都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

匠たちの名旅館(稲葉なおと):冗長な文章だが、知見はある、数寄屋設計の専門家向け

2013-11-04 06:57:18 | 芸術
 読みにくい内容だ。知見は:
・棟梁の平田雅哉は進取の数寄屋、駄目な職人は列記のなかで「ホ 物をこしらえる時、尻をかけて(腰かけて)やる奴」
・つるやの「平田流飾り組子の障子」はモダンだ
・吉兆の本店が綺麗なのは洗いをかけているから
・吉村順三の俵屋で意匠はほとんど残っていない、天橋立の文珠荘新館は俵屋の設計に惚れ込んだオーナーが依頼(なぐり仕上げの手すりなど京都風だが、べニアも使う)
・村野藤吾の佳水園は中村外二の施工、なお、笛吹(うすい)嘉一郎は数寄屋師と呼ばれ小林一三茶室を設計・施工
・佳水園は庇を薄くするため鉄骨を埋め込む、棰の間隔も広い、洋風なデザインと自伝にある
・志摩観光ホテルの吹き寄せの変わり組障子も良い、村野の階段や照明、屋根の柔らかさはなんとも良い

 今になって、数寄屋を学ぶ、お茶でもやろうか


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CDを買う、懐かしいLPのや、欠けている盤など

2013-10-18 02:28:09 | 芸術
Mahler, Brahms & Tschaikovsky Symphonies, Mozart Pinano Concertos などボックス物を買いこむ。LPで馴染んだKlempererやMonteauxに加え、BernsteinのMahlerの全集をまずは聴き始める。

同年代のクリムトの絵は、きらびやかでかつ不気味な印象を持っている。近年、相変わらず好きではないが、面白いと思い始めた。それもあり同年代で似た印象のMahlerを聴いてみようと思った次第だ。しかし、20世紀初めの近代古典音楽で構成が多様だが、テーマやつながりが感じられない。音は面白いが、ものにより気分が暗くなり飽きる。

やはり、MahlerよりMozart, Mendelssohnが好みなのは聴くと単純だが多彩なのは整理されているからだろうか。Mahlerはオーディオ的には面白く、細かく塗り込めたようなクリムトの画風に通じる多彩さがあるが、これをうるさくも感じる。絵画ではセザンヌ、ゴッホ、ピカソ(ついでにルノアール)好きでは到底クリムトを楽しむところまでいかないのかもしれない。

Mahlerの後世代のBartókは違和感もなく好きだ。年代というより作風の違いだろう。また、Mahlerの人生も波瀾万丈で妻のAlma Maria Mahler-Werfelの生涯にも驚く。その弟子がBruno Walter、間接的な弟子が愛聴するOtto Klempererだ。

 嬉しい誤算は、Otto Klempererのリマスター盤の音質が良いことだ。しかも400円/枚だ。シリーズ全巻そろえようかと思ったくらいだ。一番高いのは中古のMonteux Tschaikovskyだった。懐かしい名盤だが廃盤のようだ。このCDを聴くと学生時代を思い出した。あの頃の下宿の部屋、フィリップスのスピーカーデンオンのアンプPMA235、マイクロのMA505、カートリッジのオルトフォンMC20(当時は革新的新製品)を思い出す。

Monteux Tschaikovskyの音楽は懐かしいボストン・シンフォニーで音色も良い。ゆったりで大きいつかみだ。やはり良い。その後の指揮者の小沢征爾も同じような指揮(エラート)を感じる。(整理と統一はある、しかしボストン・シンフォニー伝統もあったかもしれない、これも好きだ)
この音色はまたボストン・シンフォニーでの体験を思い出した。愚妻の若い頃の姿、初めてのクリスマス・ツリー、MITコミュニティ。楽しんだファニュイル・ホール・マーケット・プレイスと大晦日の屋台のフィリー・ドッグ。

気に入らないのはCDの途中で音楽が切れ、次のCDにつながる点だ。枚数は減るが面倒だ。まあLP時代のことを思えばなんともないが。合理性が不便につながる例だ。

 秋の夜の楽しみができた


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仁和寺・原谷・鷹峯 見事な柿があった、自転車つながりに感謝

2013-10-12 00:02:40 | 芸術
 先日、柿の写真を雑草改メ雑想植物園( http://zassou-shokubutsuen.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-2d16.html )で見かけた。早速、パスハンター(Moderata)に乗ってアイズ(I’s)にも訪問し、マファック用新型のシュー船やサイドの柔らかいタイヤ(チューブラー仕様のWOとのこと パーヴェですね)情報など仕入れたのち、仁和寺の東側の道を上がる。すぐそこに見事な大きな柿が見える。バックが森や民家でいまひとつだが木の姿が見事だ。
 さらに、きつい坂を上りきって、原谷でも柿の群生があった。これは手間がかかりそうな構図になるが面白い。
 坂を下って、鷹峯の角の土塀に枝ぶりの良い柿があった。これは絵になる。

 先日の桂の柿とあわせて4か所のドローイング候補ができた。この秋は嵯峨野の柿にするつもりだ


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コールハースは語る(レム・コールハース):独自の観点からの建築論

2013-09-11 19:08:30 | 芸術
 相変わらずのレム節。ショッピングをテーマにすべきなのに建築では重要性が認識されていない。理由は建築を思慮深いものとしてとらえて芸術と思っているから。建築は誇張されすぎた「ジャンク・スペース」と定義している。
 建築家は「反転したミダス王」で建築家が目を向けた途端に誠実でなくなり、即興性や純粋性がなくなるとは自己矛盾のようで面白い。ヴォイドの発想者の矜持か。
 ベルリンは「中国的都市」つまりは短期間に大量の建築をした。人工的で歴史と調和しない、ライヒスタークのノーマン・フォスターのガラス・鉄のドームは「イノセンス」で唯の頭を載せ替えただけで哀れな状況、「公式の悪魔祓い」はうまくいかない

 よくわからない内容だが、都市と歴史・生活と建築の観点からロジックを見つけるレムらしい


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セザンヌ:円筒・球・円錐はいまでいう、ドットの表現か

2013-07-29 05:43:29 | 芸術

セザンヌは大好きで、色彩の分割やグレイッシュな色の展開、そして水彩画などたまらない。<o:p></o:p>

( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%8C ) <o:p></o:p>

対象の再構築に関して、サンサシオンという観点があり、その具体例として自然を円筒、球、円錐で捉えるとある。<o:p></o:p>

風景画を平面のグリッドで分割し、その上に載る物で、上に伸びるのが円筒、止まるのが球、とんがっているのが円錐と考えるのではないかと思った。たとえばサントビクトアールにしても円錐があり、円筒と球で囲まれていると見ることができる。キュビズムへの展開の嚆矢となった発想だ。<o:p></o:p>

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秋になるまで絵はお休みだ<o:p></o:p>

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ボストン美術館 日本芸術の至宝(大阪 天王寺):大阪市立博物館は大賑わい、ボストン美術館の懐は深い

2013-06-22 07:02:49 | 芸術

 ボストン美術館はさんざん通ったがここまで日本の収蔵品が多いとは知らなかった。等伯、若冲に加え蕭白まであるとは。<o:p></o:p>

 蕭白の「雲龍図」は胴体がないが圧倒的な筆の使い方で劇画のようだ。この襖はどこにあったのだろう。大きな龍がある部屋はどんな役割があったのか、対峙する庭があったならその風景は龍が動くにふさわしいものだったのかなど想像がふくらむ。<o:p></o:p>

 蕭白では「山水屏風図」や「龐居士・霊照女図屏風 見立て久米仙人」の強い線とハーフ・トーンの対比が面白い。ユーモアもあり分かり易い画風だ。京都の上京の方と聞きそうなのだろうなと感じた。<o:p></o:p>

 若冲は十六羅漢図が楽しめた。この方も京都で、石峯寺の五百羅漢が有名だ。等伯は龍虎図屏風があり蕭白よりうまいが、迫力がない。<o:p></o:p>

 人気で混雑しており、シルバー層が多い。ゴッホ展などより集客力がある。<o:p></o:p>

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 ボストン近郊ではセーラム・ピーボディ・エセックス博物館の日本の展示には古い日本の看板などあり<o:p></o:p>

( http://www.pem.org/collections/8-japanese_art )驚く。船乗りの好奇心が文化保存につながっている<o:p></o:p>

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チャイコフスキー 偉大な芸術家の思い出のために:雨の土曜日

2013-06-18 05:59:01 | 芸術

 最近、第一主題がよく頭をめぐる。持っているのはLPのロストロ・コーガン・ギレリス、CDではロストロの弟子のマイスキー、クレーメル(オイストラフの弟子)、アルゲリッチがある。ハイフェッツ全集からはルービンシュタイン、ピアティゴルスキーもある。<o:p></o:p>

 ロジックの論文疲れかもしれない。チャイコフスキーの色彩とメロディの流れ、そして寂しさはこのようなときに補完として好む。<o:p></o:p>

 素晴らしいのはLPのロストロポーヴィッチだ。MONOで音質は悪いがすすり泣く、再録して欲しかったものだ。なんといってもLPはしっとりしている。1976年に友人の橋本さんと杉並の和泉町で聴いていたのを思い出す。(LPは手間がかかる、置く、拭く、スタイラスを洗うとか、だがLPの音はストレスがない)便利な世の中でもありネットで未聴のCDを数枚買った。気持ちよくつい一杯。<o:p></o:p>

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 音楽は同じ曲を違う演奏で楽しめる、土曜のゆったりも良いな<o:p></o:p>

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奇跡のクラーク・コレクション(丸の内三菱一号館):個人で集めたのは奇跡、佳品が多い

2013-05-03 05:59:50 | 芸術

 久々に東京の展覧会に。丸の内の仲通はケヤキの新芽が鮮やかで石畳に映えて美しい。三菱一号館は中庭もあり素晴らしい建物だが何故か自動ドアが多い。クラーク・コレクションはシンガー・ソーイング・マシーン( http://en.wikipedia.org/wiki/Isaac_Singer )の創業者の孫で、マサチューセッツ州の西端にある。どうも見たようだと思ったら、訪問したような記憶もある。<o:p></o:p>

 作品は多く楽しめた。しかし、傑作はなくて佳品が多い。ルノアールの玉葱、皿のリンゴなどの静物は貴重だ。バックの壁が独自の薄い色展開(青、緑、赤のまだら)はこの頃のお約束だ。人物では無邪気な少女などが良い。裸婦はどうもいけなかった。ルノアールの作品もムラがあると良く分かった。<o:p></o:p>

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 鑑賞のマナーがいまひとつで、絵に見入っているとき前に入り大声で会話するのはどうかと思う<o:p></o:p>

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創られた「日本の心」神話 輪島祐介 :驚くべき文献調査

2011-02-12 06:24:17 | 芸術

筆者は1974年生まれ。なのに、明治・大正・戦後からの演歌の発祥から、エンカ、艶歌、昭和歌謡までを論じている。<o:p></o:p>

 非常に幅広い分析で、巻末の文献リストは圧巻だ。ここまで、実際の世界を体験しなくても論じることができるとは驚いた。二次情報やヒアリングの成果だろう。<o:p></o:p>

 知見として、音楽業界の専属制度、徒弟制度、作詞・作曲、レコード会社などの関係が分った。道理で昔は曲と歌手の結びつきがつよく、カバーが無かった訳だ。<o:p></o:p>

 惜しいのは、幅広い論になりすぎて、「演歌」の変容が分りにくいきらいがある。<o:p></o:p>

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大変、音楽界が理解できる著作でお奨めします。<o:p></o:p>

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ルノ:ルノワール展 透明感、中庸

2010-04-24 07:43:15 | 芸術

 国立国際美術館(中ノ島)大阪の地下にある近代美術館で開催している。<o:p></o:p>

 ルノアールは高校時代から良く見ていた作家だ。国立近代美術館でも見た後、彫刻の庭で欅の緑の下仰向けに寝転がっていたのも思い出す。ボストン美術館、メトロポリタン、オルセーなども。人間としてはあまり進んでいないが感じ方は変わる。前は中期のまとまりのある作品が好きであったが、最近は後期の作品に生命の力を感じる。<o:p></o:p>

今回の目玉のIrene Cahen d'Anvers (イレーヌ嬢 当時8歳) は全盛期の作品で実物は見たことがない。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Mlle_Irene_Cahen_d%27Anvers.jpg )絵は素晴らしい肌の透明感と光、背景の明度の落とし方、髪の取り持つ中間の色合いが表現されている。晩年のガブリエルをモデルに描いた台形の体形、外の反射ではなく光が内からあふれ出出るような光、力強い赤も良い。見るものを安心させる画風だ。ゴッホの恐るべき没入とも違うし、セザンヌの冷静な抽象でもない。実にバランスが良い。<o:p></o:p>

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 それにしても語尾に使った「ルノ」はしゃれにしてもあんまりな感じがします。<o:p></o:p>

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 最近、等伯、若冲などの日本画の展覧会も多い。行かねば。(個人的にはルノワールよりルノアールの表記が好きです、なんとなくですが馴染みがあります。小説のノワールとかの表現が多いからでしょうか)<o:p></o:p>

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三条白川の柿を描いています

2009-11-30 19:21:35 | 芸術

 今年は白川の川の中に突かい棒で支えられている柿を描いています。始めは東側から構図を取ったのだが、いまひとつなのでこの5年ほど描かないでいた。今回西側kら見ると、住んでいる方の作ったらしい吊し柿も見えて風情を感じ描く気がわいた。構図をスケッチしているが、もう少し、柿に色が入り、葉も少ない方がよいので仕上がりはもう少し先になる。アルシュのB5(ボード)を使っている。B4でも良いのだが、橋の上なので欄干にしかボードを置けないので描くのが不自由になる。描き込むと、白川の水の上の枝の重なり、バランスから木の心を感じる。幸田露伴の次女、幸田文の「木」を思い出す。(素晴らしい本です)思いをめぐらせる。鉛筆が走る。<o:p></o:p>

 例によって、冬の水辺は冷える。(これが原因か風邪をひいてしまいました)<o:p></o:p>

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日本語が亡びるとき 英語の世紀のなかで 水村美苗 :文化は文学だけか

2009-10-28 19:31:51 | 芸術

8回小林秀雄賞とある。(こんな賞があるとは知らなかった) 始めは軽い日本語文化論かと思ったが読ませる面白い「着眼点」だ。但し、文章は冗長であり、論文形式にすれば大幅に縮小される内容で、諧謔のようなところもあり、文体のゆらぎがある。読み手を選ぶだろう。筆者はアメリカに渡り、馴染めず、日本文学を読み込み、フランス文学を学んでいる。<o:p></o:p>

着眼点として〈普遍語 universal language〉、〈現地語 local language〉、〈国語 national language〉(括弧表現はママ)を定義している。<o:p></o:p>

次に、図書館である〈普遍語〉から学び、そこに収まる文化吸収のために、翻訳が〈現地語〉を〈書き言葉〉に変身し〈普遍語〉に訳され、〈国語〉になるとあるが、論理に無理はないか。翻訳がなくても異文化の出会いで、反作用として国の共通言語が発生する可能性はある。論拠の証明がないのが欠点である。<o:p></o:p>

さらに、〈普遍語〉(英語)優先で、〈国語〉を読まなくなると「文学の終わり」となるというのは、ゼロサム論理の行き過ぎではないか。また、英語は一部の方が話せれば良く、国語の時間を増やすべきだというのも論拠が不足している。自分の海外生活の経験から、日本語が上手くないのに、英語が上手いわけはない。(もし英語の方が上手ければ第一言語は英語のはずだ)更に、いくら英語が流暢でも、日本文化が語れないと、面白い人物との評価もない。文化の根をしっかりさせるための国語理解であれば理解できる。また英語交じり日本語がおかしいとの指摘があるが、漢字があるのとおなじだろう。目くじら立てることはない。<o:p></o:p>

筆者は国語に重きをおいているが、日本文化は国語だけではない。他の、建築、音楽、芸能など幅広い。限定が過ぎる感がある。また、芸術とは音楽、絵画は言語を超越するはずだが、実は様式という「枠」がある。つまりは普遍的な芸術も実は「普遍」ではないということだ。<o:p></o:p>

逆に言えば、芸術は枠を破壊していく歴史だともいえる。ということは芸術の歴史が鑑賞にあたり必要になる。例えば、古典音楽(Classical Music)というのは音楽の様式であって、近代の作曲でも「古典」だ。(小林の指摘したヴィルヘルム・ヴォリンゲル 「抽象と感情移入」の議論に近いかもしれない) <o:p></o:p>

若いとき、絵を見て何が感動の源泉か分からなかった。ただただ好きな絵があっただけだ。歳をとると良さが分かるというのは様式への馴染みで奥は深いが、新しいものが見えないというトレード・オフがある。<o:p></o:p>

この本から何を楽しむかということまで考えが広がった。アクが強いが触媒機能のある著作で奨められます。<o:p></o:p>

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デュメイが関西フィル監督に

2009-10-15 19:47:49 | 芸術

 デュメイはグルーミオーの弟子でベルギー派の典雅な響きのヴァイオリニスト。ピリスとのソナタで有名で、最近のヴァイオリニストではクレーメル(オイストラフの弟子)とならんで当方の愛蔵盤が多い。今回、関西フィル ( http://www.kansaiphil.jp/ )の音楽監督に就任し、古典を主体にメンデルスゾーンにも取り組む。メンデルスゾーンはイタリア交響曲など大好きなどだがあまり上演されない。八重奏なども愛聴している。音響の良いザ・シンフォニーホールなら期待できるし、関西の文化発展ともなろう。 <o:p></o:p>

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歌麿 抵抗の美人画(近藤 史人):時代と表現制約と対応

2009-08-05 20:22:09 | 芸術

 絵師とその時代の制約、競合の絵師、対象物と書き方のマーケティング、機転の利いた「はんじ絵」での対応など興味深い。また、浮世絵の見方がこういうものかと感じ入った。真面目で、絵のページも綺麗だ。薄物を通して二の腕まで描いていたとは知らなかった。お奨めできる本です。<o:p></o:p>

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雨の桂離宮

2009-02-28 08:48:16 | 芸術

冬の雨の中、桂離宮を訪れた。いつもの風景とは違い石がしっとりと色が深い。真・行・草の飛び石が綺麗だ。灯篭などの石も苔もいつもと違う味わいがある。土壁も土台のあたりが濡れていて風情がある。竹の軒樋や縦樋も雨で濡れて、流れの様子がわかる。この樋だけでも維持管理のご苦労を思う。<o:p></o:p>

 桂離宮は砂糖菓子のように繊細で儚い。清潔で大胆、且つ鄙びている。来るたびに心の感度が洗いなおされる思いがする。<o:p></o:p>

これは日本の誇るべき財産である。帰りは笹垣(桂垣)を見ながら、中村軒でお菓子を購う。昔は、畑の中にあったお店であるが、今でも趣はある。<o:p></o:p>

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