蔵書の中で、最近ますますふえてきた文庫本。
どこにでも持ち歩ける、小型軽量の本がわたしの私的なステージの主役となっている。
“小さな玉手箱”といったらいいのかしら?
あらゆる本にいえることだけど、封を切って、読んでみないと、中から何が出てくるかわからない。それらのうち、もっとも小さいのが、文庫本で、つぎが新書。
どちらもわたくしめにとっては、欠くことのできない“心のごはん”なのありまする(。-ω-)
いままでは気が済むまで2000字あるいはそれ以上長々書いてきたが、これからは、短く要所のみまとめることに決めた。今回はつぎの3個。
■「愛蘭土紀行 Ⅰ」「愛蘭土紀行 Ⅱ」司馬遼太郎(朝日文庫 1988年朝日新聞社刊)
まずまずの出来映えといえばいえるから、Ⅰ、Ⅱと続けて読ませてもらったけど、Ⅰは到底高くは評価できない。残念ながら、話題がとっ散らかってしまっている。かな~り恣意的である。司馬さんでなかったら、途中で放り出していただろう。
ビートルズにせよ、ジェイムズ・ジョイスにせよ、司馬さんに教えを乞う必要はない。
でもⅡ巻目の「須田画伯と“アラン島”」「ゴールウェイの雨」「岩盤の原」「妖精ばなし」「峠の妖精」「ジョセフ・P・ケネディ」のあたりは読み応えがあった。
要するにスタッフ数人をひきつれた旅行者なのである。
司馬さんの「街道をゆく」シリーズには、「南蛮のみち」「オランダ紀行」「ニューヨーク散歩」などのほか、中国紀行もある。これから読むつもりなのだけど、国内の紀行の各編と比較し、ややレベル的に劣るのでは・・・と思いはじめた。
評価:☆☆☆
■「黒船以前 パックス・トクガワーナの時代」中村彰彦vs山内昌之(2004年「江戸の構造改革」集英社刊を改題)
いい意味で期待を裏切る、上質な仕上がり。片やイスラーム史を中心とする世界史の専門家、片や歴史小説がお得意な直木賞作家。
いったいどんな対談を繰り広げてくれるものやら、半信半疑で読みはじめた。
ざっくばらんに、いかにも笑える・・・というべき下世話な話題てんこ盛り(^^♪
・パックス・トクガワーナへの道 ―秀吉から家康へ
・江戸開府と徳川三代 ―家康・秀忠・家光
・保科正之 ―「守勢」を担った将軍輔弼役
・五代将軍綱吉の夢みた理想と現実 ー元禄再考
・幕末へのカウントダウン ―三大改革の時代
本書はこの5回の対談から成り立っている。定説への挑戦意欲満々なので、しばしば目からウロコ( ゚д゚)
「ここぞ!」というところにポストイットを挟んだり、2Bの鉛筆でマークをつけたりするクセがあるため、文庫本がカエルのお腹のようにふくらんでしまった。
《パックス・トクガワーナ(徳川の平和)は、なぜ二五〇年の長きにわたり続いたのか。江戸開府前史から黒船来航前夜まで、江戸への造詣の深さでは人後に落ちぬ二人が、世界史的視野から縦横に語り合う。従来の江戸時代観を一新する刺激に満ちた対論。》BOOKデータベースより
内容は政権交代を主眼においた政治史のおさらいなのだが、それを新視点から、上質な落語のように語っておられる。ご当人お二人はさぞや愉しかったことだろう。つい先日、渡辺京二さんの「逝きし世の面影」を読んでいるので、なおさら興味深かった。
「逝きし世の面影」は文化史的な側面から、幕末・明治に特化して叙述してあり、かなり情緒的であるのに比べ、お堅い歴史家がおもしろい逸話を集めて、人の耳目をそばだてずにはおかない歴史語りができるのだ・・・という見本である。
中公文庫侮るべからずと思いつつ、時間がたつのを忘れて読みふけった(^^)/
評価:☆☆☆☆☆
■「ドリトル先生アフリカゆき」ヒュー・ロフティング(井伏鱒二訳)岩波少年文庫(1951年刊)
岩波少年文庫は、本編ドリトル先生からはじまった。
読み出してみると、なぜこれまでバカにして読まなかったかと惜しまれるおもしろさ、愉しさを味わった。
古いワイン、わかる人だけにわかる、極上の年代物だと感じられた。
元々は、福岡ハカセが「ドリトル先生航海記」(現新潮文庫)を訳しているということがきっかけで岩波少年文庫を手に取ったのだ。
井伏鱒二の訳だというので、多少どきどき、はらはらもあった。
しかし、石井桃子さんのバックアップが、じつに行き届いているというべきである。
巻末には「各巻の紹介」があり、「“ドリトル先生物語”の主人公たち」というキャラクター紹介がある。
全巻を通して大活躍するメスのオウムポリネシアは、何と百八十二歳!
基本は子供向けのメルヘン、ファンタジーなのだけれど、わたしも“子供向け”であることを忘れて読みふけることができた( ´◡` )
メルヘンだの、童話だの・・・。
わたしは小学校時代、読書とはほとんど縁のないスポーツ少年だったから、新鮮さも格別なものがある。
オウムのポリネシアのほか、
・アヒルのダブダブ
・雑種犬のジップ
・ブタのガブガブ
・猿のチーチー
・シカに似た両頭動物オシツオサレツ
これらがドリトル先生のまわりに集まっている。しかもお話ができるのだ。
ことに「オシツオサレツ」は、井伏さん一代の秀逸な訳語というべき。
本書はドリトル先生シリーズの第1巻となる。
このシリーズは岩波少年文庫で、全13巻もある。(航海記はその第2巻である。)
念のため、BOOKデータベースから内容紹介を引用させていただく。
《「沼のほとりのパドルビー」に住む名医ドリトル先生は,オウムのポリネシアから動物語を習い,世界中の動物たちから敬愛されています.ある日アフリカのサルの国から,ひどい疫病が流行しているから救ってほしいという訴えを受けた先生は,犬のジップたちをひきつれて冒険の航海に出発します.ドリトル先生物語の第1作目.》
この第1作は、語り手トーマス(トミー)・スタビンズはまだ設定されていない。
作品は古い時代のものなので、“人種差別意識”から解放されてはいない。それを問題視する読者からのコメントもあるが、わたしはこれでいいのでは・・・とかんがえている。
作者ヒュー・ロフティングの挿絵がすばらしい(^^♪
キャラクターの造形も、お見事!
本書によってわたしは童話やファンタジーの世界へ本格的に引きずり込まれていくことになるのか?
「そうか、そうだったか♪ こんな世界があったことを忘れていたぞ!」である。
この一週間ほどで、まさに小さな玉手箱というべき岩波少年文庫12~3冊が手許にやってきた。
本シリーズに、寺田寅彦や幸田文のエッセーが収録されているのは意外であったが、童話・ファンタジーとつきあうにしては、時期を大幅に逸してしまったため、果たして“少年の心”に戻れるか否か(´?ω?)
評価:☆☆☆☆
どこにでも持ち歩ける、小型軽量の本がわたしの私的なステージの主役となっている。
“小さな玉手箱”といったらいいのかしら?
あらゆる本にいえることだけど、封を切って、読んでみないと、中から何が出てくるかわからない。それらのうち、もっとも小さいのが、文庫本で、つぎが新書。
どちらもわたくしめにとっては、欠くことのできない“心のごはん”なのありまする(。-ω-)
いままでは気が済むまで2000字あるいはそれ以上長々書いてきたが、これからは、短く要所のみまとめることに決めた。今回はつぎの3個。
■「愛蘭土紀行 Ⅰ」「愛蘭土紀行 Ⅱ」司馬遼太郎(朝日文庫 1988年朝日新聞社刊)
まずまずの出来映えといえばいえるから、Ⅰ、Ⅱと続けて読ませてもらったけど、Ⅰは到底高くは評価できない。残念ながら、話題がとっ散らかってしまっている。かな~り恣意的である。司馬さんでなかったら、途中で放り出していただろう。
ビートルズにせよ、ジェイムズ・ジョイスにせよ、司馬さんに教えを乞う必要はない。
でもⅡ巻目の「須田画伯と“アラン島”」「ゴールウェイの雨」「岩盤の原」「妖精ばなし」「峠の妖精」「ジョセフ・P・ケネディ」のあたりは読み応えがあった。
要するにスタッフ数人をひきつれた旅行者なのである。
司馬さんの「街道をゆく」シリーズには、「南蛮のみち」「オランダ紀行」「ニューヨーク散歩」などのほか、中国紀行もある。これから読むつもりなのだけど、国内の紀行の各編と比較し、ややレベル的に劣るのでは・・・と思いはじめた。
評価:☆☆☆
■「黒船以前 パックス・トクガワーナの時代」中村彰彦vs山内昌之(2004年「江戸の構造改革」集英社刊を改題)
いい意味で期待を裏切る、上質な仕上がり。片やイスラーム史を中心とする世界史の専門家、片や歴史小説がお得意な直木賞作家。
いったいどんな対談を繰り広げてくれるものやら、半信半疑で読みはじめた。
ざっくばらんに、いかにも笑える・・・というべき下世話な話題てんこ盛り(^^♪
・パックス・トクガワーナへの道 ―秀吉から家康へ
・江戸開府と徳川三代 ―家康・秀忠・家光
・保科正之 ―「守勢」を担った将軍輔弼役
・五代将軍綱吉の夢みた理想と現実 ー元禄再考
・幕末へのカウントダウン ―三大改革の時代
本書はこの5回の対談から成り立っている。定説への挑戦意欲満々なので、しばしば目からウロコ( ゚д゚)
「ここぞ!」というところにポストイットを挟んだり、2Bの鉛筆でマークをつけたりするクセがあるため、文庫本がカエルのお腹のようにふくらんでしまった。
《パックス・トクガワーナ(徳川の平和)は、なぜ二五〇年の長きにわたり続いたのか。江戸開府前史から黒船来航前夜まで、江戸への造詣の深さでは人後に落ちぬ二人が、世界史的視野から縦横に語り合う。従来の江戸時代観を一新する刺激に満ちた対論。》BOOKデータベースより
内容は政権交代を主眼においた政治史のおさらいなのだが、それを新視点から、上質な落語のように語っておられる。ご当人お二人はさぞや愉しかったことだろう。つい先日、渡辺京二さんの「逝きし世の面影」を読んでいるので、なおさら興味深かった。
「逝きし世の面影」は文化史的な側面から、幕末・明治に特化して叙述してあり、かなり情緒的であるのに比べ、お堅い歴史家がおもしろい逸話を集めて、人の耳目をそばだてずにはおかない歴史語りができるのだ・・・という見本である。
中公文庫侮るべからずと思いつつ、時間がたつのを忘れて読みふけった(^^)/
評価:☆☆☆☆☆
■「ドリトル先生アフリカゆき」ヒュー・ロフティング(井伏鱒二訳)岩波少年文庫(1951年刊)
岩波少年文庫は、本編ドリトル先生からはじまった。
読み出してみると、なぜこれまでバカにして読まなかったかと惜しまれるおもしろさ、愉しさを味わった。
古いワイン、わかる人だけにわかる、極上の年代物だと感じられた。
元々は、福岡ハカセが「ドリトル先生航海記」(現新潮文庫)を訳しているということがきっかけで岩波少年文庫を手に取ったのだ。
井伏鱒二の訳だというので、多少どきどき、はらはらもあった。
しかし、石井桃子さんのバックアップが、じつに行き届いているというべきである。
巻末には「各巻の紹介」があり、「“ドリトル先生物語”の主人公たち」というキャラクター紹介がある。
全巻を通して大活躍するメスのオウムポリネシアは、何と百八十二歳!
基本は子供向けのメルヘン、ファンタジーなのだけれど、わたしも“子供向け”であることを忘れて読みふけることができた( ´◡` )
メルヘンだの、童話だの・・・。
わたしは小学校時代、読書とはほとんど縁のないスポーツ少年だったから、新鮮さも格別なものがある。
オウムのポリネシアのほか、
・アヒルのダブダブ
・雑種犬のジップ
・ブタのガブガブ
・猿のチーチー
・シカに似た両頭動物オシツオサレツ
これらがドリトル先生のまわりに集まっている。しかもお話ができるのだ。
ことに「オシツオサレツ」は、井伏さん一代の秀逸な訳語というべき。
本書はドリトル先生シリーズの第1巻となる。
このシリーズは岩波少年文庫で、全13巻もある。(航海記はその第2巻である。)
念のため、BOOKデータベースから内容紹介を引用させていただく。
《「沼のほとりのパドルビー」に住む名医ドリトル先生は,オウムのポリネシアから動物語を習い,世界中の動物たちから敬愛されています.ある日アフリカのサルの国から,ひどい疫病が流行しているから救ってほしいという訴えを受けた先生は,犬のジップたちをひきつれて冒険の航海に出発します.ドリトル先生物語の第1作目.》
この第1作は、語り手トーマス(トミー)・スタビンズはまだ設定されていない。
作品は古い時代のものなので、“人種差別意識”から解放されてはいない。それを問題視する読者からのコメントもあるが、わたしはこれでいいのでは・・・とかんがえている。
作者ヒュー・ロフティングの挿絵がすばらしい(^^♪
キャラクターの造形も、お見事!
本書によってわたしは童話やファンタジーの世界へ本格的に引きずり込まれていくことになるのか?
「そうか、そうだったか♪ こんな世界があったことを忘れていたぞ!」である。
この一週間ほどで、まさに小さな玉手箱というべき岩波少年文庫12~3冊が手許にやってきた。
本シリーズに、寺田寅彦や幸田文のエッセーが収録されているのは意外であったが、童話・ファンタジーとつきあうにしては、時期を大幅に逸してしまったため、果たして“少年の心”に戻れるか否か(´?ω?)
評価:☆☆☆☆