東京は明治維新、震災復興、戦災復興の3つの変革や災害による、荒野か焼野原を経て都市の骨格が大きく変わった。
その中でも両著作は明治維新の藩の没落、参勤交代の廃止による寄生階級の消費経済の破綻と江戸藩邸の荒廃に触れている。さらに廃仏毀釈をうけて徳川幕府と関係のあった浅草寺、増上寺、寛永寺は上地などにより広大な敷地が日本最初の「公園」になった。飛鳥山は幕府関連でこれも公園に。
明治維新とは、徳川幕府のリストラであり、禄高は十分の一、明治政府に仕えるか、自営(帰農・帰商)か、無禄移住で静岡藩に行くかという三択があった。このうち、1万人以上の無禄移住で増えた静岡藩は人口急増と雇用不足により飢饉に似た状態に陥ったという。内乱状態がうかがい知れる。但し、本幕府だけあり優秀な人材が多く、官吏の三分の一は静岡藩士が占めたとある。
藩籍奉還により華族と士族が生まれ、その資金が産業開発(鉄道、海運、銀行、鉱山など)に回り、西洋文化取入れの窓口となった。留学経験者が要職につき、教育やダンスなど大山捨松が鹿鳴館文化も先導したのは歴史の転換期だからだ。廃藩置県が上手くいったのは藩の財政がすでに破たんしていた、つまりは幕府の統制は組織的にも経済的にも内部崩壊していた。
東京は「荒野原」で、参勤交代の江戸藩邸消費→東京のGDPの半分を占めた、つまりは地方の生産が江戸で消費された空間移転経済システムが江戸幕府の正体
江戸藩邸は放置され、政府に仕えない幕臣の屋敷は取り上げられる→開発を待つまで一時的に人口減少、明治政府の安定までGDP低下となる
江戸は朱引き( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%BC%95 ) 東京の下町は4期に(三浦展)、1期:日本橋・神田(江戸)、2期:上野・浅草(明治)、3期:王子・千住・錦糸町・亀戸(大正・昭和初期)、4期:足立、葛西、江戸川区(高度経済成長期)→2期までが下町と思うが
上野の彰義隊とその法要に三ノ輪の下谷の三寺であった円通寺の関連は江戸幕府の流れを受け継ぐ。東京には江戸も一部生き残っている。
二つ合わせて読むと面白い。なお、江戸末期には人口も停滞していた。江戸時代は住環境も劣悪で病気も多く、のんびりした長屋暮らしは幻想にすぎない、また藩の江戸詰めも幕府相手にストレスが強かったようで、君主制の特徴だ。さらに明治も混乱しており、第二次大戦敗戦後、日本は民主化し成長が始まったとの分析が近年多い。
明治維新は若者が担ったというのも、「古い制度と新しい制度の対立と制圧」であり棄てられた伝承が最近「都市の歴史」として研究されている。
歴史は面白いが、それを踏まえて現在の課題解決や、未来の構築はさらに面白い