徳島に旅行し徒然に考え、大作になりました。調べていくと、面白くなってきました。ご意見お待ちいたします。<o:p></o:p>
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最近徳島ラーメンが美味しい。京都拉麺小路には東大があり阿波踊りのよしこのが「うまいやっちゃ」と軽快だ。(本来は「えらいやっちゃ」)<o:p></o:p>
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1.徳島の歴史<o:p></o:p>
徳島(徳島藩)は商品作物である藍の生産で潤っていた。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E8%97%A9 ) 財政は表向きより豊かであり、人口も明治には都市として10位の人口であった( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E5%B8%82 )であった。街並みも整っていたとのことだが、第二次世界大戦で焼失した。最近は徳島市内を流れる河川の親水空間などえらく綺麗になった。しかし都市としては活力が今ひとつだ、 <o:p></o:p>
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2.徳島ハムの歴史<o:p></o:p>
徳島ラーメンは徳島ハム(現在の日本ハム http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%8F%E3%83%A0 )、発祥は徳島駅近くの寺島本町であったが、第二次世界大戦後の1948年に工場は万代町へ移転した。( http://www.nipponham.co.jp/group/history/ )工場から出る豚の骨をラーメンの出汁に利用したという。豚の飼育はどこだったのだろうか。( http://www.topics.or.jp/special/131615943357/2011/09/2011_131622470783.html )徳島市内の塩田がイオン交換膜の製法により無くなったらしいが) 日本でプレスハムが普通だが、本来はソーセージ扱いだ( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%8F%E3%83%A0 )、そのため骨だけが大量に出たのかも知れない。<o:p></o:p>
1963年に日本ハムは南海難波に近い大阪大国町に移転する。<o:p></o:p>
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3.小松島・和歌山のつながり<o:p></o:p>
徳島の海運は、商品作物としての藍に関連して鬩ぎ合いがあったようだ。大阪商船の独占に対し、徳島の航路開拓は、阿波商人が独自の航路開拓をしたとある。( http://www.tt-museum.jp/golden_0120_awa1936.html )河川港で大型船の接岸ができない徳島港(新町川・津田)から港湾に適した小松島を経由し大阪・兵庫( http://www.topics.or.jp/special/122750999627/2008/11/2008_122751026643.html )1899年から和歌山につないだとある。1934年小松島の築港に先立ち、1913年には徳島・小松島間の軽便鉄道が開通し利便性と利用が高まった。( http://www.topics.or.jp/special/122750999627/2008/11/2008_122751063966.html )小松島・和歌浦この後、1956年に鉄道の小松島・和歌山線が開通している。さらに、1964年には南海フェリーが開通している。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B5%B7%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC )これに対応して和歌山側の鉄道も発達している。1913年に和歌浦までの和歌山軌道線が開通している。<o:p></o:p>
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4.和歌山ラーメンと徳島ラーメンの発祥<o:p></o:p>
和歌山ラーメンは路面電車の周辺、特に繁華街であった車庫前駅には戦前からあったという。最も古いお店は1940年○高中華そば(和歌山)と1949年カサイ(徳島/小松島)が資料にある。( http://www.oct.zaq.ne.jp/papua/ramen-02.htm )もととなる、和歌山ラーメンの発祥は明らかではない。なお、関西では尼崎の大貫本店が1912年創業で最古だ。( http://daikan.p-kit.com/ )和歌山の住友金属(1942年)も関係がなさそうだ。(君津は新日鉄の関係で博多ラーメンが有名だが)<o:p></o:p>
徳島ラーメンの発祥は戦後で、小松島からというのも一つは材料の徳島ハムから万代町の工場より骨やハムの運搬に小松島を使った可能性からかもしれない。 <o:p></o:p>
和歌山ラーメンと徳島ラーメンの味のつながりは豚骨主体のスープ(清湯と白湯がある)、蒲鉾、もやし、味付けの薄いメンマが共通ではないか。なお、蒲鉾については、小松島がちくわ・蒲鉾、フィッシュ・カツ(すり身平天のカレー味フライ、旨い)などの名産地であり小松島の影響かもしれない。<o:p></o:p>
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5.徳島のラーメンの特徴と分類<o:p></o:p>
スープが甘い、濃い。ご飯の友というが分量が少なく短い麺で、ばら肉醤油煮込みをチャーシュー代わりに(三枚肉のあまり利用か?)が特徴だ。生卵は入れない(地元の方はやらないそうだ) <o:p></o:p>
徳島は甘さが好きで金時豆がお好み焼やばら寿司に入っている。和三盆もあり砂糖好きなのか、商品作物経済で江戸時代(砂糖は高価)から富んでいたからかも知れない。<o:p></o:p>
徳島ラーメンは白・黄・茶系の3つに分類される。( http://www.ne.jp/asahi/home/ramen/tokushima/ipga.html ) 元祖の小松島は白系で味付けも薄く嫌味がない。最も多いのは黄系で古い店が多く、銀座一福、よあけ(20年くらい昔)が代表格で支那そば、中華そばという名称が多い。その後出てきたと思われる茶系はいのたにのラーメン博物館出店で有名になったが、醤油濃さが特徴。最近はチェーン店も茶系が多い。徳島ラーメンと称するのが多い。( http://marquee.homelinux.com/ramen/index.php/category/category )<o:p></o:p>
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徳島ラーメンでどこが好きかと聞かれると銀座の一福の大上(大盛肉大盛)だ。それにしても街に人が少なく、ラーメン店もかつての中心商業ゾーンであった東新町から駅前に移っているようだ。よあけも3代目になり味が変わったようだ。<o:p></o:p>
和歌山ラーメンは東京に居た頃は、大井町ののりやや池尻のまっち棒などを訪れたが、最近は二宮の丸高がお気に入りだ。 <o:p></o:p>
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徳島でお土産に買うなら東海林さだおも激賞(「パイナップルのまるかじり」)の「フィッシュカツ」がお薦め。京都でも小松島のちくわはあるがこれも扱って欲しいものだ。<o:p></o:p>
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