マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

檪原のオハキツキ・荒神祓い

2019年02月19日 11時17分51秒 | 平群町へ
お家にあがって炊事場を祓ってくださる。

平群町檪原集落の戸数は88戸。

うち、氏子は66戸。

その全戸を巡って荒神祓いをする生駒山口神社の宮司。

朝から巡ってきた宮司はようやく本当屋が住まいする美之谷垣内にたどり着く。

午後の時間帯は何時になるのか。

この日の夜は本当屋家で御供搗きがある。

それまでに済ませたいどころか、本当屋家のお祓いである。

予想する到着時間を見越して美之谷垣内にやってきた。

この日の取材は“奈良の文化遺産を活かした総合地域活性化事業実行委員会”撮影班撮影班の一員ではなく単独行である。

本当屋、撮影班へは予め了解をとった上での単独取材であるが、撮影班に迷惑のかからないようにたち振る舞う。

本当屋に到着する前にお願いした一軒の集落民家。

農家を営むN家。

作業小屋には仕掛り中の農作物がある。



採りたてのアゼマメの選別中だった。

宮司が来られるまでは作業に集中していたが、手を止めてお祓いをしてもらう。

かつての炊事の場にかまど(竃)がある。



ネームプレートを見れば「特許 三和かまど」の標記があった昔懐かしい年代物の竃である。

薪を詰め込んでいる竃は今でも現役のように見えるが・・。

桜井市小夫の秀円寺の土間にあった構造と同じように思える2連式。

秀円寺の竃のネームプレートは「断熱材パーライト特製新案特許三和かまど」だった。

N家の竃は「特許 三和かまど」だけの標記であるが、正確にいえば秀円寺のプレートにある「断熱材パーライト特製新案特許」である。

小夫の秀円寺取材記事で書いたように、断熱材パーライト特製新案特許については昭和10年に新案特許を取得した三和かまどは田原商店製。

田原商店から特許を継承した大分県大分市にある「三和かまど宮崎商会」が受け継いで製造・販売している。

ちなみにN家の竃の焚口に「新案特許」の文字がある。

あるブログに載っていた焚口の鉄蓋は円形。

文字は「金森式焚口」だと書いていた。

時期によっては様々な形態があったのだろう。

さて、N家の荒神祓いは炊事場。

火を扱うコンロである。

かつては竃であったが、現在はガスコンロ。

平成25年11月17日に取材した明日香村越も、ここ櫟原と同様に集落全戸を巡る宮司は火防祓いをしていた。

三宝荒神さんを祭る神棚に向かってお祓い。

次に火を使う場も祓う。

お祓いを済ませた我が家を見てくださいと伝えられてあがったお家のコンロは現代的なIHヒーターであったのが記憶に残る明日香村越だった。



櫟原も同じように火を使う場を祓ってから神棚も祓ってくださった宮司。



授かった新しい「生駒山口神社 家内安全 守護」の護符は神棚に添えた。



宮司を見送られたご夫婦。

我が家にはこんな瓦があるのですと見せてくださった。



瓦は古物でなく新品のような状態である。

その瓦に「東大寺大仏殿」の文字がある。

これはレプリカでなく、試しに作られたもの。

と、いうか巧くできなかった産物だという。

ガラクタではない瓦を関係者から記念にと、もらい受けた除外の瓦は玄関上がり口を居場所に決めたそうだ。

東大寺の瓦も気になるが、先を急ぎたい本当屋家。

なんとか間にあったので、幕越しにオハキの神事を眺める。



オハキを祓ってくださる神官は禰宜さん。

宮司の弟さんである。

直立不動の立ち姿は本当屋のTさん。



祓いを受けた次は宮司による祝詞奏上である。

次に本当屋は小石3個を手水のバケツに入れて一人拝礼をしていた。

神事を終えてから本当屋家の三宝荒神さんを祭る神棚を拝見させていただく。



先ほどのN家と同様に授かった護符は神棚に納めて祭っていた。

竃の神さん、防火の神さんとされる櫟原の荒神祓いは1年に2回行われる。

宵宮の二日前にあたる御供搗きのこの日と12月28日である。

(H29.10.12 EOS40D撮影)

神殿町・とんかつ屋まるかつの三元豚ロースのソースカツ丼

2019年02月18日 09時19分34秒 | 食事が主な周辺をお散歩
一週間前だったか、それとも10日前だったか、記憶は飛んでいるが手元に新聞とともに配られたチラシがある。

起床して1時間くらいは毎朝のお楽しみ。

老眼鏡をかけて新聞に目を通す。

前日に配達された夕刊は翌日に朝に廻して朝刊読みの前に拝読するのが日課である。

それからは余裕の時間があればチラシも目通し。

主に見るのはスーパーのチラシ

以外は気になって目に止まったチラシしか見ない。

あとは見る時間の無駄、と思っている。

こんな毎日であるが、とんかつ屋まるかつのチラシにはまいった。

素通りでパスしていたのだ。

ただ、すべて見終わってから、アレは何やったんか、と思ってチラシを繰ってみた。

全面印刷されたチラシをみても、まだピーンとこなかった。



何が云いたいのか、まったくわからないチラシが、えっ、そうだったのかと気づくまで時間のかかったことか。

ポイントは一つ。

このチラシを持参すればカキフライが2個も無料で食べられるということだ。

ただ、期限がある。

「10月31日までに匠が作ったカキフライ2個が無料でお召し上がれます。・・・」。

そうか、匠の呼ばれる人が10月31日までに作っておいて冷凍(?)したものを無料サービス・・。

うん?。

なんとなくおかしいようにも思えるが、私はこれを誤読していた。

10月31日とあるところを11月31日に見えていたのだ。

お試し期間はまだまだある。

食べたい、と思うときがくるまで、大切に保管しておいて利用させてもらおう。

そう思っていた。

そのチャンスがやってきた。

奈良市神殿町は割り合いに近い。

そのお店にいくなら、ラ・ムー京終店にザ・ビッグ・エクストラ大安寺店で欲しいものを買いに行く。

欲しいものは生鮮食料品にその他もろもろ。

もう一つの用事ができた。

餃子の王将の割引サービスである。

不定期ながらも月1ペースで案内する生餃子。

普段であれば1人前が220円であるが、特売日は186円になる。

ときどきチェックしている餃子の王将の柏木店である。

他店舗もしていることはあるが、開催数が少ないから零すこと多しである。

で、話題を奈良市神殿町にあるとんかつ屋まるかつに戻そう。

とんかつ屋まるかつはカツ丼屋だと思っていた。



売り出し幟旗にカツ丼500円と表示してあったから、一度は入って食べてみたいと思っていた。

だから、丼オンリー店だと思っていた。

店はザ・ビッグ・エクストラやラ・ムー店舗が並ぶ県道764号線沿いにある。

南北に走る県道はしょっちゅう利用しているが、時間帯が朝、夕であれば渋滞になるから避けているが・・。

カツ丼500円の売り出し幟旗はお店のHPにも残っているから当然あるでしょ。

そう思って車を走らせたが、なんとなく雰囲気が違っている。

お店を外から見てもなんとなく違和感がある。

500円の幟旗は消えて、スタッフ募集中になっていた。

壁一面にあった「500円+税こだわりカツ丼」のデイスプレイがない。

ないけどメニューにはあるのだろうと思って入店する。

テーブルに座ったら高校生のような女店員がにこにこ顔で注文を聞いてくれる。

このチラシを持ってきたのですが、といえば了解しましたで受け取られた。

タダでカキフライ2個をよばれてそのまま帰るわけにはいかないのでカツ丼を注文する。

カツ丼は2種類。

並みの、といえば語弊があるかもしれないが、そうじゃなくても普通のカツ丼にソースカツ丼である。

私はカツ丼といえばソースカツ丼を注文しようと思っていた。

ここ、とんかつ屋まるかつではなく、大和郡山市今国府町の信号角地にある、チェーン店の「かつや」である。

店舗がオープンした直後に食べにいった。

普通のカツ丼も食べたが、キャベツたっぷりのソースカツ丼の味はドンピシャだった。

その思いが強く染みていたので、これです、と有無を云わずに注文した680円のソースカツ丼。

注文してから10分ほど。

揚げたてのカキフライが運ばれた。



えっ、これってすごいやん。

支払うときにこれ実は有料なんですと云いかねないほどの出来栄え。

まさかのこんな設えで登場するとは思わなんだ。

一口食べたら、美味いやん。

二口、三口、いずれも美味い。

美味いもんが口の中で広がった。

チラシにあった謳い文句以上に美味しいやん、である。

カキフライはお皿にのっている特製タルタルソースをたっぷり付けて食べる。

癖のないタルタルソースが美味しい。

家であればマヨネーズ感がたっぷりだが、これにはない。

ガンガン主張するわけでもないタルタルソースがカキフライによく合う。

お皿には大葉塩もあったが、結局は使わなかった。

キャベツも残ったタルタルソース。

ソースが切れたら、テーブルに置いてあった胡麻ソースで食べる。

瑞々しくシャキシャキ感はカツ丼でも同じように味わえる。

そう思ったがカツ丼に敷いていたキャベツはカキフライよりも甘くない。

甘くはないけど、千切りキャベツがソースに混ざったご飯をがっつりいただく。

カツ丼よりも先に口に入れたのは、そう、キャベツとソースたっぷり浸かったご飯である。

こうすればご飯の旨さがわかるのだ。

カツ丼を口にしてご飯を食べるのは当たり前。

まずは千切りキャベツで味わうご飯である。



大きなカツは豚カツ。

もちろんであるが、支払い時にわかったことだが、材料は三元豚ロースだった。

癖のない三元豚ロースは脂身が美味い。

もちろん赤見も美味いが、脂身には勝てん。

サクサクのフライにじゅわっと旨汁が出てくる。

豚肉はとても柔らかい。

肉の筋なんてものはまったくなかったから嬉しい。

しかし、それにしても難儀だったのは、美味しいご飯の量である。

食べても、食べても底が見えないカツ丼。

カツが大きいからご飯の量は見合うようにされたのかどうかしらないが、次回来たときは半分にして、と頼みたい。

とにかくご飯量が多いから困ったもんだ。

それにしても山葵漬けの青菜が旨かった。

コウコも美味いが山葵漬けに軍配をあげる。

(H29.11.16 SB932SH撮影)

ガス給湯器が壊れた

2019年02月17日 07時57分12秒 | ぽつりと
毎日の入浴が心を休める。

至福の時間帯は湯上りの発泡酒に続く。

と、いうか身も心もさっぱりしたところの一杯が一日疲れをとってくれるのだ。

入浴のありがたさは洗髪もある。

身体は一日、二日洗えなくとも髪の毛は毎日洗いたい。

顔も毎日洗いたい。

頭も顔も脂性。

お湯に浸かってシャワーを浴びて洗えば気分爽快。

身も心も軽くなるのである。

毎日の入浴時間帯は午後7時10分。

決まっている。

1年ほど前までは午後7時半が入浴時間だった。

入浴を終えてから発泡酒を飲む、酒の肴に今夜のおかず。

ご飯はまったく食べない。

こんな生活を続けて30数年。

晩ご飯は午後8時にしていたが、お腹が待てないと家人が云いだして30分早めた。

早めたら困るのが、食べ終わってから寝るまでの時間が退屈なのだ。

もっとも今では毎夜がFBと遊ぶ時間帯。

ただ、だらだらするのが嫌いだから、1時間半ぐらいが適度。

早く食べ終えたら、これが2時間にもなる。

つまりは酔いが醒めてしまうのである。

そんなことはどうだって、いいじゃないかと云われそうだが、それが習慣というものだ。

話しは脱線した。

前日の15日である。

午後7時になってもお風呂が入れなくなった。

ガス給湯器が突然のごとくエラーを発信して停止した。

主リモコンの電源をオフ/オンしても同じだ。

エラー表示は659。それがどんな意味をもつエラーなんとかさっぱりわからない。

時間帯は夜7時半になっていた。

ガスの故障は専門に任すしかない。

その晩はお風呂も入れず、冷たい水道水で顔を洗って発泡酒を飲む。

つまみのおかずを肴に飲酒する。

至福のときであるが、身体は脂っけがあるから、飲む勢いもなく、ぐぐっと感もない。

数年前に発電機が壊れた。

寿命であったが、ガス給湯だけが生きていた。

それもダメなら買い換えするしかない。

修理の聞かない普及品。

万が一、オイル交換で逃げられるんなら2万円の出費。

それがダメなら買い換えである。

給湯器オンリーの品物であっても装置だけでも50万円近くになる。

すぐに交換もできないだろう。

明日の夜は大門湯でも行ってみようと思っていたが・・・。

翌朝の開店を待って故障連絡をする。

最寄りのガスマンが来たのは午後2時半以降だったようだ。

結果はパーツの交換で済んだと云う。

その金額は総計で14,500円ほど。

それだけの額で済んだのが嬉しい。

故障したガス給湯器は、当時60万円以上も費やして設置したエンジン付き、いや発電機付きの排熱利用給湯暖房ユニット。

エラーの原因は循環水比例弁の不良である。

ユニットが循環器。

致命的な障害が「弁」と知って、2年前の平成27年7月10日に発症した「うっ血性心不全・僧帽弁閉鎖不全症」。

正確にいえば「僧帽弁逸脱による弁膜異常」。

昔は「心臓弁膜症」一本で呼ばれていた病状である。

最近になってやたらとACジャパン・日本心臓病財団が伝える検診支援キャンペーンのテレビコマーシャルが「心臓弁膜症」。

私が患った「うっ血性心不全・僧帽弁閉鎖不全症」も弁膜症の一つ。

そのことを主追い出してしまうガス給湯器の循環水比例弁の不良である。

私の場合は弁の置換手術にはならなかったものの、弁そのものを修復する形成処置だった。

ガス機器の循環水比例弁に形成処置はなく、弁そのもの交換で治った。

修理時間はそれほどもかからない短時間。

私の手術は午後12時半過ぎから始まって終わったのは午後6時ころ。

5時間半の手術を無事に終えたが意識は朦朧だったことを思い出す。

修理費用の内訳はパーツ代が6100円。

修理技術料が7300円に消費税だった。

修理はできたものの、いつまた他の箇所が壊れるかもしれない。

どこまで維持できるかは、天に任すしかない。

修理を終えたガスマンは私と入れ替わりだったようだ。

経過報告を聞いて、風呂場を見る。



場面も装置もいっさい手をつけていない風呂場に異音が発生していた。

カタカタカタカタ・・・・鳴動音を発していたのは未使用のリモコン。

大慌てで緊急連絡して戻ってもらったガスマン曰く。

修理したユニットと電源が繋がっていた。

給湯器を運転すれば電源がかかって微動していた現象である。

これを打ち切るにはユニットに挿している電線路を断ち切るしかない。

プチンと切ったかどうかはわからないが、それで治った。

これで今夜はこころおきなく入浴できる。

至福の入浴がまた始まる。

(H29.11.16 SB932SH撮影)

岩壺葛上神社・祭りの子ども相撲

2019年02月15日 10時06分21秒 | 大淀町へ
東鳴川のマツリ取材を終えて南下する。

東鳴川は県内最北。

少し走るだけで京都・加茂町や笠置である。

次の取材先は大淀町の山間地になる岩壺(いわつぼ)。

明日香村から新芦原トンネルを走行する峠越え。

直線で結ぶ距離はおよそ40km。

一般道だけにそこそこの時間を要する。

大淀町岩壺に鎮座する葛上神社(※葛神神社とも)の祭りに子どもが役目する相撲がある。

「ワッタイ ワッタイ ワッタイヨー」の掛け声とともに腕をぐるぐる回す。

子どもが単独で所作するのではなく、介添えする大人が腕を支えて回す。

県内事例では極めて珍しい所作があると平成23年3月に大淀町教育委員会が刊行された『大淀町の民俗―平成22年度の調査報告書―』ならびに昭和25年3月に同委員会が刊行された『おおよどの地域文化財を学ぶ―平成19年~23年度「おおよど歴史学習会」事業成果報告書―』に報告がある。

現在の祭りの日は平成16年より体育の日に移ったが、かつては11月7日から9日の三日間であった。

7日は「座」。

その晩は青年団による千本搗きとゴク撒きがあった。

翌日の8日がヨミヤで9日がお渡りに子どもの相撲ならびにゴク撒きで終える祭りであった。

岩壺をカーナビゲーションに設定して車を走らせる。

現地入りしたときはまさに出発直後。

道路下にある公民館から出てきたばかりの氏子さんたちに遭遇して大慌て。

代表と思われる方に突然の取材願い。

名刺を手渡しながらの自己紹介に取材主旨を伝えて撮影許可をいただく。

行事のことをお聞きするのは後回し。

目で追いかけるお渡りの道具がたくさんある。

お話しを聞くのは後回し。

とにかくカメラで撮ってからにする。

遭遇した時間帯は午後1時50分だった。

それほど遠くない地に葛上神社がある。

お渡りの雰囲気はなく祭り道具を運んでいるようにしか見えない。

カメラがとらえた祭り道具は一番に目立つ12灯を吊り下げた提灯である。

「青年團」の文字に「御神燈」。

水平位置ではわかりにくいが、天頂に御幣、2灯、4灯、6灯を吊る十二振り提灯だ。

後続に青年若しくは高校生くらいの少年が持つ高張提灯もある。

後続にもう一つがあるから2基。

本社殿から見た拝殿前に掲げる。

オーコで運んでいる桶は御供餅。

丸餅もあるが、平べったい大きな餅もある。

玉串を乗せる八足台(※八脚案)を抱えて運ぶ人も。

先頭とはどういう道具であるのか。



追いかけて撮らせてもらったら、U区長が持つ御幣だった。

ススンボ竹の御幣は2本に、もう1本。

後ろについて歩く二人の子供も同じくススンボの御幣(※これをスモウトリの杖という)をもつ。

それぞれが1本ずつ持っているのでスモウトリ(※規定では小学6年生までの男児)の役目をするのだろう。

気になったのは後続についた男性が担ぐ道具である。

荒縄で結った注連縄らしきものに葉っぱがいっぱい。

シデ垂れも見られることから、これは勧請縄に違いないと思ったが・・・。

鳥居を潜って拝殿まで登っていく。

すべての道具はさらに登った階段の向こう側。

一段高い場に鎮座する葛上神社である。

社殿は三つあることから「三社はん」の呼び名がある神社である。

本社殿に向かって左の社は日尻権現社。

右が三十八社大明神である。

奇妙な、と思ったのが榊の葉をいっぱい取り付けた縄である。



架けることもなく本社殿の裏側に置いたまま神事が進行することだ。

祭礼のすべてが終わってもそのままにした縄はいったい何だろうか。

実に不思議なことである。

1本柱に12灯を下げた提灯はススキ提灯の名がある。

平成22年に記録された写真には2基のススキ提灯であったが、この日は1基だけだ。

区長らの話しによれば、ヨミヤ用とマツリ用の2基であるが、この日はマツリなので1基にしているという。

出番のないもう1基は保存ということだ。

役員たちが神饌御供などを奉っている間のスモウトリ(※相撲取り)。



作業を手伝うこともないから暇を持て余して御幣振り。

まだ神事は始まっていない。

オーコで担いで運んできた御供餅。

平たく長太い餅は牛の舌餅またはカサモチの名がある。

これらは神事や子ども相撲が終わってから階段下にいる氏子に投げるゴク撒き用。

餅はもう一つある。

四方形の御供台に載せた9個の白餅。



中央には覆いかぶせるように置いた牛の舌餅がある。

「三社はん」それぞれに供えるから3枚。

これをココノツゼン(九つ膳)と呼ぶ。

この在り方とよく似た供え方をしている地区がある。

桜井市の山間地。

白木三村中の一村である中白木のマツリの頭屋祭

ここもまた三社に供えていた「ガニノモチ」である。

ちなみに隣村の北白木にも「カニノモチ」御供はあったが、随分前に廃れたと聞く。

本社殿に立てかけた御幣。



大御幣には違いないが、小の御幣には半紙で包んだフングリがある。

三社さんともローソクに火を点けてこれより神事が行われる。

なお、本社殿の前に立つ斎主の位置はコモを敷いていた。

神事の進行を妨げないように、火点けを見届けて階段を下り、拝殿辺りに移動する。

立ち位置をそうさせていただきますと伝えた上での移動である。

一段高い位置に登ってところで斎行される神事を見守る氏子たち。

斎主の宮司は遠方地より戻ってこられたばかり。

川上村の井光(いかり)で神事をしてきた桧垣本八幡神社宮司。

娘さんの禰宜ともども岩壺での神事に出仕された。



祓えの儀は本社、末社の三社に社殿前に立つ氏子総代、区長らに代表(※頭家)。

相撲の所作をする幼稚園児のスモウトリにも祓ってくださる。



そして拝殿辺りにおられる氏子にも祓えの儀。

御扉は開けずに献饌をする。

そして祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌である。

次に、宮司が所作をする奉幣振り。

まずは本社殿に奉っていた御幣を取り出す。

役目は代表(※頭家)の一人。

その御幣を宮司に差し出す。



宮司は正面を拝し、コモを敷いた社殿の階段をあがって作法をする。

御幣をもつ手を左に右に幣を振る。



その次に代表(※頭家も宮司の作法を見倣って奉幣振りをする)。

岩壺には上座と下座の二座で構成される座講(ざこう)があった。

その二座の頭家であるが、平成18年に解散されて村行事に移した。

村行事に移してはいるが特徴的な御幣がある。

お渡りの際に区長が抱えて運んでいた御幣のうち1本は一年間も預かっていたマツリの御幣である。

今年の御幣は青々としているが、一年間も憩いの家で預かっていた御幣は枯れたススンボ竹。

明るい色の褐色である。

頭家制度があった時代は頭家宅にあったと思われる、いわゆるお戻りになられる神さん遷しであったろう。

こうして神事を終えた宮司と禰宜は退座する。

代表(※頭家)も階段を下って割拝殿中央で待機する。

このときを見計らって高台に移動する。

これより始まる子ども相撲にゴクマキはどの位置から撮るのが最適なのか。

高台、それとも下から・・。

どの行事でもそうだが、悩ましき立ち位置の選択である。

準備を整えるスモウトリ。



区長や世話人が二人の力士に褌を締める。

フンドシは白い晒し木綿の長布。

肩から股にかけて腰で締める褌である。

ユニークなのは二人の力士の肩かけである。

左右の肩かけに違いがある。

神さんから見て右に居る力士は左肩。

左に立つ力士は右肩にというわけだ。

後についた代表(※頭家)の二人は力士を介助する役目にある。

さて、力士が立つ場である。

割拝殿の真ん前。

階段の登り口になるその空間に藁を敷き詰める。

力士が奉った御幣を手にして階段を下る。

御幣は寝かせるような形で階段に立てかける。

力士の姿は普段着。

裸でないが、白い晒しでわかる褌姿である。

意気揚々と下ってきた力士が並ぶ。



右方の力士は左腕を広げて、右腕は相手の肩を組む。

左方の力士は右腕を広げて、左腕で組む。

広げた二人の腕を代表(※頭家)が掴んで動きを支える。

ここまでが土俵入りであろう。

スモウトリを見守るように拝殿辺りに身を寄せる氏子立ち。

スモウトリの所作をスモウトリらに伝える世話人。

「ワッタイ ワッタイ ワッタイヨー」と云いながら腕は後ろ廻しにする、と説明する。

徐に始まったスモウトリ。

周囲にいる氏子たちも一緒になって「ワッタイ ワッタイ ワッタイヨー」。



腕を後ろ廻しに回転させたらハナと呼ばれるオヒネリが飛んでくる。

あちこちから飛んでくるオヒネリは、力士に目がけて、白い軌跡を描くように飛んでくる。

「一億、十億、百億・・・」と次いで掛け声がかかれば、またもオヒネリが飛び交いながらも「ワッタイ ワッタイ ワッタイヨー」も。

「百億、千億、一兆・・」と金額は上昇してオヒネリが・・。

そりゃー、そりゃの掛け声も混ざるところに「痛いよ!」と悲鳴をあげる声も。

その声は力士。

まともに身体あたるオヒネリ。

実は硬貨である。

重りになる程度の重さであるから当たるカ所によっては痛いのだろうが、タネは五百円玉、百円玉、五十円玉などの硬貨。

役員たちの話しによれば昨年も同額だったそうだ。

「ワッタイ ワッタイ ワッタイヨー」、「ワッタイ ワッタイ ワッタイヨー」、「ワッタイ ワッタイ ワッタイヨー」の3連続。

最後にしようかと云って「ワッタイ ワッタイ ワッタイヨー」で締めた。

この年の詞章は以下の通りであったが、平成22年の行事記録とは若干の違いが見られる。

その年、その年によって金額は異なるのかもしれない。

尤も、昭和47年刊の『大淀町史』に記載されていた詞章とも違っているようだから、当時の物価ではなく、山添村で見られる山の神に捧げる刀の金額表記と同じ意味を成すものと思われる。

階段下に散らばったオヒネリの数は相当な数だ。



拾い集める役員や氏子たち。

その様子を見ている力士。



のちほどの直会の場で力士の子どもに披露されることだろう。

そして始まったゴクマキ。

マツリの締めににぎわうゴクマキである。



オーコで担いできた木桶いっぱいに盛った御供餅。

先に撒くのは丸餅。

これを撒くだけでも賑わうが、締めくくりに撒くのはカサモチ。

牛の舌餅の名で呼ぶこともあるが・・・。

御供餅は前日に餅を搗いた。

松の木で作った千本杵で搗いた。

餅は3升。



臼にしてみれば4臼だったという御供餅もあっという間に撒かれていく。

行事に使った道具類は後片付け。

憩いの家の倉庫に仕舞って落ち着く間もなくオヒネリの算用。



百円玉、五十円玉、十円玉、五円玉に選り分けて勘定する。

これより始まる直会は遠慮、である。

かつてマツリを終えた頭家は上座、下座それぞれが頭家の引継ぎがあった。

岩壺は25戸。

村を四つに区分けして次に受ける頭家に引き継いできたが、現在は村代表(※頭家)の2軒を決めるようだ。

(H29.10. 9 EOS40D撮影)

いつも美味しくいただくSD食品の冷凍お好み焼き

2019年02月14日 08時01分40秒 | あれこれテイクアウト
あの美味しいSD食品が製造販売している冷凍お好み焼きを売っていたのは橿原町常磐町にあるJAならけんが事業展開している「まほろばキッチン」だった。

あの美味しい、と表現したのは、過去何度も購入して、その美味しさを実感していたからだ。

はじめに知ったのは関西テレビで圧倒的な人気を誇る「よーいドン!」の人気コーナーであるとなりの人間国宝さんで紹介された。

SD食品を起こしたご夫婦が作るお好み焼きで起死回生した奮闘記

思わず食べたくなって通信販売で入手した冷凍お好み焼き

甘芋がたっぷり仕込んでいるのでほくほく。

とても美味い生地が特徴であるが、具材の野菜などもこだわっている。

冷蔵庫に保存できるから食べたくなったらすぐにチン。

添え付けの特製ソースにかつお節、青のりを振りかけたら出来上がりだ。

SD食品の本社・製造工場は広陵町の大塚にあるようだが、以前は大和高田市の築山だったと思うのだが・・。

そこに行かなくとも、天理のDCMダイキ天理店内にある産直市や針テラスの産直ごーごーとかにあった。

我が家の近くの産直市場にもあったが、閉店した。

近場で探しているが、見つからない。

この日は格安で新鮮な野菜を求めて入店した「まほろばキッチン」。

店内売り場のショーケースも覗いてみる。

そこにあったSD食品お好み焼きに、嬉しくて目が毀れた。

いや、涎が毀れた。

冷凍ショーケースに並べていた商品はどれもこれも奈良県産小麦粉が原材料。

豚肉・タコ・イカ・ネギ入りのスペシャル焼きに九条ネギと牛スジコンニャク入りのねぎ焼きが税込みで367円。

同価格は他にもちチーズ入り焼きもある。

ヤマトポーク使用の豚玉に田原本町産モロヘイヤも入った豚玉が30円も高い398円。

同額に奈良県が認定している大和の伝統野菜である結崎産ネブカ焼きもある。

冷凍のお好み焼きはどこのスーパーでも売っている。

冷凍メーカーは多く、いずれも具材の何かに中国産が入っている。

それを知ったかーさんは口にしない。

ちょっとであろうが、ある野菜一つであっても口にしない。

ところがSD食品のお好み焼きには中国産がない。

国産にこだわっているから安心して食べられるのが嬉しいのだ。

今回、購入したのはスペシャル焼きとねぎ焼きの2種。

一人2枚は必ず食べてしまうから、各2枚ずつ買った。

我が家の冷蔵庫に2日間も寝かした冷凍お好み焼き。

先に、取り出したのがねぎ焼きだ。

電子レンジで片面を6分間。

中心部は冷たいから裏返して2分間。

ほど良いデキ加減と云いたいが、それでも足らない我が家の能力不足の電子レンジではこれが限界だ。

皿に盛ったまま熱くなったお好み焼きに添付のソースをまんべんなく塗り拡げる。



ソースはすだちとゆずを混ぜた甘めのポン酢。

香りがふわぁーっと鼻に吸い込まれる。

いきなり動き出した箸で摘まんで口に放り込む。

トロトロ、フワフワの生地に下味がついているんでは、と思うくらいに美味しい。

箸で摘まんだ1片。

必ずといっていいほどグニャグニャ感がある。

味があるのがスジ肉。

細かく切ってあるから、どこ産かわからない。

じわっと感じるスジ肉に混ざってコンニャクも。

生地、ソース、スジコンが美味しい。

そう、舌が感じるのであるが、何かが足らない。

味も食感もどこへ行ったのかと思うほど感じない九条ネギはどこに行ったんだ。

ネギはどこへもいかない。

つまりはスジコンの威力が強すぎるのである。

これってたしか「葱焼き」だったよね。

スジコン入りの葱焼きではなく、葱入りのスジコン焼きと呼ぶのが正しいような気がする。

ところでSD食品の商品をネットで拝見して、あれぇ、である。

オール国産と思っていたが、そうではなかった。

キャベツ、鶏卵、ねぎ、コンニャクは国産であるが、小麦粉はアメリカ、他も。

スジ肉はブラジル、オーストリア、他と表示。思い込みが良すぎたようでございます。

(H29.11.11 SB932SH撮影)
(H29.11.13 SB932SH撮影)

きつね揚げ+肉匠たけ田の油かすうどん

2019年02月13日 09時56分54秒 | カンタンオリジナル
昨日買ってきた大和牛でできた油かす。

商品パックに牛脂の用途にうどん、焼きそば、お好み焼きなど・・と書いてあった。

販売していたのは橿原町常磐町にあるJAならけんが事業展開している「まほろばキッチン」だった。

施設には魚屋さんもあればお肉屋さんにパン屋さんもあるが、お目当ては安くて美味しい地産地消の野菜や果実である。

この日に買ったのもお安い野菜ばかり。

地産地消といえどもあまりに高額だったナスビにキュウリは手を出さない。

ゆっくり寛ぎながら商品棚を見ていた。

えっ、これはと思って手に取ったのは肉匠たけ田の油かす。

前述したように値札シールに書いてあった謳い文句もあるが、惹きつけられるのは油かす。

先だって大阪住之江店の魚輝で2度も注文したメニューに本格肉かすうどんがあった。

これが美味いのんってスゴくない。

口の中に記憶が残った肉かすの味。

同店で云っている油かすも牛脂。

ここ「まほろばキッチン」の肉匠たけ田で売っているのも牛脂。

しかも奈良県ブランド牛の大和牛であればなおさらだ。

1パックずつ詰めていた油かすは240円台から290円台くらいまで。

最低値だった税込み価格が244円の1パックを買い物カゴに入れた。

食べたい顔をしていたのだろう。

翌日の12日の昼食はうどんにすると決めつける。



油かすだけではちょと寂しい。

揚さんも入れて欲しいと伝えたら味付けしてくれた。

出汁はスーパートライアルの白だし。

1本で178円であるが、重宝している。

うどんはラ・ムーで買っておいた買い置きの冷凍うどん。

5玉で158円。

ここに刻みネギをパラパラ振りかけて・・・肉匠たけ田の油かすもパックからパラパラと落とす。

落とす量は適量である。

落としている最中から香りがぷぅんと鼻に吸い込まれていく。

こりゃたまらん味になりそうだと思った。



味覚は食べたらなお一層。

たったこれだけの量であるにも関わらず、口の中で踊り始めた。

とにかく美味いのである。

歯触りもあって味も濃い。

食感はゴリゴリ感のようなコツコツではない。

コリコリ感でもない。

表現はしにくいが、それよりももっと柔らか目の牛脂の味がたまらん。

こんな美味いうどんは食べたことがない。

キツネ揚げも美味しいが、牛脂の方が勝っている。

これはもう病みつき間違いなしだ。

賞味期限は10日ほどだから明日も食べたい欲望にかられる。

ちなみにパックに盛った牛脂を箸で一つまみ。

口に放り込んでくちゅくちゅ。

味はそれほどでもない。

旨さも感じない。

ところがうどん出汁と絡ませると変身するのである。

これは驚きである。

毎日でも食べたくなった。

魚輝も美味しいが、我が家のとっては肉匠たけ田の油かすに万歳三唱せざるを得ない。

(H29.11.11 SB932SH撮影)
(H29.11.12 SB932SH撮影)

晩飯の副食にハヤトウリ料理

2019年02月12日 08時31分07秒 | もらいもの・おくりもの
大岩の農園で栽培されたハヤトウリ。

農園代表のKさんのご厚意でいただいたハヤトウリは、もらったその晩の副食になって登場した。

Kさんがいうには、ほとんどの人がハヤトウリは漬けもんしかならんやろ、というらしい。

私もそう聞いていた。

昨年のことだ。

桜井市の山間部で生活している婦人がハヤトウリをくれはった。

婦人がいうには漬物だけでなく甘酢漬けにしたら美味しいよと云われて我が家のテーブルに登場した。

大晦日の朝食に口がさっぱりして美味しくいただいた甘酢漬け。

白い素肌色にシャキシャキ感がたまらない。

今夜の副食は甘酢でなく、トライアルで購入している白だし漬け。

少し柔らかめのハヤトウリであったが、細く切ったニンジンと相まってこれもまた味わい深い食感に満足する。

たくさんもらったから、残りはどういう料理で出てくるのか楽しみにしている。

シャキシャキ感を味わって、また食べたくなるのがヤーコン。

時期はまだなのか、道の駅などの地産地消販売所にはまだ見られない。

それから4週間後の12月7日。

奈良県内南部地域では山の神行事をしている日である。

この日のおかずは炒め物。



バター炒めのハヤトウリにしてもらった。

この場合はハヤトウリ特有のシャキシャキ感がある。

(H29.11.11 SB932SH撮影)
(H29.12. 7 SB932SH撮影)

晩飯のおかずのメインはサバのちゃんちゃん焼き

2019年02月11日 08時42分45秒 | あれこれテイクアウト
今夜の晩飯のおかずが美味すぎてたまらんかった。

おかずは3品である。

一つは11月9日に買っておいた「日本食研」が製造販売する「ちゃんちゃん焼のたれ」である。

フライパンで作れる、コク旨みそ味の「ちゃんちゃん焼のたれ」は我が家から車で走った山陽マルナカ店内の魚介類売り場にあった。

買ったのは2回目である。

数週間前に食べたときは生鮭である。

ちゃんちゃん焼きと云えば生鮭に決まっている。

すいぶん前に知った鮭のちゃんちゃん焼きは朝食味噌汁に利用していた味噌で作っていた。

ちゃんちゃん焼きを知ったのは、たしか、雑誌ビーパル(be-pal)だったような気がする。

誌面に書いてあったレシピ味噌は仙台味噌であった。

わざわざ仙台にいかなくとも、当時あったスーパーで売っていた。

我が家で好評だったから、毎年の夏休みに出かける十津川遊びで食べていた。

今から20年以上も前のことだ。

泉北勤務のころだったから平成3年のころだろうか。

そうであれば今から26年前にしていたアウトドア料理が鉄板で焼く鮭のちゃんちゃん焼きだった。

息子たちが家を出てからちゃんちゃ焼きをすることはなかった。

鮭一尾の半身おろし。

キャベツ、タマネギにシメジなどの野菜は盛りだくさん。

鮭は野菜を敷いた上に乗せるのではなく、直に鉄板。

皮の方を鉄板にして身は上だ。

その上に野菜をどさっと盛り付ける。

鮭の廻りもどっさり盛る。

そこに落としたのが仙台味噌である。

全体に馴染むように落としてアルミホイルで落し蓋。

ジュージュー言い出してから数分後に落し蓋をあげる。

鮭に骨があるが、大きいからすぐにわかる。

骨も一緒に焼いたから味も濃くなる。

小皿に取っていただく鮭のちゃんちゃん焼きはとても美味かった。

その特性味噌が「日本食研」が開発した。

これがとても美味いのである。

旨さがあるしコクもある。

謳い文句通りの味はまったく飽きない。

箸が進みすぎるぐらいに何度も何度も往復する。

でっかい鉄板は不要。

普段料理しているフライパンがあれば出来上がる。

残った出汁は捨てずに翌朝の朝ごはん。

ご飯を足しておじやにする。

一般的には雑炊であるが、この場合はおじやである。

玉子一つ落としてぐちゃぐちゃにしたら甘さでモッタリ味わう。

これもまた美味かった。

あれから数週間。

またもや見つけた「日本食研」の「ちゃんちゃん焼のたれ」。

鮭が高かったので生サバにした。

片身2枚を4切れに等分。



鮭代わりに入れて焼いてみたが、これもまた乙な味。

病みつきが一つ増えた。

翌朝はご飯でなく、中華そば麺にした。

これもたまらん味になったが、パッケージをよくよく見れば1袋辺りの塩分含有量が11.7g。

目ん玉が毀れてしまうほど、こりゃいかん、である。

(H29.11. 9 SB932SH撮影)
(H29.11.11 SB932SH撮影)

お礼訪問の「大岩の雨たんもれ」

2019年02月10日 07時21分15秒 | 大淀町へ
平成29年の「私がとらえた大和の民俗」写真展テーマは「水」。

私が挙げた「水」のサブテーマは「大岩の雨たんもれ」である。

写真展期間中に販売される図録は作品を出展するカメラマン10人がお届けする。

図録の編集は奈良県立民俗博物館の学芸課。

発行はカメラマン10人が組んだ団体名「奈良民俗写真の会」である。

刷り上がった完成品の図録を受け取ったのは10月31日だった。

私が買い取った図録数は100部。

うち1/4ほどはテーマに挙げた「大岩の雨たんもれ」に取材させてもらった大岩区長と大岩住民に寄贈したいと思っていた。

また、大淀町旧村の文化的歴史史跡或いは埋もれている遺産や民俗の発掘などに尽力され、調査・報告などの活動している大淀町学芸員にも寄贈したかった。

学芸員にはずいぶんとお世話になってきた。

これもまた1/4ほどであるが、大岩の雨たんもれ事例が、村民の記憶が遠ざかりつつある事例発掘に他村にもキッカケになればと思って差し上げることにした。

ところが受け取ってからは身動きが取れなくなった。

事情はわが身にある。

車を運転することもできなくなった頻脈に入院介護の件もある。

11月5日はほぼ日ほぼ近くで取材をしていた。

吉野町千股のささいわ行事であったが、終わってみればもう真っ暗だった。

早く終われば図録をもって馳せ参じたいと思っていたが時間がなかった。

一日一日があっという間に過ぎていく。

運転ができなければ郵送しようと思っていたが、難儀していた頻脈がふっと消えた。

いつまた復活するかもしれない怖さがある症状である。

毎日が様子見。

数日間に亘って状況変化が認められない。

これなら今しかない。

そう思って車を走らせた。

午後1時前に自宅を出発してから1時間半後の午後2時半。

ご自宅に行きかけたその角地に畑地で野菜作りをしている数人。

この場がFBで伝えていた農園であった。



看板に「ちいきふれあいサロン 大岩ハッピー倶楽部 さつまいも共同畑」とある。

子どもさんも手伝いをされている農園の一角に見覚えのある男性が居られた。

車を急停車してご挨拶。

積み込んでいた図録をお渡しする。

受け取ってもらって、やっとこれで肩の荷が一つ下りた。

この日の午後は仲間たちが集まって餃子作り。

ネパールにも出かける男性が云うには、現地はモモの名で呼ばれている餃子である。

材料も具材も作り方もみな日本と同じ。

名前が違うだけのようだが・・。

たった今作り始めたばかりだという餃子。

チベット文化圏などで見られる郷土料理の一つが餃子。



作り方もニラやニンニクもある具材は日本のギョウザと同じだという餃子をネパールでは「モモ」という名で呼ばれている。

餃子の皮は丸棒で伸ばす。



ニンニクにニラも入れて捏ねて作った具材を皮に入れて包む。

焼きはフライパンになるようだ。

作っている場はもうすでに餃子の美味しい匂いが漂っていた。

ここ農園はBBQもできる設備をもっている。

山小屋風のロッジもあるから暑さも寒さも避けて冷暖房完備の小屋で賑やかに食べているそうだ。

子どもたちは広い農園で駆け回っている。

伸び伸びする開放感あふれる農園は憩いの場でもあり、大人の遊びでもあるようだ。

採りたて野菜のハヤトウリ。



今が季節のハヤトウリをもらって帰った。

また、図録の返礼品に編集・製作が大淀町・大淀町教育委員会の「2016年度おおよど遺産」パンフレットに大淀町教育委員会が企画した「大淀町の歴史・文化遺産」DVDまでいただいた。

男性はパンフレットもDVDも製作もご意見番だった。

(H29.11.11 SB932SH撮影)