都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

横浜・東京訪問

2024-12-30 02:44:10 | 都市評価

 12月20日の6時の新幹線に乗り、9時前には横浜に、久々だ、西口の髙島屋に出ると、ウォーターフロントに大回り、桜木町のロープ・ウエイなど見る観光ルートがあるが、ルートが道路に明示されていない、ボストンでは青い線を引いてありHaborwalk (

https://www.bostonharbornow.org/what-we-do/explore/harborwalk/  )として40年前から明示されている、見習うべきだ

 歩くと鉄道跡や橋の解説などあるがちょっと盛り上がらない、散策の楽しさがあまりなかった、ロープ・ウエイは短かった、象の鼻パークなども面白いと思わなかった

 関内は昔の建物を一部活用した建物が多く、しっとりしている、また街区も100m角であり銀座や名古屋と同じサイズだ

 久々に、伊勢崎モールを歩くと駐輪も多く、ちょっと寂れていた印象だ

 

 浜松町から増上寺を経て、東京タワー、ノアビルを見て麻布台ヒルズ、真ん中に道路、両側に地下からモールが2本走る、京都の八百一と大垣書店があったのには驚いた、動線は分かりにくい、エスカレーターが60㎝と幅が狭く1人で乗る独自タイプだ、足元両側にブラシがあるのはFujitecなのだろうか

 なお、裏大きな霊友会釈迦殿の裏が見える、手前のCartier上に釈迦殿の輪が見えるのはシュールだ

 ここから六本木1丁目駅まで歩き、ビル開発に驚く、南北線にて飯田橋のホテルで一休み 

 

 ホテルから歩いて神保町を散策、再開発や建替えが多い、南洋堂にて庭の本を探すが無い、ランチョンで会食、混雑、歩いて帰る

 

 朝は7時に起きて、JRに乗り日暮里の再開発に驚く、蕎麦屋で朝食、いまいち合わない

 子供と上野の西洋美術館、モネ展で混雑していた、旧館・新館を見て和む、ロダンの屋外展示などゆったり

 地下鉄にて10時半の開店前を待ち、髙島屋特別食堂にゆったり待ってから11時に案内、鰻とうどん、ビール、留学の話などなごやかに

 地下鉄に再度乗り天龍により餃子を2箱(@1,400円)買い、子供と分かれ、ゆっくりとビルを見て歩く、Oazoを見て回る途中で先輩と会い丸の内ホテルに登る

 

 丸ノ内ホテル8階 フレンチレストラン「ポム・ダダン」にて35人程、三菱地所、日建設計、日本生命で集う、20年ぶりは懐かしい、関西の方と京都で会う約束、著作のプレゼンなどを約する、そのあと30年ぶりに銀座のスナックに4人で行く、1時間程で新幹線に乗り帰洛、疲れた、どうも生サーモンが2日連続で大盛でありアレルギーもあった、これはインフルエンザの初期であり胃の痛みなどによるものと判明(帰洛後の次の晩にインフルエンザの39℃を初体験)

 帰洛しゆったり、20日34,000歩、21日19,300歩は活動しすぎ、疲れた日曜のテニスも見合わせ、高熱に耐え、横になり本を読む

 

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心斎橋から森ノ宮を歩く

2024-12-27 02:33:15 | 都市評価

 都市計画学会の4回目の打合と忘年会が森ノ宮近くのNext21( https://www.osakagas.co.jp/company/efforts/next21/ )で夕方からあり、心斎橋から歩いて楽しんだ

 昔のヨーロッパ通(周防町)を東に歩く、途中から大宝寺通に転じ九之助橋( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%B9%8B%E5%8A%A9%E6%A9%8B )を渡り空堀通商店街の坂を登る、木曜だからか休業が多い、谷町筋を越えて歩くと上町台地の地形( https://smtrc.jp/town-archives/city/uemachidaichi/p09.html )が良く分かる。仁丹看板があり「南区空堀町」とある、京都に多いが東京にもあるらしい(京都を歩けば「仁丹」にあたる 樺山聡 参照)

 上町筋には能舞台やつけめん うえまちの筋向いにはうだつが左右にあるむくり屋根の旧家がある、現在の上町通の道幅を考えると恐らく曳家で動かしたのだと思う、空堀含めこの辺りは第二次世界大戦の空襲を逃れたようだ( https://smtrc.jp/town-archives/city/uemachidaichi/p04.html )

 北に転じて難波宮跡を見る、高速道路とタワー・マンションが多い、大阪城真ん前のパティーナ大阪( https://www.ntt-us.com/greenfuture/story02.html )が工事中

 高速沿いに東に向かい、もりのみやキューズモールBASE( https://qs-mall.jp/morinomiya/ )を見る、元日生球場だが、定期借地(売るに売れない歴史がある)として北に300mのトラック、間に車路があり南に駐車場兼用の量販店の構成、犬づれが多い

 ここから歴史の道の越中町筋を歩く、途中に越中井 (細川忠興夫人秀林院殉節之遺址)があり、細川ガラシャと高山右近の像がある大阪高松カテドラル聖マリア大聖堂を知った、東京の目白にある丹下健三の大聖堂は知っているが、大阪にもあるとは、青刻昆布発祥の地の碑( https://840.gnpp.jp/aokizamikonbu/ )もある、南に暗越奈良街道(暗峠は激坂で有名)と玉造稲荷神社 分社は「浪花講」( https://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/43_kou.html  https://www.inari.or.jp/naniwako )発祥の地となっている

 このあたりは学習塾が多く、坂になっており自転車が怖い、丁度蹴上の都ホテル前と同じ位の傾斜だ

 ちょっと歩いてNext21に、22,200歩 疲れた

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「『ショッピングセンターのある街』は便利で暮らしやすい」は本当か

2024-12-25 02:31:08 | 都市評価

 友人から、面白い記事との紹介があった

https://president.jp/articles/-/88852 

 SCがある地方都市というか町は満足度が高いというべきだろうか

 京都や東京下町には当てはまらないと感じる 

 その理由として、まず図表2において鉄道依存の関西・関東と他の地方都市は別物

https://president.jp/articles/photo/88852?pn=3

があきらかなのに層別(区分)していないのは論文なら呈をなしていない

「幸福度と住み続けたい気持ち」の元データを見ると

https://www.kentaku.co.jp/miraiken/market/pdf/research/sumicoco/release_sumicoco2021_summary_20220420.pdf

ここに特徴的な基礎データの分析がある

「主観的幸福度と友人・知り合いの多さ」がややマイナスの相関は、人付き合いのありがたさと鬱陶しさが拮抗しているように見える、この部分のSocial Capital( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%94%E3%82%BF%E3%83%AB )の分析が足りない

 大体、グループは150人くらい(ダンパー数 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E6%95%B0 )というのもある、地方では地域グループ内の関係が密すぎる可能性もある、反対に大都市ではグループが会社に偏り、地域に少ないとも考えられる

 さらに50人の知合いが要れば6次の隔たりで全世界がつながる( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%AC%A1%E3%81%AE%E9%9A%94%E3%81%9F%E3%82%8A )というのもあり大体、知合いは100人(年賀状の枚数など)位で、そのうち良く付き合っているのは半数くらいだろう

 最近、 GDPからGDW(Wellbeing)と言っているが「幸福度」定義も、良く分からない

 大東建託の調査 https://www.eheya.net/sumicoco/2020/outline/ が基だが更なるデータの調査方法と対象者の属性を明らかにして頂くとありがたい

 色々考えて面白かった

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茨木を歩く:茨木神社と商店街

2024-12-21 02:59:30 | 都市評価

茨木市駅前には再開発ビルのSOCIOというビルが2棟囲む( https://www.city.ibaraki.osaka.jp/kikou/toshiseibi/shigaichis/menu/hankyunishiguchi/keika.html )タワー・マンションが計画されている、友人のEO先生がタワー・マンションを今まで規制したというのに残念だ

 ここにはらぁめん真というラーメン屋があり淡麗でたまらないうまさのため阪急茨木市駅から中央通りを西に20分程だが通っている

 途中の通り道に茨木神社、商店街や「おにクル」と旧茨木川跡(天井川だったようだ)を生かしたイヴェント施設は面白く親しみやすい

 商店街が多い( https://i-shoudanren.com/shodanren/ )

 まずは、一番大きい茨木神社の参道みたいな茨木阪急本通商店街 ( https://ibarakihondori.com/ )、うどん・そば たつみや 300円から 座る台に丼のせてしゃがんで食べる ラーメン喜楽 ラーメン320円、肉屋だがカレーコロッケが秀逸のとり粂が名物と思っている

 直行する南側の茨木心斎橋商店街( https://i-shoudanren.com/memberstore/cont05.html )は「茨木でも一番古く、あの川端康成もよく利用していた」とあり老舗の寿司屋などが並ぶ

 北側の商店街 天ぷら屋 回転焼きとたこ焼きの大福屋福原商店、裏には茨木中央銀座商店会がありカレーうどん専科 祥があり野菜や鶏の老舗が並ぶ

 曲がったところにある本町商店街には山崎屋(昆布と鰹節のお出汁の専門店)もある、コの字型の商店街の組合せだ

 伊藤豊雄が関わった、「育てる広場」おにクル( https://www.onikuru.jp/ )と前の広場は子供が楽しめる

 都市計画では茨木みちクルプロジェクト( https://www.facebook.com/ibarakistreetdesign/ )があるようだ

 パン屋も多く、K2がお気に入り

 駅の東には行ったことがない、北にある追手門学院大学 茨木総持寺キャンパスのACADEMIC-ARK( https://mag.tecture.jp/project/20211208-academic-ark/  https://www.mjd.co.jp/projects/27606/ )も見たいな

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天六から本町まで歩く:アーケード街を通りお店と匂い、天満宮に

2024-12-11 02:41:21 | 都市評価

 天六から堺筋本町まで歩く、45分程の距離(4㎞弱)だ、天六あたりは店舗からの1m位のはみ出しが両側から、アーケードが狭く感じる訳だ

 このあたりはパチンコの10時開店を待っているのかシルバーとプロらしい若者らの行列(椅子もある)が多かった

 やがてたこ焼きや弁当などの店が多く、油の匂いがする、カレーで思い出すのは昔に庭大王と行った激辛カレーのハチもない(12年4月27日最終に食べに行ったものだ)、向いの伊吹珈琲は盛業だった

 看板にSOURA(ハイブリッド着物 https://commonstyle.net/ )というのがありジッパーの着物とは面白い、他にもお菓子やたこ焼きなどが多い、南に行くほど地場から流行のお店になっていく、台湾朝食などもうまそうだった( https://tabelog.com/osaka/A2701/A270103/27122238/ )

 さらに歩き天満宮にお参り、北の蛭子門に大阪ガラス発祥之地の碑( https://cullet.jp/tenma1.pdf )があった、旭ガラスなどの発祥の地とある、知らなかった

  北は混雑し地元志向、南に行くに従い道幅も広くなり流行の店も多い、天一の台湾朝食の店などちょっと立ち寄ってみたい( https://tabelog.com/osaka/A2701/A270103/27122238/ )

 天満橋を渡る、大阪天満宮と生國魂神社が出会う橋だ、西にある旧大林ビルが懐かしい、このあたりは京橋、八軒屋から高麗橋通に至る東海道五十七次の終点だ

適宜、ライフなどでちょっと一杯を購う、やさぐれ感が良い、商工会議所の五代友厚の像を見て本町通へ

 南森町の西日本書店、大阪国際ビルの紀伊国屋書店などで一息、堺筋本町の旧シャツの早稲田屋(シャツのステンドグラスが塔の上部にある https://semba-navi.com/1103/ 1935年)が懐かしい、今は千鳥屋ビルになっている

 その南には、安藤忠雄設計の大阪商工信用金庫本店(両側に張出たファサードの幅が広いのが目障り)に「糸車の幻想」(今井兼次:早稲田 https://bb-building.net/tatemono/osaka/1581.html  https://sakaisuji.net/columns/%E3%80%8C%E7%B3%B8%E8%BB%8A%E3%81%AE%E5%B9%BB%E6%83%B3%E3%80%8D%E3%81%AB%E8%BE%BC%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E9%A1%98%E3%81%84/ )が残されている、これを残したのは良かった、しかもビルの屋上だったのが今では見やすい

 本町では野村のビルが竹中の設計で建替えの最中、帝人のビルもタワー・マンションになった

12,800歩 結構疲れた

 久々に御堂筋線に乗る、スーツケースのアジア観光客が2人で4人席を占領が2組、どうにかならんかと思いつつ帰洛

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研究のまとめのご紹介

2024-08-21 03:25:05 | 都市評価

 今回、今までの研究をまとめました:ポスト・パンデミックのオフィスと題し、

①リーマン・ショック後の10年間

②パンデミックとポスト・パンデミック6年間

③今後のリモートJOB制など働き方

をまとめWordとPPTにしてみました。

 東京1極集中に対し、リスク分散とウエルビーイングの両立のため、大阪への副本社誘致など提言しております。ご関係の方にもご拡散下さい。

 今後、色々なところでのプレゼンなど行いたいと思っております。

https://drive.google.com/drive/folders/1AAAPxLtrUJg6MD8ec5pZsJZgSbWo87tU?usp=sharing

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難波探索:アジア系観光客が多く、店舗もアジアの言葉が多い、タワーマンションの通学も混じる

2023-12-23 02:56:36 | 都市評価

 おでんの会にて心斎橋よかろ(長堀橋)に18時のため、16時頃から難波の広場を見る。まだ工事中( https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/cmsfiles/contents/0000577/577276/namba.jpg )。こういう、広場は良いが、広すぎて自転車の通行があり係員が警告していた。これからの整備・活用に期待する。

 道頓堀あたりは、匂いが色々。派手な広告。至る所に、串揚げの「活」や「だるま」を見る。射的などもある。リヴァー・フロントの段々やリヴァー・クルーズも人気で、大阪締め( https://www.nikkei.com/article/DGXLASIH06H07_W6A400C1AA2P00/ )の練習もしていた。

 心斎橋筋、戎橋筋は大混雑、両手にドラッグストアの大きな買物袋を持つアジア系観光客を未だに見る。また、鰻谷など、店員もアジア系言語。夕方、3人乗りの自転車で子供を運ぶ母親が結構速度を出し怖い。

 かつてのグリルABC(87年10月閉店 難波新地2番地)は難波Hipsの用地となりない。重亭もリニューアル工事が長引いている。心斎橋のとん平もいまはない。だが、グリルばらの木(ハヤシライスがうまい)、明治軒(串カツがたまらん)、川福流手打うどん 川福 本店(大阪での讃岐うどんの嚆矢)は40年前から馴染みだが今も盛業だ。

 キタはビルが多いが、ミナミは個店が多い、82年から88年の入社当初によく来たものだ 15,600歩

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県都物語:47都心空間の近代をあるく(西村幸夫):労作、空間・施設・変容の観点が独創的

2023-11-25 02:34:34 | 都市評価

 大御所が自転車での実査の上、各都市をモデル化している。

 空間的に都市の構成要素、里程・道路元標( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E8%B7%AF%E5%85%83%E6%A8%99 )、城、川、駅、県・市役所など公共施設、CBD、商店街をモデル化している

時系列は埋立や道路、河川の付け替え、明治維新、地震、戦災の都市計画に分け、都市の拡大や成長のあり方を分析している。

 47都市を俯瞰しての都市の構造についてのまとめや類型化がないのが惜しい。

知見は:

・都市のへそが里程・道路元標、昔の高札場

・多様なアーケードのありかた、変容

・本町、上町が古い町、筋、通は多様(商家の正面や大通りなど)

・城と駅が核となる都市が多い

・名古屋(京間50間)、江戸(京間60間)、静岡(京間50間)の徳川の共通性

・京橋型(サブの通りが直行)、銀座型(平行:並木通りなど)

 

興味深い都市

大阪

・横軸(通)の都市が、縦軸(筋)に転換→熊野街道などは八軒屋から南だったが( https://www.osaka-asobo.jp/course_station/240.pdf )

 

神戸

・運上所(税関)と奉行所の位置比較(長崎、函館、横浜、新潟、神戸)

・居留地と雑居地の両立、横浜は関内が面的に拡大し周辺と同化

 

奈良

・上地令により興福寺の境内が奈良公園のもとに、円山公園が祇園社と安養寺の上地と同じ、他に、上野(寛永寺)、芝(増上寺)、浅草(浅草寺)、深川(深川八幡)、飛鳥山(王子権現の別当寺今輪寺)

・三条通が昔の軸、近鉄は10間道路の拡幅により建設

広島

・太田川の河口デルタ、三角州の集合体

・平和大通りは100mの幅員だが両端になにもない東西の軸

徳島

・大きなビーズ玉の集合都市:河口デルタ

・城のある島が内町、寺島川を埋め鉄道化、新町橋(伊予街道、讃岐街道の入口)から先が新町

・かつては藍で36都市の10番目、戦火で古い町並みが消失

松山

・山を囲む環状都市、昔の外側(とがわ)に沿ってL字型アーケード商店街(大街道、銀天街)

・JR駅は城山の周り、松山市駅、道後と3核構造

長崎

・埋立の進行と拡大:六町、内町、外町へ

 

私見だが:

・河川に近接し、山裾、高台や台地(名古屋など)の立地が多い(舟運でないと石や木材を運べないため)

・舟運、鉄道、道路のモーダル・シフトによる城に近い古い町、駅に近い新しいCBD(金沢など)の二極化

・スプロール、自動車利用による中心商業(旧来と駅前)の停滞、郊外SCの発達

・大体の都市には城がある、その城下町から離れて駅ができるが徳島は特殊

 

 

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和歌山の感想

2023-10-14 02:26:39 | 都市評価

 車社会なのか、JRや南海、バスの本数が少ない。Google Mapにより時刻やバス路線を探せたのが救い。JRは学生の通学利用が多い。バスは県庁行きが朝混んでいた。
 なお、JRは駅員が少ないためかトイレや通路など清掃が行き届いていない。利用者の不満足による利用低下など悪循環を招くように思う。

 お店は、夜にあまり開いていない。人気の店は混む。値段は、結構高い。

 和歌山ラーメンは、濃い、塩っぱい、高いものが多かった。徳島ラーメンに似る濃いお味でご飯をお供にするのが多いようだ。逆に、野菜を入れるのは見かけなかった。マルイの大量の葱は独自性があり良かった

 庭は青石がやはり良い。全体に光が南国のような感じを受けた。京都からの緯度の差はやはりある。

 徳川御三家の歴史があり、城や庭園などに受け継がれている。

 昔のみさき公園や徳島との高速船などが無くなったのはさみしい限りだ。徳島のハムの副産物の豚骨が徳島ラーメンの基となり、小松島と和歌山をつなぐ連絡船により和歌山ラーメンも互いの影響があったように思う。

 なお、徳島も青石の庭園が多い。重森三玲( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E6%A3%AE%E4%B8%89%E7%8E%B2 )に衝撃を与えた阿波国分寺の庭なども見てみたい。

 楽しんだが、点在する観光地のマストラ周遊券やタクシー割引ネットワークか自転車での周遊があれば良いと思った。またバスでの熊野三山周遊ができると良い

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都市計画学会関西支部 学生対象ワークショップ2022に参加、若い知見を知り、スーパー・ブロック開発の問題を再認識

2022-12-07 02:12:43 | 都市評価

 テーマは震災復興のまち 神戸市新長田駅南地区にぎわい創出ワークショップ。新長田の新長田合同庁舎1階で4つのグループ発表が開催( http://www.cpij-kansai.jp/contents/committee/detail.cgi?id=338 )

 三宮からモトコーを歩く、改修された3のあたりは中庭やきれいな通路にあり、JR東の高架下利用に似ている。神戸まで歩いて、新長田へ。2時間ほど街を見る。

 新長田の神戸西部耕地整理事業地区( https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/50/3/50_780/_pdf )は60間(109m角)の街区とある。これを細分化しているが、新長田の再開発ではスーパー・ブロックとしている( https://www.city.kobe.lg.jp/a13150/shise/kekaku/jutakutoshikyoku/redevelop/kobe-kh/susume/nagata/index.html )周辺の細街路(縦横の基準がなくバラバラだが細分化されている)の街並みとスケールが合致しない。( https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92653-0042+%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82%E9%95%B7%E7%94%B0%E5%8C%BA%E4%BA%8C%E8%91%89%E7%94%BA%EF%BC%93%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%98%E2%88%92%EF%BC%95/@34.6535912,135.1461812,381m/data=!3m1!1e3!4m12!1m6!3m5!1s0x0:0x2201d669e8160c3!2z5paw6ZW355Sw6aeF!8m2!3d34.6576922!4d135.1454655!3m4!1s0x60008f8810ad511b:0x3ca40e8d5aff48a4!8m2!3d34.654103!4d135.1500592 )

 この再開発の建物の大きさはグラン・フロント大阪に匹敵する。( https://www.google.com/maps/place/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E9%A7%85/@34.7050755,135.4945701,379m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x0:0x1baec822e859c84a!8m2!3d34.7024854!4d135.4959506 )つまりは、周辺に合わせるには、建物の細分化や通り抜け通路の確保、緑地の整備が必要だ。セイム・スケールマップは拙著参照( https://drive.google.com/file/d/11iQaW8FH0qO1tCP6tYxbuMx0s0OGYxL4/view )

 また、再開発の間に挟まれたアーケードの大正筋商店街も12m程度の幅員があり広すぎる。心斎橋筋商店街でも6m(もとは3間(6尺5寸×3))であり、間延びしている。ショッピングセンターでも、海遊館にてフェスティバル・マーケット・プレイスのラウス子会社Enterpriseの知見では、通路は10ft(3m)が基本(観光の賑わい商業だから https://www.ura.gov.sg/Corporate/Guidelines/Development-Control/Non-Residential/Commercial/Retail-Units )、ショッピングセンターにしても、最近では両側店舗では6mが基準( https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2021.631531/full )となっている。この1階通路の間延びと駐輪、店舗の張り出しは広すぎる幅員にある。心理学的にもボディ・ヒートを生みにくい( https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_T._Hall https://vle.upm.edu.ph/pluginfile.php/171392/mod_resource/content/1/04%20HALL_The%20Hidden%20Dimension.pdf )

ということは、道の真ん中にカート・ショップ(ラウスの第一号の開発1976年 Fanuil Hall Market Placeで発明 P145 左上参照 https://drive.google.com/file/d/11iQaW8FH0qO1tCP6tYxbuMx0s0OGYxL4/view )などの誘致が良いかと思う。

 さらに、2階の通路は、歩車分離のため土地区画整理型の大型跡地開発の「お作法」となったが、ハーバーランドやOBPでも利用が少なく、平面交通志向がある。緑のある道を歩く方が楽しい。トロントなどの寒冷地では覆われた通路のネットワークがあるが、大阪のアーケード(南北が多い)は夏の日射対策と対照的だ。

 2階や地下の動線利用が少ないのは、分かりにくいのと、もともと通過交通量が少ないエリアに作ったからだ。デッキの利用促進をやるなら学生提案にあった2号線と駅までつなげるべきだ。

 住宅利用の提案もあったが、住宅は採光の要件( https://www.iny.jp/regulation/cnstreg4.html )などがあり2階利用は難しいかもしれない。また、提案の多いフレキシブル・オフィス(サービス・オフィス(内装完備)とコワーキング(We Workなど)の2種類がある)は、人の集まる三宮や大阪が好適だ。というのも場所ではなく、情報を持った人間との「交流」の側面もあるからだ。

 学生が「アンタらだけの街ちゃうでー!!」とおばちゃんに言われたのは大型開発に対しての怨嗟なのかもしれない。

 地べたに親密なコミュニティに住んでいた長屋住まいの方が、大型箱もの(下駄ばき住宅)を見るとそう思うと感じる。

 この再開発はスラム・クリアランスの失敗事例のPruitt–Igoe( https://en.wikipedia.org/wiki/Pruitt%E2%80%93Igoe )広い敷地とタワーの組み合わせを思い出す。

 当方なら大きな建物の細分化として、通路の設置や施設内のややこしい斜めの動線の撤去を行う。これと同じく、失敗したのが、新神戸オリエンタルホテルの下の商業がある。複雑な動線で街づくりを狙ったが廃墟になった。(T工務店設計施工だが。。。)

 商業は下駄ばきの下に置くと、高いDHC料金や空調の複雑さを生む。用途ごとに分棟・連立し、商業は独立としフェスティバル・マーケット・プレイスのような安普請(天井カセットとロスナイ空調)にして20年で建て替えるくらいのが、現在の「横丁」となり面白いと思う。分棟のリスクとリターンなどの試算は2003年に論文にまとめた( http://www.eonet.ne.jp/~n7ohshima/TosinkoushinPro.pdf )

 1万4千歩、約2時間の帰洛に疲れたが得るものが多かった

 余談:またも孫の風邪で不調、あかんな

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新今宮から天神の森、堺に穴子鮨の買出し、孫を入れたパーティ

2022-10-30 02:51:25 | 都市評価

 留学時代からの知合い(藤沢出身)夫妻2人と関西ディープ案内を。阪堺線の新今宮で9時に待ち合わせ。まずは、ガードをくぐり、OMO7大阪 by 星野リゾート( https://www.hoshinoresorts.com/resortsandhotels/omobeb/omo/7osaka.html )前に壇上の公園があるが、外からは入れない。2階がロビー、前には新今宮のホームと電車が見える。外観は周りから遊離している。西成ツアーなどあるようだ。地図があり、日本橋のスラムが第五回内国博覧会( https://archives.pref.osaka.lg.jp/search/image/h30_reki.pdf )の御幸通(堺筋)の整備のため、釜ヶ崎に移転、跡地の西半分がルナパーク( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF_(%E5%A4%A7%E9%98%AA) )になったが、すぐに不調、11年で閉園。さらにバブル期には交通局用地がフェスティバル・ゲート( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88 )は10年で閉館になった。

 ここから、紀州街道沿いにあいりん地区を抜ける。ホテルが多く、朝酒を道路で飲む方も多い。マルマン菜園というのがあり、「人生は、一度や二度のつまずきはある!もう一度花を咲かせよう!」との標語も見える。

 堺筋に出て、飛田新地の大門通りに。朝から営業のお店もある。看板がそろい、街並みに友人が驚く。鯛よし百番に案内( https://readyfor.jp/projects/micro-heritage-hyakuban )80年代にはよく宴会に使った。いまは、保存に向かっているのは喜ばしい。

 ここから、南に天神の森に。くねくね道は大体4m幅員、一部土地区画事業( https://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu160/web-content/kokyou/senkan/nishinari/tengachaya/index2.html )が1947年(敗戦後すぐ)に事業計画決定となっている。

 とんかつ1番で昼から宴会、そして阪堺線で宿院までのんびりする、かん袋で持ち帰りと氷くるみ(400円)、40年前は150円だったが。歩いて、暑い。深清鮓に注文を取りに行く。14時で売り切れ、受け渡し方法が窓口になる。撮影禁止で女性二人が注意されていた。7千円程、ここも値上り。海老の箱も購う。

  湊、天下茶屋、淡路から京とれいん雅洛( https://www.hankyu.co.jp/area_info/kyotrain-garaku/ )に乗れ快適。

 自宅で、来客ご夫婦の長女もお呼びして、孫のお披露目宴会。孫も海老や穴子の箱を食べる。かん袋のくるみ餅や持ってきて頂いた栗餅など賞味する。日本酒も頂き、山口県の大吟醸は端麗、飲みすぎた。シャインマスカットも良かった。

 3時間ほど歓談。ボストンで子守りに預かっていた幼女がいまや大人の女性に。34年とは速いなと感じた。

 1万5,800歩、疲れた、翌日は二日酔い

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西梅田から中之島公園、天神橋筋商店街から天六を歩く

2022-10-24 02:45:57 | 都市評価

 インディアン・サマー(小春日和)の日曜日、荊妻と西梅田の民生に行くが大行列(DGR)。やむなく、しゃぶ亭で豚のシングルとダブル(2,200円程)で野菜とゴマダレ、肉を堪能。一人で、もはや肉ダブルは食べられない。なお、うどん抜きを注文すると、今まで40年で初めて、ワカメともやしを忘れられた。お詫びとともに別皿で提供。

 腹ごなしに新地を通り、ダイビルの横から市役所・図書館・公会堂を見る。水彩スケッチの方が多い。鉛筆でかたどり、にじみ水彩の達者なシルバーも。

 ふらふら歩くと、人手が多い。自転車・犬連れ・ジョギングと多様。荊妻はバラ園の手入れの良さに驚いていた。芝生の広場とその先の剣先を見て、斜路をぐるぐる上る。

 ここから、天神橋筋商店街だ。歩くと、パチンコ、ドラッグ・ストア、洋食が多い。天神さんに行くと古書市が開催。昔の河出書房の「食」の特集400円を見かけたが、蔵書にあると思って買わないとなかった。(帰って探すと無かった。。。)

 春駒鮨は本店・支店とも1時過ぎでDGR、人気店はすごい、行列が路地の奥までワープして伸びている。意外と惣菜はない。立ち飲みは多い、四条大宮の庶民の支店もあった。

 天六からたまたま来た千里線の阪急で山田まで、孫の用品を見る。いまひとつで、折り返し梅田までふらふら。紀伊国屋により本を物色。夕食も面倒なため、地蔵横丁のちゃんぽんの新店に行くと、これが地雷で大爆発。烏賊と小海老が冷凍なのか嫌な感じで後味も悪い。

 阪急で、「リンカーン弁護士」の新刊を楽しむ。自宅で一杯、口直し

 1万6千5百歩で足がちょっと疲れる

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千里山、関大前、天六・天五、高槻を歩く

2020-06-13 02:58:23 | 都市評価

 定期の切れる前に、最後に阪急千里線を歩く。千里山( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E9%87%8C%E5%B1%B1 )は、郊外都市(複合用途)のレッチワース( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9 )モデルとしたが、船場あたりの旦那が移住する郊外ベッド・タウン。

 坂道がきつく、あまり面白くない。下って関大前は、やたらにラーメン屋が多い。どうも街の面白さがない。

 天六まで千里線に乗る。商店街は混雑。店舗の張り出しが多く歩きにくい。大阪らしい。天五のアーケードで中崎町まで。そこからHep5まで歩くがこれも面白くない。

 阪急で高槻まで乗って街をぶらぶら。これは面白い

 想い出の街はすべて訪問

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十三から塚本までを往復、淀川の跡を探る

2020-06-11 02:57:22 | 都市評価

 阪急定期の使い倒しの一環で、塚本までつけ麺を食べにいく。十三駅の周りの飲み屋街は10時過ぎでも一杯の客が多い。店の入替りもあり、コロナ禍から営業の見合わせも多いようだ。

 淀川通を西に、北野高校前を通り塚本駅方面に北に渡る。北野高校は竹山聖(北野高校出身 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B1%B1%E8%81%96 )の設計で、北面には六稜会館がありお椀を反対にしたような形にコンクリート打ちっ放しだ。見た感じは、好きではない高松伸と安藤忠雄が混ざったような形態と仕上げだ。

 塚本駅前にはあまり賑わいがない。この近くにあるシェル状の屋根が特徴の蓮華寺を見る。への字の折板が中央から左右に降りてきている屋根で独自だ。

 帰りは北を歩き、アーケードの アーケードのもといまロードを十三まで歩く。店舗からの出っ張りが大きく、自転車もあり歩きにくいが盛況だ。

 昔の淀川の跡などあるかと思ったらまったく感じられなかった。塚本駅北の自動車教習所あたりから弓型に、十三公園あたりが河の跡のようだ。( http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=34.718871&lng=135.473867&zoom=15&dataset=keihansin&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2 )

 また、塚本から西にも旧河道の跡がありアーケードの先で確認した。

 街歩きは楽しい

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清荒神から、神崎川、高槻の商店街を歩く

2020-06-09 02:55:59 | 都市評価

 荊妻と8時過ぎから、十三経由で清荒神清澄寺( http://www.kiyoshikojin.or.jp/ )を参拝する。真言密教のうち三宝宗の大本山だ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E8%8D%92%E7%A5%9E%E6%B8%85%E6%BE%84%E5%AF%BA )。そのため、ご本尊に本尊大日如来がおわす。

 緑がきれいだ、奥の滝も清涼で、心安らぐ。順路を歩くと、岩壁をくりぬいた行者洞には修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ:役小角 えんのおづぬ)が祭られている。

 ここから、山沿いに参拝路もあるが、神崎川駅の近くのうどん屋に行くことにした。その後、今度は高槻を歩く。阪急高槻市駅前のダイコク薬局はなんでも安い。荊妻が色々買う、こちらは懐かしいアンコサンドとトランプ(三立製菓:中身は乾パンと同じ味で、小ぶり、表面の醤油甘辛味と青海苔が独自)が安く売っており懐かしさで買う。小学校以来だ。

 

 JRの駅の向こうのにある開発を見て、ついでに、カルディでスマッカーズのピーナツ・バター(無塩・無糖)を2瓶あるだけ購う。夫婦の好物で、これ以外は使う気にならない自然なお味だ。

 駅の先にある芥川商店街の北端には「寿司仕出し 八百鶴本店( https://yaotsuru.com/about/ )」があり、往時の盛況をしのぶ。なお、手前には寄席もやる亀屋旅館( http://kameya.sakura.tv/main/fun.html )があり、鶴亀揃う。

 高槻はパン屋が多く、歩きながら目移りする位。お昼が大量だったため、夜はちょっとパンでもということにした。荊妻は梅酒の小瓶セットを買って楽しむつもりのようだ。

 コロナが去って、街に活気が戻って欲しいと心底願う

 1万6千5百歩で、暑さもあり帰洛後、シャワーを浴びてくつろぐ、腹は減らないが水を大量に飲む。暑い中のマスクは苦行で脱水に注意が必要だと感じた

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