえば、ここにある。
風呂敷に包んで持ってきた枡盛り。
詰めていたのはアカゴハンである。
賽銭箱の上に乗せてお供えをする。
神さんに食べてもらうおうと蓋を開ける。
しばらくはそのままである。
話は六人衆に戻されて六老の話し。
瀧倉では6月14日、15日、16日の三日間。
毎日の連続で行われている行事がある。
14日はアマ(雨)ヨロコビ。
15日は毛掛ヨロコビ。
16日は〆の虫祈祷である。
いずれも太鼓を打たれる。
その太鼓打ちを役するのが六老。
六老を務める期間はどれぐらいにあるのか。
任期に制限はない。
六老であり続ける期間はずっと太鼓打ちが役目。
1月にデビューした六老は初めての所作になったそうだ。
瀧倉のトーヤ(頭屋)は二人。
本ドーヤのアニキ(兄頭屋)とオトウトトーヤ(弟頭屋)が務める。
サバの一本やオモチの準備をしたり、炊きもんの役目をする。
10月1日はお神酒を供えて新しい注連縄を架ける。
その日の行事名は「お酒の口開け」。
瀧倉の年中行事の始まりの日である。
マツリは10月12日、13日。
そういえば近隣村の萱森や北白木、中白木のマツリは拝見したが、瀧倉は未見。
他の行事はなんども伺っていたが、失念していた。
そんなことを話してくださったこの日の御供飯当番は四老さん。
そうこうしている時間がきた。
神さんに食べてもらったアカゴハン御供を下げて戻っていった。
(H28. 8. 1 EOS40D撮影)
毎月交替する当番のジソウ(寺僧)が枡に盛ったアカゴハンを供える。
但し、である。
お供えをする時間は特に決まっていない。
ジソウの都合の時間である。
お参りを済ませば供えたアカゴハンは持ち帰る。
神社で待っていてもまだなのか、それともすでに参ったあとなのか、さっぱり掴めない。
当地に着いた時間も忘れてしまうぐらいに惚けていた。
そろそろ12時にもなりそうだ。
これ以上待っていても何事も起こらないと思って諦めかけたときだ。
瀧ノ蔵神社へ向かう参道を歩く音が聞こえてきた。
どなたかが登ってこられる。
鳥居を潜ってこられた男性の顔は記憶にある。
かれこれ10年前のこと。
平成18年9月23日に行われた改名祝の名替え行事の日だった。
名替えは対象者がなくともナスビの味噌汁でもてなすことはしていた。
当時はそうだったが、今はしていない。
その味噌汁を大きな鍋から掬って椀に盛っていた人だった。
ご本人は覚えておられないが、私ははっきりと覚えている。
当時は下の六人衆だった。
今はその組織もなくなったが、上の六人衆のうち一老が引退された。
そうなれば二老が一老に繰り上がる。
三老は二老・・・六老は五老に、である。
空白になった六老には下から繰り上がる。
繰り上がるといっても年齢順でもない。
村入りされた男性は高齢者。
受け入れられて繰り上がったそうで、今年の1月にデビューしたと云う。
そんな状況になったが、朔日参りの御供飯はといえば、ここにある。
風呂敷に包んで持ってきた枡盛り。
詰めていたのはアカゴハンである。
賽銭箱の上に乗せてお供えをする。
神さんに食べてもらうおうと蓋を開ける。
しばらくはそのままである。
話は六人衆に戻されて六老の話し。
瀧倉では6月14日、15日、16日の三日間。
毎日の連続で行われている行事がある。
14日はアマ(雨)ヨロコビ。
15日は毛掛ヨロコビ。
16日は〆の虫祈祷である。
いずれも太鼓を打たれる。
その太鼓打ちを役するのが六老。
六老を務める期間はどれぐらいにあるのか。
任期に制限はない。
六老であり続ける期間はずっと太鼓打ちが役目。
1月にデビューした六老は初めての所作になったそうだ。
瀧倉のトーヤ(頭屋)は二人。
本ドーヤのアニキ(兄頭屋)とオトウトトーヤ(弟頭屋)が務める。
サバの一本やオモチの準備をしたり、炊きもんの役目をする。
10月1日はお神酒を供えて新しい注連縄を架ける。
その日の行事名は「お酒の口開け」。
瀧倉の年中行事の始まりの日である。
マツリは10月12日、13日。
そういえば近隣村の萱森や北白木、中白木のマツリは拝見したが、瀧倉は未見。
他の行事はなんども伺っていたが、失念していた。
そんなことを話してくださったこの日の御供飯当番は四老さん。
そうこうしている時間がきた。
神さんに食べてもらったアカゴハン御供を下げて戻っていった。
(H28. 8. 1 EOS40D撮影)