Dynaudioでジャズを聴きながら書いています。 <o:p></o:p>
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筆者はアメリカ生まれだが、日本文学の博士号を持っているくらいなので、文章が上手く読みやすい。ジャズに関する著作もあるが未読だ。本作についてのヒアリング、分析、知見には驚嘆した。研究であり「若者文化におけるジャズ喫茶の『意味』の再考」が目的だ。文体はユーモラスであるが的確だ。<o:p></o:p>
ジャズの「最新の音楽」としての分析に、「新たなる3K」があり「欠如・距離感・希少性」は卓越している。ライヴが欠如、本場からの距離、レコード・オーディオの欠如がである。いまや、ライヴは頻繁、アメリカはすぐ行けるし、デジタルのCDとIpodで高音質がお手軽になった。昔は国鉄の初乗り30円の時代に輸入版で2,000円はした。<o:p></o:p>
次に、ジャズ喫茶の歴史とジャズの変遷から、50年代「学校」(マスターは教師)、60年代「寺」(マスターをありがたく推し戴く)、70年代「スーパー」(フュージョンの流行とサービスへの転換)、80年代「博物館」と区分している。ジャズ喫茶では「演奏」されるのはLPであり、オーディオの重視とあるが、これは本当であった。当時のオーディオ雑誌にも「クラッシク向き」(タンノイなどイギリスが多い)と「ジャズ向き」(JBL、Altecなどアメリカが多い)と分類され、ロックなどは歯牙にもかけられていなかった。また、レコードを「演奏」するというのも、まさにあり、「レコード演奏家探訪」という記事が今でもオーディオ雑誌にあるくらいだ。(LPはそれ位、お金と手間がかかり、専門知識も必要で、さらに音も大幅に変わる。それが楽しいという愛好家も多い)<o:p></o:p>
ジャズ喫茶も「社交的(social)」と「私的(private)」に二分しているのは卓見だ。オーディオの発展はコンサートという社交を、一人で聴く私的行為にしたという分析には驚いた。まさにオーディオの本質で、手軽に、好きなとき、好きな音楽を、好きな音量と音質で聴けるのが特色だ。まさに音楽鑑賞革命だろう。古典音楽では、水平・垂直鑑賞(同じ音楽で指揮者を変えて聴く、同じ指揮者の同じ音楽の違う年代で聴くなども手軽にできる)もある。また音量・音質は大事でコンサートではホールや席により変化が大きい。<o:p></o:p>
さらにジャズ喫茶を「内向型」と「外向型」と「水商売型」に分け、かつてのジャズ喫茶を会員制クラブのような「内向」とし、「外向」は「一見さん」歓迎でライヴ演奏、ミュージシャンとの親交、自らの演奏、社交的趣味を特色としている。最近はこの方向が伸びているようだ。また「水商売型」は色町に多いようだ。<o:p></o:p>
ジャズ喫茶の「全盛期」は70~72年で若者の諸闘争があり、(モダン)ジャズブームでフュージョンの前夜と時代分析をしている。まさに、この頃はなにか熱い時代であり、その荒々しさと概念重視がジャズに通じていた。<o:p></o:p>
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読んでいて知的興奮がある。ジャズ喫茶の暗いなかのJBLのビッグウイング(ホーンレンズ)や蜂の巣、075の丸いリング・アルミ・ホーンを何故か思い出した。Dynaudioの音とはえらい違いだとしみじみ感じます。<o:p></o:p>