この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くこと度々。
記憶は記録。
ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。
2日。午前中に入浴。
午後3時にリハビリ室での運動を終えて戻ってきたAリハビリ療法士に身体状態を尋ねた結果は、どうなの。
正座状態から、なにかを支えに立ち上がれる。
47段の階段に手すりを持ち、身体を支えながらスムーズに登り降りできている。
車の乗り降りもできるでしょう。
外泊に歩行器は不要。
杖つきで構わないが、そっと手を支えるだけでいい。
小刻みな歩き方になっている傾向があり、最初の一歩を膝あげ歩幅を広げるのが筋肉を遣うので、その方が望ましい。
退院するときに、家族さんからそう教えてあげるとクセを治しやすい。
自力入浴はまだできないので監視を要する。
自宅は現在介護用品の入浴椅子に浴槽手すりに浴槽踏み台を設置し、入浴ヘルパーについてもらっている。
介護認定は要支援2なので大阪のケアマネジャーさんと相談し、介護支援施設利用を週2回にセッティングしてもらう予定にしている、と伝えた。
介護支援専門員のIさん。以前、お世話になった大和郡山市のケアマネージャー。
Fさんは、今もケアマネしている、と教えてくれた。
Iさんにも伝えた大阪の居住地の手すり。
部屋と行き来する間に垂直手すりがあり、布団から起き上がる際はそばにある低床型椅子に掴まり、一旦座って垂直手すりに掴まり、炊事台に手を添えて、トイレ柱角の手すりを掴んで移動。
炊事台の端の柱にも手すりがあり、それに掴まってベランダ移動。
手すりは、おふくろの手が届く範囲内。
お要所、要所ごとに設置した。
ストレスで心神閉じこもりが長引けば、たいがいが認知症になる要介護者。
ケアマネジャーさんもそういう。
痛みから解放されてからは見違えるほどのV字回復に驚いている。
ずっとリハビリに集中してくださったAリハビリ療法士のおかげ。
心配していましたが、ほっとしつつ安心しました、と云ってくれたが・・・・。
「以降リハビリは順調ですが、珠に血圧が170に心拍数が40。両足とも浮腫みがみられる。運動不足が原因のひとつ。心臓負担も考えられる」ので退院後は、当院の内科医師に相談してください、ということだ。
明日の外泊にかっぱ寿司に行く。
美味しいまぐろの夢でも見ててや、と声をかけたら喜んでいる。
明日は久しぶりに髪の毛をちゃんとしたい、と要求する。
ならば、南都銀行向かいにある美容院に連れてっていくことにした。
外泊の件、ならびに今後の対応についてケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに電話相談。
要支援では施設入所はできない。
通所サービスは受けられるが包括契約を一旦終了とし、大和郡山のケアマネと包括契約に介護支援施設契約など煩雑な手続きが発生する。
これまで通りの寝起き食事など日々の動きについてはほぼほぼできるのであれば、これまで通りアロンティアクラブに。
ただ、土曜日は開けてまっている、という。
また週2回目の曜日は具体的になれば対応できるよう昨年末にアロンティアクラブにお願いしているからと・・。
ありがたい言葉が嬉しい。
その復帰に通所可否についてのアロンティアクラブ指定の医師の診断書をそちらに送るから、退院が明確になった段階に入院先のT病院に依頼。
手続きが早くできるよう迅速に進めて行きましょう,と・・.
3日。朝のトイレに行ったとき、腰が痛くなった、という今日は外泊迎えの日。
午前11時にでも痛いから横になって寝ていた、という。
気になる症状でもあるが・・。
上衣がロッカーにないから持ち帰ったんやわ。
パジャマから外出着に着替えは自力不可。
だから、かーさんの支度支援に時間がかかる。
用意ができたら看護師さんから薬を受け取り。
ベッド離床は難なく立てた。
病室から廊下。
総合受付前の椅子に座るまでの歩行は、始めちょこちょこだったが、歩幅広げて、声をかけたら大股歩き。
いや、そうじゃなくて、もう少し歩幅を狭めて、と伝えたら丁度いい具合の歩幅。
リズミカルに歩くすたすた歩きがいい感じ。
思わず拍手したくなるくらいの歩き方。
軽バンの乗り降りは、これまでと同じ状態に、弱さはまったくみせない。
あとに望むのは自力入浴だけだな。
病院の来院駐車場を出た時間帯は午前11時22分。
直ちに向かった
かっぱ寿司の柏木店。
タブレット注文したお寿司はパクパク食い。
いつも食べていたかけうどんの味に満足感。
トイレ行きたい、と申し出に十分な排便があり、喜んでいるが、下着・パンツの上げ下ろしは自力不可。
トイレ内でかーさんが手伝ったそうだ。
髪の毛のお手入れは、プラージュ美容院郡山店。
はじめてのお店に、介助のかーさんも就く。
理髪美容院では仰向けができずに髪染めはできなかったそうだ。
だがカッコいい整髪に思わず宝塚やと口に出た。
我が家に戻って、ゆっくり腰かけた座椅子。
座ったときはなんともなかったが・・・
それが‥。
夕方の5時。
トイレに行きたい、と座椅子から離れ、これまで通りの同じように身近な場所にあるテーブルとか、台に手を添えて立ち上がり。
廊下の壁をつたってトイレもなんとかいけたが・・・。
午後6時半過ぎ、パソコン作業していた私を呼ぶ緊急な事態。
椅子に座ってかーさんと談笑していたおふくろがさぶいと、敷いているホットカーペットに座り込んだ。
直にお尻を、そして足も温めたい、とテーブルに手を支えながらお尻を下ろしかけたそのときだ。
イ、タ、タ、タと痛みに声を揚げた。
下げるには痛すぎ、下ろす途中に停止。
どうも朝に痛みをもった同じ部位のようだ。
このままでは無理。
体制に痛みを無視させて座椅子に座らせたらマシ、という。
この容態では夜中に、1人でトイレにもいけなくなる。
すき焼き食べたかろうが緊、急措置を取るしかなく・・・・。
外泊するときに看護師さんが伝えたこと。
何事か起これば病院に電話を・・に、それしかないと判断し、緊急電話をかけた。
かけた総合受付は、医師の判断を伺うから少しお待ちを・・・・。
返答は直ちに外泊は中止。
すぐさま病院に戻ってください、と云われたが、無理無理・・。
この状態では車移乗が難しい、と判断し、救急車を手配した。
サイレンに気づいた隣家のNさんとKさんに事情説明。
外泊から救急棟。救急診療に、昨日のレントゲン状態にぎっくり腰もしくは筋肉痛。
右腎臓がやや大きいのは腫れか?。
H看護師が迎えにきた。
そのときに伝えられた尿管結石の可能性あり。
排尿は少なく数回。
実際は5回。
水分を多くとってください、指示がでた。
明日、医師の指示で検査すると思いますが確保は・・・
午後の遅い時間帯なら原因はつかめているでしょう、と伝えられて家族はいったん院外に。
停めた病院の来院駐車場は、午後7時29分から8時19分まで。
緊急な晩めしにコンビニエンスストアのローソン外川店に。
330円の金シャリおにぎり入り弁当に110円の鶏五目おにぎりを買って再びT病院に。
容体を確認して病院を出た。
その間の駐車時間帯は、午後8時35分から51分まで・・。
4日。朝8時半の電話はおふくろからだ。
今朝のごはんを食べ終わったから電話してん、という。
昨日はずいぶん世話かけて、痛みが消えたという、お礼の電話のようだ。
午後4時の面会。
看護師のMさんの説明によれば、朝にトイレで尿検査。
その検査結果ではまったく問題は見つからなかったようだ。
外科医師と内科医師の診たてに、Aリハビリ療法士の説明は、筋肉と筋肉の間にある筋膜に痛みが走ったもよう。
椅子から床敷に直接移乗するには、まず片足を先に、膝をついて安定させてからもう一方の足の膝を曲げて座る。
そういう訓練をリハビリ室でしていたが、環境の変化に対応認識せず、早く座りたいと思う気持ちが、焦りに繋がり、気持ちだけが早まり、いきなり腰を下ろそうとして筋肉に負荷がかかった、と考えられるそうだ。
自宅環境面から手元に掴める介護用品やベッドも必要とするもうすぐ94歳の骨。
筋肉状態を、本人が理解認識した上でケアマネジャーと相談し、実施してくださいと‥‥
一方、H看護師からは、息子さんの家で世話になったらえーのに、と云われそうだ。
5日の午後6時半。
おふくろが電話してきた携帯電話の目的は・・・。
シャンプー・リンスがもうないから持ってきて、というお願いだ。
そのときに呟いた独白は、まだ痛いねん。
痛みの位置は、今月3日の発症と同じ右側。
身体を動かしたときに痛みがあるという。
先生に、看護師のみなさんに痛いと訴えたそうだ。
午後7時過ぎに、またもや電話。
その内容といえば・・・。
トイレに行きたいから看護師さん呼んで介助してもらったときに痛いねんと訴えたら、田中さんだけでなく外泊した患者さん、痛み再発で戻ってくるケースはなんぼもあるから、田中さんだけが特殊なことでないから心配しないでね、と云われたそうだ。
その返答に、そうやなとしか云えなかった。
6日の朝も、また電話。
痛くないねん、痛いねんと電話で訴える。
その状態は、起き上がりに痛いねん、と訴える。
しかし一旦立ち上がったらなにも痛くない、という。
一昨日は痛い、痛い、いうて介護士さんに入浴拒否したけど、昨日はOKして入った。
日によっていうよりも、起き上がりに痛みがでるからや。
レントゲンを撮った結果。
外泊前も、救急で戻ったときと同じ。
骨に異常がないのに痛いって、もうわからんわ、と2回もAリハビリ療法士がもらしたため息。
そのことを何度も口にするおふくろ。
だったら、なにがってことが理解できないおふくろ。
自宅なら、起きて座椅子両手で支えて、身体を持ち上げて支柱型手すりを掴まったら立ち上がれる。
自信をもっているが、場というか、環境が替わればその通りにしなくても痛いと・・・。
2年前、自宅に戻ってからも時折痛いねん、と云ってたおふくろ。
いつしかまったく言わんようになったの覚えているか。
肘つき椅子の場合は肘支えに。ない場合は両足をしっかり手で押さえて斜め前に力を込めたらすんなり立ち上がれる。
歩行器で戻ろうとしたとき、そのことがすっかり抜けて肘つきを支えやんと前のめりになって歩行器の腕支えに行こうとする。
これ、なんぼ云うてもそうするのは焦り。
焦りが事故を起こす。
慌てやんでえーからゆっくりしてえーねんで、と気持ちを和らげたが・・・
7日。食後の朝8時半にかかった電話は、今日は痛くないで・・。
心配させたくないように、と思う電話に朝食は・・の問いに返答した・・
談話室に食事したいが、意に反する行動・奇声がいややから行かへんって・・
午後4時に本日2度目の電話は、病院が用意してくれていた面会用マスクが不足しているから自前のマスクを用意してくださいということだった。
8日。今、履いている靴だったらトイレで滑るから危ない。
履き替えた方が望ましいとAリハビリ療法士から指摘され、院内地下にあるコンビニエンスストアに売っている千円くらいの介護用品靴を買った。
履き心地確かめて気に入った黒色。
病室で履き替えた介護用下履き靴。
これ履き心地えーわって・・・
昨日の夕方は、右足の膝が痛たかってん。
起きられへんかった。
股関節を撫でてたら治ってん、と喜ぶ声。
外泊は、もう1回してから退院したいか、それともいきなり退院したいか、おふくろの意思を確かめる。
ただ、いきなりというが、現状の入浴が機械浴なら自宅戻って家の浴槽に浸かることはできひん。
施設アロンティアクラブも無理やん。
着替えも自力でできないからとてもじゃないが無理。
看護師、主治医、リハビリ療法士からその点については話しがない。
H看護師は、息子さんのお家で入浴すればいい、という見立てやけど・・・
9日。午後5時50分に電話に出たら明日に話すとしか言わない。
これはなにかトラブルでもあったのだろう。
病院内に違いないが、相手はダレ?。
よほど悔しいことに巻き込まれた事件と察知し、緊急面会に顔を合わせた驚く顔のおふくろ。
今日は午後2時になっても風呂に入れてくれない。
順番待ちという介護廻し。
午後5時になって、今日の入浴はもう済んでるという。
そんなことはない。
下着も着替えてないから乾いている。
シャンプーは新品やから、と訴えても入っているとばかり・・・・。
疑いの眼で見た名前はN。
入浴していたのを見ていましたから、と云い張る。
入浴状況の調べでも、入浴済になっている、と・・・
2カ月間も入院していたらボケたんや、と思っていたら、なんとH看護師がちゃんと調べてくれてはった。
原因は院内のチェックが誤っていた、とお詫びしてくれたけど・・・悔しくて、悔しくて電話した。
悔しいから泪が止まらない。
話しを聞いてもらっても悔しさは消えない。
H看護師がいうには、病院の配置換えに慣れてないし、顔も覚えていない、いわば新人レベルのN。
だが、ご本人は、はなからおふくろを認知症としか見てないのではないだろうか。
業務を引き継いだ3人の看護師。
H看護師の他、日ごろ優しく接してくれているTさんに眼鏡が特徴のOさんら看護師は誰ひとり、田中さんが認知症になっていないと・・。
そう云ってくれても悔しさは消えない。
10日。昨日の悔しさはなんだったんだ、と思うくらいに今日は晴の顔。
悔しかったことは微塵も見せず、食後の午後に入浴してもらってすっきりとした顔になっていた。
面会が終わってからはリハビリになるらしいから院から退出した。
我が家に戻ったかーさん。
夜のトイレが不安だから、といっておふくろにポータブルトイレを奨めるが、外泊期間中の昼間に何度か行き来するし。そのときの状況を看てからでも遅くない。
午後5時の携帯電話。確認をとったAリハビリ療法士から外泊の奨め。
本日のリハビリ運動が、実に順調。
階段の上り下りは苦にならないから外泊したい、と申し出たおふくろ。
試験外泊日程は、3月12日に決めた。
外泊日の午前中に入浴してもらってから、午後に外泊。
明日の面会時に看護師に伝えることにした。
11日。Y看護師に記入した試験外泊届けを提出。
午後2時に退出するので、今後のことを考えて入浴は自力(※今は身体がふらふらしているので安全上機械入浴中)でできるよう、Yさんが介護を看守って、入浴済ませておきますと・・
また、退院する際は現在通所している介護施設のアロンティアクラブ指定診断書に主治医の診断を書いていただくようお願いした。
試験外泊を終えて、病院に戻ってくるのは夕刻。
晩は病院食を食べたいから、というので13日の午後4時に設定した。
Aリハビリ療法士からの注意指示は、座り方。
お尻は座敷の床に、直接おっちんしないように気をつけてください、ねと‥
12日。2度目の1日試験外泊。
介護支援専門員のIさんもAハビリ療法士も・・。
また救急車で戻ってこんように、くれぐれもお尻をおっちんして座らないように、と念押し。
迎えに行ったら、まだパジャマ姿に唖然。
着替え支援に、かーさんは病室行きの許可をもらって入室。
看護師さんに試験外泊と伝えたら、1日分の薬を用意するのでお待ちください、と言われて待っていた。
H看護師が用意してくれたのがカバンの中にあるわって・・おふくろ、早く云ってよ。
看護師さんが2人がかりで、袋詰めをしているのに・・・
アロンティアクラブ指定の医師診断書発行について、M看護師に伝えたら、総合受付にお願いしたら退院のときに渡す、ということだった。
念のためAリハビリ療法士に云えば、介護支援専門員のIさんに、ということになったそうで・・・。
診断書は、お預かりになった。
その際、本日届いた請求書に入院費用を支払う。
なお本日の入浴は、介護士2人が脇から支援するような行動に立った。
倒れないように介助手前のやり方。
M看護師の話によれば、ほぼほぼ大丈夫だったと、いう自力入浴だったそうだ。
軽バンに難なく乗り降りできたのに‥‥
我が家に据えた玄関座椅子。
座ったまま、足をあげてリビングに向かおうとするが、足を前に投げ出したままでは無理。
座椅子をもってきて掴まり立ちも無理。
時間をかけて説明もするが、膝曲げもしない・‥
環境場所がかわると、リハビリで運動に教えてもらったのが、すっかり消える。
この状態ではあかん。
こういうときが来るであろうと、思って残しておいた産経新聞の折り込みチラシ。
籐製の立ち上がりサポート用具の見本を示して説得したら、お願いします、という。
かーさんも、購入に賛成した
買い物行き。
はじめに見たのは、玄関上り口用の足おき台。
プラスチック製の安価な製品。
軽い製品はあるが、重みのある木製の方が幅広い。
これなら、買いだろ思って見本を運ぶ。
見本なら、お安くなるのでは、と期待し、店員さんをコールしたが・・・・最後の一品でしたらねぇ・・・
その店員に、これも買いたいと案内した介護用具売り場にあった一品。
気に入ったので少しまからんか、とお願いしたベテラン女史店員さん。
私には権限がないのでと売り場コーナー長に連絡してもらった。
これだけですが、と値段交渉のありがたい返答。
以前も最後の品物やからとそうしてくれたのがさすがのダイキさんだ。
でもね、この製品台・・グラグラやからこれでは介護の身のおふくろが使用したら危ないから、よう使わんと、いうやろな、とぽろっと声を洩らしたら・・・そこにネジ孔が‥‥
よく見れば六角レンチ式の固定棒がある。
一つは内部に埋もれていたので取り出せたがもう一つはレンチ孔がない。
どうやら逆さまに無理やり入れたもよう。
誰かわからんが、素人的対応になんとか外してくれた若手店員さんにベテランのOさん。
若手のOくんの素晴らしい対応に感謝、感謝であった。
自宅に戻ってすぐさま対応した床上がりの台乗り。
とてもラクになるわと喜ぶおふくろ。
下駄箱の引き出しを広げて空間つくり。
手を入れて掴めるようにして
設営したサポート用具。
玄関あがりに置いた設営した立ち上がりサポート用具。
これえーわ、とえらく気にいったおふくろ。
色も風合いもブラウン塗りに落ち着く用具。
対応が、スムーズだったのが嬉しくてありがとう、と手を合わせるおふくろ。
ところで介護用具を買う前に動いた我が家でのトイレ行き。
難なく移動できたが、移動は廊下だけでなく、リビングルームにも・・。
ということで持ち運び、移動が可能な立ち上がりサポート用具。
あちこちの位置に、それぞれの箇所に、その都度運べば、十分以上に使える。
トイレ行きは廊下の壁つたい。
用足しに下着の上げ下ろしも難なくできた。
リビングルームに戻るのも難なくできる上々の結果。
あとは夜間の独り行動だけが、どうするか、だ。
この日の晩。
午後10時から11時半までにしたおふくろの動きを、練習する。
敷いた布団から起き上がり。
立ち上がりサポートまで手は届くが、膝立ちせずにどうしても足を伸ばそうとするクセがある。
なんとか立ち上がって戻ってきた布団。
女座りができずに足は伸ばしたまま。
何度も身をもって、こうしてするんだよ、と伝えてやっとこさの女座り。
寝床に横になったはいいが、捲った布団が手元にない。
上布団あげは三角型になってしまう。
何かあったときのために携帯電話は枕元に近いところに。
ペットボトル茶も、テイッシュもゴミ箱もすべて枕に近いところに。
また座椅子もより近いところに寄せて・・。
この状態が続く限り住之江住居は低床型ベッドの世話にならざるを得ない、と告げたが‥反応はない
13日。夜のトイレも、朝に目覚めてからの立ち上がりは、手すり支えに歩きが難なくいけた。
昨夜は心配させたが、起床してからも一切が痛みなし、にもう帰りたいと訴えるようになった。
ちと早すぎるんじゃないの。
尤も、今年の1月4日に入院して以来、ずっと奈良の病院生活。
無理ないと思うが・・・。
昨夜の状態では、今後の居住地の独り暮らしが心配される。
新聞ちらしにあったダイキに良さそうな安価なベッドはどうや、と話したらそうやな。
かーさんも賛同したから外泊戻りはにダイキ立ち寄って見てみるか、と伝えたら頷いた。
その気持ち、考えが消えないうちに、一気に進めたいベッドの購入。
かーさんがネットで探しだした巾80、長さ200の組み立てベッドが楽天市場に見つかった。
寸法を測って、早速注文した。
出かけたダイキの見本ベッドコーナー。
入口から、とにかく遠い位置にある。
歩きに、途中3回も休憩するが、しんどくはない、という。
休んで、歩いて、休んで、歩いて着いた
ベッドコーナ。
その状態なら往路も大丈夫やろ。
午後4時に戻った病院。
試験外泊を終えて病室戻り。
外泊時の身体状況ならびに動きから判断して買った介護用具の使い勝手。
大阪の居住地に戻りたい、というおふくろの気持ちを汲んで、退院の意向を申し出た。
介護支援専門員のIさんに相談したら、本来が「手の外科」が専門のN主治医に報告されたら、希望する15日に決まった。
退院は、食事に入浴を済ませた午後2時に決定した。
なおアロンティアクラブ指示の診断書は1100円。
支払いしたら発行されるが、間に合うかな。
間に合わなくても大阪の耳鼻科が午前11時だから9時頃までなら間に合う。
また西病棟担当看護師にリハビリ療法士からのお手紙も渡します、と。
次回の通院は1ヶ月後。
継続服用処方箋も対応する。
それより、もし大阪の外科医院に紹介状もできますが、と‥。
レントゲンデータであれば時期遅れますが、どうでしょうとの問いに、いつ再発症するや予測もつかないだけに、預かる対応でお願いした。
午後6時、ケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに電話かけて退院決定を伝えた。
2度にわたる試験外泊になった状況も伝えた。
で、ケアマネ相談あ3月16日の午後2時以降にしたいと申し出た。
明日にヘルパー契約のハート介護責任者とアロンティア責任者にも来てもらい。
今後の取り組みを協議しましょうと・・
三者のスケジュールを調整して、また連絡しますと‥
14日。
T病院の介護支援専門員のIさんより自宅に電話があった。
預かっていた診断書は主治医のN医師に記入してもらった。
有料と伝えていたが、本資料は保険請求に対する診断書でなく介護施設指定のリハビリテーション治療における情報提供書、またリハビリテーション治療を主とする西棟入院患者であることから、非有料と判断され、退院時に手交とする連絡だった
15日は退院の前日。
あの日、私らが帰ってから腰が痛くなったようだ。
あるリハビリ療法士に診てもらって少しはマシになった。
で、今日の午前中にAリハビリ療法士にリハビリしてもらったから、今は痛くない、と状況を聞いているときに、Aリハビリ療法士が、病室に来られた。
3月2日付けのリハビリ実施計画書をもっての報告に、自立度は半分の7に要監視準備。
入浴だけが、4の一部介助である。
ただ、現在はほぼ自立状況。
昨日に腰が痛くなったのは、ダイキに出かけたときの距離の長さが大いに影響していると判断された。
前のめり歩きに負担あり。
その歩き方では、腰を痛めるから、それよりも立ち上がり回数を繰り返し。
また階段登り降りが、筋肉高めるには効果的と、伝えられてハっとした。
明日の入浴も、前回同様に自力で着替えする、というから準備が整った。
Aリハビリ療法士にも、急遽揃えた、介護用具の踏み台。
立ち上がりサポートがこういう用具です、と撮った写真を見せて説明したら十分な対応です、と・・・。
また同じくダイキでマットレスベッドも見てきたので、現在、通販に注文している巾80の・・・と伝えたらそれもえーことです、と‥・
16日はおふくろの退院日。
やっとこさ開放される。
病室を出たら顔なじみになった患者さんらが見送ってくれる。
百歳まで元気でいてね、と云われて、満足気。
入院費用は6万円ほど。
支払った領収書をもって診断書を交付された。
アロンティアクラブの指定フォーマットの指示書。
他に受け取った担当ケアマネ行きの看護サマリーにリハビリサマリーも手交された。
さらに向こう半年間有効の万が一対応。
入院していたT病院以外の医院に受診する場合に必要な退院証明書である。
また、診療明細書も手交された。
次回診察は4月4日の土曜。
午前10時よりの診察に、それまで服用する処方薬も渡された。
昨日から今も筋肉痛で歩きは前屈み。
歩幅も短くなったが、なんとか無事我が家に戻った。
あとになってわかった忘れ物がある。
洗面所に置き放しのカップに歯ブラシ、歯磨き。
直ちに取りに行くはめになったT病院。
今日、2度目に会った若い看護師さんに伝えたら対応してくれた。
わざわざ持ってきてくれた忘れ物。
これも忘れていました、と手渡されたテレビ機械に入ったままのカード。
1階にある精算機で清算したら60円もあった。
17日。おふくろの退院の晩はお腹いっぱいに食べて満足したばら寿司。
目出度いときに食べるばら寿司をつくってくれたかーさん。
午後11時、布団に横になって直ぐに寝ついたおふくろ。
朝4時のトイレに起き上がって一旦は座椅子に座る。
その場でおよそ30分も休憩をとって用足しに動く。
済ませたら、また座椅子に座って30分の休憩。
それから寝床に落ち着く。
朝7時半に起きたおふくろ。
暑いからもどしそう、といってトイレの排便。
だが、ゲーゲーに吐いていた。
黄色いのんがでた、というおふくろ。
それからリビング。
しんどいらしく、横になった。
明日の三者面談に行けるやろか。
そのときは、体調不良ですと、連絡して日延べしてもらうようにするから‥・
正午の時間。
ちょっとマシになったというが、どうやろ。
夕方のトイレは行けたが、椅子に座ってからもどしたらしく、昼間に食べたバナナのカスが・・。
尤も、それしか食べてないけど・・
ただ横になりたいこともなく、座椅子に座っていたからちょっとマシになったようだ。
この状態では、明日の三者面談はできそうにもないので、ケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに電話した。
Fさんは、体調が良くなってからにしましょうと・・
その都合もあり、予定していた耳鼻科に電話した。
が、ベルは鳴れども、鳴れども、受話器は取られず・・。
まさか閉鎖してるんやろか。
晩ご飯はおかいさんとか流動食を奨めたが、食べる気がせーへんて・・・
18日。午前4時のトイレに座椅子に座らず、いきなり立ち上がりサポート用具つかまり立ちできたと・・・
歯も磨きたいし、洗顔も、といって台所で済ました。
朝食はおかいさん1杯に少し残した鮭の残りもんにほうれん草も口にした。
美味しかった、とみかんも食べた。
昼めしは、パンとコーンスープ。
それもまた完食した。
元気を取り戻したようなので、階段運動でもしてみるか、と尋ねたら、まだやっ、と返された。
晩めしは、前夜に食べられなかったおでんの残りをぺろりと食べた。
おまけにハッスル5で買っていた蛸のタタキも口にした。
蛸のタタキは、柔らこうて、美味しい、美味しいと、2切れも食べた。
テレビが放映していた「家ついていっていいですか」の番組に栃木のカンピョウ祭り。
その映像に民俗の一コマが・・。
映像は、ポリバケツで洗う芋洗い。
その映像を観ていたおふくろが若いときの記憶を回顧した。
滝谷不動さんにあった生家の母家。茅葺家の民家だった母屋。
正月前の父親は、いつも木桶に栽培したドロイモ(※里芋)を入れて芋洗いをしていた、と・・。
皮ごと入れたドロイモ。
水浸しのバケツに突っ込んだ板一枚を持って、左右に振りながらコネコネ。
それが芋洗いだった。
正月の雑煮に入れるドロイモもそうだがお皿いっぱいに芋を盛って食べていた、と・・。
また、お月見のときも同じように芋洗いしていた。
奇麗に皮が捲れた芋を供えていた。
記憶が鮮明に蘇ったのだろう。
思わずメモったおふくろの芋洗い記憶。
民俗調査のおりに執筆する機会があれば、おふくろの体験談として記録しておこう。
19日。体調が戻ってきたおふくろ。食欲も旺盛になってきた。
調子よく食べられるようになってきたおふくろの状況は、Fさんに電話した。
その状態なら、3月24日の火曜日に調整をお願いした。
また、実弟三男にマットレスベッドの組立・設営をするので応援依頼。
三者懇談の前に設営しておきたいマットレスベッド。
着々と進める独り住まいの介護環境の整備。
設営できたその日から、おふくろの独り住まい。
尤も介護の通所デイサービスに介護ヘルパーがあってこそなんだが、この日から“独り”は寂しい、と・・。
24日には、今後の対応のすべてが決まる。
私は、それを見越して判断、行動している。
20日。
3度の食事は少量だけどモリモリ食べる。
履いていた靴下を脱いだ両足の浮腫みの酷さ。
一日中座ったままでは血液循環もよくないと、云ったが・・・
せめて横になるときくらいは足の方を心臓より上にしないとな。
で、敷いた布団の足もとに重ねた座布団2枚に足を伸ばして寝たら少しマシになったと喜ぶ。
かーさんが先に入った入浴、その10分後におふくろ自身が脱衣して退院後4日目に我が家の風呂に初の入浴。
先つかりして洗い。
そして湯舟つかりにさっぱりしたと喜ぶ。
就寝前に台所に移動して口洗い。
今夜はぐっすり眠りについて朝までよー寝れたそうだ。
21日。
午後の気温の高いえー状態。
かーさんが連れだっての外歩き。
自治会掲示板までだったが、気持ちよかったと喜色の顔。
午後7時ころ、排便ができていないから浣腸をしたが、液体ばかり・・・
2回目もした浣腸に多少の便が出たらしい。
が、一瞬でもよおすからトイレに間に合わなくて下着を汚した。
22日。今日は、大阪に出かける。
居住地に
設営するマットレスベッド。
4階まで運ぶ組み立て式簡易マットレスベッド。
作業も1人よりか2人の方が助かる。
応援を願った実弟三男が応援に来てくれた。
3カ月間も不在していた居住地の清掃も三男夫婦がしてくれたので大助かり。
ここぞ、というときの支援は、ほんまに助かる。
23日。
目覚めは午前8時半。
就寝してぐっすり眠った。
今、起きたばかりにトイレ急行に、排便は調子よく。
足の浮腫みもずいぶんと収まった、という。
前日に体験した久しぶりの階段上り下りなどに、身体も心も疲れたのだろう。
新た導入したマットレスベッド。
居住地の部屋が見違えるほどに奇麗になった喜びもあったろう。
ケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんからの電話は、通所デイサービスは水曜日と土曜日に。
アロンテイアクラブの担当者は男性のSさんに決まった。
当日は、少し遅れるために午後2時からの三者協議とした。
先に来られるのはハート介護責任者のKさん。
午後1時半から30分程度しか打ち合わせできないそうだ。
おふくろに、明日住之江に戻るけど、とかーさんが伝えたら寂しいっていうが、今後の予定に通院が2カ所もある。
4月1日は、やまね耳鼻科の通院。
4日は、T病院も通院があるから、明けた5日は、また奈良に・・。
また、31日の火曜から4月7日火曜にかけて、どこか一日は畠中医院の通院を考えているので、その日までは、奈良泊まりにするから・・・。
晩食に確認したヘルパーさんが来られる曜日もあれば通所デイサービスも・・
買い物ヘルパーはこれまでと同じ、慣れている火曜の午後2時。
デイサービスは、水曜と土曜だから、明後日の25日はアロンテイアクラブだよ、と念押しした。
じゃぁ、今夜に食べた晩めしの塩鯖焼きは翌日の夜に廻すから、といって持ち帰り。
そうするなら、大根の切り干しの煮物も持って帰るか、といえばそうする、という。
また介護じゃないが、おふくろが騙しにはめられた清算処理がある。
騙しの事件は、電力小売電気事業社エレトス合同会社の販売代理店のやり口に・・
その後に破産したエレトス合同会社。
事業清算処理にあたった
破産手続エレトスジャパンエルピー管財人債権電気供給支払い。
破産になったが、電力を実際に使用していたからふくろには支払う義務がある。
19503から190519期間の使用料金は2451円。
19520から190617期間の使用料金が3943円。
これらは
破産管財人が指定する三菱UFJ銀行に支払う。
振り込み手数料引きの6284円を振り込み、ようやく肩の荷が下りた。
24日に戻った住之江・居住地で行われたケアマネ担当者会議は、午後1時20分から午後2時半まで。
介護施設アロンティアクラブへの通所デイサービスは、水曜日(※本来、要支援の場合は週一だがアロンティアの計らいで)と、土曜日。
洗濯もんが出るから介護ヘルパーさんの日は木曜日。そして休日明けの月曜日とした。
時間帯については担当するヘルパーさんの都合もあり、別途調整する。
ヘルパーさんが来る前には、汚れもん入れて先に洗濯機を回し。
洗い終わって・・・例えばその日は買いもの介護ヘルパーとしたら、ヘルパーさんに洗濯もんをベランダに干してもらって(※洗濯もんの取り込みはベランダ出たそこまでの範囲なら自力可能)からスーパーに。
もう一回は掃除日にしましょう。
昨年の12月21日に痛くなったのは、リハビリ回数が体力にあってなく、無理があったと思われる。
本人がつい頑張ろうとしてオーバーワークになったのであろう。
それが圧迫骨折になった、原因と考えられる。
ご本人の、そのときの身体状況をとらえた状況判断。
規定の回数は、きっちりこなさなくちゃ、という考えはくれぐれもせんように、とケアマネジャーのFさんからアロンティアクラブの担当Sさんに伝えられた。
要は、無理しないということだ。
念のため確認したT病院の所見には、身体が前屈姿勢になった状態で、片足をま横に揚げたままだったから骨折に陥ったと想定される、とあった。
25日はケアマネプラン作成日。
その日を起点に利用日とする。
ただし、4月1日がやまね耳鼻科診察。
奈良に戻った4日はT病院の診察。
その日に、入院以来、ずっと装着していたコルセットについては、たぶん外す許可が出るはず。
また6日に戻ってくるからアロンティア利用日は、28日の土曜日が再開はじめ。
次の4月8日水曜から毎週2回。
介護ヘルパーの再開はじめは30日の月曜日から開始。
6日からは週2回の月曜日、木曜日。
そしてSさんに手渡したT病院発行医療情報(※主治医N医師捺印発行の通所リハビリテーション指示書・リハビリテーション部報告書・3枚の患者基本情報・薬歴情報)はコピーして夕刻に一回りしてから立ち寄って引き取り事務所に。
介護披保険者証はFさんに手渡し。
また、万が一の緊急入院があれば大阪と判断し、その場合はまた、Fさんに動いてもらわなあかんかもしれない、と思ってT病院の退院証明・診療明細書も預かってもらうことにした。
復帰のための協議、調整、書類提出など、用件すべて済ませたこの日。
3カ月ぶりのゴミ出しも調えた。
25日。朝10時に起床したおふくろ。
夜間が寒かったから、エアコンも、ホットカーペットもつけずに、湯たんぽを探した。
足もと温める湯たんぽは、
電子レンジでチンする「湯たぽん」。
あるにはあったが、温め方が思い出せず、残り物の使い捨てカイロ利用した、と・・
Fさんからの電話は、ハート介護のヘルパーさんが来られる曜日と時間が確定したそうで、月曜は11時45分。
木曜は午後2時15分より。
初回日程は、3月30日の月曜日。
2回目は4月9日の木曜に決まったと伝えてくれた。
28日。
3カ月間の闘病期間。
介護施設に行けなくなった空白期間を経て、昨年の12月21日以来の久しぶりに利用する介護施設アロンテイアクラブ。
前日に、かーさんが電話したら、その日とは覚えてなくて・・・
えー、着替えなど支度の仕方を伝えていたのに・・
そのときの電話によれば、朝は午前10時ころに起きて、午後2時、3時に朝飯兼昼飯を食べていたという。
その日はフライパンで炒めもん。
長時間立って調理していても痛くなかったようだ。
アロンテイアクラブの送迎も難なく戻ってきたそうだ。
以前から施設に通所しているお友達のIさんらに大歓迎されたようで喜んでいた。
また圧迫骨折の原因になったときの担当リハビリ療法士は、直にお詫び。
頭をさげた上、きちんと詫びた若い療法士。
反省されたので、これからも体験を積んで大きく育つことだろう。
30日。おふくろから携帯電話がかかった。
今日はヘルパーさんが2人も来てくれて、一人は洗濯干し。
もう一人は買い物に・・
携帯電話のかけ方が、わからんようになって教えてもらったそうだ。
その電話に担当のOです、と電話での挨拶もしっかりしている。
そのときにわかったおふくろの腰痛。
昨日の朝から発症したという右腰痛は、Oさんが伝えてくれた。
昨日の夕方のかーさんの電話に、腰痛の件は黙っていた。
たいしたことないと思っていたのは、勝手な自己判断。
まさか、まさかの急展開。
明日に出かけた大阪の居住地に何が起こったんだ・・・
(R2. 3. 3、12、16、24 SB805SH撮影)