当方は万博好きで、日本の勧業博覧会、シカゴのコロンビア博覧会(1893年)やニューヨークの博覧会の著作などにも目がない。
本著は真面目で、「大阪万博」をベンチマークとして歴史検証を行っている。知見は:
・黎明期は見本市で大衆啓蒙と産業振興、工業化と消費文化
・1851年の初めてのロンドン博覧会ではクリスタル・パレスが工業力を示す
・1867年のパリ万博はエンターテイメント、独立パヴィリオン、世界の展示:芸者、ラクダの隊列→EPCOT Centerに近い、定価・陳列販売は商品という物神の巡礼場→ボン・マルシェにも影響を
・1889年パリ万博は金字塔、エッフェル塔も3,225万人を集客、白熱電灯のイルミネーション1900年パリ万博はエキゾチックな世界旅行で4,800万人を集客
第一次世界大戦:1914年~1918年、世界恐慌1929年
・20世紀はアメリカの時代、フィラデルフィア、シカゴ、セントルイス(フォードにT型フォード生産実演)など。西洋と非西洋、文明と野蛮、開化と未開の対比が多い、情報の時代
・1934年シカゴ博ではマーケティングの時代に。テーマが設定、「進歩の1世紀」、フォード館が自社の歴史とコンサートで有名に。
・1939年ニューヨーク万博ではTrylon, Perisphere というモニュメントとGM館で未来の世界をライドに乗って見るFuturama( https://en.wikipedia.org/wiki/Futurama_(New_York_World%27s_Fair) )が呼び物に・万博は一般博覧会(大阪など)と特別博覧会(つくばなど)、BIE(the International Bureau of Exhibition)
が規定し「国家」しか開催申請できない
・消費の時代の「アールデコ博」フランス製品のアピールで4大デパートが参画、建築としてコルビュジェのエスプル・ヌーボー館、1929年のミースのバルセロナ・パヴィリオン(ドイツ館)
・1937年パリ博でのドイツ館アルベルト・シューペアと労働者とコルホーズ女性像のボリス・イオファンの対峙:国家対立と第二次世界大戦の2年間
第二次世界大戦:1939年~1945年
・1958年ブリュッセル博覧会「科学文明とヒューマニズム」。文明の暗い側面も
・1964年ニューヨーク世界博覧会はBIE非認定でニューヨーク市公園局長のロバート・モーゼズ(ジェーン・ジェイコブスの天敵)が利益を上げ会場跡地の公園化を画策。営利主義で失敗。ウォルト・ディズニーが4つのパヴィリオンの企画制作。ペプシ館はIt’s a Small World としてディズニーランドに再現。
・大阪万博は「頭はブリュッセルだが、体はニューヨーク」で「テーマ性とエンターテイメント体験の重視」、サブテーマの設定、サブテーマの策定は国際会議で、「テーマ館9館」が新規。メタボリズムの実験建築、外国体験の非日常性、30代がコンテンツ作成(昭和ヒトケタ世代)、インテリジェンス「超近代」に対する、太陽の塔は縄文の「反近代」で対比、岡本太郎は「人類は進歩していない」
・その後は博覧会のビジネス化、電通博と揶揄、映像重視、金太郎飴化→情報化に乗り遅れる
・見本市居抜きのハノーバー博など難解なテーマ、合理的だが楽しくない
・1800年のパリ万博まで万博1.0「モノ」、大阪万博まで万博2.0→産業見本市が19世紀、第二次世界対戦までは世界という空間と異次元で未来のパヴィリオン展示と消費の誘導、第二次世界大戦後から大阪万博までは世界の文化とパヴィリオンの隆盛、その後はメディアの振興で映像の飽きと万博ノウハウの社会展開、海外旅行での本物体験で「珍しいものが無くなった」から不必要になったのだろう。
万博ノウハウの社会展開の事例として、ボストン、ボルティモア、海遊館など水族館で有名なCambridge Seven Associatesパヴィリオン展示出身だ。つまり万博のノウハウは拡散してImaxやScience Museumなど常設と近接化が起こった。汽車窓の水族館から生態展示(大水槽)から、一筆書きパヴィリオン形式となった歴史がある。
万博についで百貨店も時代遅れに、いまやネットの時代だ