都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

大晦日の過ごし方

2024-12-31 13:49:13 | 都市計画

 朝は出町のふたばに小餅(1Kg3,200円、去年は3,000円、2013年には2,300円)を9:00に取りに行く、予約は行列が違い別の並び、今年は海老や黍の餅は買わなかった、いつも余るようになったからだ、前の客が追加(歓迎されない)を繰り返し3万5千円も買っていたため結構待った、帰ると早速孫が安倍川餅で賞味、「うまい!」

 その後はゆったり、7時頃から並ぶのが恒例だった錦市場の田中鶏卵の行列も並ばないのは家族で食べる人が少ないうえ親戚に配り歩くのもない、更に高くなったのもあるが、錦市場が観光地化してしまし風情が無くなったのと、フード・コート(串もの歩き食い含め)になってしまったからだ

 おせちで、手のかかる数の子(二腹くらい)や、蒲鉾(鱧板が好き)などは大丸や八百一にて購う、近所の酒屋で白味噌の良いのがある

 叩き牛蒡、紅白なます、ごまめ、黒豆、煮しめ は荊妻が調理するのを横目で見る
 正月用に手取川の大吟醸(4合)を冷やしておく、餅を取りに行き冷えた朝、ちょっと味見
 
 お昼は三条尾張屋で天ぷら定食がお決まりだが、風邪の時よく食べたのもあり今年は天ざるにする

 夜はモリタ屋のサーロイン・ステーキ、ニンニクたっぷりでうまい、孫とゆったり食べる、
紅白はBGM、中森明菜の出演はないな、インフルエンザから回復した孫と遊ぶ、TVは新年2日の大学ラグビーが楽しみ

 良いお年を

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都市計画学会 フィールド・ワークに参加:なんば広場 民間発意による駅前ロータリーの広場化

2024-12-17 02:54:20 | 都市計画

 事務局として参加した

https://www.cpij-kansai.org/planning/2573.html 

 民間発意からの苦労、NPOの活動から、歩行者空間化のための車(主に搬入)の影響を調査し警察との道路交通法や渋滞の調査での対応の説明、搬入路の確保(髙島屋・地下街搬入路など夜間は通行可)と通過交通の排除のため周辺道路も含めた車線の変更(待機レーンなど)

 民間の南海、髙島屋・戎橋となんさん通商店街、丸井の参加と大阪市の参加により事業がすすめられたとのこと

 結果は道路法による歩行者専用道路化と車道と公園の安全管理の人的マネージメントと金銭負担だが進行中であり、これから開発検討の公園ゾーンも残されている

 土木・交通工学的な2008年から約20年にわたる歴史と苦労の解説と細部にわたる説明であったが当方の都市経営からの興味とはちょっと違った

 この広場は北の心斎橋からアーケードや橋を経て、道頓堀難波五座(東西のモールとなっている)、さらに戎橋のアーケードを通り、大南海ビルの前に出る

 ここから南になんばこめじるし( https://nambacity.com/nam-come/access/ )を経て新今宮・新世界に行くルートの結節点かつ、裏難波や西の黒門市場へ行く「交差点」でもある

 

 当方が質問したのは、マイクロとしてのスケールとマクロとしての観光ルートの視点の2点だ

①広場に面した大南海ビル(髙島屋 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B5%B7%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0 )の大きさと周辺の界隈のスケールが違う、通り抜けや分節(カフェなど)をしてはどうか

→登録有形文化財のビルであり制限もある

さらに当方から東京日本橋高島屋(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A9%8B%E9%AB%99%E5%B3%B6%E5%B1%8B%E4%B8%89%E4%BA%95%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0 )は国指定重要文化財(建造物)であるが北側日本橋ガレリアの設置に伴い相応の改造・リニューアル(竹中工務店他)を行ったとの返答をした(ここは日本生命の東京の拠点「日本生命館」(大林施工)が発祥だ( https://www.takashimaya.co.jp/nihombashi/departmentstore/cultural_propertie/index.html )

②心斎橋から難波、難波から新世界に至る結節点でもあり、南への観光ルート開拓の起点としての役割もあるのではないか

→南海としても通天閣を取得したためガード下の活用など対応したい

 説明の後、現地をなんば広場→なんさん通り→パークス通り→なんば広場と見て歩いた、搬入車両、タクシーなど交錯しているが御堂筋からループ状であるため対応ができていると見受けた

 当方はNPOなどの組織によりまちづくりに実際に取り組む研究をしていない、データを集めヒアリングや分析を専門家グループで研究し帰納的に仮設をつくりモデル化するのが今までの5編の論文だ、プロジェクト推進と都市分析、実務と思考の違いがある

 気がつくとパークス・タワーとスカイオのオフィス・タワーがある、難波はオフィスのクラスターとしては集積が少ない、心斎橋も教室や商業の用途転用が多くオフィス・クラスターとしては縮小している、今後クボタもグラングリーンに本社オフィスを移転させるなら商業・観光特化と難波エリアに多いアジア観光客対応が望まれる

 公園については、弾状の石積みなど角が目立つ、茨木市の「おにクル」(伊藤豊雄 基本計画)の前の、弓形のスロープや芝生( https://www.onikuru.jp/ )の持つ「柔らかさ」が欲しいと思った

さらに緑も欲しい、このエリアは道頓堀(難波五座)や五花街などのアミューズメントはあるが緑に乏しい

都心の公園として有名なBoston Copley SQ( https://en.wikipedia.org/wiki/Copley_Square )でも1960年代にSasaki Assoがコンペで当選( https://www.sasaki.com/voices/sasaki-to-design-bostons-copley-square/ )し、石段と高木を配置した、しかし80年代に議論があり石段を芝生に変更した(木や段が多いと犯罪の温床になる恐れがあった)、これも、再度、ボストン市と同社により見直しが行われる( https://www.sasaki.com/voices/city-of-boston-releases-design-updates-for-copley-square/ )つまりは時代とともに変わるものだ( https://www.boston.gov/departments/parks-and-recreation/improvements-copley-square-park )

 これからの、この広場のあり方、周辺ビルの変化が楽しみだ

 難波はエンターテイメントだ、京都から行くと立体看板に驚かされる、東京の友人を新世界や飛田の百番に連れて行くと「日本とは思えない」との感想もあり  是非、南海電鉄にはグレーターなんば計画を推進頂きたい( ENTAME-DIVER-CITY -グレーターなんばのまちづくりビジョン- https://www.nankai.co.jp/news/230324.html )に期待する

 大昔、南海に乗り、高速船で徳島まで行ったのを覚えている、先日も和歌山市での荊妻の講義に付き合い、粉河寺庭園や根来寺まで参りました、途中の岸和田城の重森三玲は閉館で見られずだったが、また、高野山詣も南海だ、大阪南部の観光開発にも期待する

15,000歩 結構歩いた

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能登の水害に都市計画の無力さを感じる、知事のリーダーシップを発揮すべき

2024-09-30 02:24:32 | 都市計画

 被災された方々にお見舞い申しあげます

 本年1月の地震により、道路、地盤、港湾などのインフラに被害は課題となった。さらに森林の崖崩れ、堤防の被害、防波堤、橋梁など治水関連にも被害があったが、後回しにせざるを得なかった。

 それが、今回の記録を破る豪雨により、山からの木が川に流れ込み、流れを変えて想定以外の場所への被害を生んだ。真に都市計画の無力さを感じる。やはり、山を守らねば、下流や海を守れないという教訓を再度目の当たりにした。

 今後の計画では、やはり産業に見合った雇用人口と家族を拠点にとりまとめ、コンパクトに住まうのが一手と思う。
 能登の平野の少ない、海と山の迫る地形では、安全な場所が限られる。産業との兼ね合いを図りつつ、安全な集落の再形成が近道ではないだろうか。
 また、頼るべき道路などのインフラによるネットワーク形成も図り、効率的な投資と効果とすべきだ。

 土地の思い出や繋がりを重視しつつ、変化しないと計画も手詰まりになる。残すべき産業、景観、コミュニティを選別し、重点活用を考えざるを得ない

 政治・経済(企業・漁業・農業など)・住民をまとめる組織は、市単位では対応できかねるため、重大な事象のため、インフラの計画が骨子となるため、馳知事直轄での新組織対応が必要だ。計画には都市計画の災害専門家の幅広い参画を求めるべきだ、そして協働が始まる

 ここで動かなければ、知事の役割は何なのか、地方自治とは何かを考えるべきだ

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呆れたメンタル3人:関係者が亡くなっても「道義的責任」を感じないが、この先は

2024-09-24 02:00:11 | 都市計画

 びっくりするのはこの3人だ(当時の役職):成り上がりが自業自得になり、これからの人生を棒に振っている「驕る平家は久しからず」だ。

 

①小林製薬 小林一雅会長:死亡者数を隠蔽( https://bunshun.jp/articles/-/72288 )、特別顧問として200万円/月を要求、ミスター社外取締役の伊藤邦雄の銘柄

・薬品会社というより、買収による家庭薬品などの会社だ。ネーミングで笑えたが死亡事故は笑いごとではない

 

②宝塚劇団 空組 トップスター・芹香斗亜( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B9%E9%A6%99%E6%96%97%E4%BA%9C ):いじめや死亡事故があったが、我関せずの態度を継続し引退に、「証拠があるなら是非お見せいただきたい」の村上浩爾理事長( https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202403280000839.html )も語るに落ちる

・スターと取り巻き、前時代的運営でのいやらしい上下関係をまずは改革すべきだ、これでは「大奥物語」だ、近為の漬物のぶぶ漬を毎日食べて反省頂きたい

 

③兵庫県 斎藤元彦知事:2名部下の自死があっても「道義責任が分からない」と言い、知事の椅子にしがみつく、9月初めから、メディアは「毎日斎藤君」になっていた。答弁は「大事」、「しっかり」、「3年前の負託」、「させていただく(使役・恩恵動詞の誤用)」が決まり文句

・本省で課長にもなっていない課長代理クラスの人物だ( https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/nikkansports/nation/f-so-tp0-240909-202409090000381 )、成り上がると威張り散らす小物はこのクラスに多い(なお、出向すると1クラス役職があがるはずだ)、本省にて管理職経験のない人物を知事にするのは納得できない。さらに:

①公益通報者保護法違反と調査方法の違法性

②優勝イベントの資金調達と補助金の補填

③恣意的側近重用人事やおねだり私物化など独自解釈

④不明瞭な叱責と結果的なパワハラ

 など、刑事責任を問う必要もあろう

「鋼のメンタル」というより、他人の命よりも己が大切にしている地位・性格の問題や強欲さがその大元にあろう、周りこそ大迷惑だ。今後は他人の命より重い鋼をまとって世の中を再び渡り始めるのだろうが、その鋼の重さで沈むことや、鋼が割れ己に刺さることも充分考えられる

 今後、知事や市長に立候補する要件として、企業(官僚ではない)などで「管理職」経験としてはどうか、人を使う能力の無いものは問題を起こす、また実体経済が分からないのもある

 こういう人間は、去る者は日々に疎し、但し恨みや風評は残る

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宇陀松山地区と今井町を歩く

2024-08-15 02:04:41 | 都市計画

 孫が奈良に行くのに合わせ、大宇陀と今井町(40年ぶり)に行き、近鉄奈良からあおによし、帰洛し馬耳東風で焼き鳥の一日とした。

 朝、6時過ぎに烏丸御池から竹田、大和八木乗換により榛原に着くが、バス乗り場を北口(Yahooの地図)と間違え、1時間ロスがある。それでも9時半には大宇陀の道の駅に着く。駅前は飛鳥駅前に似ている。

  ゆっくり松山地区の街並み( https://aknv.city.uda.nara.jp/matuyama/machiya.html )を見て、まずは、宇陀市松山地区まちかどラボ( https://www.uda-kankou.jp/feature/445 )で地図を入手する。隣には千軒舎(https://www.city.uda.nara.jp/kankou/rekishi/shiryoukan/documents/uda-matsuyama-panf.pdf )

 歴史は小田氏の城下町( http://repo.nara-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/AN00181569-19970300-1006.pdf?file_id=1232 )だが( https://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/tonosama/oda/ )や宇陀崩れ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%99%80%E5%B4%A9%E3%82%8C )、その前に宇陀松山城の取壊し( https://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/naranoshiro/udamatsuyamajo/ )などがある。

 奈良と伊勢の中間にある集散・商業・宿場の都市であり、千軒と言われ酒造と製薬を生業としていたようだ。

  街並みは、宇陀川沿いの自然堤防上に南北の通りがある。恵比寿(日本の神)、金比羅、愛宕など神社がある。( https://www.city.uda.nara.jp/toshikeikaku/documents/9nisyou8.pdf )

 古い町並みは南北1㎞程、両側に水路が流れている。江戸時代の建物であり辻子2階だ。面白いのは、駒留、出格子などの意匠が多様であり、瓦先の下にも波模様など漆喰の意匠が見られる。厨子2階と軒の取合い部分にも意匠が見られる、これは独自だ。前面だけを洋風にした医院なども面白い。虫籠窓も円形や菱形など多様だ。1階の格子も桂離宮の月の欄間の模様のようファサードについての多様性が楽しめる。宇陀松山城破却(城割役)を担ったのが小堀遠州と中坊左近秀政だからかもしれない。

 医薬は薬草があったためと吉野の陀羅尼介などの関連があるようだ。酒造は陸運の拠点であり道路で運んだのだろう。(宇陀川は舟運には向かないように見える)酒蔵の杉玉も多く雰囲気が良かった。

 2時間程歩いたが、楽しめた。バスは1時間に1本、乗客も少ない。解説の方とも出会わず、ヤクルトのおねいさんと歴史や調査を語ると感心された、意外と地元の方は歴史にうとい。

 今井町へ、大和八木まで近鉄に乗る。駅前には繁華街がない。

 今井町は「海の堺、陸の今井」や「大和の金は今井に七分」といわれ、40年ぶりだが、驚くほどきれいになっている。電柱など1995年から10年間の工事により地下埋設したようだ。( https://www.georhizome.com/archives/blog/8489 )今井町も千軒と言われていた( https://www.city.kashihara.nara.jp/soshiki/1063/gyomu/1/2/1/3831.html )、西側の今西家が最も古く、こちらから東側に街が発展したとのこと( https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/14/0/14_337/_pdf/-char/ja )丁字路が多く、本町筋(今西家の前)が中心のようだ。道幅は東西の筋が2.8m位、南北が2.2m位と、東西が広いのは船場と同じだ。

 信長と戦った( https://www.imanishike.or.jp/%E4%BB%8A%E8%A5%BF%E5%AE%B6%E3%82%86%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7/ )

 

ヒアリング①花甍 https://www.nantokanko.jp/isan/5064.html 

・窓口のおねいさんと「40年ぶり」を話すと、近年きれいになったとのこと。色々話して盛り上がる、同じ環濠集落の富田林にも住んでみたいとのこと

・今井町の歴史や拡大過程、模型など参考になる。京都の町家と構造が違う

 

ヒアリング②河合家

・酒販売が併設、奥様とお話

・最近きれいになって、おくどさんも復元したとのこと

・道が丁の字であり、今でも迷う→ならまちよりは良いとのこと、ならまちは色街もあると指摘

・色々お教え頂いて、今西家が起点となり、本町筋と御堂筋が軸となるとのこと。小さな輪っかは茅野輪くぐり(最近始まった)の時の自作の品とのこと。各家にあった。

 

ヒアリング③米谷家住宅 http://sakuwa.com/ima6.html 

・奥様とお話

・土間が珍しい、本家の番頭の別宅だったようだ

・井戸が2つあった

 

ヒアリング④今井町家館 http://sakuwa.com/ima34.html 

・案内の刀自とお話

・歴史を良く知っている、今井は商業の街、八木は伊勢と葛城修験道がクロスする宿場町とお教え頂いた

・間口税は間違い(丸山論文)、また所有者だけに税金がかかる(中川論文)などの話を伝える

・金貸し(土倉 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%80%89 )が多く、天井から下りる戸を見せて頂いた、昔は外側にもあったが真っ暗になるため今はないという。宇陀市松山地区にもあった。泥棒・盗賊対策だろう

 誠に楽しめた。今井町と八木宿場は再度歩いてみたいものだ

 このあと、近鉄奈良からあおによしに乗り、うまいビールを2杯飲み、さらに帰洛し馬耳東風にて焼鳥を賞味。

 楽しい一日だった、24,600歩

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渋谷・原宿・下北沢・浅草を歩く

2024-08-05 02:47:54 | 都市計画

 9時過ぎにメトロ24時間切符(600円)を買い表参道まで行く。新しい建物が多い。駄作としか言いようのない安藤の表参道ヒルズを横目に曲がる。ハナエ・モリ・ビルはオーク 表参道となる。隣には奇妙なBOSSStore表参道(團紀彦)や表参道インベスメントビル(伊藤豊雄)がある。世の流転を感じる。

 GYRE( https://www.takenaka.co.jp/majorworks/21605282007.html )の横を曲がって、キャット・ストリートを渋谷に、MIYASHITA PARKの前に出る。歩くと暑いぞ、街角でのモデル撮影など若者文化を感じる。

 青山パークタワー、セルリアンタワー東急ホテル、パークコート渋谷 ザ タワー( 元麻布ヒルズ フォレストタワーと同様に頭が大きい)など、昔の映画Metroplice( https://en.wikipedia.org/wiki/Metropolis_(1927_film) )に出てきそうな外観だ。Bostonの360 Newbury Street ( Frank Gehry https://www.campionre.com/luxury_buildings/360-newbury-street/ )も想い出す。

 渋谷アクシュ(SHIBUYA AXSH)は再開発ビルであり、旧シオノギのビル(竹中設計)もあった。塩野義は親密企業として道修町の御三家の武田、田辺と合わせつながりがあった。前にある渋谷クロスタワー(旧東邦生命ビル IZUMIYAがかつてはあり学生時代の課題作成の頃はよく通った)も懐かしい。

 クロスタワーからデッキにより渋谷アクシュ、渋谷ヒカリエ(避難シェルター機能導入の嚆矢)、渋谷スクランブルスクエア(展望台は予約制らしい、https://www.shibuya-scramble-square.com/sky/ticket/ 2,200円)、渋谷マークシティ、井の頭線まで連絡している。渋谷のプロジェクトは複雑で良く分からない( https://shibuyaplusfun.com/district/ )数年前、副都心線から山手線に乗り換えるのに20分かかった覚えがある。

 昼を行列の喜楽で食べたがいまひとつだった。西武の前を通って、旧電力館( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%8A%9B%E9%A4%A8 今やShidax )

 東急プラザ表参道「オモカド」( 東急プラザ表参道原宿2012年 中村拓志&NAP建築設計事務所と竹中工務店の設計https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00110/00381/ )、これは6階に「オモハラの森」があり、筋向いの「ハラカド」が見え渋谷のビルも遠望できる。お店は、ファッション系なのか良く分からなかった。

 東急プラザ表参道「ハラカド」( 元 「原宿セントラルアパート」の再開発https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1504571.html )は地下の銭湯、5,6階のフード・コートと休める椅子がたくさん。さらに、7階以上には段々のテラスとホールもある。屋外は壁面緑化と氷(下鴨茶寮が出店)など感心する。売上より珍しさのようなビルであり東急のビル開発の儲けの還元かと思った。それとも路面店のJo Malone LondonとDiorが収益源なのか。

 交差点を原宿に行くと、グリーンファンタジアビルやコープオリンピアなどヴィンテージ・マンションが未だにある。そこを曲がると、原宿駅が建替えられている( 再生もするようだ https://www.jreast.co.jp/press/2020/tokyo/20200807_to01.pdf )

WITH HARAJUKU( 竹中工務店設計 https://www.takenaka.co.jp/design/works/with-harajuku/ )はユニクロなど入る商業ビル、木造風、3階のテラスとヴォイドが面白い。

 渋谷の近代大型建築に対する原宿のスケールの違いが面白い

 さらに、小体な街づくりが連鎖している下北を見に行った。本多劇場やガード下のミカン下北( https://mikanshimokita.jp/#access )、小田急の線路跡(地下化)の下北線路街( https://senrogai.com/facility )など、小さな店が多くほっとする。但し、歩くと暑い、たまらない。

 今度は、浅草に。

 たまたま見つけた浅草地下街( https://n510.com/sociofesta/photo/2022-01/ )が凄い(最も古いのは1952年の三原橋地下街(橋を残した)が2020年に取壊し http://hamachan77.web.fc2.com/tetudou-ima-3-1.htm )。観光客の多さと多様さ。若い女性も多くフルーツ串が人気。仲見世の裏に多く、仲見世は屋根の葺き替え中だった。ここも暑い、たまらない、お茶を買う。歴史と気安さが人気なのだろうか。

 ふらふら歩く、六区は上地後、公園化、さらに浅草寺に戻る( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%8D%89%E5%85%AC%E5%9C%92%E5%85%AD%E5%8C%BA )という歴史があり借地(底地は浅草寺)だ。六区ブロードウェイ商店街 12m(約7間)と幅が広い(火除地機能か)、丁度、銀座の半分の幅だ。

 ホッピー通りなどもつ煮込みがうまそう( https://tabelog.com/matome/18613/ )、一人0次会をやっても良かったが耐える。ここからゆっくり本所の わくい亭 まで歩く。暑い、隣のスーパー・マーケットで水を2本購う。

 さあ4人で呑むぞ、2万7千歩の疲れ(翌日は1万1千歩)

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更科 本店(京都 新京極):老舗、夏の冷たいきしめんがうまい

2024-08-02 02:09:36 | 都市計画

 前は良く通るが初めて入った。夫婦で梅干しきしめん(850円 冷たいの)、花巻きしめん(850円 冷たいの)とのビール(キリン・ラガー中 550円)にする。

 ゆったりした店内は小上がりもありゆったり。ホールの2人はお茶など気働きがある。明治7年の創業とあり、箸袋に「新京極御用極製棊子麵處更科本店」とある。

 注文してから時間がかかる、湯がき立てなのかもしれない。時間がゆったり流れる。

 花巻きしめんは、花かつをがたっぷり乗る。厚い海苔の上には本山葵。花巻のあるべき姿だ。
 麺もうまく、優しい舌ざわりでつるつるだ。

 出汁はしっかり、これだけでもビールがすすむ。

 気にいったお店だ、常連が多く大盛(+150円)も多い。穴場と言える

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都市計画学会 大阪支部:イノベーション創出拠点 中百舌鳥駅周辺活性化ワークショップ:中百舌鳥検車場の上部利用に驚く

2024-08-01 02:14:53 | 都市計画

 ワークショップ( https://www.cpij-kansai.org/planning/2460.html )に参加。なかもず駅で降りるのは始めて。1970年に土地区画整理事業( https://www.city.sakai.lg.jp/shisei/toshi/keikakunitsuite/toshikeikaku/shigaichi/kukakuseiri.html )がなされているが、緑が少なく暑い。地区計画もある( https://www.city.sakai.lg.jp/shisei/toshi/keikakunitsuite/toshikeikaku/chikukeikaku/chikukeikaku/nakamozu.html )

 なお、駅前広場の活性化施設再開発も検討されている( https://www.city.sakai.lg.jp/shisei/toshi/nakamozu-innovation/76475120240529112751475.html )

 ここには1987年4月に10haの御堂筋線中百舌鳥検査場ができた。この上部に、なかもず北部エリアとして商工会議所、堺市産業振興センター。S-Cube(さかい新事業創造センター)のビルと、地下鉄関連の検査場、グラウンドがある。さらに市民広場、調整池、駐車場などの活用(下部は検査場)と駅前広場の活用を学生4チームにより検討する運びだ。なお、建物は3階(3t/㎡)、駐車場277台の確保などが与件になっている。コンペは8月31日プレゼン予定となる。

 堺市からの説明としてNAKAMOZUイノベーションコア創出コンソーシアムについての説明( https://www.city.sakai.lg.jp/shisei/toshi/nakamozu-innovation/nakamozukyoten/index.html )や今回の用地利用の説明があった。

そののち、現地見学を暑い中行った。車検場は圧巻であり、事務所からヘルメットを被り、地下2階の横断通路を南に、更に留置線においてある電車を見ながら西にいく、大回りして北上し、外側通路を通り東に行き事務所に戻った。

 トンネルの上に、人工地盤があるような構造だ。構造計画や、敷地の権利関係(借地や借地料など)は不明だ。

 近接して大阪公立大学(もと府大、理工系学部が多いとのころ)があるが、なかもず駅までは20分歩くとのことで不満があった。しかし、早稲田の理工学部も高田馬場や新大久保まで約1.3㎞であり15分以上はかかる。(但し、学生酒場の集積は東京の中でも有名だ)京大桂キャンパスなど桂駅まで2.5㎞ 30分はかかる(坂もあり、ほとんどバスか自転車利用だが)、駅までの距離は色々な大学でも同じくらいだと解説しておいた。(琵琶湖の見えない立命のBKCや、山中の慶応の湘南キャンパス、同志社の坂の田辺、八王子の大学などあるが、これらは工場等制限法の規制も要因だ https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/002/gijiroku/011101/01110h.htm )

 学生の賑わう場所が必要だと思った、なにより書店が見当たらなかった。なかもずは乗換駅のようだ。地方都市の駅前と変わらない印象だが、最近駅前にマンションが増えたと聞く。都心には便利なターミナルであり、御堂筋線の南北両端ということでは千里中央から先の箕面萱野駅にも似ている。

 なお、N生命は、茨木市と堺市の両方にバックアップ・センターがある。( https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20070928/283231/ )御堂筋線の両端だ。

 中百舌鳥は旧環濠都市の堺の街と離れている。竹内街道でのつながりはあるが、鍛造( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%9B%E9%80%A0 )など研究拠点はどうだろうか。(刃物の熱間自由鍛造とシマノ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%83%8E )の冷間プレス鍛造など)

 暑かった、学生は自動販売機に駆け寄る。こちらだけは翌日は人間ドックのため早々に帰洛

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御堂筋の歩道拡幅工事を見る

2024-07-04 02:15:09 | 都市計画

 久々に心斎橋で降りる。歩道の拡幅工事が進み、自転車道も整備されつつある。

 御堂筋は24間(44m https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%A0%82%E7%AD%8B )と夏なら渡るのに南からの日射により日焼けを感じるくらい広い。この真ん中の4車線と両側停車帯を残し、両側の歩道を約倍にしている。( https://library.toanet.jp/column/report/midosuji-shoraibijion.html )

 歩くと、西側にはハイ・ブランドが多く、ルイ・ヴィトンなどは30人程並んでいる。また、街並みも銀座かニュー・ヨークのようにも思える。

 さらに歩くと、難波高島屋(南海ビルディング https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B5%B7%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0 )の前は公園となっており段々の座れる石段などがある。

 びっくりする位にきれいになった。しかし、戎橋あたりは昔からの風情であり立ち食いラーメンやたこ焼きがある。道頓堀あたりは歩き食い(串もの)も多い。

 街もきれいになるのは良いが、ミナミは猥雑でうまい店、お笑いなど演芸が大事だと思った。

 それにしても、アジア系の観光客が多かった

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警察庁は「生活道路」の法定速度を30㎞/hに制限の方針:境界部にスピード・バンプ設置を

2024-06-14 02:30:33 | 都市計画

 今まで、60㎞/hの指定だったと知り驚いた( https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE241VP0U4A520C2000000/ )。実際上、「中央線がなく道幅の狭い『生活道路』」で速度が出せる訳がない。

 これから「生活道路」を30㎞/hに制限するのはヨーロッパでのZone30(  警視庁  https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/kotsu/doro/zone30/about_zone30.html )にも合致する。

 特にヨーロッパではZone30の出入り口に( https://www.mlit.go.jp/road/road/traffic/sesaku/pdf/zone30_se01.pdf )おいて、盛り上りや段差などのSpeed Bump( https://en.wikipedia.org/wiki/Speed_bump )を設けている。これで自動車運転者に「気づき」を与える。また交差点などにも用いられ、通過交通の遮断やスピード低下につなげる例もある。我が国では自動車優先のためか設置が進まなかったが道路構造令( https://www.mlit.go.jp/common/001124105.pdf )の改正(2016年3月31日に制定し、同年4月1日から施行)となった。(バンプ試行時には「牛乳瓶が壊れる」など問題があったようだが、いまや牛乳瓶配達は希少だ)

 京都の洛中はZone20と更に速度制限が低いが、はるかに速い業務車両など多い。特に田の字地区では交差点にハンプの設置が通過交通の排除と、速度低下に効果があると思料する。

 道路に色のついた線を引くだけの交通管理では対応できない状況だ。また、引越しを含めた業務車両の駐停車が歩行やベビーカーの危険となっている。新築建物に車寄せや荷捌きの設置を義務付けるのも必要だ。特に、自転車で側道を走るとき、駐停車車両の迂回が危険だ。駐停車の場合、自転車道を歩道の外側に専用として開ける規制が欲しい。(ヨーロッパはこの方式だ)

 生活道路というなら、自動車が通りにくいのはしょうがない。特に高齢化と子供保護の時代への対応が欲しい

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花隈から新開地を歩く

2024-04-29 02:24:13 | 都市計画

 先日、行ったばかりだが黄砂のなか、まずは洋食の朝日に行く。なんともうまい。

 ここから西に、裁判所の裏、湊川神社の裏を通り歩く。やがて福原の街( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%8E%9F_(%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82) )に至る。風俗の店が多い。

 やがて、湊川公園の下にある焼鳥屋八栄亭 下店に至る。ここから湊町商店街を北にあがる。ダイエーのドムドムなど見るが結構高い。

 くねくねとアーケード街を登り、中西商店にてちりめんとかえりを購う。

 今度は下り、湊川公園に出て、春陽軒の豚まんを買って歩きながら賞味。交差点にある高田屋でおでんの持ち帰りを購う。

 ゆっくり始発の阪急に乗って帰洛、11,900歩と結構歩いた

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新開地・湊川を歩く

2024-04-27 02:57:00 | 都市計画

 夫婦でタッパーを準備し高田屋京店でおでんを買いに行くと、日曜閉店(気がつかなかった)。やむなく、シルバー煙草居酒屋に、いまひとつ。

 前は2019年10月に訪問( https://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/573430bc5d59a548859b7e159e658f8a )

 湊川公園まで坂道を登り、階段を下りて公園下の再開発のパークタウンと湊川商店街を歩く。湊川商店街( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%8A%E5%B7%9D%E5%95%86%E5%BA%97%E8%A1%97 )は神戸新鮮市場神戸新鮮市場(南から「湊川商店街」「ハートフル湊川」「東山商店街(東山商店街 広場のあたり)」「マルシン(新湊川沿い)」「ミナイチ(19年3月廃業、住宅棟の低層を利用 現在マンションに建替え HPの更新はされていない )」の5単組総称)の一つで最も南に位置する。

西側は南から

①湊川センタービルA(南側)・B棟(北側):連続する2棟、マンションの物件案内表記はA棟1967年2月、B棟1967年3月とある

②みなとがわプラザ(さんくれーる湊川):1975年の再開発、複合商業施設。中核店舗はダイエー湊川店。地下1階地上4階まで売り場で上層階は住宅

③ハートフル湊川:1階は坂で登る、山手側、阪神・淡路大震災後の再開発。上層階にUR賃貸住宅が入居している、売買情報では2000年3月とある

 

東側は

①湊川パークタウン:湊川公園の下の再開発で誕生した複合商業施設。売買物件情報では1966年4月とある、湊川センタービルとほぼ同時期のため2階の連結ブリッジなどができたと思われる。都市再開発法(1969年 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%86%8D%E9%96%8B%E7%99%BA%E6%B3%95 )以前であり、新橋駅前ビル( 1965年 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%A9%8B%E9%A7%85%E5%89%8D%E3%83%93%E3%83%AB )とほぼ同じ時期であり、市街地改造事業として行われた可能性がある。

 商店街組合として、中の筋商店街はみなとがわプラザの南側のアーケードと思われる

 みなとがわプラザは古い再開発そのもの( https://www.kobekatsu.com/minatogawa-shotengai/ )、ドムドムがある( https://higashinada-journal.com/spot/other/11895/ )、湊川パークタウンはさらに面白い( https://www.kobekatsu.com/minatogawa-parktown/ )

 湊川公園から南は、飲食街・演芸映画街・公営ギャンブルなどの下町だが、ジェントリフィケーション( https://en.wikipedia.org/wiki/Gentrification )が見られ小ぎれいな中層マンションが両側に建つ。低層は映画館や商業施設だが、住民は新開地から阪急・阪神に乗れば、梅田まで座って通勤できるメリットがある。

 喫煙率が高いため、歩きタバコに辟易するが、マンションは閑静な感じだ。

 湊川公園の北側は新湊川の付け替えに伴い、東山商店街から湊川商店街にかけて自然発達し、70年代の再開発により住宅整備と市場整備が進んだようだ。あの頃の再開発はダイエーが核テナントとなったものが多い。再開発では宝塚線の池田、川西能勢口、宝塚なども大店法の規制が少ないのもあり核テナントとしての各社出店が多かったと思う。

 湊川公園の南部にあるアーケード街は建築から60年であり、再々開発の時期を迎えているように見える。特に、2階レベルでの歩車分離があだとなり、2階外側の賑わいが感じられない、シャッター通路も多い。(これは、ハーバーランドや長田の再開発も同じだ)

 丁度、生田祭神幸式 御渡り式( https://higashinada-journal.com/event/90667/ )が14時頃通り、見物した。生田神社の御旅所は神戸市兵庫区大開通6にある。( https://ikutajinja.or.jp/otabi )戦災での移転とある。生田神社からいくたロードを経てトラックで御旅所まで移動し町内を回るようだ。12年に1回の臨番とあり先太鼓、猿田彦神役(方位除の神、天狗面 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%92%E3%82%B3 )、梶原武者(生田の森の合戦での源氏方の武将)、獅子舞、お稚児の行列を楽しむことができた。

 おでんは買い損ねたが、良いものを見た9,700歩

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三ノ宮を歩く

2024-04-23 02:54:25 | 都市計画

 荊妻は初めての10時過ぎに花隈モダン寺近くの洋食の朝日に。そのあと、ウォーターフロントを歩いて、山手に向かう。

 東門前を登り、にしむらコーヒーで小休止、ゆったりした時間だ。

 北野坂を登り、工事中の北野ガーデンまで。海外(アジア)観光客が多い。ちょっと暑い位でゆっくり帰る。
 三宮から阪急で梅田を経由し帰洛

14,500歩、坂道はこたえる

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「悪所」の民族誌 色町・芝居町のトポロジー(沖浦和光):充実した内容と知見

2024-01-24 02:27:06 | 都市計画

 2006年の文春新書だが、内容は充実しており、色街などの歴史の粉本に活用できる。知見は:(表現に問題のある個所も著作のままとしている)

・釜ヶ崎の西は西浜(渡辺村)、全国一の皮革の集散地
・悪所:色里・遊里、芝居町、被差別民の集落
・漂泊民:遊行者(僧)、遊芸民、家船(えぶね:海)、サンカ(山)、香具師、世間師
・盛り場:非日常の祝祭空間
・渡辺村:河原者芸能(歌舞伎、人形浄瑠璃、説経芝居、見世物)の道頓堀界隈の興行権、露天商を取り締まる旦那場権、火消し役、小便担桶(たごおけ)集荷権を持つ都市部落
・遊里→芝居町:遊女歌舞伎→若衆歌舞伎→野郎歌舞伎
・歌舞伎:舞台は能・狂言、物語は軍記物と説教節、踊りは女歌舞伎を基本、アクロバット的パフォーマンスは放下師のサーカス的妙技
・今日の北野神社境内から「阿国(奈良あたり声聞師の傘下の「アルキ巫女」が出自)歌舞伎」が「茶屋遊びの真似」、「かぶき踊」に発展:「ややこ踊」→「阿国歌舞伎」→模倣の諸国巡業の座→傾城屋による遊女の張見世ショーの歴史
・遊女歌舞伎の流行と白拍子との違い:群舞、アップ・テンポ(舞から踊)、庶民相手、宗教性の無さと官能美+最新楽器の三味線の伴奏
・遊女歌舞伎は(1615~24)京都 六条柳町、江戸 葭原、大阪 新町に遊里として囲い込み→遊女歌舞伎の禁止と男性による色街の成立
・若衆歌舞伎の禁止:男色・衆道
・野郎歌舞伎:1653年 京都 村山又兵衛により再開、ストーリー性を持つ
・江戸 猿若町(浅草)の悪所と新吉原
・河原での芝居:仮小屋を作れる、取締がゆるい、俗界と冥界をつなぐ立地、河原者の利権地(櫓役銭を旦那場としていた集落に支払う)、京都の四条・五条河原町が発祥
・平安時代の悪所:淀川河口の江口、神崎、蟹島、播磨の室津、近江の鏡宿、美濃の青墓、墨俣(すのまた)など、船便が多い西国は港町に、街道が多い東国では宿場に遊里が発生→遊女が朝廷に寵姫となると「局」になる、丹波局、伊賀局は江口の遊女の出
・後白河法皇(行真の法名):梁塵秘抄(遊女、傀儡子、巫女などの遊芸人の歌謡集)、今様を青墓にいた傀儡子の乙前(おとまえ)に習う、33回の熊野詣、三十三間堂建立、頼朝から「日本国第一の大天狗」、「声わざ」に注目した口伝集も
・大江匡房(まさふさ):「傀儡子記」男は狩猟が正業、剣術・人形舞わし、奇術、女は紅・白粉で化粧し「倡歌淫楽して、もて妖媚を求む」
・白拍子:磯禅師の娘、「静」が発祥(徒然草)、寺童の声明の「素声(しらごえ)」が発祥で遊女に伝わり男舞の「白拍子」に「化粧」(身を変化 シャーマン)
・遊女は「長(おさ)」に率いられた母系制集団、ウタウ、カタル、マウ、オドル、トナエル、クルウ(霊が乗り移った、エロス、よがり声)
・呪力が宿る遊里:巫女「遊行女婦(あそびめ)」→遊女「浮かれ女」に変化しても呪力が残る
・悪所は貴・賤と浄・穢の対比では:悪・賤・穢となる場所(トポス)となる
・河原者:室町期には牛馬処理の皮革、山水(せんすい)河原者の作庭、埋葬地(ケガレ)、貴族は伝染するケガレをキヨメに、制度は検非違使と河原者、犬神人(いぬじにん)、三昧聖(さんまいひじり)、室町時代に民衆にも一般化、ケガレに汚染されている河原者は同火・接触も忌避
・室町から戦国時代には死・産・血は逃れられない、河原者は現世と死者の世界の橋渡しとして、「畏怖」、芸能への進出
・1715年、19年、25年、浅草の穢多頭「弾左衛門由緒書」を幕府に差し出す。職種は28あり「舞々」、「猿楽」、「獅子舞」、「傀儡師」、最後に「傾城屋」(遊女の出身地の関係や三味線の猫皮など皮革との関連か)、加えて「湯屋」、「風呂屋」もあり、湯女が私娼だった歴史を語る
・1670年代、川村瑞賢西廻り航路の開発、瀬戸内・大坂の繁栄、輸送費の低下、大坂の門徒的気質(石山本願寺), 綿と菜種(油:油絞りの力役必要 長町の下民層)
・菜種油による「夜」の時間の利用拡大:商業・余暇、燈心の藺草の茎の髄は浅草穢多頭の弾座衛門とその配下が江戸市中の販売を認可、鑑札
・江戸の非人頭は、浅草の車善七(穢多頭の弾座衛門と抗争し、弾座衛門支配になる)、品川の松右衛門、深川の善三郎、代々木の久塀兵衛
・名古屋、大須観音の芝居町、伊勢古市(宇治山田・宮島・金刀比羅)の芝居町があり、万歳と三河万歳の本拠、万才、漫才への変化
・厳島神社の芝居興行:揚屋あり、遊里あそびは広島市中から、瀬戸内には大崎下島の御手洗港「おちょろ船」
・悪所の特徴:①身分・職業を問われない、②匿名性、③文化情報発信の「場」(歌舞伎・浄瑠璃の上演狂言が噂に広がる、④遊郭の遊女と役者の動向は出版に(メディア化)、理想型となる人倫秩序の転倒、⑤境界性・周縁性を帯びた地域のカオス、⑤漂泊する神人としての役者の呪術を表現する場
・社寺の境内での室町時代の放下・蜘舞(くもまい)の勧進興行が、のちの小屋掛けの見世物興行の発展→社寺近くに芝居町ができた歴史につながるか(要調査)
・地女(しろうと)より遊女の方が魅力→地獄という素人売春もあったが
・キリスト教:信長時代はスペインとポルトガルの戒律の厳しいカソリック、献身的行為から布教が速く支配圏になる恐れと植民地での奴隷売買の裏面も(日本人含む)、そのため自由主義かつプロテスタントのオランダに交易に転換
・男色、衆道、色子、陰間が武士階級に「かぶき物」の旗本奴
・色道:皮切りは「好色一代男」、「枕絵」が江戸初期から流行
・神聖天皇制:幕府時代の「宗門別改帳」が「戸籍法」に、和魂漢才が和魂洋才へ

 中身が濃い、社寺と芝居町・色町の近接性は、人が集まるのと、お礼参りのためか、著者の他の著作も読んでみる

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地震は予測できるのか、それよりも東京一極集中の分散を

2024-01-18 02:03:19 | 都市計画

 1976年に上京し大学に入った頃、街中に「関東大震災(1923年)から50年、地震はきっと来ます」との看板が多く、これは怖いところに来たなと思った。

 その頃、西早稲田の崖にかかる3畳の陽当たりの悪い下宿だったため、秋には杉並の和泉に引っ越した。

 それから、95年の阪神淡路、2011年の東北地方太平洋沖地震など、想定外が続いた。未だに、東京は関東大震災100年を経て同等の地震は幸いにも来ない。地震の予測は、まだまだ精度が低いと思われる。

 

 一方、東京の人口・都市機能の一極集中と過密はリスクだ。

 江戸川区などは水害時だが他区への避難を呼びかけている。また、荒川の堤防決壊での都心へのリスクなどの指摘もある( http://rirt.or.jp/research/pdf/suibo_manual_chapter03.pdf )

 一極集中は集積効果があり、拡大に向かうが、高密度、人口拡大、インフラの複雑化、など「もろさ」も大きくなる。例えば、帰宅困難者の対応、木密密集地区での火災や橋の被害による避難経路の確保問題もある。

 

 国土計画を見直し、関西などへの分都や副本社の設置がリスク分散とウエル・ビーイングの実現方策となろう。

 防災・減災ならば、地震の予測よりリスクを分散するのが得策だ。同じバスケットに卵を盛り上げるより、少しずつでも機能を関東以外に分散させるのが得策だ

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