京都の街角で梅がほころぶ。陽射しも優しい。なんとなくうきうきしてくる。テニスでもボールがよく弾む。久々にハーフパンツで楽しむ。足に、風と陽射しを感じる。<o:p></o:p>
山も、竹の秋で色が変わりつつある。<o:p></o:p>
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花見で一杯が楽しみ。<o:p></o:p>
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京都の街角で梅がほころぶ。陽射しも優しい。なんとなくうきうきしてくる。テニスでもボールがよく弾む。久々にハーフパンツで楽しむ。足に、風と陽射しを感じる。<o:p></o:p>
山も、竹の秋で色が変わりつつある。<o:p></o:p>
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花見で一杯が楽しみ。<o:p></o:p>
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久々にシウマイ弁当(750円)を食べる。経木の折が特色でご飯が蒸れない。ご飯は蒸気炊飯方式 で、赤飯のように冷えても食感が良い。<o:p></o:p>
筍煮、シウマイ、鶏唐揚げ、鮪の照り焼でお酒を。その後、かまぼこ、玉子焼きと俵ご飯、小梅 、昆布・生姜(独自だ)で仕上げる。デザートにあんずが頼もしい。何時、買っても満足する。しょっぱさも横浜風で良い。<o:p></o:p>
一方、大阪の弁当の誇りであった「煮物主体(揚げ物はない)」の八角弁当はかつての従業員と工場とあわせ別の会社から復活した。1,100円で、駅売りはまだ無いが1万円以上で配達があるようだ。あわせて赤飯弁当も復活して欲しいものだ。( http://pub.ne.jp/n7ohshima/?entry_id=2892519 ) 駅での発売を心待ちにする。この春開業する大阪駅の商業施設でも売ってくれないかな。<o:p></o:p>
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シウマイと煮物の二大弁当を一緒に食べるのも一興。<o:p></o:p>
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水族館学を取りまとめた労作だ。水族館に関わる方にはご一読を心からお奨めする。<o:p></o:p>
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思えば、海遊館の企画をしていた1980年中盤に読んでいればと思う。<o:p></o:p>
特に参考になるのが、3章の水族館の建設で基本設計のあとに「(展示水族の)資料の調査」、「(展示の)実施計画」があり、建設の後に「水族の蒐集」、「展示」とある。つまり、水族館とはハコ物をつくるだけでなく、展示と水族が大事を明らかにしている。<o:p></o:p>
水族を生かす濾過方式も要点であり、興味深い。ちなみに海遊館は底面濾過のオゾン処理で革新的な方式だ。<o:p></o:p>
経営として面白いのが図15-4で開館時期別開館後5年間の入場者の推移(9館のデータ)であり、大まかにいうと5年間で半減(逆に言うと開業時は安定客数の倍となる)を貴重なデータで示している。つまりは開館時には集客対応が必要(行列のスペースや日除け、分散化への方策)となる。<o:p></o:p>
日本の水族館の歴史も貴重で、最初が1882年(明治15年)の上野動物園の「観魚室(うおのぞき)」とは知らなかった。次が浅草となっているが、当時は水族館が最新の観光施設だったのだろう。<o:p></o:p>
欧米の歴史ある水族館の紹介も楽しい。ただ、水族館の変遷については観点が違うようだ。私見であるが、発祥から分類すると<o:p></o:p>
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① 汽車窓水槽<o:p></o:p>
② 大型水槽(生態展示)<o:p></o:p>
③ 超大型水槽(海の再現:ジンベイザメなど)<o:p></o:p>
④ パビリオン方式(大水槽と長い動線とシナリオ)<o:p></o:p>
⑤ 多様化パビリオン(複数のゾーンの合体)<o:p></o:p>
また、関連として<o:p></o:p>
・ ショープール(ドルフィン・プールなど)<o:p></o:p>
・ テーマ・パーク(シーワールドなど)<o:p></o:p>
もある。<o:p></o:p>
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水族館はほのぼのして楽しい<o:p></o:p>
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TEN麺(700円) 塩味だ。麺は平打ちで縮れがある。自家製麺で全粒粉なのだろうか、食感と旨味がある素晴らしいものだ。茅場町にあった真好味のむらめんの縮れ麺を思い出した。スープは塩味で脂が足されて、焦がし葱の香がする。独特の切立丼は深く、あらかじめ麺茹でに被され温められている。チャーシューは2枚でロースとバラがそのたび切られる。誠に丁寧なお仕事だ。白髪葱、ほうれん草、胡麻に加え細切りジャガイモ(メークイーン)の食感がしゃきしゃき楽しい。ジャガイモはスープにも使われているのだろうか。<o:p></o:p>
御主人一人でやっていた。丁寧で好感が持てるお店だ。パタゴニアの服が好きとのことでステッカーが多い。<o:p></o:p>
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しょうゆ味も作ってくれないかな。できれば四川味噌(もやしつき)も<o:p></o:p>
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本論の前提として、東京一極集中、大都市と地方の過疎過密、都市のコンパクト化と限界集落など日本のマクロ都市問題がある。著者は政策研究大学の教授で大蔵省出身。<o:p></o:p>
賛同できる知見は、東京が高齢化問題を抱える可能性があること、都市で楽しむことがある。今後の都市間の位置付けが変容するという課題的は秀逸だ。<o:p></o:p>
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しかし、その他の論点で理解できないのは<o:p></o:p>
① 日本は国際競争にさらされていないという指摘は、国内固有のサービス業、行政ではないのか。トヨタやソニーなど製造業が国際競争にされされてるのは周知の事実だ。<o:p></o:p>
② 高く売れるものをつくる:製造業の高付加価値化は当たり前であり、そのためには商品企画・マーケティングだけではなく、製品管理など製造現場からのフィードバックも必要でこれが日本の強みだ<o:p></o:p>
③ 行き過ぎた機械化は本当か。機械化で国際競争力ができ、品質に優位性がある。人で行わざるを得ない製造はむしろ海外に移転してのではないのか。(①、②とともに国際競争戦略はポーター、クルーグマンなどに詳しい)<o:p></o:p>
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今後、日本の都市構造の中で東京の位置付けが変容するが、その対応方策がマクロ経済対策に傾き、都市計画の観点が少ないのは物足りなかった。<o:p></o:p>
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さらに、論文として図表の問題点を挙げると(一般的な表現である「図○―○」と表記しないのは本文に準ずるため)<o:p></o:p>
① 1-2図について、高齢化率/生産人口比率(横軸)と高齢者数層化率(縦軸)のそれぞれの有効性と図表の明示の欠落があり、本文を読まないと分らない。しかもマイナスをかけるという数値の定義・意図が不明<o:p></o:p>
② 1-4図について第二次世界大戦を間に入れた((1925→40)と(1960→75)の比較)年齢階層別人口の増減率比較の優位性はどうか。どうして1990→2005はないのか<o:p></o:p>
③ 1-7図において縦軸と横軸の定義がないのはなぜか、横軸は経済成長(Y)で縦軸は財政支出(G)か<o:p></o:p>
④ 2-9図で「労働者一人当たりの設備コスト」だが、なぜ直線なのか。「機械の量を倍にすれば常に倍」とあるが、実際は、設備の革新・方式変更により直線にならない。これは短期または技術革新のないモデルではないか、軸の定義とモデルの内容に大いなる疑問がある<o:p></o:p>
⑤ 3-7図 需要の多様化と特化は例えば「べき乗則」に分散定義がある。集中化・二分化は世界的な傾向で日本独自とはいえないのでは。もし欧米との対比を述べるなら論拠が必要<o:p></o:p>
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読み物としては面白いが、論点に数々の課題があると考える<o:p></o:p>
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富小路錦下るにある。大晦日の田中鶏卵の行列に並ぶ御馴染みの場所で、近くに尾張屋(朝蕎麦セットが500円)もできた。<o:p></o:p>
朝10:30からのビーフカツ定食は680円。炊き込みご飯が付く、薄味で大盛、柔らかめだ。 ビーフカツ(薄く、何故か脂多く、衣の揚げきりが悪い)は結構塩っぱく懐かしい味のドゥミグラス・ソースで食べる。付け合せは、キャベツ、ポテトサラダ、スパゲティ(大量)がつくが、天下の美味というものではない。味噌汁、漬物も付くが普通。<o:p></o:p>
漫画が多く、「坊ちゃん」の時代(谷口ジロー)を楽しむ。一気に読んでしまう。なかなか置いていない本だ。<o:p></o:p>
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全体に、親戚の家で、手作りのご馳走を頂いているようなお味と雰囲気だ。<o:p></o:p>
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給食は大規模な施設で大量、作り置き、冷える、蒸れる、時間が経つが欠点だ。今回、滋賀県で給食のご飯に市販の電気炊飯器を使っているとの事例があった。 <o:p></o:p>
市販の炊飯器は、安い、取替えが効く、持ち運べる、熱々が食べれれるがある。ピーク対応の食事(一時に大量を揃える)には、規模の経済が働かない。昼間に利用が集中する社員食堂など設備投資がかさみ、むしろ街の行列のできる定食屋が安くて美味しいという結果になる。<o:p></o:p>
大きな設備投資より、分散して、一般設備の取替えが効くのがエコでかつ楽しめる方策だろう。都市計画での地域冷暖房(DHC)設備からコジェネや自家発電に向かうようなものだ。<o:p></o:p>
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集中から一般品・小規模・分散はこれからの流れ<o:p></o:p>
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恐らく、マリーフランスのオリジナル・パン。クロワッサンにカスタードクリームが入り、外側はカスタードクリーム生地とアーモンドをかけ焼き上げている。クリームパンとクロワッサン、メロンパンの外側の仕上げが合体したようなもので、驚く美味しいさ。210円。食べるときは溶岩の様なカスタードクリームに注意。外側はカリカリで底は平たく、周りは広がっている。これはメタボの敵だ。<o:p></o:p>
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マリーフランスは味と価格のバランスがとてもよい。スタンプカードもあります。<o:p></o:p>
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久々に修学陰の拝観に。北から向かい風で自転車は辛い。<o:p></o:p>
待合室の外に立っていると強い風で木の葉のざわめきに驚く。<o:p></o:p>
桂離宮池の杭打ち換えがあり、池の水が干されていたが、今回は水路補修、中離宮の門のやり換えが行われていた。中離宮の柱の虫食いなども次に取り替えて頂きたいものだ。日本の宝に、手間は惜しんではいけない。<o:p></o:p>
冬は草も枯れ樹木も葉が落ちている。棚田の造形がくっきりと綺麗だ。冬の山に葉の無い樹形が柔らかい輪郭と薄い灰茶色のぼんやりした色が落ち着く。小雪があがり、陽が射す。浴龍池に写る裸の樹形が良い。北山方面では重なる山々のグラデーション(空気遠近法)だ。<o:p></o:p>
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冬の修学院は墨絵のようだ。<o:p></o:p>
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エジプトの政治運動はネットが発端というがそうだろうか。中東各国に溜まっていた政治への不満が連鎖したのは、歴史と地域性ではないのか。その波動をネットが伝えたというのはあるだろう。しかし、ネットで政治運動ができるのなら何で日本のネットで起こらないのか。<o:p></o:p>
これは、ネットに「あおる」機能があり、その上で「まとまる」機能があるからだろう。エジプトでは、市民のネットワークとして上手く機能したようだ。しかし、次の政府はどうなるのだろう。エジプト始め近隣諸国はこれから、それぞれの国の内政と国際的パワーバランスの両面が変化する。ネットが、新政権の樹立にも役立てば、市民意見反映の先進事例となろう。また近隣諸国や国際問題にも活用されればとも思う。<o:p></o:p>
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内政交代は利権の入れ替わりの場合が多い、市民と正義はどこに。<o:p></o:p>
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リニューアルされ、よくなったのを期待して、白(750円)を。椅子の下に物入れができた。席の配置は変わらない。後ろの物を置けた棚が無くなって、ディスプレイになった。<o:p></o:p>
テニスの帰りでラケットもあるのに、ここに入れよと指示される。どう考えてもラケットの飛び出しがあるから、ホールの動線を邪魔するため、預かるようお願いしてもなかなか。まあしょうがない。空調でも改良したのかもしれない。<o:p></o:p>
いつもの白はなんか薄い。厚みが無いスープだ。薬味の入れ物はお洒落な四角い容器とアクリルのフタに代わったが、洗うのと、汚れが目立つだろう。前の陶器の壷と木のフタがいいように思う。<o:p></o:p>
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おしゃれになったのかもしれない。<o:p></o:p>
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ハイブリッドとは格好良い感じがするが、「雑種」という意味もある。ガソリンエンジンと電気モーター・バッテリーの組合せだ。20年もすると電気自動車だらけになり過渡的な形式と定義されるかも知れない。<o:p></o:p>
今回、プリウスをフィットが抜いたというのは、プリウスの売れすぎもあるが、単純で安く、軽い車が評価され始めたのではないか。いくらエンジン効率が良くても、重量(質量)のある車は加減速でのロスが大きい。(自転車で峠を登ると体重が分る)軽いと安全とのトレードオフがあるが、最近の車は大型化しすぎだろう。車の小型化が進行すると車相互の安全は確保されるだろう。(重いもの同士の事故より、軽いもの同士のほうがエネルギー積は小さい)車の重量税の格差をつけるのも良い方策だ。(大型車の売れ行き低下に繋がるからか、とんと話しがないのは訝るが)<o:p></o:p>
今では小さな車でも充分だという風潮がある。自転車なら、ママチャリで充分というようなものだ。プリウスはヨーロッパの高速でも安心して長距離が走れるそうだが、日本の乗り方ではそこまで要らないだろう。<o:p></o:p>
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小さな車こそエコの決め手。自転車もある、メタボも解消に<o:p></o:p>
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今回、八百長が明らかになったが、国技なのにけしからんという論点と興行なのだからかまわないという意見がある。<o:p></o:p>
升席で楽しんだことがある。そのとき、力士の大きさとぶつかりあいの音の迫力に驚いた。これは力持ちの体躯を生かした興行だと感じた。しかし、升席は飲み食いし放題だが、土俵の周りの砂被りはしていない。神聖なエリアと享楽のエリアの共存がある。<o:p></o:p>
歌舞伎も伝統芸能だが、興行(公演)の側面と重要文化財(社団法人伝統歌舞伎保存会)の側面がある。相撲協会も興行部門と国技部門を取り分けてはどうだろうか。いわば相撲の精神と興行の運営に分け、八百長は興行部門が給与・人事評価などで管理できないのか。一方、国技としての相撲行事には相応の補助を国として行い、管理する。力士も国際化しているのだから、経営も合理化しても不思議はない。<o:p></o:p>
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八百長で問題なのは、見る人には分かる、つまらない取組みなのだろう。<o:p></o:p>
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ぼんやりと夕暮れの東山を見ながら一献。厳寒だが日が長くなっている。東山も柔らかな感じがする。梅もほころびはじめたようだ。この寒さが峠を越したら自転車でゆったり回ろう。春の息吹は柔らかく、ほわっとしたところをスケッチで仕上げるのも良いかな。線でなく色の面を積み重ねる。<o:p></o:p>
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春よ来い。桜餅(道明寺)も良いな。<o:p></o:p>
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トヨタのアメリカでの「加速問題」は、電子機器の欠陥ではなく、マスコミの煽り記事、政治のGM保護などの背景が要因と「今では」報道されている。政治・経済・情報が偏向するという事例だ。正しいことより、正しいと思いたいことが優先されている。それを正す機能がない。これこそ人気取りのポピュリズムであり、短期的な利益で迷走を呼ぶ。大きな政治・経済・情報の「矜持」はうせている。<o:p></o:p>
名古屋の市長選挙も。議員の給与削減は賛成できる。さらに、年金や経費も見直したらどうかとも思う。低成長であり、応分の痛みの負担は当然だが、既得権を守る議員の動きと、やっかみの市民の対立をあおるようでどうもすっきりしない。問題は「やっかみ」で、発想がゼロ・サムだ。(議員のお金が市民に移るだけ)、もっと成長への方策(プラス・サム)を考えるべきだ。名古屋も基幹産業の自動車もガソリンエンジンから電気への移行が明らかだ。産業を支える方策はないのか。<o:p></o:p>
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世の中が、目の前のことで一方になびくのは危険だ<o:p></o:p>
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