都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

錦秋の桂離宮を拝観:月波楼と卍亭が工事、月見台横のルートをたどる

2024-12-15 02:43:51 | 京都

 11月末にも予約していたが、紅葉には早すぎた、12月の頭は丁度見頃になっていた、なお、月波楼と卍亭は来年3月まで屋根の葺き替え工事となっている

 阪急の定期もなくなり、7㎞の道程をTerra(MTB)で松原通を走る、西大橋の側道に乗り換え、桂川堤防を走ると25分程、途中の信号が多い、時間があり久遠山 地蔵寺の塀にある「お言葉」を撮りに行く、水曜で中村軒は休み

 8:20に着いて、8:40の手続き開始を待つのはいつものとおり

 案内は吉川さん、16人、錦秋だが紅葉はかさかさな感じ、夏の暑さが堪えたのだろう、鴨が多い

 外腰掛の前の蘇鉄の衝立はちょうど菰巻をしていた、1本が最後の作業中のため段取りが良く分かった、天辺の傘も取付られる前で並んでいた

 松琴亭の茶室と中坪の構造を頭に入れてしっかり見て行く、構造をよく見ると柱が通っていない箇所や床の根太を受ける柱がずれていたりする( https://mirutake.sakura.ne.jp/2021/taut003/taut003.htm )板戸の桟も1と3本であったり2本であったりする

 峠の茶屋を下ると園林堂の裏は紅葉が囲む、笑意軒からの橋の3つの重なりもきれいだが土橋の欄干が荒れている

 これから、御殿を回り、月波楼の工事のため月見台の先を左に折れ、六つの沓脱のある玄関に回る、おかげでじっくり月見台と玄関先の燈籠、沓脱石の写真が撮れた

 長く通うと初めてのルートも味わえる

 久々だったが楽しめた、阪急利用と自転車では時間が同じ位、自転車なら帰りに食事やポタリングもできて快適だった

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12月になりやっと東山が色づく、2週間紅葉が遅くなった

2024-12-09 02:40:16 | 京都

 今年の紅葉は遅い、時期がまだら、枯れている、が特徴だ

 紅葉している横では、まだ青葉、枯れている葉や日焼けした葉も多い、全体にまだらであり紅葉に包まれるという風景にはならない

 この夏の猛暑と残暑の9月は降水量が極端に少なかったのも、「かさかさの葉」の原因かと思う( https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/monthly_s3.php?prec_no=61&block_no=47759 )

 さすがに11月下旬から最低気温が8℃を下回り紅葉が本格化した、また猛暑により苔がやられてしまったお庭も多い、桂離宮の土橋の苔などは数年の猛暑により復活の見込みが立たないようだ

 夏が暑いと寒さがこたえる

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2024年 京都モダン建築祭(後半):午前は建築、午後は茂庵ヴォランティア

2024-11-23 02:12:45 | 京都

 パスポート(2回で6千円程を支給)され、自転車で回る、但し茂庵にて午後のヴォランティア2回をする、11建築を楽しめた

 茂庵の入口からの上り下りもあり、建築を見回る自転車での移動も加え結構疲れた

土曜日

日本福音ルーテル賀茂川教会

1954年 ヴォーリズ建築事務所

街中の小さな教会、小屋組みが簡素、薔薇窓が人気

 

京都復活教会

1935年 M・W・ヴォーリズ

タワーが目立つゴシック風

小屋組みの下がアーチ状になっている

 

紫明会館

1932年 十河安雄

会館、梁の凝った装飾とハンチが印象に残る、特に何も感じなかった

 

聖アグネス教会(平安女学院礼拝堂)

1898年 ジェームス・マクドナルド・ガーディナー

いつも前を通る、今回初めて入り圧巻、壁が煉瓦、屋根は木造、タワーは入れなかった

パイプオルガンの演奏もあり良かった、左右のウイングの深さ違う(左パイプオルガン、右2階バルコニー付き諸室)

学生の解説もたどたどしくて良かった、先生も交えて烏丸通の御幸や京都博覧会などからできた都市の軸線とこの教会の位置付けを逆に解説したらうけた

なにか暖かさがある建築だ、学生も

 

日曜日

本願寺水道水源

1895年

元の水源、中に入れただけ

 

関西美術院

1906年 武田五一

北向き採光の共用アトリエ、床の絵具の汚れが懐かしい、実用建築、歴史的価値はあるが建築的な価値はどうか

 

京都府立医科大学 本部棟

1929年 十河安雄

京都府営繕課にいた設計者と聞いたが、階高が高く縦長の窓からの採光は学校建築を得意としたためか

階段教室など面白い、100人規模の講義が当時からあったのだと知った

 

京都大学 尊攘堂

1903年 

京都大学総合博物館(昔ここに子供を案内し興味を持ちこちらに進学となった、いい博物館だ 当時の近所の店もうけた https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48538/1/83_195.pdf )の裏にある

京大敷地と白川道(山中道 https://www.ceschi.bun.kyoto-u.ac.jp/arcKU/doc/doc/resume05.pdf )のリーフレットを頂けた、興味深い内容だ

 

京都府立図書館

1909年武田五一

帰国のデビュー作とのこと、流行し始めた分離派 https://en.wikipedia.org/wiki/Vienna_Secession )の応用のスタイルであり建築としての工夫が感じられない、面白い指摘がある( https://www.potel.jp/kyoto/cityguide/feature/modern_architecture/ )

増築は四角い目立たないスタイル(類似事例 http://kenchiqoo.net/archives/000380.html )であり無難だが面白くない、いっそ新築が良かったと思う

武田五一の家具の展示もあり帽子・ステッキ置きはすずらん灯( https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/highway/highway126.html )を思い出した

京都駅前の関電のビルを保存すべきと思うが(1937年 https://kenchiku-pers.com/photo/the-kansai-electric-power-kyoto-branch-office/ )

 

茂庵(ヴォランティア兼ねる 11月9・10日午後)

1926年 施工 岡田永斉、大山崎の聴竹居(藤井厚二)や北白川の学者村と同時期、「乾いた土地で健康的」な住宅を検討した時代だ( https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/666/666PDF/kawasumi.pdf  https://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/ea2f8d6ac9e3d5c6298f22356bdbf70c )

吉田山の東北面を谷川茂次郎が取得、茂庵庭園を建設( https://oniwa.garden/moan-%E8%8C%82%E5%BA%B5/ )

現在の所有はヤマチカ( https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000018.000040189.html )運営は八清との協業、なお図面は https://www.hachise.jp/rent/moan/ (一部現状との相違がある)

現行の茂庵の入口階段は二項道路の指定がある、無いと接道なしになるからだろう、隣地との境界もある

建物は下から3種があり、①別宅(来客)、②茶室(趣味)、③望楼(宴会)の構成と思われる

①別宅 田舎席 7畳、6畳、大文字を見る台が東にあり

・あまり凝らない数寄屋、アプローチが玄関と、露地見立ての懸造下を回る躙り口

・2つ茶室があるのは面妖

・東向きの台は桂離宮の向月台の本歌取りか

・台所などきっちり、別宅利用か

・落葉とどんぐりで樋が詰まっている(近所の方からのお話は「ネットで覆う」とのこと)

②茶室 静閑亭 8畳 勝手の下に地下室(タイル張り 換気施設あり、おそらく冬季の結露があったと思われる、タイル1つ欠損)

・複雑な船底天井、桂離宮の月波楼の本歌取りか、屋根もむくりがある

・ガラス戸は蔀戸、おそらく専用工具で開け閉め(使いにくそう)

・待合も船底天井、ガラスですっきり、〇と□の飛石

③旧点心席(食堂)1階に大きなキッチン、2階は望楼の接待施設だったのか

・船底天井の構造はカンチレバーをおくり、外周の柱で支える、よく組めたと感心した

・2階の妻の柱は飾り、四周の柱が構造体

・階段がいまひとつの演出、沓脱も狭い、小屋の感じ

・現行法規ならもう一つ階段が二方向避難に必要か

・雨戸を閉める引き戸(扉が動くよう中心に合わせてある)

蹲踞など工夫はあるがもてなしの構成が成金趣味でもある、庭としては〇と□の飛石がモダンだがいまひとつだった

浄化槽や給水タンク隠しの井戸や石などが推察された、山の上の上水・下水処理は手間がかかる

2日見ると建築の意図や仕掛けが良く分かる(どの建築でも同じことが言えるが)

 

 京都モダン建築祭のヴォランティアとして気になったのは

①茂庵の入口の駐輪:避難の支障になる可能性がある

②海外観光客の誘導:山に登る方を呼びかけ戻ってもらった、英語が堪能でないと困る

③茂庵は南の吉田公園側からの入口誘導:自転車を停めやすく、岡崎方面との連携も可能、茂庵の入口の駐輪問題の解決、谷川家住宅の通過問題も解決

④茂庵を入口のエリア管理のパスポート・チェックから、3棟の建物入口のパスポート・チェックに変更し、人員の削減と確認の明確化を図る

あわせて

⑤洛中の建築は通りと上ル下ル、西東入ルを明示すると分かりやすい、駐輪場の有無も欲しい

 

 回るルート管理や自転車対応がいまひとつに感じた

 茂庵のヴォランティアでは上り下りが多く、結構疲れた 2日で1万歩だが高低差と自転車3,000kcalだった、それでも2日券が支給され建築を楽しめた

 次回、ヴォランティアを応募するなら洛中中心部の町家が良いな、近い上、じっくり見られる

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京都モダン建築祭に参加、パスポートで見学、楽しんだが頭脳と足が疲弊

2024-11-15 02:51:22 | 京都

 スタッフ参加の特典として、朝、毎日新聞ビル2階にてパスポートを頂く、11月2日からだが豪雨、3日(日曜日)に朝の10時から回る、8件回って拝観に「お腹一杯」になった、2日無いと回り切れない 

大雲院 祇園閣(旧大倉喜八郎別邸 内部写真禁止)

これを見たかった、望みがかなった

https://www.daiunin.or.jp/gionkaku_okura_kihachirou/ 

1927年竣工、伊藤忠太設計、大倉土木(大成建設)神戸の大倉山公園( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%80%89%E5%B1%B1_(%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82) )など東京と関西を往復した、横に眞葛荘( https://www.daiunin.or.jp/precincts_building/ )があり祇園閣眺望を楽しむまさしく成金建築ともいえる

入口の狛犬は可愛らしい、万成石、黃龍石、紅龍石が使われているが角も石のエッジがつながっている贅沢な使い方に驚く、上からの眺望は良いがマンションの関係もあり写真は禁止、東西南北が楽しめる高さだ

なお、近傍のねねの道など観光客で一杯、松原通を経由し東本願寺方面に走る

重信会館

1930年竣工 竹内緑設計、竹中工務店施工

東本願寺関係の重信寮という大谷大学の寮らしい、1階のホールのみ公開

アール・デコの様式だが蔦でよく見えないのが残念

 

東本願寺視聴覚ホール

こんな施設があると思わなかった

https://www.nikkenren.com/kenchiku/pdf/610/0610.pdf 

1998年竣工、高松伸設計監修、鹿島設計・施工 https://kenchiku-pers.com/photo/higashi-honganji-reception-hall/ 

高松は1991年(バブル期)にアーステクチャー・サブワン( http://blog.livedoor.jp/iwasakiyasushi/archives/51851016.html )は2019年に5.2億円で売却( https://architecturephoto.net/74860/ )とある

 

この地下のホールも同じような地下にある施設だ、流石は鹿島の設計でありディティールが美しく、納まりがよい、高松の設計は漏水や使いにくさがあるため短命建築が多い

 

上を切られた円錐と周りのトップライト、1階からのスロープでの親鸞についての展示などがあり地下2階ホールに誘導する、ホワイエにはカップ(蓮の花:京都駅 1997年竣工にも原広司の設計による見立てがある https://www.kanebako-se.co.jp/works/view/240 )がラウンジとして突き出している

ホールも円形平面だが、壁面の折り曲げ(円形は反射が多いため音響対応と思われる)、千鳥の座席配置など凝ったディティールはさすが鹿島設計だ

 

本願寺伝道院(内部写真禁止) 

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/286979 

 1912年竣工、伊藤忠太、竹中組施工、竹中工務店リニューアル

1,2階のみ公開、スリッパ(なぜか痛い)、上のホールが見られなかったのが残念、外部のガーゴイル風彫刻が可愛い

竹中のリニューアル公開の時に来ればよかったと悔やむ

 

元淳風小学校(内部写真禁止) 

1931年竣工、京都市営繕課設計、分離派風の設計、階高が4mくらいあり天井が高い、この時代は採光のため窓が縦長、鉄サッシ(上が内開き、下が外開き、ガラスは内側からパテ)

天井が高く廊下の上に配管がある、MIT本館に似ていると思った

 

旧寺江家住宅店舗及び母屋

1935年竣工、新町通にあるが気づかなかった、表屋が洋風の染物業の店舗、奥が町家のと主屋

昭和なら通り庭は不要(水洗便所完備のため肥え汲みが通る必要がない)と思ったが、恐らく裏の蔵(簡便な仕様)に商品の染物をしまうための通路として活用していたのだろう、天窓が2ヶ所あり、おくどさんもあるが煙抜きがない、なお、洗い場の横に井戸があるのには驚いた、染物の関係だろうか

入口にはなぜか壁の補強の鉄骨架構がある、ひそかな町家だ、裏千家のお稽古にも使われているそうだ

 

SHIKIAMI CONCON

2019年竣工、魚谷繁礼設計( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%9A%E8%B0%B7%E7%B9%81%E7%A4%BC )、川端組施工 

https://note.com/ikumit/n/n9739287a5cf6 

https://bunganet.tokyo/uoya/ 

中層マンションの横、長屋を生かし奥に祠がある、その上に鉄の架構に乗りコンテナが配置、さらに上に屋根がかかる

 

京都の街中に異質な形態とコンテナのオフィス利用が奇想天外、オーナーの壽商事 石田能冨子、石田祥一とある、投資利回り確保などの観点ではない都市開発として驚いた

 

構造的に筋交いが無いが耐震性はと思った、衛生・給湯設備は1階の奥に集約、前後の階段2ヶ所、エレヴェーターは無い、コンテナは軽く留めてあるだけだが交換などどうするのか永続性はと思った

とにかく面白い

 

らくたび京町家(旧村西家住宅)

 1932年竣工 前をよく通り、2012年には修復工事があった、らくたびという名称から宿泊施設と思っていたが違った、村西家かららくたびに移り、レンタルもしているようだ( https://rakutabi.com/office )

https://kyoto-machisen.jp/matchya/stories/article/144 

https://kyoto-machisen.jp/wmf-machiya-project/  

大壁造により蛸薬師通からの視野を遮る、裏は御射山小学校、南北に庭があり通風確保

街の中の異空間、和と洋、茶室と蔵と多彩な趣味の数寄屋だ

手前の庭には段付きの塗り壁に節のある木をあしらっている、入口もそうなっている、樋も銅(あかがね)であり凝っている、一部傾斜が逆になっているのは手入れが行き届かないからだろう、玄関先の井戸も井桁の石で立派だ

玄関横の応接洋間は出格子と壁の枠が二重の額縁となっている、綺麗な納まりとしっかりした建具だ

奥の庭は蔵が正面にある(下部を杉だろうかで意匠を作っている、珍しい蔵の外側可燃物はすぐ外れるようにするのが作法だが:昔古市に船の板を使っていた銀屋の蔵があった https://www.city.habikino.lg.jp/soshiki/shougaigakushu/bunka-sekai/bunkazai/bunkazai/iseki_shokai/edo/2433.html )、左に巨石がある黒石が多い、八瀬の真黒石だろうか、贅沢な庭だ

欄間に桐紋、2階は雲型の欄間と廊下の船底天井、欄干には変形花菱紋(修学院離宮など)だろうか、網代の天井や壁が多い、趣味が多様で面白い

各所でなぜか建築関係者と見られ、質問を受ける、先日の研修での知合いのスタッフにもお声がけされ、解説もすると喜ばれた、お互いのもてなしにほっこりする

自転車で2千kcal、1万歩と次の日のテニスができない位疲れたが、頭も建築で一杯になり満杯となった、だが楽しかった

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修学院離宮の水源を音羽川と梅谷川から探る

2024-10-26 02:10:45 | 京都

 MTBのTerra(1.95inch)に乗り修学院離宮まで百万遍・東大路経由で走る、まずは音羽川を上がり、雲母坂の登り口まで、先にある砂防ダムは高く、階段があるが登れないようになっている(立入禁止)このルートは諦める

 砂防ダムから上・中・下と導管(雲母坂に沿う)があり、恐らく農業用水として修学院離宮の南側農地に使われている

 この導管の先に恐らく修学院離宮の水路があると見て、Terraを停め足で登るががれ地の山道でありトレッキング・シューズでなく登山靴向きだ

 どうにか500m行くが足が痛い。下るとさらに疲労が、登山対応の靴、靴下、手袋などが不可欠だ

 思い直して、梅谷の登山口からちょっと荒れた道を太いタイヤのATBのおかげで700m登るが、自転車の限界だ

取水などは何もない、下りは石に注意して疲れる

 帰洛し地図を比較すると、どうも雲母坂の水飲対陣之跡碑の南あたりが取水の可能性がある、今度ゆっくり確かめよう、ついでに京都一周トレイルも楽しもう

https://maps.gsi.go.jp/#16/35.054972/135.810141/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1 

https://www.google.com/maps/place/%E6%B0%B4%E9%A3%B2%E5%AF%BE%E9%99%A3%E4%B9%8B%E8%B7%A1%E7%A2%91/@35.0562489,135.8122922,15.96z/data=!4m6!3m5!1s0x600109938a0f0595:0x86eea70ad7fc6285!8m2!3d35.055553!4d135.813764!16s%2Fg%2F11c58lkvn8!5m1!1e4?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI0MTAwOS4wIKXMDSoASAFQAw%3D%3D 

 

 帰りは快適な大原道で帰る、ゆったりとした街並みを楽しむ下りはこたえられない

 寺町が混雑、大河ドラマの関係か紫式部ゆかりの廬山寺( https://www7a.biglobe.ne.jp/~rozanji/ )に観光客が多い、急に夫婦二人が反対側の梨木神社に渡ろうとする飛出しに急ブレーキ、「危ない」と言うと「すみません」観光集団は何をするか分からない

 安全第一、ヘルメットとよく効くブレーキとタイヤ、4,100歩と自転車 2,180kcalはお腹が空いた、足が痛い

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しぶとい暑さと、しつこい咳に悩む

2024-10-24 02:09:49 | 京都

 10月半ばなのに30℃近い、テニスも夏と同じ上下半袖半パンで汗をかく、これはおかしい、心地よい爽やかな秋が短そうに感じる

 この前、曼殊沙華は見たが紅葉の兆しもない、但し夏の日焼による紅葉はある

 例年なら11月20日頃が紅葉の盛りだが、遅くなりそうだ

 紅葉は「離層」の形成( https://global.canon/ja/technology/kids/mystery/m_01_15.html )により起こるが、朝の最低気温8℃あたりが条件となる、さらに紅葉には適度な湿度がないとしっとりとした色にならない

 急に冷え込む兆しもない、10月後半の最低気温は18℃くらいだ、あまりの蒸し暑さに衣替えしたヒートテックでは暑く仕舞ったエアリズムを出す

 今年の夏の異常な暑さはストレスと体力消耗になったためか10月初めに引いた風邪の咳・痰・洟がなかなか止まらない

ティッシュだけが無くなっていく、運動すると呼吸がつらい、最近快方に向かっているがこれもしぶとい

 蒸し暑さや秋霖から急に寒くなり、秋を味わえないままの冬の来襲も嫌だ、夏服と冬服だけの季節だ

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四君子苑の公開に行き、感銘を受けた、写真禁止が残念

2024-10-22 02:07:08 | 京都

 春と秋に1週間程度しか公開されない四君子苑( https://www.kitamura-museum.com/shikunshien.html )、2千円(北村美術館含む)に11:45に行くと45分程待ち(その間は北村美術館見学)、写真撮影禁止(昔は撮れたようだ)のためパンフレット(1,200円)を購い予習する。参考となる写真は:

https://yoshidah.exblog.jp/12186594/ 

http://blog.livedoor.jp/iwasakiyasushi/archives/51546758.html 

https://www7b.biglobe.ne.jp/~chinke/shikunshien.html 

 人数制限のためゆったり、解説スタッフが要所要所に

 

 北側の建築は1944年竣工の北村捨次郎作。

 大まかに、東側入口の表門、西側は植込の先が鴨川、北側に露地口、外露地(敷石は黒の切石敷き、そして外側に雨落石(このため樋は後付けと思われる))、外腰掛があり中潜を経て茶室の小間(珍散蓮 二畳台目)に至る茶室への動線が設けられている。

 相伴席も仕掛けがあり、襖の下の敷居も取り外しできるとのこと。実用的な会合への対応が考えられている。

 この横の珍散蓮の前の斜め四角板張りの張り出し(下を遣水が流れる)は手すりも軽やかであり、「綺麗さび」(小堀遠州)を感じる。

 その先には広間(看大 8畳)では正客席からは大文字が望める。南側にある六角名栗の張り出しは南向きでもあり日向ぼっこ用だろうか。

 

 稲穂垣に沿う延段を左に回り、拝観は脇の玄関土間から入る。建築は吉田五十八による1963年の建替えになり居住家屋となっている。なお、正面にある内玄関は田舎風であり大きな青石の沓脱石や釣燈籠と鹿の餌入れ石がある。その先には孤篷庵に似た上が障子、下が見通せる仕掛けになっている。

 更に立礼席が右にあり土間(外露地と同じ敷石)が周りを囲み東側にある茶室への誘導となっている。

 今はアルミ・サッシュであり開放的、その先には大きな沓脱石がある(御影石か)。北側には上の間、下の間があり廊下が広く庭を眺める仕組みになっている。西向きと北向きであり簾状のルーバーもある。可動パーティションなど当時にしてはモダンだ。個人的には村野藤吾の佳水園などの方が好みであり、よくできた近代数寄屋風と思った。

 

 佐野越守の改修による庭には各種の燈籠(石と鉄の釣)、多宝塔、礎石、車石がある、多彩な形と種類の石と鉄が面白い。ただ、桂離宮のように誘導するための燈籠ではないと思った。

 池泉回遊式の庭園ではなく、2つの建物の間を行く遣水だ、珍散蓮の前の板敷(下を遣水が流れる角の東屋風)から鯉に餌をやっていたそうだ。

 

石の種類:

金棒石(奈良)延段

春日部石(亀岡)遣水の床に

真黒石(鴨川貴船)広間の前の延段、犬走

楠化石(飛騨)腰掛石

 

 全体的には北村謹次郎の道楽・趣味が生かされた建築と庭だ。1975年より公益財団法人 北村文華財団の運営( https://www.kitamura-museum.com/corporate.html )と維持管理のご苦労を思った。

 2時間ほど楽しんで、良いものを見たと感じた

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モダン建築祭 説明会兼 五龍閣の見学

2024-10-20 02:08:59 | 京都

 京都文化ボランティアの一環として、五龍閣( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E9%BE%8D%E9%96%A3 )の見学とツアー案内研修の補助に10月初めの日曜日13:00~15:40参加、歩いて往復して11,500歩は疲れた

 五龍閣は、松原から清水坂を上がった、噴水がクルド・サックになっている奥にある。向かいはおかべ家の豆腐製造所( https://www.okabeya.com/about/seizou.html )、町家風だがちょっと違和感のある建築だ、竹下夢二カフェもおかべ家の経営だったのだろうか( https://www.goryukaku.com/about.html )、このまわりは町家ディズニーランドみたいだ

 清水焼窯元松風嘉定の接待用の施設と聞き、望楼(4階)もある( https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92605-0862+%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%E6%9D%B1%E5%B1%B1%E5%8C%BA%E6%B8%85%E6%B0%B4%EF%BC%92%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%92%EF%BC%93%EF%BC%99/@34.9956873,135.7811835,85m/data=!3m1!1e3!4m7!3m6!1s0x600108d1dd617dbb:0x14c4bb8e2a5b2409!4b1!8m2!3d34.9959095!4d135.7810563!16s%2Fg%2F12hs774xy?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI0MTAwMi4xIKXMDSoASAFQAw%3D%3D )

 望楼は、木屋町から下鴨に移築した旧三井の別邸( https://ja.kyoto.travel/tourism/article/mitsuike/about.php )と同じく、富豪の接待施設の特徴でもある、ここからの眺望は良く接待に最適と感じ入った

 武田五一のセセッション( https://en.wikipedia.org/wiki/Secession_(art) )の単純造形と鴟尾のある屋根の取り合わせがなんとも奇妙な感じがする。

 内装は、天井が色々と変化、建物の1/4が階段室(吹抜け)、ガラスのサッシュが上下だがガイドが糸の綱とか面白い、なおガラス押えも木と木ねじでありやり替えたのだろうか、ガラスも大正と近代が入り混じっている

冬は寒かったらしく暖炉が多いが煙突がない、さらにシングル・エアのダクトと天井カセットが増設となっているが機械室は不明だった、天井カセットの室外機は屋根の上にあった

 あまり趣味が良くない感じを受けた、金にまかせて作ったようにも思える。このあたりの望楼としては大倉喜八郎の伊東忠太設計 祇園閣( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9B%B2%E9%99%A2_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82) )と同じようなものと思われる

 2階ではガスコンロがあり修学旅行生が湯豆腐を食べたりするそうだ。おかべ家との連携を感じるが興ざめな利用だ

 なお、ボランティアは刀自が多く建築には全く詳しくないとの方が多い、ガイド・ツアーのスタッフ・ロール・プレイングなどの補助、なかなか面白い

 それにしても、清水坂、二寧坂、三年坂とも大混雑、まさしく芋の子を洗う賑わいだった。祇園も寺町も同様だった、紅葉の頃が恐ろしい

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彼岸の入りについに夏バテでのびる、その後に秋の到来

2024-10-02 02:25:35 | 京都

 猛暑の最後の37℃で、胃が荒れる。食べたいものが無く、おろしたっぷりの蕎麦を作る。さすがに腹が減ってきておやつにたこ焼き(冷凍)4個を食べる

 陽射しのなか自転車で走る、歩く気がしない、エアコンにこもる。こんなに気力がないのは初めてだ

 夏はすべてを焼き尽くす、おとなしく読書にする。秋になると行きたいお出かけの場所をエクセルに打ち込んでおく

 読了の冊数だけ伸びる、やっと22日朝は雨となり秋を感じる、風が強い、東山に霧がけぶる、大気が不安定なため21日の朝のテニスも青空も見えるというなか驟雨が3回程あった。

23日は秋晴れでテニスも軽快、同じ運動量だが消費カロリーが500kcal減る、疲れも少なく、発汗も少ない、爽やかだ

 風立ちぬ、いざ生きめやも

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この2年の夏の暑さは異常、庭が荒れる気候の変化、エアコン対策をする

2024-09-28 02:06:34 | 京都

 広域で猛暑、都市熱ではない、天気予報で見ると四国も関西くらい暑い。気候が変わったとしか思えない。( https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/monthly_s3.php?prec_no=61&block_no=47759 )

 

 桂離宮など庭の苔が焼ける。このままでは、京都の庭は石庭しか生き残れないのかと思ってしまう。何度も苔で補修しているが、土橋の欄干など悲惨な姿だ

 テニスなどは照り返しもあり、本当に熱中症を危惧した。水分の問題ではなく、気温と日射・輻射だ。夏には向かないスポーツとなった。

 しかも晴天が続き、その割には夕立もなかった

 対策として、21年目のエアコンを取り換えた。冷却の問題はないが、中がカビだらけでもあり不健康かつ効率が悪く運転音も大きい。

 ヨドバシでまとめ買いはお得なポイント(2台目以降15%)最後の3台目のポイントだけ手中にする。(その他はエアコン支払に充てた)最近のエアコンは止めても、乾燥などお掃除運転をする。送風の加減など色々、賢くなっている。また空気清浄機能がありがたい。

 やっと9月20日(お彼岸あたり、22日 秋分の日)過ぎから秋を感じるようだ。

「京都人は、春と秋を享受する代償として、夏と冬とを諦観しているのである」(林家辰三郎)

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台風で夏の終わりか:この夏の京都は疲れた

2024-09-02 02:48:16 | 京都

 平均の気温を見ても https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/monthly_s3.php?prec_no=61&block_no=47759 

 2024年は暑い。

 加齢かと思ったが、判断力がなくなり、とにかく補水と冷却に走った。特に、日射を感じる。テニスならコートの照り返しもありすさまじい日焼けだ。これは歳を感じる、日陰に逃げ水を飲む。

 お庭訪問や、山科とんかつ、伏見など自転車はすべて中止。暑い上に、道路の照り返しは楽しくない。唯一、五山送り火 大文字奉納など東山の木陰は走った。

 歩いて奈良の町並み調査などは楽しかった。また梅田では本屋と地下街探検、新ビル見学、行き帰りの阪急乗車で避暑に逃れた

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京都は日本一暑い

2024-08-17 02:08:18 | 京都

 猛暑日の多さで「日本一」とある https://news.yahoo.co.jp/articles/cb58bc4d040dcac24d06c96930b502acc4afde54 

 しかも盆地のため湿度も高い。https://ja.weatherspark.com/y/143438/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%80%81%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%B9%B4%E9%96%93%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%9D%87%E7%9A%84%E3%81%AA%E6%B0%97%E5%80%99 

 はっきり言って夏の京都は「スチーム・コンベクション・オーヴン」だ( https://www.cometkato.co.jp/column/benefits-of-steamheating-01/ )

 前は、盆地を囲む3方の山で冷やしていたが、都市熱が臨界点を越え、昼間は熱がこもる都市となった。しかし、緑のおかげで最低気温の熱帯夜は高さの順番をしのいでいる。

 夏に海外富裕層の旅客が少ないのも分かる。北山の鞍馬・貴船(床(とこ))位しかしのげない。庭も苔が焼け、しかも暑い。

 鴨川の床(ゆか)は一見涼しそうに見えるが、室外気温に加え床下の室外機の排熱もありたまらん暑さだ。室内から鴨川を眺めるのが賢明だ。

 夏に京都に来るなら、神社仏閣の中に行くか(参道が熱いが)、山中のトレイルを選ぶか、車で移動するしかない。

 祇園祭と五山送り火以外、おすすめできない

 人のいない石庭などはマニアには楽しめるが

 

 

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祇園祭の山鉾巡行での色々なトラブル

2024-07-30 02:13:14 | 京都

 今年の巡行は色々あった
①四条柳馬場にて鶏鉾の後ろ左の車輪が破断し、立ち往生、横を山鉾がすり抜ける
②河原町御池にて蟷螂山のしかけの左鎌が飛んでいく
③新町にて帰り道の鷹山の屋根が電柱とぶつかり落下
④四条烏丸にて、雷雨もあり大船鉾の新調した車輪が止まる

 なかなか、起こらないことが起こった

 安全第一

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2024年度 御所・離宮庭園セミナー②(川瀬昇作)に参加する

2024-07-26 02:00:55 | 京都

 3回シリーズの2回目 修学院離宮を探る

①石の据え方からの解説

自然の石の姿から

・平行に置く作法は問題がある

・修学院離宮の石は丁寧に作法通りに据えている

・桂離宮は華麗であり、山への石も水勾配をつけている

・滝の周りの石はゴボウ積みであり尖った先を深く埋めて重ねている

②御三社谷

 上離宮の奥にある「お三社谷」は鳥居があり三社が祀られている。台風被害により36~37年に復旧工事、72年の台風では浴龍池まで拝殿が流された経緯もあるとのこと。音羽川は花崗岩が多く、真砂土になり崩れやすいとのこと。

 修学院の地元が祀る、磐座がある( https://www.megalithmury.com/2017/08/blog-post.html と思われる)

 

③昔の記録写真

・桂離宮の桂川沿いは堤防かさ上げ2.4m(淀川に合わせたか https://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/know/history/now_and_then/taishou.html )、当時に桂垣はなかったようだ

・桂離宮の護岸も横杭と縦杭の組合せであった→今は縦杭のみ

・修学院離宮のお馬車道は当初蒲鉾型の断面で両側排水、今は排水路を凹ませ排水管による排水に変わる

④御所透かし

 御所独自の松の管理方法、独自手法の継承を今後行ってゆきたい、次回テーマ

 

 自転車で往復12kmはテニスの後であり結構足にきた

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私の祇園祭、鶏鉾の車輪事故など

2024-07-22 02:57:56 | 京都

 町衆の祭りの山鉾建てと巡行は興味がなくなった。

 宵宵山(驟雨が凄かった)、宵山ともに人が多すぎ、佃煮状態で前に進まない。しかも熱気が凄い。

 近くの八百一の焼き玉蜀黍(400円)が去年から再開し、これを4時半頃混む前に購う。ゆでてあり、甘目の醤油をつけ炙り焼きにして香ばしさを出す。

 家でウオッカ・ソーダで祭を祝う。隣の藤森自転車店の投げ入れゲームも名物。最近、屋台もの、棒胡瓜やたこ焼き、牛串焼きなどに興味がない。

 ゆったり、喧噪を聞く、窓から玉蜀黍の焼く香りが入ってくる

 山鉾巡行では9時に長刀鉾の巡行を見る。N社四条ビル建替えとの写真も記念に。

 この日、9番の鶏鉾(鉾のなかでは3番目 https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/eb9e140dc2f20ccaa080b5aa198c5528387c12c8 )が四条通柳馬場にて左側後輪の7つに分かれた輪( https://corporate.murata.com/ja-jp/more_murata/techmag/metamorphosis17/works )のうち外側がはがれるという事故があり、その横を山鉾が通る事態となった。( https://news.yahoo.co.jp/articles/9c83be45be76dca7a42fa58c72b754796fe02409/images/004 https://www.kbs-kyoto.co.jp/news/2024/07/n20240717_135867.htm )

 前の車輪は辻回しの時、車輪に縄をかけ濡れた竹の上を90度動き応力を受ける。その間、後ろの車輪は特になにもしていない。車輪は前後左右を交換するというが。

 ちなみに、現在のルートでは長刀鉾などでは左回り4回と、一方方向への辻回しとなっている。鉾は10t ある。

 珍しい事故が起こった、なお岸和田のだんじり(4t)は後梃子と緞子(ドンス)綱で曲げている( https://www2.sensyu.ne.jp/gaku_izu/syo.html )

 蟷螂山も河原町御池にて蟷螂仕掛けの左の鎌が飛んで行った( https://news.yahoo.co.jp/articles/d22d262e5aca10a64ee2be59142f17edf8a93526 )

15日夕方の驟雨の影響だろうか

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