都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

青石の庭を巡る:阿波国分寺と美馬寺町の願正寺

2025-01-30 02:08:42 | 趣味

 この2つの庭は重森三玲が紹介した青石(緑泥片岩は緑色片岩( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%91%E8%89%B2%E7%89%87%E5%B2%A9 )のうち変成度が低く緑泥石の割合が高いもの)縦使いとして高名、今回友人の車により念願の拝観ができた

 

1.阿波国分寺:300

 四国八十八箇所第十五番札所、法相宗から平安時代に真言宗、1746年に丈六寺の客僧吼山養獅和尚らにより曹洞宗に改宗し中興し今に至る( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA )

 戦国武将三好氏が16世紀後半の安土桃山時代に築かれたと推定され、庭園中央に本堂(瑠璃殿)の建設(1826年頃)に伴い大幅に改修されたようだ

 東側からが正面(西方浄土を背とする)配置

 まずは青石の縦使いや橋、突き立つ石、荒々しい組み方、全体に圧倒される、息をのんでしまう、ここまでの庭はめったにない

 入ると大きな座禅石らしき石がある、曹洞宗の問答、座禅のためだろうか

 大まかには瑠璃殿から3つの枯山水の流れがあり、手前の中島は亀石、左手には鶴石( https://garden-guide.jp/spot.php?i=awa-kokubunji )らしきものがある

 全体には石橋を架ける上田宗箇( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E9%87%8D%E5%AE%89 )による玉澗流庭園( https://garden-guide.jp/tag.php?s=100_1563 )とある、確かに徳島城庭園や粉河寺に通じる組み方だ、能の石橋も想起する

 橋も手前は薄く反りがあり、その先の2本の橋は加工していない。その奥には真ん中の流れと天生橋があり瑠璃殿の床下を貫いている

 左手(南側)の流れと築山は荒々しい、上に向かう青石たちに尖った青石に集団がさらに左にあり三尊石のようにも思える(南東側)

 北側の流れと枯滝はおとなしい、小さな石橋が掛かっている、五老峰(五人の老人が座ているように見える)とも言われる

 裏は巨石の石組が西側にあり、さらに南西には三尊石のような縦の石組がある、一部は崩れたようなたたずまいであり泥もみえる

 恐らく、瑠璃殿が無ければ、この巨石から3つの流れが組まれ、南東と南西に三尊石があったのかもしれない

 原型は分からないがミロのヴィーナスと同じく「無いため想像する」という楽しさもある庭だ、写真ではほとんど分からない、廬山( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%AC%E5%B1%B1 )を模した造形との説も中田勝康にある、とすれば流れる滝を3つの流れで表し峻険な山を尖った縦の青石により表現したとも考えられる、佐藤玄由住職によると阿波藩の御庭方が作ったとの見解もある

 とにかく面白い

 

2.願正寺:電話予約 お志しに亀末廣を用意

 美馬の寺町( https://mimakankou.or.jp/event/mimateramachi/ )は郡里廃寺跡( https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/202726 )に近いにある古刹( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%98%E5%8B%9D%E5%AF%BA ) 真言宗、立派な山門(三門 東向き)には唐草模様と2基の仁王像がおわす

 庭園の上部に塀と御堂が見える、東側からが正面(西方浄土を背とする)、1958年に鈴江弥太郎により発見された

 天龍寺と同じ龍門瀑なのは細川和氏( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%92%8C%E6%B0%8F )が阿波の青石を寄進したためと中田勝康にある、護岸は天龍寺と違う龍腹護岸(四角石を連続させて立て鱗のような形)とあるのは土圧を受け止めるためか

 龍門瀑の下に白い鯉魚石が分かり易くあり、頂部にも斜めの白い石もあった、しかし上なら龍だろうと思った、横には三尊石も見える

 天龍寺より近くに見え、荒々しい造形と青石の立った姿の滝はなんとも迫力がある、左手には飛石があり管理用だろうか

 疑問は臨済宗の夢窓疎石( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2%E7%AA%93%E7%96%8E%E7%9F%B3 )が天龍寺( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%BE%8D%E5%AF%BA )を建立した時代(1343年)に、徳島の美馬にて真言宗の寺に龍門瀑があるのかは謎だと思う、細川和氏の阿波秋月にての隠居と関係あるのだろうか、しっくりこない、発見されるまでは管理されなかったのかもしれない

 これにも驚いた

 

 2つの庭を堪能し、本楽寺 齋藤忠一(作)は見逃した、これは吉野川と青石だ


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