ストローバレイ家の介護奮闘記

90→→92歳の母を支える4姉妹の泣き笑い奮闘記・・とその後

ニューヨーク雑感

2018-11-11 10:42:02 | 日常
            

三女とニューヨークを旅行してからもう1月近く。遅ればせながらのニューヨーク雑感集記です。(帰国後すぐに三女がアップしたブログと対象が重なるところはなるべく省いています。)

ニューヨークには夫の赴任でしばらく住み、その後自分の出張などもあり最後に訪れたのが1993年。もう25年も前のことです。知人達からこの間ニューヨークは良くも悪くも凄く変わったという話を聞いていたので、昔のニューヨークに強い思い入れを持つ私は、期待半分恐れ半分でJFKに降り立ちました。

  
   
旅行会社から迎えに来ていた車に乗ってブルックリン経由でホテルに向かう途中の景色は、昔ながらのレンガ造りの中高層ビルが立ち並び、しばらく走って見えてきたマンハッタンの街並みも遠目には昔のまま。懐かしい通りの名前やビルの姿に、思いもかけず25年の空白がなかったかのような気分に襲われました。

そうして始まった6泊8日のニューヨーク滞在の日々。やはり、ニューヨークは変わっていました。(以前の生活の場、徘徊していたのが主にミッドタウンだったため、そのエリア中心の感想です。)

<治安>

     
左 NY市の犯罪件数推移(1993~2015)  右 NY市の人口と殺人件数の推移(1960~2016)

まず一番印象的だったのは、よく言われることですが治安の変化。

70~80年代は犯罪率が高く、夜の静けさを破るけたたましいパトカーのサイレンが毎晩鳴り響いていました。それが今回の滞在中は皆無。勿論これは100%歓迎すべきことなのですが、静まり返ったニューヨークの夜に、違う街に来てしまったような違和感と一抹の寂しさを感じてしまいました。

ホームレスや、獲物を狙うかのようなギラギラとした人々も、皆無とは言いませんが随分減っていました。昔は結構怖い思いをしたこともあったので、“目的地に行くまでにどうしても危ないエリアを通らざるをえない”という厭な夢を最近まで見たりしていたのですが、今のニューヨークに暮らしていたらそんなことは多分無かったのでしょう。

<街並み>

     

アメリカは好景気に沸いているそうで、それを象徴するかの如くニューヨークは建設ラッシュでした。私見ながら良くなった地域、残念な地域、変わらずにいてホットする地域など様々です。

ミッドタウン、特にセントラルパークの南側には妙に細長くそびえる、個性的と言うよりも周囲との調和を無視したようなビルがニョキニョキと建ちつつあります。セントラルパークから南側を臨む昔の落ち着いた景色は望むべくもなくなったようです。

     
    
5番街では古い石造りの建物の前面が店の大きな広告で覆われていたりしていて唖然としました。

            

その一方で、統一感がもともと無かった3番街やコロンバスサークルなどは林立する新しい高層ビルが近代化と高級化に貢献。勿論ミッドタウンのそこここにあるトランプ関連ビルは威容を誇っていました。

東西を川に挟まれて横への拡大が限られるマンハッタン。こうして経済第一主義でどんどん発展していく、発展してきたのがニューヨークなのでしょう。用途やゾーンによってある程度の建築規制があるようですが、もうちょっと規制が強くてもよいのではと思ってしまいます。

<物価>
            

デフレの続いた日本から来たせいか、昔のイメージがあるせいか、物価の高さとチップを堂々と請求するシステムには驚きました。

例えば、朝食用にパンとコーヒーなどを買う時に10ドル札を握って待っていて、足りなくて慌てて数ドル追加することがしばしばありました。一般のレストランの食事の値段も同様にイメージの1.5倍くらいです。

更に、レストランでは昔は多くても15%程度のチップを適当に置いていけばよかったものが、今はgratuityとして請求書に15%、18%、20%の価格が提示されていて選択させられるケースが一般的。本当に世知辛くなりました。

レストランでは税金とチップを合わせると表示価格に25%以上上乗せされることになる覚悟が必要です。

<乗り物>
            

マンハッタンは街歩きが楽しみの一つですが、それでも距離のあるところや時間帯によって応じてタクシーや地下鉄、バス、列車(三女のみ)とすべての交通機関を利用しました。

地下鉄はとても安全になっていますが、東西の移動がしにくくラインも沢山あるので、近場ならばタクシー利用が圧倒的に便利です。ただ渋滞にはまると時間的にも金銭的にも計算ができないし、チップを考える面倒さはあります。

地下鉄はさすがに昔のトークンからメトロカードに変わっていました。ただそのカードの改札の通し方が慣れないと難しく、溝に沿ってカードを通すだけなのに、“too slow”などと表示されてしばしば通れないことが。慣れるとどうということもないのですが。今後日本方式に変わる方向という話を聞きました。

バスは、リンカーンセンターの帰りに2回乗っただけなので他のラインのことは分かりませんが、客質の観点から、余り居心地は良くありませんでした。

<観光>

  
     
今回、ワイナリー巡りとシャンパン・ブランチ付クルーズの2つのオプショナルツアーを利用しました。これらは新たな体験でなかなか楽しかったですし、よく練られたプランは個人の街歩き観光の枠を超え、華を添えてなかなかいいものです。詳細は三女のブログの通りですが、私の追加の感想は“飲み過ぎた!”です。

     
   
帰国日にJFKに行くまで時間が余ったので、ローワーマンハッタンを巡る2階建ての観光バスに乗りました。最近は日本を含め観光地にはよくあるバスですが、さすがニューヨーク、ガイドの実況のほかに、イヤホンで聞く説明は11か国語に対応していました。



通る地域によっては道の渋滞がひどく所用時間が計算できないのが難点ですが、2階から見る景色は地上からとは一味違うし、街の全体像もつかめて楽しいですね。

<出会い(街歩きの最中に出会った出来事)>

      

8日のコロンバスデイのパレードのために7日の5番街は警官やバリケードだらけ。それにも拘わらず当日のパレードはひどく小ぶりで盛り上がりに欠けていて、パレードというものは期待外れが多いということを再確認したひと時になりました。過度とも思える警備の厳重さは多分テロ対策なのでしょう。

            

セントパトリック寺院で日曜のミサ。柱ごとに司祭の姿を映すスクリーンがあるのは今風なのでしょうか。確かに合理的ではありますが。

  

車や人が行き交うアッパーイーストサイドの街路樹の下で木の実をあさるリスを見かけるのも、ニューヨークの街ならではの出会いといえるかもしれません。

マディソンスクエアガーデンの周りにアイスホッケーのユニフォーム姿の人達が集まっていたり、地下鉄や通りでJets(アメフト)のユニフォーム姿を見かけたり。試合当日の昔の自分の姿を見るようで本当に懐かしい出会いでした。

<レストラン>
                  
             
                  ポスター


               ホームページより

J.G.Melon:映画“クレイマー、クレイマー“(79年公開)にも登場したアッパーイーストサイドのハンバーガー店。

昔通りハンバーガー、チリビーンズ、コッテージフライ、ビールをオーダー。店の雰囲気は昔のままだけれど、味にはもっと感激したような気がします。ハンバーガーといえばマックぐらいだった時代、肉を好みの焼き方に焼いてもらい、トッピングやケチャップで我流のハンバーガーにして食べる食べ方そのものもが新鮮であったし、年齢的なものもあったのでしょう。若い店員達は映画“クレイマー、クレイマー“そのものを知らないのだろうなと過ぎ去った年月を思う一時でした。

Lincoln Ristorante:リンカーンセンター内のイタリアンレストラン。オペラの前なので軽めに白ワインとラビオリをチョイスして、追加でデザートをオーダー。外のテラス席で開場時間までゆったりと暮れゆくリンカーンセンターの景色と美味しい食事を楽しむ、今旅行最後のディナーに相応しい優雅な時間でした。

<オペラ>

     
 
昔、サブスクライブして年に10数回通っていたMETのオペラ。良い席はサブスクリプションやパトロンなどに一般発売の前に抑えられてしまうので、今回はチケットエージェンシーを利用して割高ではあるけれど好みの席を購入(したつもり)。

・アイーダ(土曜のマチネ)
 チケットエージェンシーを通じて押さえておいたチケットが、昔観ていた席のすぐ近くで私的にベストの席。METらしい豪華な舞台で歌手達も全員素晴らしい。すぐ後ろがブラボーおばさんですごいノリ。隣のおばあさんもつられてブラボー。オペラのできも劇場の雰囲気もすごくよくて納得でした。

・サムソンとデリラ
 席はオーケストラのP列にしたのですが、右端だったため舞台の一部が上の階の陰になったり、休憩時間に人の出入りで頻繁に立たねばならなかったりという半端な席。チケットエージェンシーを通じると列までは分かるのですがシートまでは分からないのが難点です。オペラも期待のアリアだけは本当に素晴らしかったのですが、全体的に今一つ乗れない感じ。METに(私が)求める演出とは違うなと思っていたのですが、ブロードウェイで評判をとった演出家が担当したと知りさもありなん。ニューヨーク最後の夜にしてはちょっと残念な結果となりました。

蛇足ですが、METではPLAYBILLと言う、オペラの内容や出演者などを紹介する小冊子が会場に入るときに無料で配られます。日本のような立派で高価なプログラムが必要なのかいつも疑問に思っています。

<総括>
             
 
以前のニューヨークは、古い落ち着いた街並みにハイソ感と薄汚さが混在してひどく人間臭い街でそれが魅力でもあったのですが、25年振りに訪れたニューヨークは2階建ての観光バスが暗くなるまで走り回り、新しいビルが林立する明るい街に変貌していました。そのニューヨークで生きる人々は、以前はフランクで冗談好きな人が多かったのが、今は少し無愛想になったような気がします。この違いは、こちらの立場が住人から観光客に変わったことで接する人々が多少異なったためということなのでしょうか。

これらの変化に多少の戸惑いはあったものの、やっぱりニューヨークはニューヨーク。25年のブランクを超えて昔の感覚にスーっと戻ったことに一種の驚きと感慨がありました。

そして旅行全体を振り返ると、観光を含む目一杯のスケジュールをこなし、美味しいものを食べ、好きだったNY生活を顧みることができてすごく納得しています。

帰国して日常生活に戻った今は、ニューヨークにいた数日が本当に夢のよう。また行く日が来るのかな~。

            

最後に、今回旅行するにあたっては家に残していくことになるシャイな猫のことが一番気がかりでしたが、ペットシッターさんとゴルフ方々留守番に来てくれた友人たちのおかげもあって、帰国後しばらくは文句を言い続けていたもののすぐに安定、心身ともに健康そのものでした。意外にタフな子だということが分かったので、また置いて出掛けられるかも。(四女)

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