天気予報がどんぴしゃの大当たり。
この日は関西文化の日。
関西一円の博物館など文化的施設はどことも無料で拝観できる。
奈良県民俗博物館では今年4回目になる「なら民博ふるさとフェスタ」が開催された。
だが、この日は昨夜から降り続ける雨はやまずに、午前中いっぱいは降り続けた。
博物館内では常設展示に企画展、写真展がある。
館内においても手造り体験コーナーもあったが、客待ち状態。
外のイベントは残酷なくらいに客数が少ない。
昨年は駐車場も満杯で臨時駐車場も設けて応対したぐらいだった。
昨年は快晴。
日中の照りに汗もでるくらいだった。
そんな状況であってもお客さんがやってくる。
昨年と比較するのは申しわけないが、ざっと見渡して客数は昨年の1/10以下かもしれない。
昨年なんかは写真展でさえごったがえしになるぐらいの盛況ぶり。
今年もそうあって欲しいと願って担当する解説日は展示室で待機する。
雨は止んだが、外は曇天。
展示室も暗いであろうと思ったが、今年はかねてより懸案事項だったスポットライト装備ができあがった。
写真展を担当している学芸員のご尽力の賜物で、ようやく実現することになった。
効果は見事に発揮されて写真家たちの作品がよくわかるようになった。
駐車場も、外イベントもガラスキ。
冷たい雨にもめげずにお客さん対応されてきたが、身体を温めるには芯から。
温かいトン汁でもあったら飛ぶように売れたことだと思う。
外イベントで楽しんでもらった来館者は博物館内にも来ていただくのが狙い。
私が知る範囲内でも数組の親子連れがそうされていた。
うち1組は幼子も入れて子供さんが4人の家族連れ。
森川光章さんが出展していた「手水場」に浮かんだスイカに目がいく。
一緒に浮かべているのは黄色いマッカ。
ご両親に尋ねてみればマッカウリ。
よくご存じであるが、私ら子供のころはスイカよりも黄色いマッカ(キィマッカと呼んでいた)が主力だった。
もう一人の子どもは漢字が読めるらしく、覚えている漢字でタイトルを読みあげてくれた。
嬉しいことであるが、写真には興味がなかったようだ。
そういえば、一部の文字には子どもさんでも読めるようにふりがなをふってくれていた。
さて、“読み”は合っているのだろうか。
午後1時ころともなれば冷たさも一段落。
来館客もすこしは増えたようだが・・。
男性2人組が2組も見てくれはるが、視線の動きは早い。
どれか気になったものはありますか、とお声をかけたら、森川壽美三さんの「番水(ばんみず)の時計」。
田んぼにとって必要な山の水を地域の村に供給、その水は時間を分けて地域に流す、時間割で決まる水量、昔は分配する時間割などで水争いがあったと話した。
ずいぶん前に亡くなられた会社上司の出身生活地が御所市の櫛羅(くじら)だった。
先祖の時代に隣村などに水争いがあったという歴史的な事件は血なまぐさかった。
上司が話してくれたことは今でも印象的に覚えている「番水」である。
「水」は農家にとっても、以外の人たちにとっても生活するうえで絶対的に必要とするもの。
「水」がなければ生きていけなかった当時に現実があったが、今ではそんなことすら気にならない時代。
捻るとジャーではないが、蛇口を廻せば簡単に水を得ることができる利便な時代に昔の人がタイムマシンに乗って現在にやってきたら驚くだろうな。
そんな水道水蛇口に直接口を当てて飲んでいた中学生時代。
これを鉄管ビールと称していたのは、住んでいた住之江地区だけだったのか・・。
夫婦が1組に親子連れが2組。
そのころにわざわざ見にきてくれはった風景写真家の吉崎喜寿さんに図録を、受領しにきた写真家の森川光章さんも一緒になって、一挙に賑やかさ。
その間に訪れた若夫婦にお声をかけたら、田植え直後の水田が美しいと。
天から降った水は水田を潤す。
この時期は梅雨入りもあるからほどほどの雨量が田んぼを潤す恵みの水も、天地がひっくり返るような大雨になれば水害を起こすタネにもなる。
今年の10月は長雨に台風が運んできた雷雲によって奈良盆地は大雨に田んぼが水に浸かった。
昭和57年の大雨に大和川が溢れて王寺駅が水ツキを思い出される吉崎喜寿さん。
私が思いだすのが当時住んでいた大和川が流れる大阪市内の住之江。
幼少期の台風は水かさを増して堤防スレスレになったことは鮮明に覚えている。
上流は奈良県。
王寺を流れる大和側はそれぞれの支流から集まって大河となる。
未だに地滑り対策をしている亀の瀬を通ってからは大阪南河内郡を流れてきた石川と合流する。
集まった水量はどっと流れて大阪湾に。
大河を流れる合流にビビったことがある幼少期。
たぶんに昭和36年の第二室戸台風だったと思う。
地域の大人はその状況を見てこのままでは堤を越えて氾濫する。
そうであれば通天閣がある天王寺さえも水浸しになってしまう。
大昔はそんなことになったこともあると必死の形相で子どもたちに伝えていた。
それがあってかどうかわからないが、堤防は嵩上げ工事が施行された。
嵩上げは何メートルになったのか計測していないが、昔の面影は、写真でしか思い出せない。
昭和28年ころの白黒写真に写っている右の女性はおふくろだ。
赤ちゃんは実弟の次男。
隣の男の子は近所の子ども。
大和川堤防が昔のまんまの姿。
コンクリート護岸もしていない時代の河川敷は草がぼうぼう。
私が子どものころはこの河川敷で遊びほたえていた。
長めの草と草を縛って罠を仕掛けたこともある。
また、大きな穴を掘って落とし穴作り。
河川敷は砂地だったので穴は掘れば掘るほど砂が崩れる。
途中で危険を察知して埋め戻した記憶もある。
話しは脱線したが、大水害がもっと奥の上流になれば山崩れにもなる。
10月の台風21号によってがけくずれが発生した吉野町楢井を通る国道169号は全面通行止めが今でも続いている。
崖崩れが再発でもなれば工事していた人たちが二次災害を受けることになる。
再発しないと判断されるのはちょっとやそっとの期間ではない。
その道を利用していた生活者は不便をかけるが、前面開通するまでは大迂回ルートに頼らざるを得ない。
台風の影響で紀伊半島に豪雨をもたらせた平成23年10月。
十津川村の景勝地である笹の滝に行く道が崖崩れになった。
いつ崩れるともわからない状態が長期間に亘った。
安全が見込まれてようやく工事に入ったときは平成24年度。
全面開通に至ったのは平成26年の9月であった。
復旧するまで丸3年もかかった。
そんな水害の話題をしていた3人。
写真家は記録だけでいいいのか、それとも復帰、復活できるような希望をもった映像にすべきか・・・。
それは掲載、掲示する媒体によって選ばなければ・・と思っている。
他にも閲覧者が通り過ぎる。
男性一人組が2組も。
洞川のごろごろ水は知っているけど豆腐屋さんがあったとか、大滝ダムは動いているのですかとか、私は鳥屋のネイチャーフォトカメラマンも見てくれるが・・。
ある親子が子どもに話しかけた言葉にはっとする。
親が指をさした映像は志岐利恵子さんがとらえた「誕生」に「おまえもこうやって生まれてきたんやど」である。
親子のように、私はどの写真であって閲覧者が会話をするような写真を展示したいと思っている。
できればそうしたいが、閲覧者が育ってきた環境も違えば育ちも違う。
当然ながら生まれて育ってきた時代も違う。
育ちは、そのとき、その年の生活文化によってくるまれている。
生活文化は暮らし。
家の暮らしもあれば地域や職業柄というのもある。
民俗はその人の暮らした環境、時代によって体験が違うから、共通の話題を求めるのはちと苦しい。
ですが、一つでもなにかを感じてもらえば嬉しいのである。
7回目の民俗写真展のお題は「水」だけに雨の日。
足元が濡れる日にご来館いただき、ありがとうございました。
辛口評も、次年度のお題もいただければ幸い。
次回も民俗写真に挑戦したいと思っている。
(H29.11.18 SB932SH撮影)
この日は関西文化の日。
関西一円の博物館など文化的施設はどことも無料で拝観できる。
奈良県民俗博物館では今年4回目になる「なら民博ふるさとフェスタ」が開催された。
だが、この日は昨夜から降り続ける雨はやまずに、午前中いっぱいは降り続けた。
博物館内では常設展示に企画展、写真展がある。
館内においても手造り体験コーナーもあったが、客待ち状態。
外のイベントは残酷なくらいに客数が少ない。
昨年は駐車場も満杯で臨時駐車場も設けて応対したぐらいだった。
昨年は快晴。
日中の照りに汗もでるくらいだった。
そんな状況であってもお客さんがやってくる。
昨年と比較するのは申しわけないが、ざっと見渡して客数は昨年の1/10以下かもしれない。
昨年なんかは写真展でさえごったがえしになるぐらいの盛況ぶり。
今年もそうあって欲しいと願って担当する解説日は展示室で待機する。
雨は止んだが、外は曇天。
展示室も暗いであろうと思ったが、今年はかねてより懸案事項だったスポットライト装備ができあがった。
写真展を担当している学芸員のご尽力の賜物で、ようやく実現することになった。
効果は見事に発揮されて写真家たちの作品がよくわかるようになった。
駐車場も、外イベントもガラスキ。
冷たい雨にもめげずにお客さん対応されてきたが、身体を温めるには芯から。
温かいトン汁でもあったら飛ぶように売れたことだと思う。
外イベントで楽しんでもらった来館者は博物館内にも来ていただくのが狙い。
私が知る範囲内でも数組の親子連れがそうされていた。
うち1組は幼子も入れて子供さんが4人の家族連れ。
森川光章さんが出展していた「手水場」に浮かんだスイカに目がいく。
一緒に浮かべているのは黄色いマッカ。
ご両親に尋ねてみればマッカウリ。
よくご存じであるが、私ら子供のころはスイカよりも黄色いマッカ(キィマッカと呼んでいた)が主力だった。
もう一人の子どもは漢字が読めるらしく、覚えている漢字でタイトルを読みあげてくれた。
嬉しいことであるが、写真には興味がなかったようだ。
そういえば、一部の文字には子どもさんでも読めるようにふりがなをふってくれていた。
さて、“読み”は合っているのだろうか。
午後1時ころともなれば冷たさも一段落。
来館客もすこしは増えたようだが・・。
男性2人組が2組も見てくれはるが、視線の動きは早い。
どれか気になったものはありますか、とお声をかけたら、森川壽美三さんの「番水(ばんみず)の時計」。
田んぼにとって必要な山の水を地域の村に供給、その水は時間を分けて地域に流す、時間割で決まる水量、昔は分配する時間割などで水争いがあったと話した。
ずいぶん前に亡くなられた会社上司の出身生活地が御所市の櫛羅(くじら)だった。
先祖の時代に隣村などに水争いがあったという歴史的な事件は血なまぐさかった。
上司が話してくれたことは今でも印象的に覚えている「番水」である。
「水」は農家にとっても、以外の人たちにとっても生活するうえで絶対的に必要とするもの。
「水」がなければ生きていけなかった当時に現実があったが、今ではそんなことすら気にならない時代。
捻るとジャーではないが、蛇口を廻せば簡単に水を得ることができる利便な時代に昔の人がタイムマシンに乗って現在にやってきたら驚くだろうな。
そんな水道水蛇口に直接口を当てて飲んでいた中学生時代。
これを鉄管ビールと称していたのは、住んでいた住之江地区だけだったのか・・。
夫婦が1組に親子連れが2組。
そのころにわざわざ見にきてくれはった風景写真家の吉崎喜寿さんに図録を、受領しにきた写真家の森川光章さんも一緒になって、一挙に賑やかさ。
その間に訪れた若夫婦にお声をかけたら、田植え直後の水田が美しいと。
天から降った水は水田を潤す。
この時期は梅雨入りもあるからほどほどの雨量が田んぼを潤す恵みの水も、天地がひっくり返るような大雨になれば水害を起こすタネにもなる。
今年の10月は長雨に台風が運んできた雷雲によって奈良盆地は大雨に田んぼが水に浸かった。
昭和57年の大雨に大和川が溢れて王寺駅が水ツキを思い出される吉崎喜寿さん。
私が思いだすのが当時住んでいた大和川が流れる大阪市内の住之江。
幼少期の台風は水かさを増して堤防スレスレになったことは鮮明に覚えている。
上流は奈良県。
王寺を流れる大和側はそれぞれの支流から集まって大河となる。
未だに地滑り対策をしている亀の瀬を通ってからは大阪南河内郡を流れてきた石川と合流する。
集まった水量はどっと流れて大阪湾に。
大河を流れる合流にビビったことがある幼少期。
たぶんに昭和36年の第二室戸台風だったと思う。
地域の大人はその状況を見てこのままでは堤を越えて氾濫する。
そうであれば通天閣がある天王寺さえも水浸しになってしまう。
大昔はそんなことになったこともあると必死の形相で子どもたちに伝えていた。
それがあってかどうかわからないが、堤防は嵩上げ工事が施行された。
嵩上げは何メートルになったのか計測していないが、昔の面影は、写真でしか思い出せない。
昭和28年ころの白黒写真に写っている右の女性はおふくろだ。
赤ちゃんは実弟の次男。
隣の男の子は近所の子ども。
大和川堤防が昔のまんまの姿。
コンクリート護岸もしていない時代の河川敷は草がぼうぼう。
私が子どものころはこの河川敷で遊びほたえていた。
長めの草と草を縛って罠を仕掛けたこともある。
また、大きな穴を掘って落とし穴作り。
河川敷は砂地だったので穴は掘れば掘るほど砂が崩れる。
途中で危険を察知して埋め戻した記憶もある。
話しは脱線したが、大水害がもっと奥の上流になれば山崩れにもなる。
10月の台風21号によってがけくずれが発生した吉野町楢井を通る国道169号は全面通行止めが今でも続いている。
崖崩れが再発でもなれば工事していた人たちが二次災害を受けることになる。
再発しないと判断されるのはちょっとやそっとの期間ではない。
その道を利用していた生活者は不便をかけるが、前面開通するまでは大迂回ルートに頼らざるを得ない。
台風の影響で紀伊半島に豪雨をもたらせた平成23年10月。
十津川村の景勝地である笹の滝に行く道が崖崩れになった。
いつ崩れるともわからない状態が長期間に亘った。
安全が見込まれてようやく工事に入ったときは平成24年度。
全面開通に至ったのは平成26年の9月であった。
復旧するまで丸3年もかかった。
そんな水害の話題をしていた3人。
写真家は記録だけでいいいのか、それとも復帰、復活できるような希望をもった映像にすべきか・・・。
それは掲載、掲示する媒体によって選ばなければ・・と思っている。
他にも閲覧者が通り過ぎる。
男性一人組が2組も。
洞川のごろごろ水は知っているけど豆腐屋さんがあったとか、大滝ダムは動いているのですかとか、私は鳥屋のネイチャーフォトカメラマンも見てくれるが・・。
ある親子が子どもに話しかけた言葉にはっとする。
親が指をさした映像は志岐利恵子さんがとらえた「誕生」に「おまえもこうやって生まれてきたんやど」である。
親子のように、私はどの写真であって閲覧者が会話をするような写真を展示したいと思っている。
できればそうしたいが、閲覧者が育ってきた環境も違えば育ちも違う。
当然ながら生まれて育ってきた時代も違う。
育ちは、そのとき、その年の生活文化によってくるまれている。
生活文化は暮らし。
家の暮らしもあれば地域や職業柄というのもある。
民俗はその人の暮らした環境、時代によって体験が違うから、共通の話題を求めるのはちと苦しい。
ですが、一つでもなにかを感じてもらえば嬉しいのである。
7回目の民俗写真展のお題は「水」だけに雨の日。
足元が濡れる日にご来館いただき、ありがとうございました。
辛口評も、次年度のお題もいただければ幸い。
次回も民俗写真に挑戦したいと思っている。
(H29.11.18 SB932SH撮影)