やや腰痛ぎみだった身体を気分転換に出かけた行先は、奈良市都祁白石町。
食べたくなった塩っ辛い刺しさば買い。
思い立っての行動であるが、本日は盆の真っ盛りの15日。
夕刻では間に合わない売り切れを想定したが、気になれば、なるほどに気持ちを抑えられなくて・・。
行先は、以前も買ったことがある同町にある「ショッピングセンターたけよしのコマーシャルソング。
運よく、見つかった「たけよし」の刺しさばを手に入れてほっ。
時間帯は、日暮れ前の午後5時45分。
余裕ができたから、ちょっと足を伸ばした宇陀市室生の無山。
同地を目指したのは、先祖送りが見られるかも、と思って車を走らせた。
先祖さんを送る場は、マエノ川と称していた笠間川に架かる橋の袂。
時間帯が合えばいいのだが・・。
都祁白石町から直に室生多田に出る村の道を走る。
通り抜けたところに三叉路がある。
そこを右折れしたら無山に着く。
橋を目指していた、そのときだ。
右手に火の手が見えた。
その火は松明火。
急いで戻ったUターン。
広地に停めて小走りしたいが、坂道では無理がある。
見えた民家はすぐそこだ。
火はまだ点いており、煙も僅かだが立ち上っている。
藁松明は2本だ。
急坂を登る道は九頭神社に向かう参道。
階段を踏むすぐ近くの民家に人影が動いた。
送り松明をされていた男性に、お声をかけて急な取材をお願いした。
それなら、もう一度、藁松明に火を点けてあげよう、と云ってくれたMさん。
再現をするにあたり、新たに藁束二束を持ってきた。
まずは一束。
半分くらいに折ってみる。
半々に折った束の長さをざっとみて、曲げる位置を調整するのは、カドニワに仕立てた2本の青竹。
シシダケの名がある青竹の先は削って尖がらしておくと、藁を刺すので、動かず、座りがいい。
このままの状態では、藁束がほぐれて落下してしまう。
そのために藁紐でしっかり括って固定する。
もう一束も同じように固定し、カドニワの出入り口の両端に立てた。
2本とも調えたら火点け。
取り出したライターで着火する。
乾いた藁は、直ちに燃えあがる。
例年、午後6時に送り火をしている、という。
13日は、迎え火。
送りの15日と、同様の時間帯にしている。
昨日は、ソーメンをおましていた、というから14日のことだろう。
15日の朝6時。
迎えた先祖さんに供えて盆棚から、御供をもって前ノ川と称する笠間川に向かう。
田園が広がる向こう遠くに見える橋が、笠間橋。
その橋から、御供を川に投げこんで、川流し。
Mさんの話によれば、南の地区は、そこより近い別の橋から投げるそうだ。
橋に線香を灯して、水に溶けやすい御供を流す、と聞いて場を移動した。
M家のカドニワから遠望した笠間橋。
近くに見えた橋が、私の足では遠くになる。
胸のうちが騒ぐ線香の位置。
近寄ってわかった、欄干の下。
そこに並べていた。
線香の色は、それぞれ・・。
燃え尽き具合もあるから長さもさまざまだし、本数もさまざま・・・。
山の神の御供なら男の人数分とかあるが、これはそうではないだろう。
これまで取材してきた地域の人たち。
話してくださったのは、たいがいが、適当な本数、だと答えていた。
線香に見惚れて撮っていたときだ。
はっと気づいた橋の下。
目線を落とした川中に花束がある。
先祖さんを迎え、見送った仏さんの花だ。
視線をあげた川中には、経木もあった。
撮っていたときである。
ワンちゃんを散歩している女性と出会った。
仕事場は、すぐ近く。
以前も撮らせてもらったカドニワに立てた先祖さんへの松明。
今年は、来訪されたお客さんの関係で午後5時に送った、という。
また、ご近所のお家にも松明痕がある。
迎える、送る時間帯は、家ごとの事情に合わせて火を点けているようだ。
この橋の袂で線香を、のことを教えてもらったのは、平成23年の虫送りの夜だった。
7年経ってようやく無山の様相を拝見できた。
当時、聞いていた話によれば、藁松明で送る時間帯は夜間だった。
日が暮れ、暗くなる時間帯になってから送られるのだろう。
先祖さんは、早く迎えて、遅くに戻ってもらう。
今から思えば、そういう家だったのだろう。
翌年の令和元年の8月5日。
取材のお礼に撮らせてもらった写真をさしあげるために再訪した。
ご主人は不在であったが、母親にお会いできた。
母親は昭和2年生まれの92歳。
実は、と、話をきりだしたお嫁さんのこと。
悲しいかな、40歳半ばで亡くなられたそうだ。
当時、子どもらは大きかったらから、再婚に踏み切れなかった。
昨日は日曜日。お盆の時期には、実家に戻れないからと、11人の孫家族が集まってくれた、という。
カドニワに盛り上がった孫たちのバーベキュー料理。
来週は、「お盆を迎えるが、お父さんの姿を撮ってもらった写真は期日が合わないから見られへん。昨日に持ってきてくれたら、みな喜んでくれたやろ」。
「また、会える日おあるし、そのときの愉しみにしておくから」、と・・。
ここ、「M家のカドニワから見た田園風景が清々しく、とても気持ちがいいと、いつも孫が云ってくれるのが嬉しい」、と云ってくれた、その気持ちも嬉しくて、逆にお礼を伝えて帰路についた。
(H30. 8.15 EOS7D撮影)
食べたくなった塩っ辛い刺しさば買い。
思い立っての行動であるが、本日は盆の真っ盛りの15日。
夕刻では間に合わない売り切れを想定したが、気になれば、なるほどに気持ちを抑えられなくて・・。
行先は、以前も買ったことがある同町にある「ショッピングセンターたけよしのコマーシャルソング。
運よく、見つかった「たけよし」の刺しさばを手に入れてほっ。
時間帯は、日暮れ前の午後5時45分。
余裕ができたから、ちょっと足を伸ばした宇陀市室生の無山。
同地を目指したのは、先祖送りが見られるかも、と思って車を走らせた。
先祖さんを送る場は、マエノ川と称していた笠間川に架かる橋の袂。
時間帯が合えばいいのだが・・。
都祁白石町から直に室生多田に出る村の道を走る。
通り抜けたところに三叉路がある。
そこを右折れしたら無山に着く。
橋を目指していた、そのときだ。
右手に火の手が見えた。
その火は松明火。
急いで戻ったUターン。
広地に停めて小走りしたいが、坂道では無理がある。
見えた民家はすぐそこだ。
火はまだ点いており、煙も僅かだが立ち上っている。
藁松明は2本だ。
急坂を登る道は九頭神社に向かう参道。
階段を踏むすぐ近くの民家に人影が動いた。
送り松明をされていた男性に、お声をかけて急な取材をお願いした。
それなら、もう一度、藁松明に火を点けてあげよう、と云ってくれたMさん。
再現をするにあたり、新たに藁束二束を持ってきた。
まずは一束。
半分くらいに折ってみる。
半々に折った束の長さをざっとみて、曲げる位置を調整するのは、カドニワに仕立てた2本の青竹。
シシダケの名がある青竹の先は削って尖がらしておくと、藁を刺すので、動かず、座りがいい。
このままの状態では、藁束がほぐれて落下してしまう。
そのために藁紐でしっかり括って固定する。
もう一束も同じように固定し、カドニワの出入り口の両端に立てた。
2本とも調えたら火点け。
取り出したライターで着火する。
乾いた藁は、直ちに燃えあがる。
例年、午後6時に送り火をしている、という。
13日は、迎え火。
送りの15日と、同様の時間帯にしている。
昨日は、ソーメンをおましていた、というから14日のことだろう。
15日の朝6時。
迎えた先祖さんに供えて盆棚から、御供をもって前ノ川と称する笠間川に向かう。
田園が広がる向こう遠くに見える橋が、笠間橋。
その橋から、御供を川に投げこんで、川流し。
Mさんの話によれば、南の地区は、そこより近い別の橋から投げるそうだ。
橋に線香を灯して、水に溶けやすい御供を流す、と聞いて場を移動した。
M家のカドニワから遠望した笠間橋。
近くに見えた橋が、私の足では遠くになる。
胸のうちが騒ぐ線香の位置。
近寄ってわかった、欄干の下。
そこに並べていた。
線香の色は、それぞれ・・。
燃え尽き具合もあるから長さもさまざまだし、本数もさまざま・・・。
山の神の御供なら男の人数分とかあるが、これはそうではないだろう。
これまで取材してきた地域の人たち。
話してくださったのは、たいがいが、適当な本数、だと答えていた。
線香に見惚れて撮っていたときだ。
はっと気づいた橋の下。
目線を落とした川中に花束がある。
先祖さんを迎え、見送った仏さんの花だ。
視線をあげた川中には、経木もあった。
撮っていたときである。
ワンちゃんを散歩している女性と出会った。
仕事場は、すぐ近く。
以前も撮らせてもらったカドニワに立てた先祖さんへの松明。
今年は、来訪されたお客さんの関係で午後5時に送った、という。
また、ご近所のお家にも松明痕がある。
迎える、送る時間帯は、家ごとの事情に合わせて火を点けているようだ。
この橋の袂で線香を、のことを教えてもらったのは、平成23年の虫送りの夜だった。
7年経ってようやく無山の様相を拝見できた。
当時、聞いていた話によれば、藁松明で送る時間帯は夜間だった。
日が暮れ、暗くなる時間帯になってから送られるのだろう。
先祖さんは、早く迎えて、遅くに戻ってもらう。
今から思えば、そういう家だったのだろう。
翌年の令和元年の8月5日。
取材のお礼に撮らせてもらった写真をさしあげるために再訪した。
ご主人は不在であったが、母親にお会いできた。
母親は昭和2年生まれの92歳。
実は、と、話をきりだしたお嫁さんのこと。
悲しいかな、40歳半ばで亡くなられたそうだ。
当時、子どもらは大きかったらから、再婚に踏み切れなかった。
昨日は日曜日。お盆の時期には、実家に戻れないからと、11人の孫家族が集まってくれた、という。
カドニワに盛り上がった孫たちのバーベキュー料理。
来週は、「お盆を迎えるが、お父さんの姿を撮ってもらった写真は期日が合わないから見られへん。昨日に持ってきてくれたら、みな喜んでくれたやろ」。
「また、会える日おあるし、そのときの愉しみにしておくから」、と・・。
ここ、「M家のカドニワから見た田園風景が清々しく、とても気持ちがいいと、いつも孫が云ってくれるのが嬉しい」、と云ってくれた、その気持ちも嬉しくて、逆にお礼を伝えて帰路についた。
(H30. 8.15 EOS7D撮影)