■佐藤さとる「だれも知らない小さな国」講談社文庫2010年刊(改定版)
何年前からだろう、10年、いや20年、いやいやそれ以上たつんじゃないかしら。この「だれも知らない小さな国」を読みたいと思いはじめて。
「だれも知らない小さな国」はこれまでも買って手許にあるはずだけど、旧版はいまからかんがえると活字が小さくて、読む気にならない。
出版社は文字を大きくするたびに改版し、価格をあげてゆく↑ そうやって価格にみあった本の“価値”を維持しようと躍起なのだろう。
というわけで、ドリトル先生シリーズを読みすすめながら、講談社の3種類の「だれも知らない小さな国」を買いなおした(^^;;)
単行本(オリジナル)
講談社青い鳥文庫
講談社文庫
日本のものをどれからどう読んでゆくか、暇人のわたくしめは頭を悩ませていた。
何がいいって、挿絵なのですね、挿絵(^o^)
村上勉さんの挿絵=イラストが、ため息が出るほどすばらしい。
長いあいだの懸案となっていた本を思い出せてくれたのは、いうまでもなくドリトル先生シリーズ。
児童文学といえば、その長いあいだ、ずーっとこの本「だれも知らない小さな国」だったので、思いいれはかなり深い。
《こぼしさまの話が伝わる小山は、ぼくのたいせつにしている、ひみつの場所だった。ある夏の日、ぼくはとうとう見た――小川を流れていく赤い運動ぐつの中で、小指ほどしかない小さな人たちが、ぼくに向かって、かわいい手をふっているのを!
日本ではじめての本格的ファンタジーの傑作。》BOOKデータベースより
ああ、昔むかし読んだよ・・・という読者が多いでしょうねえ。
佐藤さとるさんは、このデビュー作で、毎日出版文化賞、国際アンデルセン賞国内賞をW受賞している。
本書は1959(昭和34)年、タイプ印刷によるおよそ100部限定の私家版として世に現れた。
講談社の青い鳥文庫にはいったのは1980年。
講談社版の初版挿絵は、若菜珪さんのものだったそうである。それが昭和44年の改版で、村上勉の挿絵に変わる。
わたしが書店でこの本を知ったのは、たぶん昭和50年代の終わりころだろう。(昭和64年 / 平成元年=1989年)
現行版の奥付は2010年となっている♪ 改版により、活字(印字)が少し大きく老眼でも読めるサイズになった。
わたしがこのあいだ手にいれたのは2011年発行の第6刷。古本とはおもえない美麗な個体であった。
現行版では277ページになるけれど、平仮名がとても多いからなので、大人向けの漢字を交えれば240ページそこそこといったボリュームになるのではないか。
ストーリーをあまり詳しく書いてしまうと、“ネタバレ”になる。そういう組み立てに基づいたストーリーなのである。
語り手のわたし“せいたかさん”からの視点で統一されている。子ども時代からの二十数年の物語。
“わたし”にも、“おちび先生”にも“峯のおやじさん”にも、固有名詞はない。メルヘン、ファンタジーでは具体名が出てきても、多くは渾名、愛称である。
ヒイラギノヒコ
エノキノヒコ
ツバキノヒコ
ヒコ老人
おハギちゃん
その他
コロボックルの名称については、古事記のスクナヒコの命やアイヌの伝承に起源がある。
時代背景には戦争、そして戦後がある。つまりは佐藤さとるさんが生きてきた時代。
リアルな現実も、うっすらとだが、必要最小限度書きこまれてある。
高速道路の開通計画によって、コロボックルの栖、聖なる“小山”が破却されるかもしれないという事件があり、これを高度成長期のはじまりとかんがえれば、佐藤さんは戦後日本の社会を広く睨みわたしながら書いたと推測できる。
3センチほどの小さな影だったコロボックルが、ストーリーの進展につれて、徐々にその正体を現してゆく。そのあたりはミステリー仕立てといってもよい(^^♪
社会的背景を同時代の日本とすることで、ファンタジーにはめずらしいリアリティーを獲得している。コロボックルの世界は架空の国の架空の物語ではなく、われわれのこの日常のすぐ横にある世界なのだ、といおうとしている。そういう“紙一重”のスリルが、この作品を力強くぐいぐい引っ張ってゆく。
ゆっくり読んでも、3時間ほどだろう。
佐藤さとるさん(1928~ 2017年)の父上はミッドウェイ海戦で戦死した海軍軍人である。横須賀市で生まれ、横浜市で育っている。
どちらかといえば寡作な作家に属するようで、講談社文庫には7作がリストアップされているのみ。
第2作目の「豆つぶほどの小さいぬ」そのほか数冊が手許にはいってきたので、折をみて読んでゆくつもり。
それにしても、イラストレーター村上勉さんのバックアップが、じつにすばらしい(ˊᗜˋ*)
このイラスト抜きで「だれも知らない小さな国」を語ることはできない。
多少の物足りなさが残るものの、名作の名にはじないファンタジーの逸品である。
子ども心さえ忘れていなければ、大人も十分愉しめる。
さらに付け加えると、佐藤さんのあとを有川浩(ひろ)さんが、コロボックル・シリーズを引き継いでお書きになっているようである。
評価:☆☆☆☆☆
何年前からだろう、10年、いや20年、いやいやそれ以上たつんじゃないかしら。この「だれも知らない小さな国」を読みたいと思いはじめて。
「だれも知らない小さな国」はこれまでも買って手許にあるはずだけど、旧版はいまからかんがえると活字が小さくて、読む気にならない。
出版社は文字を大きくするたびに改版し、価格をあげてゆく↑ そうやって価格にみあった本の“価値”を維持しようと躍起なのだろう。
というわけで、ドリトル先生シリーズを読みすすめながら、講談社の3種類の「だれも知らない小さな国」を買いなおした(^^;;)
単行本(オリジナル)
講談社青い鳥文庫
講談社文庫
日本のものをどれからどう読んでゆくか、暇人のわたくしめは頭を悩ませていた。
何がいいって、挿絵なのですね、挿絵(^o^)
村上勉さんの挿絵=イラストが、ため息が出るほどすばらしい。
長いあいだの懸案となっていた本を思い出せてくれたのは、いうまでもなくドリトル先生シリーズ。
児童文学といえば、その長いあいだ、ずーっとこの本「だれも知らない小さな国」だったので、思いいれはかなり深い。
《こぼしさまの話が伝わる小山は、ぼくのたいせつにしている、ひみつの場所だった。ある夏の日、ぼくはとうとう見た――小川を流れていく赤い運動ぐつの中で、小指ほどしかない小さな人たちが、ぼくに向かって、かわいい手をふっているのを!
日本ではじめての本格的ファンタジーの傑作。》BOOKデータベースより
ああ、昔むかし読んだよ・・・という読者が多いでしょうねえ。
佐藤さとるさんは、このデビュー作で、毎日出版文化賞、国際アンデルセン賞国内賞をW受賞している。
本書は1959(昭和34)年、タイプ印刷によるおよそ100部限定の私家版として世に現れた。
講談社の青い鳥文庫にはいったのは1980年。
講談社版の初版挿絵は、若菜珪さんのものだったそうである。それが昭和44年の改版で、村上勉の挿絵に変わる。
わたしが書店でこの本を知ったのは、たぶん昭和50年代の終わりころだろう。(昭和64年 / 平成元年=1989年)
現行版の奥付は2010年となっている♪ 改版により、活字(印字)が少し大きく老眼でも読めるサイズになった。
わたしがこのあいだ手にいれたのは2011年発行の第6刷。古本とはおもえない美麗な個体であった。
現行版では277ページになるけれど、平仮名がとても多いからなので、大人向けの漢字を交えれば240ページそこそこといったボリュームになるのではないか。
ストーリーをあまり詳しく書いてしまうと、“ネタバレ”になる。そういう組み立てに基づいたストーリーなのである。
語り手のわたし“せいたかさん”からの視点で統一されている。子ども時代からの二十数年の物語。
“わたし”にも、“おちび先生”にも“峯のおやじさん”にも、固有名詞はない。メルヘン、ファンタジーでは具体名が出てきても、多くは渾名、愛称である。
ヒイラギノヒコ
エノキノヒコ
ツバキノヒコ
ヒコ老人
おハギちゃん
その他
コロボックルの名称については、古事記のスクナヒコの命やアイヌの伝承に起源がある。
時代背景には戦争、そして戦後がある。つまりは佐藤さとるさんが生きてきた時代。
リアルな現実も、うっすらとだが、必要最小限度書きこまれてある。
高速道路の開通計画によって、コロボックルの栖、聖なる“小山”が破却されるかもしれないという事件があり、これを高度成長期のはじまりとかんがえれば、佐藤さんは戦後日本の社会を広く睨みわたしながら書いたと推測できる。
3センチほどの小さな影だったコロボックルが、ストーリーの進展につれて、徐々にその正体を現してゆく。そのあたりはミステリー仕立てといってもよい(^^♪
社会的背景を同時代の日本とすることで、ファンタジーにはめずらしいリアリティーを獲得している。コロボックルの世界は架空の国の架空の物語ではなく、われわれのこの日常のすぐ横にある世界なのだ、といおうとしている。そういう“紙一重”のスリルが、この作品を力強くぐいぐい引っ張ってゆく。
ゆっくり読んでも、3時間ほどだろう。
佐藤さとるさん(1928~ 2017年)の父上はミッドウェイ海戦で戦死した海軍軍人である。横須賀市で生まれ、横浜市で育っている。
どちらかといえば寡作な作家に属するようで、講談社文庫には7作がリストアップされているのみ。
第2作目の「豆つぶほどの小さいぬ」そのほか数冊が手許にはいってきたので、折をみて読んでゆくつもり。
それにしても、イラストレーター村上勉さんのバックアップが、じつにすばらしい(ˊᗜˋ*)
このイラスト抜きで「だれも知らない小さな国」を語ることはできない。
多少の物足りなさが残るものの、名作の名にはじないファンタジーの逸品である。
子ども心さえ忘れていなければ、大人も十分愉しめる。
さらに付け加えると、佐藤さんのあとを有川浩(ひろ)さんが、コロボックル・シリーズを引き継いでお書きになっているようである。
評価:☆☆☆☆☆