第二次世界大戦後の商業の歴史は、中小小売業者の保護から始まった。( https://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/11061301_r.pdf )
1956年百貨店法(https://www.jstage.jst.go.jp/article/nbukiyou/7/0/7_KJ00004687503/_pdf )規制が始まる。
1973年量販店(GMS)などの駅前再開発や都心出店について商調協(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A6%8F%E6%A8%A1%E5%B0%8F%E5%A3%B2%E5%BA%97%E8%88%97%E6%B3%95 )の制度が確立、後に日米構造協議などで撤廃に至る
2000年街づくり3法( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A3%E6%B3%95 )による大店立地法での郊外ショッピング・センター開発、
1974年以降のコンビニエンス・ストア( https://nendai-ryuukou.com/history/004.html )街中にある最寄り品のお店の駆逐
さらにまとめると、商業近代化の象徴のアーケードも撤去、再開発での駅前GMSや百貨店の撤退( https://www.jstage.jst.go.jp/article/keidaironshu/69/6/69_61/_pdf )
そして、都心の最寄り品は一部の商店街とコンビニだけが栄えるこのごろになった。と、思ったら。
まわりまわって、我が世の春であったセブン&アイ・ホールディングスも
①百貨店(そごう・西武)の閉鎖・縮小
②GMS イトーヨーカドーの閉鎖・連携
③セブンイレブンの閉店とフランチャイズ契約の見直し(24時間営業とサプライ・チェーンの維持)
④社員3,000名リストラ
に至った。アパレルも縮小均衡になり、店舗リストラが多い。その反対にAmazonなどEコマースは発展している。
この状況に関しての雑感は:
1.西武大津店
堤康次郎( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%A4%E5%BA%B7%E6%AC%A1%E9%83%8E )と滋賀のつながりのシンボル。大津のショッピング・センター、パルコ(以上流通関連)プリンス・ホテル(鉄道関連)の3点セットがあった。
鬼才、菊竹清訓( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E7%AB%B9%E6%B8%85%E8%A8%93 )の設計( 都城市民会館 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%9F%8E%E5%B8%82%E6%B0%91%E4%BC%9A%E9%A4%A8 その他 http://uratti.web.fc2.com/architecture/kikutake/kikutake.htm )
大津店は
https://archirecords.com/blog-entry-273.html
https://www.daas.jp/search_site/detailInfo.php?a_id=3320
2.錦糸町そごう
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%88%E9%8C%A6%E7%B3%B8%E7%94%BA )
N生命時代に間接的に関わった。出店でもめたが、すぐ倒産(そごうは、特殊な店単位の株式会社で水島社長の担保理論があった https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E5%B3%B6%E5%BB%A3%E9%9B%84 )、2000年にそごうは破綻した。その後は三井不動産に運営委託。錦糸町と東宝の関係も面白い( https://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/8058f9e461cca75b793f44cef4c064b8 )
3.そごう徳島店
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%81%94%E3%81%86%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E5%BA%97 )
T工務店の見習いで中森明菜のセカンドラブの流行る頃、4ヵ月堺東の高島屋増築の作業所で逆打ちのコンクリ―を担当した。駐車場棟はプレストレスト・コンクリート(PC https://www.fujips.co.jp/technology/pc/sub11020/104 )の駐車場斜路を使っていた。翌年、そごうの入る再開発ビル アミコ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E9%A7%85%E5%89%8D%E5%86%8D%E9%96%8B%E7%99%BA%E3%83%93%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%82%B3%E3%83%93%E3%83%AB )でも駐車場棟は同じ方式で、見学していると「監督さーん!」と堺東の作業所にいた職人に声をかけられたのが思い出だ。
徳島の中心商業地は、アーケードと丸新のあった東新町から駅前に商業の中心が移ったが、駅前の空洞化が激しい。しかし、郊外のショッピング・センターは賑わい、交通もバス・鉄道から、「一人一台の軽自動車」になっている。
83年の竣工から36年、再開発の再開発の時期だ。人が集まる施設はなにかという発想と郊外の商業に勝てる要素の洗い出し、そして用途の転換とリニューアルだ。
徳島は、バスで神戸三ノ宮が至近になり、買い物も「駅前そごうより三ノ宮」になっていると聞く。これは、地方都市の百貨店の悩みだ。物を売ろうと思わず、駅前立地とコンパクト・シティが売り物になる。
いまこそ、地方都市の駅前に魅力的なサーヴィスと商業と思う。まずは市役所と病院を移転させてはどうか。駐車場もあり、避難階段も充分ある。空調のやり替えも天井カセットで対応可能だ。窓はカーテン・ウオールのやり替えだが、元設計のRIAに検討頂くのが得策だ。
委員会でも発足すれば手を上げたい
商業は、お出かけで楽しい体験というより、面倒な「仕事」になっている。Amazonの隆盛がよくわかる。しかし、未だに栄える商店街もあり、商業地もある。要は「人」の育成と接客での「体験」だ。
軽自動で栄えるイオンモールや ゆめタウンに対抗する駅前施設とは何か