8時半に梅田に集合、湾岸線からマリーナシティの黒潮市場でお寿司のお昼。友ヶ島へは加太港から友ヶ島汽船に20分ほど乗るが、年間半分は欠航という。加太港にも南海電鉄が来ているが歩くのもありバスが便利だ。秘境といってよい島だ。
船に乗ると、和歌山側の海は青いが、友ヶ島に近づくと、せとうちの海水なのか茶色くなっている。船上からは晴れた景色が楽しめ、淡路島も目の前。波を蹴立てて進むのは乗っていて気持ちが良い。途中の虎島には断層がはっきり見える。友ヶ島には一本桟橋しかなく、護岸も陥没していて台風の影響かと思う。桟橋の両側の海はコバルトブルーに澄んでおり小魚が群れていた。
虎島の岩に「禁殺生穢悪・友島五所・観念窟・序品窟・閼伽井・深蛇池・剣池」の文字が見えた。紀州藩主の徳川頼宣の命によって彫られた「五所の額」という。
13時過ぎの船で友ヶ島(4島 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8B%E3%83%B6%E5%B3%B6 )の沖ノ島へ上陸が13:40、それから15:20の100分間、ガイド付き(普通とゆったり)、自由散策(我が夫婦のみ)となった。ドクターヘリの広場や石だらけの浜、道には大きな落石など。孔雀とリスもいるとのこと。
あまり、暑くはないが1万8千歩だとシャツやパンツが汗でぬれる。山道は、石ころが多く登山靴が良かったかもしれない。また、砲台跡などは真っ暗で懐中電灯があると便利。iPhoneの照明に頼ったがどうにかはなった。
友ヶ島の砲台( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B1%E8%89%AF%E8%A6%81%E5%A1%9E http://committees.jsce.or.jp/heritage/node/283 )
「終戦時米軍による爆破で砲台右翼の第1・第2砲座は完全に破壊され,左翼の第3・第4砲座も半壊状態」とある。最大の規模で中に入れる、第三砲台跡では官舎、発電所、弾薬支庫、砲台を見ることができる。煉瓦はイギリス積みで、開口はアーチの2段で持たせている。上に砲台、下に弾薬支庫の構成で、28cm榴弾砲(8門 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%B4%E5%BC%BE%E7%A0%B2 )は上を狙って砲弾を命中させるため、砲台の周りは、横墻(壁)で囲まれている。観測点は近くにあったのだろう。
そのさきにはタカノス山展望台があり、すかっとした眺めが楽しめた。ここから下りで、灯台を目指すと、孝助松海岸に出る。「船が難破したが親孝行の男が一人だけこの松の木にひっかかって助かったという言い伝えのある松の木」という立派な松の木と、岩礁、岩がそびえ波が打ち寄せる。木材が打ち寄せられ荒々しい海岸だ。
灯台は、小ぶりでここから野奈浦桟橋まで海岸線沿いに狭い自動車道路があり、メンテナンス用と分かる。その横に第二砲台跡があり、進駐軍により破壊されている。なぜか読売テレビが取材の来ていた。
蛇ヶ池は葦が生い茂り独自だった。
海岸線沿いに高低のある灯台への寄り付き道路を歩くと、山崩れなどありなかなか怖い。途中に、廃屋の有料脱衣場や富士屋別館があるが、浜は岩とごみだらけでとても泳げる砂浜ではない。
その先を歩くと、宿泊もできる海の家がある。これから、桟橋まであと少し。
暑い、友ヶ島島内センターでチューハイなど買って一息。帰りの船を待つ。沖には、LPG船が2隻見える。帰りの船も快適。
帰りはちょっと渋滞。湊町で降り、難波で食事にして帰洛。21時でほっとする。
天気が良くて気持ちよかった