2,520億円+αの予算と、「牡蠣みたいな~好きでないスタイル」(森元首相)で四面楚歌になり、安倍首相が「豹変」した。
結果はこれで良いが、ザハや協力設計事務所、ゼネコンへの違約金やコンサル料支払もあるためJSCおよび管轄する文部科学省、大臣など関係者の経緯の解明と責任の明確化が不可欠だ。また、違約金を払ってでもザハ案とはきっぱり決別すべきだ。(普通なら「国民の了解を得られなかった場合、解除する」くらいの文言はコンペ要綱に入れるのがあたりまえだが、特にザハのような市民反対が多い場合は「保険」になる)
今回のザハを廃案にするのは、建設費もあるが、都市計画を無視した形態と高さにある。こんな奇怪で巨大、しかも機能が満たされていない景観阻害「オブジェ」が取り止めになったのは誠に喜ばしい。
槇文彦さんの提案を主体に進めるのが要点だ。結局、この前のコンペで次点のオーソドックスなCox Architecture案に近くなろう。形態の「スタイル」よりも、「景観」やサブ・トラックの「機能」を重んじるのがデザインだ。ザハはイマジナリー・アーキテクチャーに近く、実現性、経済性などに欠けている。これを選んだ、安藤忠雄も機能を含めたデザインが分かっているとは言い難い。それとも余程、これも実現が難しそうな(しかし景観的な配慮に富む)SANNA+日建設計に何らかのバイアスがあったのだろうかと訝る。
ザハ案の陥穽はキール・アーチのコストと施工条件(アーチ・アンカーの周辺掘削と既存施設の取りあい)にある。その上、巨大で異様な形態は、利用者の目から見てももエーロ・サーリネンのTWAなどのように美的な快感がない。(きっとGoogle Earthなら目立つ)公園に橋の化け物が出現したようなものだ。異様な巨大なものを都心に置くという計画に対し槇さんの静かな怒りが良く分かる。
今度は、半年でまとめるというが、一抹の不安を感じる。またも審査を安藤忠雄に一任などしないだろうな。頼むならブリッカー賞で、今回のコンペの外にいた槇さんに頼むのが順当だ
(補注: なぜコンペ条件は権利と市民審査を厳格すべきかの理由)
Boston Copley Placeは1966年 Sasaki Associateが選定された。しかし、犯罪の温床ともなり、Bostn Redevelopment Authority(BRA)が84年に再コンペする際、市民意見やSasaki Asso. のデザイン権などに多大な調整が必要となった。槇さんの論文にも「オランダでは公共の施設は、その設計者の同意がなければ処分することは許されない」とある。但し、「成熟した市民社会では、公共の資産はそれを建設する時も、あるいは撤去する時も、その許可は市民の同意なくしては得られないということである」とまとめもある。つまり公共建築は市民の資産ということで建設、解体に同意が不可欠だ。なお、ザハについて違約金訴訟などあれば、専門の弁護士事務所での争いとなろう。その場合、構造的な瑕疵、予算の瑕疵、サブ・トラックなどの基幹設備の欠如がある今回の場合はきちんと申し述べ、国民の負担を軽減するのは当然だ。
http://www.sasaki.com/about-us/Awards/1965/1969/
http://landscapenotes.com/2012/08/23/copley-square/
http://www.jia.or.jp/resources/bulletins/000/034/0000034/file/bE2fOwgf.pdf
(余談)
槇文彦の建築は第一番に良いと言い切れる程ではないが、良く考えていて、景観の配慮があると評価している。固いディティールがぱりぱりしており、当方の村野の曲線志向にはあまりあわない。但し、分割のリズムの楽しさは無類のもので素晴らしいとこの前のWTC#2やMITのメディア・センターでも見て思った。
ザハについては、どこか郊外の何もない立地を選定すべきだ。見た目のインパクトはあるがモニュメントみたいで事務所に構造はいるが、見積はいないのでは。イロモノ建築家の度合いが強くなりつつあるのではないか。同じAAスクールのレム・コールハースは理論から建築という直結の流れで単純な造形が面白いが、経済、コンテクスト、施主や機能の配慮がある。ザハはコンテクストへの配慮や理論があるのか、聞いてみたいものだ