「京都嫌い」で名を売る作家、本来は建築批評で、本著の内容はまっとうだが、枝葉末節にこだわり建築家の位置付けや特色が霞む。知見は:
・松室重光:大連のビルの上の祇園祭の鉾には驚く、日本と近代の調和の時代を象徴する。なお、京都北山の植物園が進駐軍の駐留でアメリカ物資が多く、後の地下鉄延伸とあわせバブル期の北山通発展になったのは六本木と通じる。
・丹下健三:カンピオドリ広場でミケランジェロ・ベルリーニ、和風に通じるテラーニなどイタリアの影響は面白い
・村野藤吾:資本論はポーズ、1%の村野は予算超過でゼネコンが被る、超高層嫌い、関西大学の専門図書館は最後に円形にして運営課長を憤死させたうえ、図書館学会では最悪の図書館との定評→暴走もあった
・吉田五十八:「凍れる長唄」、東京の根岸壁に京都の聚楽壁を東漸(とうぜん)、吉田流は真似易いが村野流は中村外二や半田雅哉に支えられ真似にくい
・菊竹清訓:狂気とスクール、都築市民会館の設計で数百万円の修繕負担から大人しくなる、前川の日本相互銀行の雨漏り修繕と同じ失敗で先取しすぎた。スカイハウスは「お寺」で端に水廻り、地主制度解体のアンチテーゼとしての搭状都市と海上都市のメタボリズムへ→レム・コールハースは民主主義のⅣシンボルと思っていたので驚く。オブリストにはスカイハウスは地主の儀式・催事の場と返答
・篠原一男:唐招提寺で目覚めた、「虚空」の日本建築、「空間」ではない、哲学的になる
・安藤忠雄:長屋はアッパー・クラスが住む、住みにくいが「近所の人々」が施主になってみたいと思わせる
なかなか面白い