宇陀市室生・無山の送り盆の様相を見届けて、帰路に向かう。
北に向かってすぐ近く。
隣村になる多田から左に折れて、都祁白石町に出るコースを走っていた。
無山、多田を経て笠間川に沿って下っていく。
染田、小倉、下笠間、上笠間は旧室生村圏内。
さらに下った下流域が山添村領域の毛原、岩屋・・・から三重県の名張川に合流。
つまりは名張川の支流であるが、名張川はさらに下って京都に。
大河は木津川となり、やがて大阪の淀川となって大阪湾に繫がる。
笠間川の上流は、旧都祁村の吐山。
源流は、かつて雨ごいに登っていた貝ケ平山に香酔岳山麓地。
隠れ里のような段丘田園地景観が美しい。
6月の夏至のころ。田の虫送りに松明を翳して下流域に稲を喰い荒らす害虫を送っていく。
毛原の先は、岩屋になるが、虫送りをしていた話は聞かない。
地区ごとに鎮座する神社の行事に、寺行事なども取材してきたが、多田の地区だけは、未だに拝見していない。
多田に入ってすぐ、目につく神社もまた、無山と同じ名の九頭神社。
神社行事がどうであるのか、聞き取りができていないから、足を運ぶことはない。
また、風景写真家さんたちがよく知る真っ赤な花を咲かせるさるすべりがある日蓮宗万寿寺も、行ったことのない多田。
いつかは、訪れたいと思い続けているが、毎回が通り抜け。
ふと、車窓から眺めたその景観に、思わず車を停めた。
無山からは県道127号線の北野吐山線。
多田からは県道781号線の都祁名張線が交わる地点近くだ。
停車してすぐ近くまで寄ったそれは、まさに今、火を点けようとしていた藁松明である。
民家は奥。その家に出入りする道。
端っこだと思うそこに立てていた2本の松明。
両脇にそれぞれに、である。
その場に人の動きをみた。
お声をかけた婦人は、民家の当主。
旦那さんを亡くしてからは一人住まい。
急なお願いの撮影に承諾してくださった。
これから藁に火を点けますから、といって、近くに置いてあった新聞紙を手にした。
ちょっと柔らかめに丸めた新聞紙に火を点けた。
細めの竹は、近くに生えている篠竹であろうか。
葉はナタで伐り落とし。
その伐り口は、綺麗にしていた。
ざっくり折った藁束。
端の部分の数本を捻って縛る。
落ちないように固定していた藁松明に火を点けた。
上昇する火の状態をみて、もう一方の松明に火を点ける。
やがて煙が立ち上って空に向かう。
今日は、15日。
亡くなられた旦那さんも先祖さんも煙に乗って戻ってゆく。
藁に湿り気があったのか、火の具合が衰える。
もっていた新聞紙の火を再度移す。
何度か繰り返した火点け。
燃え尽きるまで時間のかかった送り火である。
14日は迎え火だった。
今日のような火点け具合でなく、藁が乾いていたからよう燃えた、という。
お盆に戻ってきた子どもたち。
息子さんとともに神戸から戻ってきた。
外孫らがはしゃぐお盆の日は、とても賑やかだった。
その息子、孫たちも、今日の午後にみな帰ったそうだ。
帰ったあとの家は、賑やかな音がすっかり消えた。
この送り松明もしたら・・、小声でもらした「さみしい」。
今でも私の脳裏に焼きついている詞。
「お盆に戻ってくるまではワクワクしていたが、今日はほんまに寂しいことや・・」と、心境を語ってくれた婦人はMさん。
お若いと思っていたが、82歳。
その寂しさは、後日に訪れたお礼に写真を差し上げたときも・・。
「背中が曲がってますやろ。朝はシャンとしてるんやけど、夕方になったら疲れて・・・」
道路向かいが母屋の本家。
うちは分家のM家。
天理の福住下入田から、親戚筋にあたるM家に嫁入りしてからもう何年になるやろか・・・。
(H30. 8.15 EOS7D撮影)
北に向かってすぐ近く。
隣村になる多田から左に折れて、都祁白石町に出るコースを走っていた。
無山、多田を経て笠間川に沿って下っていく。
染田、小倉、下笠間、上笠間は旧室生村圏内。
さらに下った下流域が山添村領域の毛原、岩屋・・・から三重県の名張川に合流。
つまりは名張川の支流であるが、名張川はさらに下って京都に。
大河は木津川となり、やがて大阪の淀川となって大阪湾に繫がる。
笠間川の上流は、旧都祁村の吐山。
源流は、かつて雨ごいに登っていた貝ケ平山に香酔岳山麓地。
隠れ里のような段丘田園地景観が美しい。
6月の夏至のころ。田の虫送りに松明を翳して下流域に稲を喰い荒らす害虫を送っていく。
毛原の先は、岩屋になるが、虫送りをしていた話は聞かない。
地区ごとに鎮座する神社の行事に、寺行事なども取材してきたが、多田の地区だけは、未だに拝見していない。
多田に入ってすぐ、目につく神社もまた、無山と同じ名の九頭神社。
神社行事がどうであるのか、聞き取りができていないから、足を運ぶことはない。
また、風景写真家さんたちがよく知る真っ赤な花を咲かせるさるすべりがある日蓮宗万寿寺も、行ったことのない多田。
いつかは、訪れたいと思い続けているが、毎回が通り抜け。
ふと、車窓から眺めたその景観に、思わず車を停めた。
無山からは県道127号線の北野吐山線。
多田からは県道781号線の都祁名張線が交わる地点近くだ。
停車してすぐ近くまで寄ったそれは、まさに今、火を点けようとしていた藁松明である。
民家は奥。その家に出入りする道。
端っこだと思うそこに立てていた2本の松明。
両脇にそれぞれに、である。
その場に人の動きをみた。
お声をかけた婦人は、民家の当主。
旦那さんを亡くしてからは一人住まい。
急なお願いの撮影に承諾してくださった。
これから藁に火を点けますから、といって、近くに置いてあった新聞紙を手にした。
ちょっと柔らかめに丸めた新聞紙に火を点けた。
細めの竹は、近くに生えている篠竹であろうか。
葉はナタで伐り落とし。
その伐り口は、綺麗にしていた。
ざっくり折った藁束。
端の部分の数本を捻って縛る。
落ちないように固定していた藁松明に火を点けた。
上昇する火の状態をみて、もう一方の松明に火を点ける。
やがて煙が立ち上って空に向かう。
今日は、15日。
亡くなられた旦那さんも先祖さんも煙に乗って戻ってゆく。
藁に湿り気があったのか、火の具合が衰える。
もっていた新聞紙の火を再度移す。
何度か繰り返した火点け。
燃え尽きるまで時間のかかった送り火である。
14日は迎え火だった。
今日のような火点け具合でなく、藁が乾いていたからよう燃えた、という。
お盆に戻ってきた子どもたち。
息子さんとともに神戸から戻ってきた。
外孫らがはしゃぐお盆の日は、とても賑やかだった。
その息子、孫たちも、今日の午後にみな帰ったそうだ。
帰ったあとの家は、賑やかな音がすっかり消えた。
この送り松明もしたら・・、小声でもらした「さみしい」。
今でも私の脳裏に焼きついている詞。
「お盆に戻ってくるまではワクワクしていたが、今日はほんまに寂しいことや・・」と、心境を語ってくれた婦人はMさん。
お若いと思っていたが、82歳。
その寂しさは、後日に訪れたお礼に写真を差し上げたときも・・。
「背中が曲がってますやろ。朝はシャンとしてるんやけど、夕方になったら疲れて・・・」
道路向かいが母屋の本家。
うちは分家のM家。
天理の福住下入田から、親戚筋にあたるM家に嫁入りしてからもう何年になるやろか・・・。
(H30. 8.15 EOS7D撮影)