かつてはその日にボタモチ食べていたと聞いていた森神さんに参る「おせんどう」。
「おせんどう」とは一体、何である、だ。
数々の県内行事や風習を拝見してきたが同じ名称の行事はどこにもなかった。
特有の表現なのかどうかもわからないが、森神さんに拝礼し神社に戻る。
これを繰り返すこと3回。
森神さんから戻る際には一人の社守さんの背中に葉付きの樫の枝木を掛ける。
それそのもの行為も県内事例に見当たらない特殊な作法である。
昔から繰り返す・・とはいってもいつ始まったのかわかっていないが、一種のお百度参りの形式のようにも思える。
お百度参りは民間信仰のひとつ。
ひゃっぺん廻れば願いが叶うと信じられた行為である。
一度だけの参拝でなく、何度も何度も参拝をすれば心願が成就するということであるが、京都で盛んな千度参る(お千度詣で、或はお千度参り)というような習俗でもなさそうな「おせんどう」。
その名の作法は奈良市都祁小山戸の山口神社で行われている。
かつては7月1日であったが、いつしか第一日曜日に移された。
その日に行われる行事名は「夏神楽」。
大字友田水分神社の宮司が作法する神楽舞である。
一般的には巫女さんが舞う神楽舞であるが、そうではない。
鈴を鳴らすことには違いないが、男性神職による神楽舞である。
ここ旧都祁村界隈では大字友田水分神社の宮司が作法する神楽舞が各地域にある。
私が知る範囲内であるが、友田を筆頭に南之庄、藺生、針、甲岡がある。
いずれも友田の宮司が舞う神楽がある夏祭りである。
旧都祁村以外にも同一名称の夏神楽がある。
宇陀市室生小原の八幡神社や山添村大塩の旧観音寺であるが神楽を舞うことはないと聞いている。
さて、小山戸山口神社の夏神楽である。
まずは、村の楽人4人が拝殿の席につく。
そうして始まった楽奏。
誰一人いない境内に雅の楽が鳴り響く。
宮司以下、宮守、自治会長らは手水で清めて参進する。
神事は祓えの儀、献饌、祝詞奏上・・・。
次に行われるのが神楽舞である。
宮守が太鼓を打つ。
トン、カッカと間を空けて、トン、トン、トン打つ太鼓に合わせて鈴を鳴らしながら左や右に回転しながら所作をする。
いわゆる夏を乗り切る祓いのように思える夏神楽である。
それを終えたら宮司を残して宮守さんとか自治会長らは境内に下りる。
宮守さんは奉った葉付きの樫の枝木を手にして下りてきた。
宮守は3人。
先頭を行く二人の宮守は笏をもつ。
もう一人の宮守が樫の枝木をもつ。
後続についたのはオーコで担ぐ太鼓打ちであるが、平成19年に拝見したときの太鼓打ちは二人の宮守だった。
いつなのかわからないが役目が替わったのであろう。
礼服姿の氏子たちの足元をみていただきたい。
靴ではなく白い鼻緒の草鞋である。
これは神事のなかの一つの作法なのである。
「おせんどう、おせんどう」と声を揚げながら出発した。
太鼓はドン、ドンと二打ち。
間を空けて二打ち。
そうしながら神社を出て参道にでる。
向かう先は鳥居である。
その鳥居下には森神さんに奉る神饌が供えられていた。
平成19年に拝見したときの「おせんどう」参りでは「おせんどう、おせんどう」の詞章は発声されることなく黙々と参拝していた。
これもまた、いつのときかわからないが変化したと思われるし、逆にこの年が正統であるかもしれないし・・・。
再訪した際に尋ねておきたい事項である。
森神さんに拝礼して参道を戻る道中である。
そのときに樫の枝が動く。
宮守がもっていた樫の枝は後方についた自治会長他、役員に手渡していた。
それを戻っていく宮守の首辺りに引っかけるのである。
何人もするするから背中は葉っぱだらけになる。
引っかける架かりが悪ければすべてが落ちてしまう。
戻る道中。静止せずにそれをしなければならない行為はきちんと首にひっかけねばならないのである。
戻ってきたら本殿に向かって一同は頭を下げて拝礼する。
そうすれば再び森神さんに向けてお渡りをする。
森神さんに参る。
樫の葉をかける。
本殿に向かって拝礼する。
これを3回繰り返して終わった「おせんどう」。
肩から引っかけた樫の葉は背中一面を覆った。
その姿から想定できる背中の日除け。
つまり夏の田んぼの農作業における日焼けを表現しているのである。
確証を示す古文書はないが、そう思うのである。
ちなみに「おせんどう」の「おせんど」とは、・・・・である。
私は生まれも育ちも大阪。
親がよく言った言葉に「せんど」がある。
「せんど言うたのに・・」とか「せんど行ったわ」とか・・で使う言葉。
「せんど」とは多いという意である。
先の「せんど言うたのに・・」は「なんぼも言うたのに・・」であり、「せんど行ったわ」は「なんども行ったわ」である。
「なんぼ」や「なんど」でわかるように一般的用法では「何度も」である。
つまりは「多い」ということであるが、小山戸の「おせんどう」はそれが確証できるかどうかはもっと多くの事例を探さなくてはならない。
不思議とも思える「おせんどう」の所作を終えたら、場を神事に戻して、撤饌、拝礼で終わる。
(H28. 7. 3 EOS40D撮影)
「おせんどう」とは一体、何である、だ。
数々の県内行事や風習を拝見してきたが同じ名称の行事はどこにもなかった。
特有の表現なのかどうかもわからないが、森神さんに拝礼し神社に戻る。
これを繰り返すこと3回。
森神さんから戻る際には一人の社守さんの背中に葉付きの樫の枝木を掛ける。
それそのもの行為も県内事例に見当たらない特殊な作法である。
昔から繰り返す・・とはいってもいつ始まったのかわかっていないが、一種のお百度参りの形式のようにも思える。
お百度参りは民間信仰のひとつ。
ひゃっぺん廻れば願いが叶うと信じられた行為である。
一度だけの参拝でなく、何度も何度も参拝をすれば心願が成就するということであるが、京都で盛んな千度参る(お千度詣で、或はお千度参り)というような習俗でもなさそうな「おせんどう」。
その名の作法は奈良市都祁小山戸の山口神社で行われている。
かつては7月1日であったが、いつしか第一日曜日に移された。
その日に行われる行事名は「夏神楽」。
大字友田水分神社の宮司が作法する神楽舞である。
一般的には巫女さんが舞う神楽舞であるが、そうではない。
鈴を鳴らすことには違いないが、男性神職による神楽舞である。
ここ旧都祁村界隈では大字友田水分神社の宮司が作法する神楽舞が各地域にある。
私が知る範囲内であるが、友田を筆頭に南之庄、藺生、針、甲岡がある。
いずれも友田の宮司が舞う神楽がある夏祭りである。
旧都祁村以外にも同一名称の夏神楽がある。
宇陀市室生小原の八幡神社や山添村大塩の旧観音寺であるが神楽を舞うことはないと聞いている。
さて、小山戸山口神社の夏神楽である。
まずは、村の楽人4人が拝殿の席につく。
そうして始まった楽奏。
誰一人いない境内に雅の楽が鳴り響く。
宮司以下、宮守、自治会長らは手水で清めて参進する。
神事は祓えの儀、献饌、祝詞奏上・・・。
次に行われるのが神楽舞である。
宮守が太鼓を打つ。
トン、カッカと間を空けて、トン、トン、トン打つ太鼓に合わせて鈴を鳴らしながら左や右に回転しながら所作をする。
いわゆる夏を乗り切る祓いのように思える夏神楽である。
それを終えたら宮司を残して宮守さんとか自治会長らは境内に下りる。
宮守さんは奉った葉付きの樫の枝木を手にして下りてきた。
宮守は3人。
先頭を行く二人の宮守は笏をもつ。
もう一人の宮守が樫の枝木をもつ。
後続についたのはオーコで担ぐ太鼓打ちであるが、平成19年に拝見したときの太鼓打ちは二人の宮守だった。
いつなのかわからないが役目が替わったのであろう。
礼服姿の氏子たちの足元をみていただきたい。
靴ではなく白い鼻緒の草鞋である。
これは神事のなかの一つの作法なのである。
「おせんどう、おせんどう」と声を揚げながら出発した。
太鼓はドン、ドンと二打ち。
間を空けて二打ち。
そうしながら神社を出て参道にでる。
向かう先は鳥居である。
その鳥居下には森神さんに奉る神饌が供えられていた。
平成19年に拝見したときの「おせんどう」参りでは「おせんどう、おせんどう」の詞章は発声されることなく黙々と参拝していた。
これもまた、いつのときかわからないが変化したと思われるし、逆にこの年が正統であるかもしれないし・・・。
再訪した際に尋ねておきたい事項である。
森神さんに拝礼して参道を戻る道中である。
そのときに樫の枝が動く。
宮守がもっていた樫の枝は後方についた自治会長他、役員に手渡していた。
それを戻っていく宮守の首辺りに引っかけるのである。
何人もするするから背中は葉っぱだらけになる。
引っかける架かりが悪ければすべてが落ちてしまう。
戻る道中。静止せずにそれをしなければならない行為はきちんと首にひっかけねばならないのである。
戻ってきたら本殿に向かって一同は頭を下げて拝礼する。
そうすれば再び森神さんに向けてお渡りをする。
森神さんに参る。
樫の葉をかける。
本殿に向かって拝礼する。
これを3回繰り返して終わった「おせんどう」。
肩から引っかけた樫の葉は背中一面を覆った。
その姿から想定できる背中の日除け。
つまり夏の田んぼの農作業における日焼けを表現しているのである。
確証を示す古文書はないが、そう思うのである。
ちなみに「おせんどう」の「おせんど」とは、・・・・である。
私は生まれも育ちも大阪。
親がよく言った言葉に「せんど」がある。
「せんど言うたのに・・」とか「せんど行ったわ」とか・・で使う言葉。
「せんど」とは多いという意である。
先の「せんど言うたのに・・」は「なんぼも言うたのに・・」であり、「せんど行ったわ」は「なんども行ったわ」である。
「なんぼ」や「なんど」でわかるように一般的用法では「何度も」である。
つまりは「多い」ということであるが、小山戸の「おせんどう」はそれが確証できるかどうかはもっと多くの事例を探さなくてはならない。
不思議とも思える「おせんどう」の所作を終えたら、場を神事に戻して、撤饌、拝礼で終わる。
(H28. 7. 3 EOS40D撮影)