晴れの穏やかな朝、自転車で9時半の開館とともに入場(1,500円)、どう見ても建築関係の入館者が多い。
辰野金吾の次の世代、ゼッシオン( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E5%88%86%E9%9B%A2%E6%B4%BE )の影響を受けた20世紀初頭の変革期だ。同じころ、フランスではアール・ヌーヴォー( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC )、スペインではモデルニスモ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%A2 )など変革と熱狂の時期だった。その後は、第一次世界大戦(1914年~18年)、関東大震災(1923年9月1日)、世界恐慌(1929年~)と大荒れの時代に技術が革新され、1939年~45年の第二次世界大戦へとつながる。
我が国での近代建築の発祥とも思われる。なお、この頃の立面図などは影を落とすのが流行っていたようだ。
野田俊彦(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%94%B0%E4%BF%8A%E5%BD%A6 )が面白かった。A THEATRE( http://www.sainet.or.jp/~junkk/jikuutanbou/jikuukousou.htm )など「建築非芸術論」は面白い、夭折が惜しまれる。
石本喜久治( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%9C%AC%E5%96%9C%E4%B9%85%E6%B2%BB )は竹中工務店で数寄屋橋の朝日新聞社( http://www.sainet.or.jp/~junkk/ishimoto/asahi.htm )が有名。ガラス・アトリウムのコート・ヤードがあったとは。模型によると白木屋の屋上にはお社もあったようだ。
山田守( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E5%AE%88 )は大御所で、聖橋のくり抜き放物線アーチの作図方法がHPシェルに似て面白かった。東京中央電信局は模型で見ても良かった。展示室の廊下にあった堂島、田蓑橋きわに大阪中央電信局( https://blog.goo.ne.jp/sakitakagoo/e/e08a8349a4b5e42f00742888bbb4ab52 )も東京のそれに似ている。(http://20thkenchiku.jugem.jp/?eid=170 )
堀口捨巳も始めは分離派だったとは、ずっと茶室のイメージしかなかった。
影響を受けた作品としてロダンがあり、かの「美しかりしオーミエール」が国立西洋美術館から借り出されて来ていた。18歳の頃、この作品を見て「歳をとるのだなぁ」と上野での思い出があるが、今や自分が年金の歳だ。45年などあっという間だ。
無料の第4回コレクション展(4階)は建築関係の絵が多く楽しめた。
京都駆黴院図 ( https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/74625/2 )田村宗立( https://www.momak.go.jp/Japanese/collectionGalleryArchive/2012/tamura.html )は精密なパースで驚いた。
なお、東山にあった駆黴院(くばいいん https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%86%E9%BB%B4%E9%99%A2 )は解説の英語でPOX(梅毒)とあるように花柳病の治療施設でのちの京都府八坂病院(梅林町 https://map.goo.ne.jp/place/A5RHMMH8/map/ )とある。
さらに、伊藤柏台( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E6%9F%8F%E5%8F%B0 )の「木屋町夜景」には木造3階建ての席貸のような建物がある、夜景の「夜の六角堂」も面白い。
ゆっくり楽しんだ