とあるブログの記事で柿の熟成に「ガス」を使うとあった。( http://archette.exblog.jp/17588456/ )恐らくは化学合成の大元であり、リンゴを始めいたるところにみられるエチレン( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%81%E3%83%AC%E3%83%B3 )だろう。 水菓子として「代白柿」は熟成したものをスプーンですくって食べるが、品種は「江戸柿」とある。これを読んで思い出したのがずくし(熟柿)であり、色は「琅玕」と言われる翡翠をさすが、柿はオレンジとセンナー(茶色)の色相で彩度が低い(濃い)ものだ。谷崎潤一郎「吉野葛」で読んだ。これも籠に入れて柔らかくするるとあるが、柿にもエチレンの放出があるのかも知れない。<o:p></o:p>
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文章を引用(一部修正)する。<o:p></o:p>
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吉野の秋、あるいは一顆の露の玉 <o:p></o:p>
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「何にもお構いできませぬが、ずくしを召し上がって下さいませ」<o:p></o:p>
と、主人は茶を入れてくれたりして、盆に盛った柿の実に、灰の這入っていない空の火入れを添えて出した。<o:p></o:p>
ずくしは蓋し(けだし)熟柿であろう。空の火入れはたばこの吸い殻を捨てるためのものではなく、どろろに熟れた柿の実を、その器に受けて食うのであろう。しきりにすすめられるままに、私は今にも崩れそうなその実の一つを恐々手のひらの上に載せてみた。<o:p></o:p>
円錐形の、尻の尖った大きな柿であるが、真っ赤に熟し切って半透明になった果実は、あたかもゴムの袋の如く膨らんでぶくぶくしながら、日に透かすとの琅玕の珠のように美しい。市中に売っている樽柿などは、どんなに熟れてもこんなに見事な色にはならないし、こう柔らかくなる前に形がぐずぐずに崩れてしまう。<o:p></o:p>
主人が云うのに、ずくしを作るには皮の厚い美濃柿に限る。それがまだ固く渋い時分に枝から椀いで、成るべく風のあたらない処へ、箱か籠に入れておく。そうして十日程たてば、何の人工も加えないで自然に皮のなかが半流動体になり、甘露のような甘みを持つ。<o:p></o:p>
外の柿だと、中身が水のように融けてしまって、美濃柿の如くねっとりしたものにならない。これを食うには半熟の卵を食うようにへたを抜き取って、その穴から匙ですくう法もあるが、<o:p></o:p>
矢張手はよごれても、器に受けて、皮を剥いでたべる方が美味である。しかし眺めても美しく、食べてもおいしいのは、丁度十日目頃の僅かな期間で、それ以上日が立てばずくしも遂に水になってしまうと云う。<o:p></o:p>
そんな話を聞きながら、私は暫く手の上にある一顆の露の玉に見入った。そして自分の手のひらの中に、この山間の霊気と日光とが凝り固まった気がした。昔田舎者が京へ上ると、都の土を一握り紙に包んで土産にしたと聞いているが、私がもし誰かから、吉野の秋の色を問われたら、この柿の実を大切に持ち帰って示すであろう。<o:p></o:p>
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琅�釦の色を濃くすると干し柿の中の色で、干し柿をもそもそ食べるときに柿の力として感じる。画題として柿は数点描いているが、冬の木守り(鳥のために残した柿 高松に同名の銘菓がある)や冬の蒼い空と対比した柿の朱色と黄色の混じった皮に光が照り映えるのも描くのが良い。( http://www15.plala.or.jp/n7ohshima/drawing2.html http://www15.plala.or.jp/n7ohshima/drawing3.html http://www15.plala.or.jp/n7ohshima/drawing4.html http://www15.plala.or.jp/n7ohshima/drawing5.html )<o:p></o:p>
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柿は地味だが日本の風景と寒いときの果実として大好きだ<o:p></o:p>
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